朝吹真理子さんの「きことわ」を読みました。
芥川賞受賞作だから、読んでみようと思った…というきっかけで。
『永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。
葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。
ある夏、突然断ち切られたふたりの親密な時間が、
25年後、別荘の解体を前にして、ふたたび流れはじめる―。第144回芥川賞受賞。』
ん~、感想を実に書きにくい…もやもやとした感覚が残る本。
芥川賞受賞作は、過去にもいろいろ読んでいるけれど、やっぱり、私には、
芥川賞というものが、よく理解できない^^;
流れるような表現で、淡々と情景をつづっているという印象なのだけれど、
私が、普段聞かないような言葉や、表現が多様されていた。
(例えば、“貴子が春子に妊娠されていたとき”とか、“鬱林”など、
意味はわかるんだけど、こんな表現、聞いたことないな…みたいな表現が
とても多かった。)
それに、やたら、難しい漢字、熟語はたくさん見かけるのに、
(例えば、“蕭蕭”とか)
反対に、“ちいさい”“ひと”“むかし”“てきとう”“ほんとう”など、
簡単な漢字は、あえてひらがなで書かれている。
この漢字とひらがなの使い分けは、どういう意図をもって書かれているのかしら?
なんてことに気をとられつつ(気になったのだ)読んでしまった^^;
現在と、過去の記憶、それと、妄想、夢の世界。そういうものが、ぐっちゃに描かれて
いるので、時々、これは、想像の世界?過去の記憶?それとも、いま?と、
わからなくなることがあった。
小説なのだから、言いたいことなどなくてもいいのかもしれない。
でも、何か言いたいとしたら、何を言いたいのかな?ってのは、すぐに読み取ろうと
してしまうクセが、私にはあるので、考えてしまった。
記憶とは、あいまいで、改ざんされるもの。
最も印象に残ったのは、このことかな。
遠い昔、一緒に過ごした人のうち、再会できるとすれば誰に会いたいだろう??
なんて、懐かしく、昔に思いを馳せてしまった(^^)
芥川賞受賞作だから、読んでみようと思った…というきっかけで。
『永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。
葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。
ある夏、突然断ち切られたふたりの親密な時間が、
25年後、別荘の解体を前にして、ふたたび流れはじめる―。第144回芥川賞受賞。』
ん~、感想を実に書きにくい…もやもやとした感覚が残る本。
芥川賞受賞作は、過去にもいろいろ読んでいるけれど、やっぱり、私には、
芥川賞というものが、よく理解できない^^;
流れるような表現で、淡々と情景をつづっているという印象なのだけれど、
私が、普段聞かないような言葉や、表現が多様されていた。
(例えば、“貴子が春子に妊娠されていたとき”とか、“鬱林”など、
意味はわかるんだけど、こんな表現、聞いたことないな…みたいな表現が
とても多かった。)
それに、やたら、難しい漢字、熟語はたくさん見かけるのに、
(例えば、“蕭蕭”とか)
反対に、“ちいさい”“ひと”“むかし”“てきとう”“ほんとう”など、
簡単な漢字は、あえてひらがなで書かれている。
この漢字とひらがなの使い分けは、どういう意図をもって書かれているのかしら?
なんてことに気をとられつつ(気になったのだ)読んでしまった^^;
現在と、過去の記憶、それと、妄想、夢の世界。そういうものが、ぐっちゃに描かれて
いるので、時々、これは、想像の世界?過去の記憶?それとも、いま?と、
わからなくなることがあった。
小説なのだから、言いたいことなどなくてもいいのかもしれない。
でも、何か言いたいとしたら、何を言いたいのかな?ってのは、すぐに読み取ろうと
してしまうクセが、私にはあるので、考えてしまった。
記憶とは、あいまいで、改ざんされるもの。
最も印象に残ったのは、このことかな。
遠い昔、一緒に過ごした人のうち、再会できるとすれば誰に会いたいだろう??
なんて、懐かしく、昔に思いを馳せてしまった(^^)