2年前から、癌と闘って、自宅静養していた義妹さん(私と同い年)が、
数日前に、急に症状が悪化して入院し、余命1ヶ月と宣告された・・と聞いた。
既に意識は、混沌としていたり、少し戻ったりという状態らしい。
痛みケアをメインに行ってくれるような病院へ移る手続きをしていて、
今は、かなり慌しいようなのだけれど、落ち着いたら、一度お見舞いに
行こうかという話になっている。
どんな顔して行けばいいのだろう?
余命宣告された人や、その家族の気持ちは、いくら考えてもわからないし。
同い年だからということもあるけれど、
相方さんの実家では、唯一の“嫁”という同じ立場の人で、
かなり田舎の嫁だから大変な部分もあって、そういう大変さを分かり合える、
という点で、気持ちを共有してきたこともあって、
その人が、この世から居なくなる?という現実を受け入れるには、
かなり衝撃的で、
“覚悟できているつもりだったけど、まだ、できてなかったのね”
と思い知った、ここ数日でした。
覚悟できていないのは私だけで、もしかしたら、家族の人たちは、
今までの毎日で、少しずつ覚悟を固めてきたのかもしれないけれど。
余命宣告とは、言われる側にとって、どういうものなのだろう・・・?。
数日前に、急に症状が悪化して入院し、余命1ヶ月と宣告された・・と聞いた。
既に意識は、混沌としていたり、少し戻ったりという状態らしい。
痛みケアをメインに行ってくれるような病院へ移る手続きをしていて、
今は、かなり慌しいようなのだけれど、落ち着いたら、一度お見舞いに
行こうかという話になっている。
どんな顔して行けばいいのだろう?
余命宣告された人や、その家族の気持ちは、いくら考えてもわからないし。
同い年だからということもあるけれど、
相方さんの実家では、唯一の“嫁”という同じ立場の人で、
かなり田舎の嫁だから大変な部分もあって、そういう大変さを分かり合える、
という点で、気持ちを共有してきたこともあって、
その人が、この世から居なくなる?という現実を受け入れるには、
かなり衝撃的で、
“覚悟できているつもりだったけど、まだ、できてなかったのね”
と思い知った、ここ数日でした。
覚悟できていないのは私だけで、もしかしたら、家族の人たちは、
今までの毎日で、少しずつ覚悟を固めてきたのかもしれないけれど。
余命宣告とは、言われる側にとって、どういうものなのだろう・・・?。