辻内智貴さんの「ラストシネマ」を読みました。
アマゾンに書かれていた内容紹介によると、
『この世の生を終えるとき、人はその向こう側へ何を持っていくのだろうか。
昭和40年代のH市、にほど近い田舎町。少年は東京で映画の仕事をしていた雄さんという男性に出会う。雄さんはがんに全身を冒され、町の病院に入院していた。見舞いに行く少年に、雄さんは東京の話や、映画の話を聞かせてくれる。
ふとした会話から少年は雄さんがかつて映画に出演し、台詞のある役をもらっていたことを知る。
雄さんが死ぬ前にどうしてもその映画を見せたい。
題名も知らないその映画を、少年は探そうと決心した――。 』
登場人物は、とても少なく、シンプルなストーリーである。
でも、いつも飲んだくれて仕事もしていなかったようなお父さんが、
時々、吐く言葉が、なんとも、重みがあって素敵なことをいうのだ。
若干9歳くらいの少年には、理解の枠を超えているようなことまで。
そんなお父さんに育てられたからこそ、少年は素敵な大人に成長したんじゃ
ないかと思えるほどに、お父さんは素敵だった。
雄さんは、35歳にして、日に日に死に向かっている。
それを、毎日傍に居て、感じている少年は、どうしても、雄さんの、おそらく、
人生の中で最も輝いてた(気持ち的にも)その瞬間を思い出させてあげたくて、
必死に行動する。
その思いが雄さんに届いた瞬間・・・私は涙が止まらなくなった。
と、思い出して感想を書いているだけで、思い出して、また涙が出てきてしまうほどだ。
私は、人生を終えるとき、何を胸に、逝くのだろうか?
もう1つ、「中村正太郎さんのこと」という、ちょっとほっこりできる、
ささやかな幸せを書いたものが、併録されていた。
蓑虫は、毛糸しかない環境に入れられると、毛糸で蓑をつくる。
新聞紙しかないと、それで蓑をつくる。
・・・人の環境をうらやむより、自分の環境で幸せを紡いでいくことが大切
なんだよ~ってことなのだろうけど、なんとなく、ほっこりした。
辻内さんの本は、久々に読んだけど、やっぱり、素敵(^^)
アマゾンに書かれていた内容紹介によると、
『この世の生を終えるとき、人はその向こう側へ何を持っていくのだろうか。
昭和40年代のH市、にほど近い田舎町。少年は東京で映画の仕事をしていた雄さんという男性に出会う。雄さんはがんに全身を冒され、町の病院に入院していた。見舞いに行く少年に、雄さんは東京の話や、映画の話を聞かせてくれる。
ふとした会話から少年は雄さんがかつて映画に出演し、台詞のある役をもらっていたことを知る。
雄さんが死ぬ前にどうしてもその映画を見せたい。
題名も知らないその映画を、少年は探そうと決心した――。 』
登場人物は、とても少なく、シンプルなストーリーである。
でも、いつも飲んだくれて仕事もしていなかったようなお父さんが、
時々、吐く言葉が、なんとも、重みがあって素敵なことをいうのだ。
若干9歳くらいの少年には、理解の枠を超えているようなことまで。
そんなお父さんに育てられたからこそ、少年は素敵な大人に成長したんじゃ
ないかと思えるほどに、お父さんは素敵だった。
雄さんは、35歳にして、日に日に死に向かっている。
それを、毎日傍に居て、感じている少年は、どうしても、雄さんの、おそらく、
人生の中で最も輝いてた(気持ち的にも)その瞬間を思い出させてあげたくて、
必死に行動する。
その思いが雄さんに届いた瞬間・・・私は涙が止まらなくなった。
と、思い出して感想を書いているだけで、思い出して、また涙が出てきてしまうほどだ。
私は、人生を終えるとき、何を胸に、逝くのだろうか?
もう1つ、「中村正太郎さんのこと」という、ちょっとほっこりできる、
ささやかな幸せを書いたものが、併録されていた。
蓑虫は、毛糸しかない環境に入れられると、毛糸で蓑をつくる。
新聞紙しかないと、それで蓑をつくる。
・・・人の環境をうらやむより、自分の環境で幸せを紡いでいくことが大切
なんだよ~ってことなのだろうけど、なんとなく、ほっこりした。
辻内さんの本は、久々に読んだけど、やっぱり、素敵(^^)
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