斜め向かいのお家のご主人が、一昨日亡くなられた。
享年60歳。
・・・なんとお若い。。
若い人の死は、言葉を失ってしまうし、とても哀しく辛い・・・と思う。
仕事から解放され、やっと人生を楽しもうかという年齢なのに・・・
その気持ちを思うと、胸が締め付けられそうになる。
癌で自宅静養されていたので、ご本人もご家族も、覚悟は少しずつされて
いたかもしれないけれど、それでも、いざ、その時を迎えると、
辛いに違いないと思う。
特別親しいわけじゃない。
でも、ご近所の方だし、今年は町内会の役員もしているので、
お通夜と、告別式の、受付をさせていただくことになった。
気持ちは、少し複雑である。
お悔やみを言う立場であるにもかかわらず、
受付に居ると、お悔やみを言われるのだろう・・・ということが。
死というものは、身近な人のものでなくても、受け入れ難い気がしてしまう。
昨日、そこに存在し、話したりしていた人が、今日、存在しない人になる。
死とは、「無」に還ること。私はそう思っているのだけれど、
でも、生きた証は、そこかしこに残る。
今日、明日は、静かな気持ちで、ご冥福をお祈りしよう。
今年、2つめの不幸ごと。
年を重ねるごとに、“死”を意識する機会は増えるのだろうか。
享年60歳。
・・・なんとお若い。。
若い人の死は、言葉を失ってしまうし、とても哀しく辛い・・・と思う。
仕事から解放され、やっと人生を楽しもうかという年齢なのに・・・
その気持ちを思うと、胸が締め付けられそうになる。
癌で自宅静養されていたので、ご本人もご家族も、覚悟は少しずつされて
いたかもしれないけれど、それでも、いざ、その時を迎えると、
辛いに違いないと思う。
特別親しいわけじゃない。
でも、ご近所の方だし、今年は町内会の役員もしているので、
お通夜と、告別式の、受付をさせていただくことになった。
気持ちは、少し複雑である。
お悔やみを言う立場であるにもかかわらず、
受付に居ると、お悔やみを言われるのだろう・・・ということが。
死というものは、身近な人のものでなくても、受け入れ難い気がしてしまう。
昨日、そこに存在し、話したりしていた人が、今日、存在しない人になる。
死とは、「無」に還ること。私はそう思っているのだけれど、
でも、生きた証は、そこかしこに残る。
今日、明日は、静かな気持ちで、ご冥福をお祈りしよう。
今年、2つめの不幸ごと。
年を重ねるごとに、“死”を意識する機会は増えるのだろうか。