雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

rewrite

2013-03-13 22:28:19 | 歴史
NHK大河ドラマ『八重の桜』を観た。

面白かった(単に主演女優に惚れたという噂もあるが)。

先日僕の師匠が枕元に立って、「人生はリライト」という言葉を残したが、まさに新島八重はそんな感じのひとだ。

現実に対応するために既存の概念をモノともせず、社会に適応していく。

重要かつ僕に欠けている資質といえば、後者の方だ。

男女同権や、砲術の使い手といった時代の最先端を行くことではなく、最先端なのに社会の中に落ち着く先をみつけていること。

そのあたりがたぶんに女性的に僕には思える。

その点、ハワイ州の上院議員になったMazie Hironoもそうだ。

確かに彼女は4つの多様性をアメリカの上院に同時にいれた。女性、アジア系、移民、仏教徒である。

しかしこれらは受け入れられる素地がないわけではなかった。

それからMary Kingsleyがいる。

1893年彼女は帰ってこられるかわからないのにコンゴに旅立った。

アフリカは未開の地であり、男性しか入らないところで、コンゴ行きの蒸気船に往復旅行券がそもそも売っていなかった。

よほどの目的があったのだろうと思いきや、そうともいえない。

彼女の旅行記によれば、単に当地の魚と呪物だけが目的、つまり趣味であった。
(しかも呪物というのがいいではないか!)

もちろん後期のVictorianだから、伝統的な見方や慣習に対する反抗心は後押ししたろう。

しかし、と思う。

対伝統にしても、対性差にしても、「対」がついている。

これが「漢」というか僕やシベリウスが嫌うものだ。

「漢」は以前も書いた通り「川」のことだ。

川はぶつかって破壊できれば進むし、そうでなければくねる。

ああ、やはり僕にはリライトは無理かもしれない。ライトしかできないかもしれない。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。