雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Report 102

2013-03-17 18:50:04 | 震災
久々に強の下に夕方からなりました。

これは日常生活に差し支えが出ます。

予告では被爆のメカニズムでしたが、取り敢えずご報告まで。

体調がひどくならなければ今夜中に書きます。

report 101

2013-03-17 00:00:01 | 震災
ここのところ放射線被害についてreportを出さなかったのは、3ケタ以上の数字は数えられないからではない。

放射線感知など所詮信じてもらえないという無力感があったからだ。

しかし日本の未来を考えたら、そうもいっていられない。

ちゃんとすべきことをしてもらわないとうちの子供たちが将来困る。

ちょっとおさらいをしてみよう。

まず放射線の蔓延度としてYahooの空間線量のページをみてほしい。

まず各地域が毎時(マイクロシーベルト)で、危険値の設定が年(マイクロシーベルト)であることに留意してほしい。

この単位の違いがまず情報操作である。

隠蔽や虚偽の情報は公の機関としては出せないから、うまくやったものだ。

日本で採用されているICRP規定値は年に1msvだが、これを毎時に直すと、0.1125マイクロシーベルトになる。

全国に0.1マイクロシーベルトが点在しているからそれに近いところがかなりあるということなのに、それには言及がない。

危険値と計測値の単位が違うことによって危機感を抱きにくくなっている。

次に問題なのは空間線量だけが被曝量ではない。

ヨーロッパ放射線リスク委員会がICRPの値を外部被ばくしか計算していないから2倍にすべきと述べたように、実際の被曝量は空間線量に係数をかけなければならない。

ヨーロッパ放射線リスク委員会が正しいとして2倍にすると、0.1マイクロシーベルトのところは0.2マイクロシーベルトの被ばくということになってICRPの規定値を超えるばかりか、0.05マイクロシーベルトの空間線量の地域で、ICRPの規定値にほぼ達するということだ(そうすると日本のほとんどがICRP値を超える)。

しかもγ線は計測されていてもβ線は載っていないからさらに上乗せされるのは間違いない。

3つめは、2つ目の延長だが、外部被ばくは基本的に空気と同じだから被曝をさけるのは困難だが、内部被曝はやりようによって軽減できる。

つまりICRP値なら回避できるかもしれないのに、きちんとした対策をしていない。

report100に書いたように、政府のスピードはどうしても生身の人間の被ばくに対応するには遅すぎるから、これは個人単位、課程単位でやるしかない。

以上3点、よろしく。

次回は被爆のメカニズムについて。

親離れ

2013-03-16 13:49:03 | 将棋・スポーツ
いい天気なので、子供たちと公園に行って鉄棒をした。

久しぶりに逆上がりをやったら、難なくできたので、まだまだいけるじゃんと過信したのがいけなかった。

前まわりもみせてやろうとかつてのようにすごいスピードで頭を振り下ろして回転したら気持ち悪くなった。

これじゃとても宇宙飛行士には応募できそうにない(死ぬ前に一度やってみたいことのひとつだったがあきらめた)。。。

ここのところ子供については触れてなかったが困ったことが娘と息子にそれぞれひとつずつあった。

娘は、他の子と遊んでいて面白くないと、プイと単独行動をとる。

訊くと、虫の研究や鉄棒で自分ができるようになりたいと思っていることの練習にあてる方が有意義だとのこと。

先週末プールに行った時も小学生の女の子が「あそぼ」と来てしばらく一緒にいたが、水中メガネの面白さ(?)を実感したらしく、途中でその小学生を置き去りにし、呼びに来ても完全に相手を無視して自分の時間に没頭する。

今の僕にそう言うところがあるのは否めないが、少なくとも僕は中学までは他人と遊ぶようにはしていた。

息子の問題は臆病で新しいことにチャレンジしないこと。

だから公園に行っても僕の手を必ず片方は握って離さない。

こういう側面を僕も持ってはいたが、程度が甚だしい。

食事もいまだにきちんと炊いた米粒と味噌汁でなければ安心して手を出さないほどに保守的だ(温度や具の大きさも気に入らないと空腹でも手を付けない、妻は海原雄山の妻のように食事時は忙しい)。

その点娘は正反対で、自分でやったりひとと違うことをやるのが好きだから、食事は自分で作ろうとするし、滑り台を降りるときも、スキーの滑降のような姿勢でいかにスピードをあげるか挑戦したり、頼まれもしないのにほかの子の加速がつくように背中を押したり、スパイダーマンのように滑り台の裏側にへばりついて上ったり下りたりしている(汗)。

こんな感じでいいのだろうか、いやいいに決まってると楽観的にやってきたが、時々そんな彼らをみて考えさせられることがある。

が、今日はちょっとした進展が息子にあった。

僕の手を離さない息子の手を、娘がとって、公園内にある丘の階段を上り始めた。

今まで僕なしでは往かなかった階段を息子は上っていったのである。

二人の姿を追ったが、この公園は市内ではかなり大きく、ひとが集まるためすぐみえなくなった。

彼らの姿がみえるように僕は立ち位置を替えたり背伸びしてあとを追ったが、大きなガタイの大人や高校生の影にみえたり隠れたりを繰り返した。

そこで僕は急にさびしくなった。

人の波にもまれながらふたりで不規則な高さの階段を上る姿が、僕ら親がいなくなったあとの姿にみえたからだ。

娘は姉としてしっかり息子の手を握り、息子も依存するところはしても自分の力で階段を上って行った。

こんな風に二人だけで往くのかと思うと、いたたまれない気持ちになった。

いつまでもいつまでもみていたいと目を凝らした。

でもみえない。

障害物がなくてもみえない。

僕が泣いてしまっていたからだった。

最近涙もろい。

Facebookの友

2013-03-15 00:00:50 | 文学
Facebookを始めて、ふたりの作家と知り合いになった。

アメリカとデンマークのひとで、僕のページをみて、なぜか「素敵」と思ってくれたらしく、知り合ってから半年は毎日のようにメールで応酬した。

デンマークのひとはStoryteller、すなわちエンターテイメント作品の作家だが、ちょうど子供の年齢も同じくらいだから、年齢も近く、いろいろ考えることが近いからかもしれない。

お互いの夢を語り合うというTeenagerに戻ったかのような語らいがなかなか楽しい(そのひとが美しいためだといううわさもある)。

もうひとりが旅行記を書く作家。

Pablo Nerudaの話から始まった。

Nerudaはご存知の通り生を包括的にわしづかみにする詩人だから、本来は誰と話してもNerudaは好材料になるはずだが、なかなか身近にはこれまでいなかった。

Facebookを始めた契機は、同僚のフランス人に誘われてということだったが、彼は原発事故後日本を離れた。

Facebook上にポツンと置き忘れられた傘のように立ち尽くしていた感じだったが、上述の友人ほか新しい知人が出来たこと、また、しばらく会う機会がなかった昔なじみの友人たちと久闊を叙することができて、Facebookも満更じゃないと思うようになった。

その魅力をどうやったら伝えられるか考えた結果思いついたのが、THEREという絵本。

日本では、加島祥三さんが詩人として翻訳したことで有名だが、あの日本語訳はまず欠点をみつけるのが難しい。

これは加島さんが僕の師匠の兄弟子というひいき目でいっているのではない。

外国語の、といっても僕は英語しかわからないから英語で書かれたものに限定せざるを得ないが、Big Names が翻訳を担当していても大体クレームをつけたい部分や、僕が代わりにやったら…といった僕が割り込む余地があるのだが、THEREの翻訳に限ってはそれが見当たらなかった。

おそらく元の英文に忠実でありつつ素直な訳をあてているからだろう、妙にしっくりくる。

実際英訳本をみてもそう思った。

内容はちょっとくどいが、原文と翻訳の距離のなさ、つまり等身大で向かい合える直接さが心地よかった。




Still Life

2013-03-14 08:32:49 | 音楽
ここのところ音楽に関係する映画をみる機会が続いた。

『扉をたたくひと』、『チャイコフスキー』、『敬愛するベートーベン』、『ショパン、愛と悲しみ』である。

最初だけがどんな音楽家と関係するのかわからないと思うが、アフリカン・ドラムとでもいうのか、Fela Kutiにも言及があった。

主題は、国という枠組みのバカバカしさで、シリアからの違法滞在者をひょんなことから出会ったルーティンな生活に茫漠たる不満を抱えていた大学教授の思わぬ関わりを通して描かれる。

映画というとすぐ男女のからみや暴力といった僕にとっては非日常的なシーンがバンバンと見せつけられるなかで、この映画には、山田太一さんがよくいっていた映画では拾えない出来事の積み重ねがなされていてよかった。

もちろんそれがクローズアップされるからこそ、国という枠組みがバカバカしくみえるわけだが、とても素敵だった。

『チャイコフスキー』は、チャイコフスキーの同性愛と悲愴の関係がどう描かれるのか注目してみたが、それはまさに昨今の映画的期待で、いかにチャイコフスキーが神経質で、他者との関わりを苦手にしつつ関わらざるを得ない、僕みたいな人間が素直に描かれていて、これもよかった。

同性愛にしても恋愛にしても芸術にしても実際は数多ある生活の諸相のなかに埋もれているもので、実際はそれだけがクローズアップされるのはリアルではない。

残りのふたつもよかったが、今日はさらに音楽のTV番組をふたつみた(録画)。

ひとつが先日亡くなったサバリッシュと、安全地帯。

ジャンル的にはかけはなれているようにみえるかもしれないが、僕にとっては好きなというか評価せざるをえないひとたち。

サバリッシュの英雄詩はやはり好きだし、玉置浩二の歌いっぷりも大好き。

Musiciansといっても生業なわけだから、板挟みになる。

指揮者はサバリッシュによれば作曲家と聴衆の双方への責任を果たさなければならないという板挟みだが、挙げた4作+ドキュメンタリー2本が僕にリアリティを感じつつ素敵だなぁと感じさせてくれたのは、その板挟みが描かれつつ、ひきさかれるのではなく、自分にこだわった結論を選んだところ。

別にまれな結論ではないといわれればそれまでだが、今引き裂かれている僕にとっては素敵だった。

追伸:今晩の線量も高め。中の上未満って感じ。


rewrite

2013-03-13 22:28:19 | 歴史
NHK大河ドラマ『八重の桜』を観た。

面白かった(単に主演女優に惚れたという噂もあるが)。

先日僕の師匠が枕元に立って、「人生はリライト」という言葉を残したが、まさに新島八重はそんな感じのひとだ。

現実に対応するために既存の概念をモノともせず、社会に適応していく。

重要かつ僕に欠けている資質といえば、後者の方だ。

男女同権や、砲術の使い手といった時代の最先端を行くことではなく、最先端なのに社会の中に落ち着く先をみつけていること。

そのあたりがたぶんに女性的に僕には思える。

その点、ハワイ州の上院議員になったMazie Hironoもそうだ。

確かに彼女は4つの多様性をアメリカの上院に同時にいれた。女性、アジア系、移民、仏教徒である。

しかしこれらは受け入れられる素地がないわけではなかった。

それからMary Kingsleyがいる。

1893年彼女は帰ってこられるかわからないのにコンゴに旅立った。

アフリカは未開の地であり、男性しか入らないところで、コンゴ行きの蒸気船に往復旅行券がそもそも売っていなかった。

よほどの目的があったのだろうと思いきや、そうともいえない。

彼女の旅行記によれば、単に当地の魚と呪物だけが目的、つまり趣味であった。
(しかも呪物というのがいいではないか!)

もちろん後期のVictorianだから、伝統的な見方や慣習に対する反抗心は後押ししたろう。

しかし、と思う。

対伝統にしても、対性差にしても、「対」がついている。

これが「漢」というか僕やシベリウスが嫌うものだ。

「漢」は以前も書いた通り「川」のことだ。

川はぶつかって破壊できれば進むし、そうでなければくねる。

ああ、やはり僕にはリライトは無理かもしれない。ライトしかできないかもしれない。

Report 100

2013-03-11 15:53:26 | 震災
図らずも震災から2年という節目に、report 100 ということになった。

僕は、相も変わらず試行錯誤を繰り返している。

例えば一昨日から福島原発からの漏れが感知しにくかった。

感知は高めだったのだが、一昨日の夕方林檎が届いて、どちらが犯人か区別しにくかったためだ。

何せ両方の汚染が0ではない。

しかし翌朝つまり昨日の朝林檎を再び試したら汚染度は一昨日ほど高くなかったから、一昨日は空間線量の方が高かったのだろう。

と一旦はジャッジしたが、その後海老名、相模原に野暮用で出かけて、初めて一帯が黄砂で覆われていることも知った。

しかも車で移動する限り黄砂のあるところは線量も高い。

もしかしたら一昨日の夜も黄砂が飛んでいて高かったのかも、と懸念が生まれる。

更に今は自宅にいるのだが、中の上というより強の下にあたる線量。

こんな風に諸条件が関わってくるのでなかなか思い切った判断が下せず、放射性物質に振り回されている感じ。

でも『放射線感知者の提案』にも書いたが、昨年、一昨年に比べれば、暮らしやすくはなった。

圧倒的な量の空間を浮遊する放射性物質が落ちるところに落ち始めたからだ。

被曝量をうまくいけば2分の1ほども軽減できるのではあるまいか。

さて、2年目と100回めという節目で改めて書きたいのは、こんな現況を作り出した大人の責任。

街を覆う黄砂をみて、ナウシカを思い出した。

なんという世界をつくってしまったのだろう。

もちろん僕の世代がつくったものではないが、これをそのまま放置することはできない。

といってこの問題を政府に一任することも出来ない。

政府批判ではなく制度批判と受け取ってほしい。制度とは、社会生活維持を名目に規定された礎石で、一度置いたら取り除くには時間がかかる。同じ理由で原発も取り除くまでに次世代になってしまう。

つまり政府を改善する方向と子供のこととは別の時間の流れで処理しなければならない。

こうしている間にも子供たちのDNAは、細胞分裂の中で汚染されていくのだ。

というわけで僕も微力ながら僕の感知力と気功を生かした放射線障害対策をひとつの形にすることにした。

一応Cafeの形をとる。

メニューはハーブ中心。

この2年間で南米からアフリカまで試した結果いくつかの除染に効果がありそうなハーブがみつかった。

少しでもチェルノブイリの勉強をした人は疑問符をつけたくなるかもしれない。

チェルノブイリやヨーロッパ、日本政府の発表では、ハーブは汚染されやすい化学組成のはずだからだ。

確かに多くはその通りだ。

僕も海外から輸入してほとんどが2週間ほどで汚染されて飲めなくなったことはあった。

しかし汚染されないものもある。

そんなものを出しつつ、研究しつつ、除染していくつもり。

追伸1: 今日も空中を飛んでいるが、あれは黄砂ではないのか。政府が煙霧というと余計疑わしい。以前も書いたかもしれないが、NHKが毎日の線量を発表していたとき、僕が強いと感じる日は例外なく公表か控えられていた。パニックを怖れるという理由は正当だとしても、政府の隠ぺいおよび誘導作戦があまりに稚拙だと、同じようにパニックを起こすと思う。

追伸2:国と東電相手に集団提訴=原発避難者ら1650人―請求額53億円以上【震災2年】(時事通信) - goo ニュース

追伸3:とにかく今は線量高め。下の歯がしびれてその存在が感知しづらい。

Report 99

2013-03-08 23:30:20 | 震災
文句なしの「中の上」越えです。

株価は上がる方がいいけど、なんか胡散臭いですな。

バブルじゃないといいけど。

ところで今朝(8日)NHKで震災ツアーみたいな名前で、2年前の大震災の被災地をめぐるというのをやっていたんだけど、ずっと下ってきて宮城でとまった。

福島の人が、援助もTV放映もみな福島をよけて通っていく、といっているのを思い出した。


Report 97

2013-03-04 23:08:43 | 震災
昨日「弱」に下がってそのまま。

今日はネット上で放射線対策がどのようになされているか見学した。

あるブログで、福島、茨城、群馬などの比較的被曝量の多い地域の生産及び製造物を避ければ良いとし、みな「そりゃそうだろう」みたいな感じだったが、著作にも書いたが、実際はそんなに簡単ではない。

そこでも書いたが、そういう風に危険地域や製品を決めてしまうと、本当の危険を単純化して矮小化するだけでなく、特定のひとたちを孤立させてしまう。

これだけ狭い国でひとと物資が行き交っているわけだから日本は時間が経てば立つほど汚染が蔓延していく。

それから放射性物質はセシウムだけではない。

核分裂によって生成される放射性物質は、2.06個で、単純にみてももう一つ別の種類がある。

それをお忘れなきよう。