はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

帰ってきました

2020-10-01 00:04:58 | 介護・終の棲家
宮崎で11日間滞在し、昨夜23時ごろ、戻ってきました。
疲労感に満ち溢れて。
身体だけではなく、心も、、打ちのめされた感に満ちて。
書きたいことは、たくさんあるのだけれど、何から書けばいいのだろう?と、
まとまらない思考を整理しながら、少しずつ書いてみようと思います。

今回、滞在は8日間の予定だったのだけれど、いろいろあって、
帰りの飛行機チケットを破棄して、滞在を延長しました。
予定度どりの滞在で戻ってきたら、昨日の練習には参加できたのになぁ~
という思いは、頭の隅でくすぶっています^^;
仕方ないこととはいえ、このところ、休んでばかり。
残念です(涙)

今回滞在中のミッションとしては、
1.四十九日の法要
2.納骨
3.遺族年金の手続き、生命保険の手続き、相続の手続きなどなど少しでも進めること
4.家の中の片付け
というのが、主なものでした。

相方氏と、弟夫妻の3人は、羽田から鹿児島空港へ、
私だけ、伊丹から鹿児島へ飛び、空港で合流しました。

シルバーウィーク初日ということもあってか、飛行機は満席。
周囲は、遊びに行く感じの人たち。

あれは、、桜島、、かな?

私の方が、少し早く着いたので、到着を待ちました。

さすが鹿児島空港ですね。離島に飛ぶ飛行機の名前がいっぱいです。
待ってる間、、こんな風に、空港で到着する人を待つというのは、
人生でお初の経験かもしれないなぁ~なんて考えたりしつつ。
昔、、飛行機で帰省の際は、宮崎空港で、義父さんが到着を待っててくださってたっけ
なんてことも思い出しました。

法要は23日だったので、それまでの日々は、ひたすら部屋の片づけと、
畑と庭の草刈りに励みました。
毎日、夕方になると、「疲れたね~~~~~~」というのが合言葉になるほどに。
日々、腰や腕や肩に、湿布を貼ったりしつつ(苦笑)

手続きは、、コロナで施設に入所している義母に面会もかなわないということで、
手続きが全く勧められず、八方ふさがりな感じで気が重かったのですが、
このところ、コロナ規制が緩和されていて、面会できることになり、
急にトンネルの出口が見えたかのように、スムーズに手続きが進み始め、
身体はキツイけれど、心は軽やかになって、、迎えた終盤、、最終日の前日、
どうしたらいいのかわからないような事実が発覚し、心が打ちのめされてしまったのでした。
このあたりのことは、もう少し、頭を整理して、少し勉強したりしてから、書いてみたいと思います。

49日の法要が終わったら、お送りする返礼品(っていうのかしら?)の、熨斗に書く文字として、
私は、「満中陰志」というのが一般的だと思っていたのだけれど、
宮崎では、そんなのは聞いたことありません~とは、お店の、熨斗を書いてくださる人の話。
で、「忌明御礼」と書くのが一般的だと教えていただきました。

へぇ~~~~~と、ひとつ、また知識が増えました。
送りきれなかった方への、品を、、、今日は、疲れた頭・身体で、お店に行ってみたり、
ネットで検討したりしていました。
明日、送ったら、、、ひとまず、、法要関係のもろもろのことは一区切りできそうです。

滞在中の11日間にかかった費用の整理を、今日はちまちましておりました。
明日、まとめたら、会計報告して、こちらも、一区切り(ほっ)

次は11月後半の予定。
少しは、勉強しておかないと~と、思っているところです。

けど、ほんとに、、、くたくた。
早めに寝ようと思ってるのに、脳が覚醒したまんまなのか?なかなか眠れないのも
つらいところ。
眠っていて、途中で目が覚めるなんてこと、日頃はないのだけれど、
滞在中は、目覚めない日は、1度もなく、、夜中に目覚めてしまうと、
明日は、あれをして、これをして、、なんて、考えちゃって、
結局眠れなくなってしまうという、、、ことの繰り返し。
眠れないということは、きついことなのだと、知りました。

明日は、少しのんびりしつつ、ブログを書いて、頭を整理できるといいな。。
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義父の急逝

2020-08-26 17:32:09 | 介護・終の棲家
義父が急逝し、1週間ほど、宮崎へ行ってきました。
まだ、疲れが取れなくて、倦怠感に満ちています。

16日の夜、電話が通じなくて、相方氏の従妹のおねえさんに見に行って
もらったら、部屋の中で倒れていて、意識がなく、救急搬送されました。
17日の朝一便で、相方氏は宮崎入り。
でも、コロナなので、面会はできず、、お医者さまとの話では、
「ここは救急病院ですので、2週間くらい経ったら、他の病院へ転院してください」
みたいなこともあったようなので、
もしかしたら、意識が戻るか戻らないかわからぬまま、長期戦になるのか、、と、
覚悟しておりました。
18日の夜中2時頃、病院から電話があり、すぐ来てくださいとのことで、
病院へ向かうと、「お入りください」と、会わせてくださったそうでした。
意識不明だったのに、声をかけると、目を開いて、口を動かし、何かを伝えようと
していた。。
そこに居たみんなは、「来てくれてありがとう。あとはよろしく」と言ったように
見えたと、、言ってた。たぶん、そうなのだろう。
命とは、、不思議なものだといつも思う。
まるで、その人を待っていたかのように、息をひきとる。

突然のことではあったけれど、
(相方氏が)最期に間に合うことができて、よかった。
義父さんが、家で一人、、の生活になってから2年くらいの間、
相方氏と、弟さんと、交替で、帰省して義父さんに親孝行できたから、よかった。

この頃、父さんは、人生、もういいよ思い残すことはない・・・と思ってた感じがすると、
相方氏は、通夜の夜言っていた。
私も、、同じような感じを、義父さんから感じていた。

家に一人居て、病気もせず元気だった義父。
義母と一緒に暮らしていて、いろんな話しながら楽しく暮らせていたら、
もしかしたら、もっと長く生きたいと思ったかもしれないけれど、
最近は、義母は施設で、、コロナもあり、会うことさえできない日々だったから。

義父が亡くなったことを、義母には伝えることができなかった。
施設は面会禁止(コロナで)、外出禁止。
亡くなったことを伝えたとしても、義父さんに会わせてあげることはできないし、
その際の、義母の心中を思うと、辛いだろうなと思うので、みんなで話し合って、
伝えないことにしたのだった。

と、亡くなったことも伝えられていないのに、葬儀が終わって手続きをしに
行った市役所で、遺族年金の手続きは、義母が同席するか、委任状が必要です
などと言われ、四角四面な対応に、内心ぶちきれそうな思いになったのでした。
高齢になったら、寝たきりの人だっているはずだし、字が書けない人だって
居るだろうし、理解できない人だっているだろうはずなのに、、
何故、、いろんな場合を考慮して柔軟に対応してくださらないのかと思うと、
腹立たしくてならなかった。

誰も住むことのなくなった実家の世帯主は、義母になるのだけれど、
それで問題はないのかしら???などなど、頭の中が忙しくて、
思考回路が停止しそうな感覚だった最終日。

葬儀の日が、身体的には、休息日となり、
その前後は、家の中の片付けと掃除にほぼ費やされた感じだった1週間。
暑さもあり、とても大変でした。
家の庭の雑草は、多少、、刈ってくれたけれど(大変そうだった~)、
少し離れたところにある、畑の雑草は、背丈を超えるくらいの高さにまで伸びていて、
近隣の方から苦情が出ている、、と、市役所から連絡があったけれど、
事情を話し、来月まで待ってもらうことに。

お墓掃除を1時間頑張った時は、ひからびそうだったり、日焼けで腕が赤くなったり^^;
日焼け止め、、持っていくの忘れてたんですよね。。。。

大急ぎで出発したから。

宮崎へ行った日の朝は、、クラーラの練習日で、うきうきと家を出発した直後のこと。
電話があり、「今、亡くなりました。帰ってきてください」と。。。。
それで、すぐにUターン。

そういえば、義父のお母さんが亡くなった時も、、、金曜の夜、スキーに出発すべく、
車で拾ってもらうために、待ち合わせ場所でスタンバイしてた時に、着電。。
「帰ってきて」って言われたことを、鮮明に思い出してしまった。
一度も会ったことがない人の葬儀に出るために、予定をキャンセルする。。
当時若かった私は、納得がいかなかった。
でも、それが、結婚するってことなのか・・・そう思うと、結婚したことを、
止めたくなった(苦笑)

相方氏も思い出したみたい。
「前は、スキーに行く日だったよね」と、思い出してたみたいだったから。

宮崎の実家の方々は、私が、自分の好きなことをして遊ぶのが、
つくづく気に入らないんだな。。なんて思ってしまった(考えすぎだけど)
「女は、家に居て夫に尽くすもの・・・」というような、土地柄。
私には、どう頑張っても住めないと・・・ずっと思ってきた。

義父さんの記憶の中で、1つ、、嬉しかったことをあげると、
守ってくれようとしてくださったこと。
23歳で結婚してから40になるくらいまでの間、義母からの、
子供がいないことへの攻撃がすさまじかった。
30代の後半だったかは、安産のお守りが送られてきたり、
「病院へ行ってるの?行きなさい!」と言われたり、
「どこからか、子供をもらったら?」と言われたり、帰省した際に、
相方氏がお風呂に入ったりして一人になると、
待ち構えていたかのように、やんややんやと、言われた。
それを見かねた義父が、
「そういうことは、夫婦で考えることだから、言わんね(言わないようにしなさい)」と
義母をたしなめてくれたことがあった。
義父も、義母と同じ気持ちなのかと思っていたから、かばってくれて、
とても嬉しかった。
その後も、義母の攻撃は衰えなかったけれど、気持ちをまっすぐ持って、
かわすことができた、、、ような気がする。

たぶん、、見守ってくれているような、優しい義父を見て育ったから、
相方氏も、弟さんも、とっても、、優しいんだな。。なんて思いつつ、
お経を聴いていた。

来月は、四十九日の法要を挟んで1週間ほど、宮崎行きを決めてある。
台風の影響を受けず、すべきことが順調にすすみますようにと、願っている。

コロナで飛行機を利用する人が少ないせいで、減便になることも多いらしいけれど、
伊丹ー宮崎間は、プロペラ機ばかりが飛んでいるみたい。
座席は、真ん中ゾーンがなくて、左右に2席ずつ。
すごい騒音。
客室乗務員さんは2人だけ。
モニタもなし。
小さなコロコロバッグも、機内持ち込み不可。
墜落しないのかしらーーー?なんて心配な感じで乗ってました(苦笑)
地面を歩いての搭乗も、、とても久しぶりな気がする。

9月は伊丹ー鹿児島だけど、往復プロペラ機です。
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心がざわざわして眠れそうにない

2020-08-16 23:38:07 | 介護・終の棲家
宮崎に住む、義父が、今夜救急搬送された。

義母は、介護施設に入所していて、義父は家で一人暮らし。
91歳の割には、元気で、食欲も旺盛だった。

けれど、、冷房を入れると「寒い」と嫌がり、夏でも「暑くないんよ」と
言っていたのが気になっていた。
「冷房入れないとだめよ」と、機会があるごとに言っていた。

相方氏は、いつも日曜日の夕方定刻に電話をかけていた。
今日、その電話が通じなくて、携帯にかけても、固定電話にかけても
出ないので、心配になり、車で30分くらいのところに住む従妹のおねえさんに
お願いして、様子を見に行ってもらったのだった。

寝てるだけ、、とか、お風呂に入ってるだけ、、だといいなと、、、
願いつつ、、連絡待ち。

義父は、家の中で倒れていたらしい。
身体はかなり熱くて、部屋は、扇風機は回っていたけれど、冷房はついていなかったらしい。
おねえさんが、救急車を呼んでくれて、病院までついていってくれた。
救急車が来るまでの間も、氷で身体を冷やしてくれていたらしい。

そして、検査の間も、病院で待っててくださり、お医者さまと話もしてくださり、
メールで、その内容を教えてくれていた。。
そして、今は、看護師さんとお話している、、、らしい。

おねえさんには、感謝してもしきれない。。

私も、夕方から、連絡待ちの状態が続き、心がざわざわと落ち着かない。

重篤な熱中症、、だけではなく、脳梗塞も併発しているらしいと、
少し前に聞いた。

相方氏は、明日の朝一番で宮崎入りの予定。
けれど、病院へは、、、入れないらしい。
このコロナのご時世だから、仕方がないとはいえ、、、
つらいだろうな、、と、思う。
傍に居てあげられないことが、申し訳ないような、歯がゆいような
気持ちがする。
私が居たところで、どうなるものでもないけれど、傍にいるだけで、
少しは、心強い気持ちになってもらえたり、、しないかなと、
私が勝手に思っているだけなのだけれど。

義母の入所している施設にも、今は入れないので、
宮崎へ行ったところで、、両親の顔も見ることができない。。

ある日、突然そんなことになるなんて・・・
1日1日を大切に生きなくては、、、と、改めて思う。

これからのことも、考えなくてはいけないのだろう。
今夜は、、、きっと眠れない。
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年末年始のちょっと大変だったお話

2020-01-08 11:50:03 | 介護・終の棲家
ブログには、できれば、楽しいことだけ書きたい私なので、
介護のお話を書くことを、、、躊躇したり、迷ったりしつつ、、、も、
後に読み返した時に、何か役に立ったり、思うことがあるかもしれないと思い、
書き留めておくことにしました。
それに、書くことで、気持ちが整理できて、完全に日常に戻れるとわかっているので。

興味ない方は、読み飛ばしてくださいませ。

年末年始は、相方氏の実家、宮崎で過ごしました。
相方氏は、ほぼ毎月帰省していますが、毎回一緒に行くと、
交通費で破産しそうな勢いなので、私は、年に2~3回同行する程度です。
前回同行したのは、8月だったので、その時に比べると、
だいぶ、、状況は、良くない方向へ進んでいました。

義母は83歳。
レビー小体型認知症で、施設に入所しています。
きっかけは、転倒による大腿骨骨折でしたが、骨折から1年と2か月くらい。
支えがあると歩けるようになったし、食生活も管理されているから、
体重も、太ってた頃から比べると、20kg近く痩せ、若々しく元気そうに
なりました。
会って話をしても、以前のとおり、、変わりなく、
人の話を聞かず、一方的に話しまくるスタイルも、、そのままなので、
認知症であることを忘れそうになりますが、
本当の話と、妄想(作り話)の境目はわからなくて、
妄想の部分が、大きくなっているような感じさえします。
私には、よくわかりません。
行くと、「こんなお菓子買ってきて」とか、言いますが、
翌日持っていくと、「これは何??」という感じなので、
本当に欲しかったのかさえ、怪しいところです。
8月に行った時は、話の8割がた、人の悪口っぽい話でしたが、
今回は、あまり悪口はきかれず、、それが、いいことなのか?よくないことなのか?
さえ、わからないのですが、比較的、、楽しそうにしていたのは、
施設の方が優しくて、居心地がいいのかしら?と、安心材料ではありました。
相変わらず、施設に住み込みで働いてると思い込んでいて、
年末年始は休暇をもらったからと、一緒に家に帰るために、
荷物をまとめていたのには、ちょっと閉口しましたが、
「家で、段差につまづいて、また転ぶと危ないから」というと、
あっさり引き下がってくれました。
年末年始は、家族の方が迎えにきて、一時帰宅される方も多いから、
帰りたい気持ちが強くなるらしいです(施設の方の話)。
家に連れて帰ってあげられないのは、少しかわいそうな気もしますが、
24時間完全介護されている義母は、、、安心です。

問題なのは、一人で家に居る、義父91歳です。
会話は普通にできるし、耳は遠くない。
一応一人で歩ける。。
けれど、だんだん足元はおぼつかなくなっているので、
なるべく、歩いたりした方がいいと、、言っても、
1日中、、寝転んでテレビを見て過ごしているので、
衰えるスピードは、早そうな気がします。
今回、一番、、大変だったのは、尿もれによる、、部屋の異臭。
そして、本人は、臭いは、全く感じていないこと。
尿もれ対応のパンツをはいているけれど、1日に5枚くらい洗濯している
ようなので、それくらいは、漏れている、、ということで、
秋に、相方氏の弟氏が帰省した際に、紙パンツを買ってきて、
履くことを勧めたらしいのだけれど、「履かんよ」と拒否されたらしく、
やっぱり、、抵抗あるのかなぁ?気持ちもわからなくはないけれど~
なんて思ってたのだけれど、そんなこと言ってられる状況でもなく、
座ってる座布団まで濡らしてしまうことが何度もあり、、
洗濯が終わって、干し終わったところに、また、、新たな洗濯物が
やってくると、、、苛っとしてしまいそうになったところで、
相方氏が、、、「もう無理だよ。履かないと!!!」と、
強めに言ってくれ、履いてくれました。
これで、安心かと思いきや、、そうでもなく、また、夜中に、
いつものパンツに履き替えてしまったみたいで、
やっぱり、次の日は、洗濯の嵐となりました。

座ってて、トイレに行きたいと感じた時には、既に出ちゃってる
ようなので、立ち上がった時には、パジャマのズボンも濡れている、、
座布団も濡れている、、、という繰り返しに、、、かなり気持ちが
萎えました。

感覚が鈍くなるのは、仕方のないことだと思うので、あとは、、
本人が、自分で納得するしかないところまできているのでしょう。

味覚も、、感じなくなっているのか?なんでも、しょうゆをどぼどぼにかけ、
最後には、その醤油を飲み干すというのも、かなり気になりました。
「これがおいしいんよ」とか言われると、取り上げることもできず。。。
私が作るごはんは、味がしないと思われてるんだろうな、、、ってのも、
心がささくれだつ一因になりました。
期待する私が、バカなのだろうけど、せっかく行ったら、おいしいもの
食べさせてあげたいと思うのは、、ごく当たり前のことなので。
体感温度も、おかしくなっているようで、
ある時は、寒いと言って、エアコンの設定温度が28度になっていて、
暑くて耐えられないような室温になっていたり、
ある時は、暑いと言って、寒い日にエアコン切っちゃって、寒い部屋になっていたり。。。
お風呂に入らない、歯をみがかない・・・問題もあるけれど、
それは、ひとまず、命にかかわることではないし。
けど、、歯を磨かないのに、歯はいたって丈夫らしく、
カニの殻を、ばきっと歯で割っちゃうあたり、私の歯なんぞより、
よほど丈夫なのではないかと思ってしまいました。
それに、、食欲旺盛で、私の1.5倍くらいは食べてました。

とりあえずは、尿もれ問題をなんとかできれば、、
今の生活は、なんとかなりそうな気もするけれど、その先のことを想像すると、
やっぱり、気持ちはどよ~んとします。
あ、それと、買い物をお願いできるボランティアスタッフの方が居てくださっているのに、
知らない人にお願いするのに抵抗があるのか?一度も電話していなくて、
お願いしようという気持ちさえない感じなのが、、、気になります。
ま、最悪、ネットスーパーで注文して、送るという方法もあるのだけれど、
できれば、自分の頭で考えて、自分で行動するということをしてほしい。。
じゃないと、生活レベルが危なくなるのが加速しそうな気がするので。

と、、そんな感じの年末年始だったので、夜は、、お酒呑まずにいられない~感が
強かったのか?かなり酒量が増えました。
夜もあまり眠れず、目覚めては、「薬のんだっけ?」「飲んでたよ」なんて
会話したり、
「あれ?洗い物したっけ?」「洗ってたよ」と会話したり(苦笑)
久しぶりにぐっすり寝た感じがあったのは、帰りのフェリーでのこと。

今回は、往復ともに、カーフェリーでした。
費用的には、走って帰るのが、一番安価な気がしましたが、やっぱり
向こうでの疲労感が半端ないので、往復ではエネルギーを温存しておきたかったから。

夜、、フェリー内でも、呑んだくれて、、宮崎の両親の介護についての気持ちについて、
熱く語ってしまいました(苦笑)
どんだけストレス溜まったんだ~と、我ながらびっくりした^^;
夜は、22時の消灯から3時ごろまで、手元電灯を消しもせず爆睡してました。

宮崎港で乗ったフェリー


翌朝神戸港に入港する頃に見た、朝日。
美しかったです(^-^)
やっと自分の世界に戻ってきた~~~~という気持ちで見たから、
なおさら美しく感じたのかも。



行く時は、家から神戸港まで運転した私でしたが、
あまりの疲労感で、帰りは、相方氏が運転してくれました。

帰ってきてから、やっとこさ、初詣^^
そして、お正月のやりなおし。
おいしいもの食べて呑んで寝る。。。それでも、まだ疲労感は残っています^^;
そろそろ、日常に、、完全復帰したいところ。

そんな新年だったから、、今年初めてみた夢は、、かなり悲惨なものでした(涙)
登場人物も、超~リアルで、、、あまりに悲しくて、
朝目覚めてから、夢だったことに安堵して、涙してしまったほどだったので。

んと・・・所属しているマンドリンのグループの中で、私がひどい発言をしてしまい、
みんなから、「もう、こうなったら、あなたが辞めるしかないでしょ」と言われ、
「ごめんなさい」と謝って、グループを辞める・・・・というような内容で。
夢の中で、私、何を言ったの???と、懸命に思い出そうとしているのだけれど、
全く思い出せなくて・・・だから、謝りようもなかった。
という悲しい夢。

どうしてこんな夢を見たのか??わからないのですが、
もしも、ホントにおこった出来事だったのなら、私には耐えられないかも。
なんて感じてしまいました。

と、、現実の世界に戻りきれなくて、やや気持ち低迷中の私に、
とても嬉しいお話が(*^-^*)
「アンサンブルやりませんか?」と(*^-^*)
嬉しすぎて、、ぼやぼや、、気持ちどよ~んとしてる場合じゃないよ!と
思わせてくださいました^^
ご迷惑おかけしないよう・・・楽しく頑張りたいと思います(^-^)♪

やっぱり、私には、マンドリンが救いになります。
世の中の、、、介護頑張ってる方々、、にも、ちゃんと救いがありますように。。
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宮崎帰省

2019-08-28 12:18:09 | 介護・終の棲家
戻ってきて1日経ち、気持ちは日常に戻りました(^-^)
昨夜は、疲れが出たのか、早々に眠ってしまいましたが(^^ゞ
で、帰省に関して書けそうなくらい、気持ちが回復できたので。。。

あえて書く必要のないこと、、なのかもしれませんが、気持ちを吐き出して
しまいたくて(苦笑)すみません。

今回は、相方氏が、月曜日休暇を取っての、土日月の3日間でした。
飛行機は久しぶり(^^)
飛行機に乗るのは好きな私です(^^ゞ(加速感が好きなのかも)

「往復とも、窓際の席取っといたから」と言うのは、相方氏なりの私への配慮
なのでしょうか。

この3日間、宮崎は、ずっと雨の予報だったので、
せめて晴れてくれると、、布団干したり、、なんてこともできるのにな~
なんて思いながら。

飛行機の中から、かろうじて富士山が顔を出しているのが見えました^^


空港に到着、3日間お世話になるレンタカー。

せめてレンタカーくらいは、もっとかわいいのがよかったなぁと、
ぷちがっかり^^;

まずは、、食料品を買い込んで、自宅へ。
途中、義父さんから電話。
「こんね?」と。
一昨日、到着は13時くらいになると、お伝えしておいたのに、
忘れてしまっていたようで、来ないのか心配になったのでしょうか。

義父は、90歳。
介護認定は受けていないので、自宅で一人くらし。
ご飯は炊けるので、朝は納豆などとごはん、インスタントお味噌汁などを、
昼は、あんぱん(?)みたいなものを、
夜は、毎日配達してくれるお弁当を食べて、生活しています。
外出はせず、テレビを見て、寝ている、、日々。。
あ、洗濯はできているみたいですが、大きなものは洗えない様子。

買い物は、車で30分くらいのところに住む、相方氏の従姉のおねえさんが、
必要なものを買って届けてくださっている、、、らしい。

義母は、83歳。1年くらい前に玄関先で転んで、大腿骨を骨折して入院した
のをきっかけに、認知症を発症。けれど、台所の様子を見たら、おそらくは、
以前から、わからない程度の(?)認知症はあったのだろうと思われます。
現在は、車で30分くらいのところにある施設(介護付きグループホーム)に入所。
症状が軽症な人には、簡単な作業のお手伝いをしてもらいながら生活するという
スタイルのようで、食後に食器を洗うなどのお手伝いをしているみたいです。

義母は、それを、、、住み込みで働いていると思い込んでいて、
自分が認知症だとは気付いていないようなので、
「早くこの仕事を辞めて、家に帰りたい」と言います。
基本、、、いつも、テープレコーダーを再生しているかのように、
同じことを、延々と1時間でも2時間でも話しています。
主に、、、不満、悪口、、ばかり。
半分くらいは、妄想のようで、、、その境界線もわからなければ、
方言が激しくなるので、言ってることもわからなければ、
話すのに、主語が含まれないことと、時間軸がぐちゃぐちゃなので、
話を聞いていて、
「お義母さんが?」と訊くと、「いや、ちがう」と。でも、それが
誰のことなのかは、、わからない様子。

2日め、訪れた際、前日に行ったことは、すっかり忘れているようで、
また同じ話が、、テープレコーダーの再生のように始まり、、
聞いてるのがつらいけど、頷いててあげるくらいはしてあげなくちゃねと
思っていたら、相方氏は、、母がそんな風になってしまったのが、
とても辛いのでしょうね。
「それは違う。昨日も言ったでしょ??何度説明したらわかるんよ」と
言葉を荒げるので、
「いらいらしちゃだめよ。。病気なんだし、否定されても、否定されたことさえ
忘れちゃうんだから」と、、、言ってみるけれど、
やっぱり、実の母が、、、っていうと、それを受け入れたくはない、、という
気持ちになるものなんだろうな。。。
なんて、、相方氏の気持ち、義父さんの気持ちを思うと、悲しかった。。

延々と、聞くのがたまらなくなって、
「お義母さん、昨日は何時頃に寝たんですか?」とか、そこでの生活パターンが
どんな感じなのか知って、何か必要なものがあったら持って行ってあげなくては~と
思っても、、一瞬、、、話すのを止めるだけで、
何時に寝たのか?に対する返事はなく、また、同じような話に戻るだけなので、
つらいなーーと。

せめて、簡単な、、普通の会話ができれば、、、とは思うものの、難しいようです。

相方氏は、1カ月に1度くらい、弟さんと交代で帰省している今ですが、
こんな生活、、、体力的にも費用的にも、、厳しいけど、、いつまで続くのかな?

なんて、この先のことを考えると、気持ちがどこまでも落ちて行きそうになってしまうのでした。
ま、、ずっと離れて暮らしてたから、納得できるだけの親孝行はしてほしいなと
思っています。

考えたところで、なるようにしかならないのかもしれないけれど・・・。

1日目の夜、食後、、、寝る前に呑んだお酒たち(^^ゞ

束の間の、ほっこりできた瞬間^^
九州限定品(ビールじゃない方)だったと記憶しています^^「限定もの」に弱い私(^^ゞ

2日目、食糧の買い出しに行った時、駐車場の脇に居た牛^^
本物っぽ~い(笑)


そして、お義母さんの施設から戻る時、、前から車がよく停まってて
気になってた、ぎょうざ屋さん、、、で、ぎょうざを購入^^

おいしかったです(*^-^*)

夜眠る前に呑んだ、お酒たち^^

レモン果汁が17%も入ってる、とてもレモン感あふれるお酒でした^^
たしか、これも九州限定品?

3日目、、ちょっと寂しそうな顔の義父さんに、心が痛くなりつつ、出発。
レンタカーを返却して、空港へ。
もう、、椅子に横になって眠りたい・・・そんな感じで荷物かかえて座ってました。

1時間ごとに、神楽(かな?)が出てくる、からくり時計(っていうの?)
の上に、素敵なステンドグラスがありました。
まだ、完成して間もない様子???(不明)


飛行機は30分遅れで飛び立ったので、羽田に着いた時は、真っ暗でした。
なので、帰りは富士山、、見えず~。
にょきにょき生えたような入道雲が、夕日でピンク色に染まり、
美しかったです^^

ずっと眺めてました。

翌日、私はくた~っとしてたけど、相方氏はお仕事へ(当たり前だけど)。
身体きついだろうな~と、、、心配になります。

考えても仕方のないことだけど、やっぱり、これからのこと、、不安です。
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終の棲家をどこにするか

2019-08-14 18:23:58 | 介護・終の棲家
大型台風が接近中ですね。
どうぞ、被害が出ませんように・・・と祈ることしかできません。

ということで、食べものの買い足しをし、引きこもり体制に入りました^^;

このところ(というか、以前からですが)時間があると、ついつい頭に浮かんでしまうのは、
『終の棲家をどこにするのか問題』です。

とはいっても、今までは、上位に『相方氏の実家である宮崎』が位置していたのですが、
私としては、住み慣れた関西エリアを離れ、、、話し言葉も文化も違うところへの
お引越しはストレス大きすぎ~(@_@;と、どちらかというと、やや憂鬱な気持ちで、
終の棲家問題を考えていたのだけれど、
今は、少し様子が変わりました(*^-^*)

と、手放しで喜んでいいものか?というのは、少々、、、複雑な気持ちではあるのだけれど。

先月、相方氏が、帰省した際に、義父さんから
「父さんたちが、亡くなったら、家は処分して、兄弟近くに住んで、助け合って
生きていってほしい」などという言葉をもらったらしく、、、
この問題は、兄弟でも話し合わなくちゃいけないね。。ってことになっているのでした。

相方氏は、弟と2人兄弟で、弟さんは東京で暮らしているので、
今は、相方氏も川崎に居るから、義父さんから見ると、既に比較的近くにいるじゃないか~って
イメージなのでしょうけど。

三重に家があるってこと、、忘れてる?

ま、それはさておき、実家に帰ってこなくてもいいよ、、、と、
心の中はわからないけれど、きっと私たちのことを思って言ってくださったのだろうと
思っています。
相方氏いわく、
「僕たちに子供が居れば帰ってきてほしそうだったけど、いないから、
どうせ帰ってきても、早かれ遅かれ、家を処分することになるなら・・
って思ってるみたい」
ということなので、それを素直に喜んでいいものか?内心を汲み取るべきなのか?
なあたりで、少々気持ちが複雑になるわけです。

でも、自分の人生も1回きりなのだから、自分が快適に暮らしたい・・・
と思っても、バチは当たらないですよね~と(思いたい)。

相方氏が、退職するまでは、現状維持、、でしょうけど、
退職したら、どうするの?ってあたりは、少しずつ話し合っておかなくちゃ
いけないのかなと、思い始めています。

そして、将来車を手放した時に、日々の生活に困らないような交通の便のいい『どこか』へ
お引越しするならば・・・この家にたんまり溜まりこんでいる物たちを、、
少しずつ処分すべきなのだろうなぁとも(きっとこれがとても大変!)

ご近所さんたちと、お話する機会がある際にも、そういう話題に、、よくなります。
「ここは、車に乗れなくなったら、ホントに不便だもんね」と。

みんな、どうやって、、終の棲家をどこにしようとか決めるのかなぁ?
あえて決めずとも、今住んでいるところが、、、そうなのかな?

なんて、一人で考えてもどうしようもないようなことを、うだうだ考えてしまう私です
時間の無駄?^^;


昨年(だったかな?)いただいた、ミョウガの枝(根?)を土に埋めたのをすっかり
忘れていたのですが、何もしてあげていないのに、にょきにょき生えてて、
気づけば、ミョウガが土から顔を出してました^^
発見した時は、感激~でした^^


雑草まみれで、何もお手入れできていないけれど、やっぱり、庭(土)のある生活っていいな~
なんて思えてしまう。

どんな老後にしたいのかを、ぼちぼち考えなくちゃいけないお年頃。
考えなくちゃいけないことは、たくさんありそうです。
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悩ましい介護問題

2019-01-06 20:36:44 | 介護・終の棲家
義母は、レビー小体型認知症であるらしい。
おそらくは、少し(だいぶ?)前からそういう症状は見られていたのだろう、、と思う。
9月に家で転んで、大腿骨を骨折し、入院中に、急に症状が悪化した。
そして、補助車に支えられながら歩けるようになった時点で、
特別養護老人施設に入所した。。。のだけれど、それは、ショートステイの扱い
あったらしく、2週間前くらいに、別の施設に移った。

相方さんと、その弟は、いずれも東京あたりに暮らしているので、
地元には、90歳になる義父しかおらず、そういう手続きのすべては、
義父のお姉さんの娘さん(Kさん(相方さんの従妹))が一手に引き受けて
くださっていたらしい。(もう、、、感謝しかない)

82歳の義母は施設。90歳の義父は自宅で一人・・・という、ここ数か月だった。
1月に1回、相方さんと、その弟さんが交替で帰省していたので、
ほぼ2週間に1度、息子が帰ってくる、、という状況の中、、、、
義父は、ひとまず、日々は、配達してくれるおかず(?)のようなものを利用して
いたので、ご飯だけ炊けば、食生活はなんとかなる、、という状態だったようだ。

今回、私は、初めての帰省だったので、いつもお世話になっているKさんに、感謝の気持ちを
伝え、、、ることしかできなかったのだけれど、いろんな話を聞いた。

Kさん(相方さんよりも、4つくらい年上の方)は、お母様(義父のお姉さま)と2人暮らし。
義母が入所している施設の、すぐ近くにお住まい。(義父の家からは車で20分くらい)

Kさん、、、以前、義父にお世話になったから、御恩返しのつもりで、してるから気にしないで~
とは言ってくださっていたけれど、いつまで続くのか??
わからない状態で、、、ってのは、厳しいですよね・・・と、私は感じました。


義母の、「レビー小体型」というのは、認知機能的には、あまり衰えていない様子なのだけれど、
主な症状としては、幻覚と妄想。。。。なので、
Kさんは、週1で、買い物したものを、義父に届けたついでに、車に乗せて、義母の施設を訪れる、、、
という感じで、連れてきてくださっていたらしいのだけれど、
いつも一緒に来るから、
「夫(義父)と、Kさんは、デキている」という妄想が、、、頭を占拠しているらしく、
Kさんのことを、妄想の集中攻撃対象にしてしまっているようで、
「お金をとった」とか、、、、、そういう類の、文句ばかりを、、私たちに訴えてくる、、、
のを聞いているのが、正直苦痛で仕方なかった。

義母さんの話すことは、以前は50%くらいは理解できていたのだけれど、
今回の感覚では、90%理解できない。何を言ってるのか、さっぱり理解できない。
話が飛びまくるというのもあるのかもしれないけれど、
相方さんの反応を見て、あぁ、こういうこと言ってるんだ、、とわかる始末^^;
(通訳が必要な状態では、かなりきびしい)

主に、お金を取られたという話と、
こんなに歩けるようになったのだから、一緒に家に帰っていい?というアピール。
義母は、自分が認知症だということは、全くわかっていない(らしい)。
足を骨折したので、家に帰れないけれど、歩けるようになれば帰れると思っている。
なので、こんなに歩けるのよ~というアピールがすごい。

話していると、普通っぽい。
でも、妄想がかなり混じるので、
「お義母さん、こう言ってたよ」って言うと、
「妄想ばかりなんだから、信じてどうすんだよ」と、相方さんに怒られ^^;
何が本当で、何が妄想なのかもわからなくなって、ぐちゃぐちゃ、、、、で、
思考が疲れてしまった、、ってのも、大きいのかも。

義母は、施設で栄養管理されているからか、太っていた以前よりも、かなりスリムになり、
元気そうに見えた。
実際、ひっきりなしにしゃべりかけ、、なんて様子を見ていると、私より元気かも、、
なんて思ってしまったほど。

お正月は、入所している人たちも、家から迎えに来る人がちらほらいて、
お正月は家で過ごす、、という人が結構いらっしゃるようで、、、だから余計に、
「家に帰りたい」という気持ちが強かったみたいで、大変だった。
私に、受け入れる許容量があれば、連れて帰ってあげられたかもしれないけれど、
他にすべきことも、山のようにあったので、「無理」と。。

今回の帰省の目的は、
入所した施設の部屋に、テレビ設置、タンス、テーブル、椅子など、、家具などの設置をして
環境を整えること。
実家の家の掃除(片付け)。
が、主な目的だったので、義母の世話に時間を取られている場合ではなかったのだ。

大晦日、テーブルと、椅子を組み立て、
元日、タンスを組み立てた。
義母には、「ここにいるとあぶないから、みんなの居る部屋で待ってて。終わったら呼びに行くから」と
言って、部屋で組み立てていたのだけれど、見に来て、ひっきりなしに話しかけてくるので、
予定よりも、かなり時間がかかってしまった。

当初、家具の設置と、テレビの設置などを、、義母は、拒否した。
おそらくは、そういうのを整えると、自宅に帰ることができなくなるんじゃないかと、、、
恐れていたのではないかと思う。
けれど、「紅白も見たよ」と言ってたので、、、大晦日に、頑張ってテレビを設置したのは、
よかったのだろうなと思った。

義父さんは、今のところ、日常生活を、、自分でできている。
車に乗れないから、買い物は、Kさんに、「〇〇買ってきて」と週に1度買ってきてもらっている
様子だけれど。

義母さんは施設に居るから、日々の暮らしは大丈夫。
でも、義父さんは、、、ちょっと心配。

Kさんは、仕事のお休みの日に、義父のために買い物してくださったりしているけれど、
ご自分のお母様が、お元気だから、、、可能なのであって、もしも、お母様が、
大変な状況になったら、、、義父のために何かをしてくださる余裕はなくなってしまうんじゃ
ないかな???
というのも、心配要素の1つ。

私は、帰ってきてから、、いや、帰ってくるフェリーの中でも、ずっと義父と義母の夢ばかり見て
なかなか眠れずに居る^^;

心配しても、どうしようもないこと。。。なのかもしれないけれど。

「仕事してないんだから、一人だけでも宮崎に来れない?」

と言われるか、思われるかが、、、怖くて、おびえているのかもしれない^^;
(以前、義母に言われたことがあるのだ^^;)

滞在中、スマホを見る時間もなく、
持って行ったマンドリンケースに触れる時間もなく、
ゆっくりお風呂に浸かる時間もなく、
座ってコーヒーを飲む時間もなく、
自分の意識というよりは、ロボットになった感覚で過ごしてしまったから、
滞在中は頑張れたけれど、帰ってきたら、スイッチが切れたかのように、
全く動くことができなくなってしまった。
自分が、何者なのかも、わからなかった。。。わずか数日のことだったのに)

私に一番大事なもの。。。。
自分の自由な時間。。だと、痛感した今回の帰省。

してあげられることはしてあげたいし、しなくてはいけないのだろうなとも思う。
けれど、距離の壁、言葉の壁・・・いろんな壁が高すぎて、これからどうなるのかな?と、
途方にくれそうで、気持ちがかなり憂鬱になった新年でした。

自分の両親のことも、、、気になるお年頃なので、なおさら。

滞在中は、霧島の山の風景に、ちょっぴり癒されました。


離れてると、厳しいです。。介護問題。。。
とともに、自分たちの将来についても、考えなくては~と、痛感したお正月でした。

といっても、お正月だなんて、、、全く実感できなかったんですけどね(^^ゞ
コメント (2)
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