物語というものに関心がある。
斬新な、コレという物語をいつも探している。
映画では最近 JUNO(2008) とFINDING FORRESTER(2009)、『ステキな金縛り』を観た。
僕にとって新しかったし、すごく面白かったが、「コレ」とは感じなかった。
といって子供ができてからずっとはまっている絵本や童話にいいのがあったわけでもない。
もちろん面白いことは面白いんだけど、「コレ」がみつからない。
で、焦点はいつからか「コレ」を探すことから「なぜオレは関心がある?」に代わっていたことに最近気づいた。
そしたら先日哲学者の梅原さんがBSの100年インタビューで話していたのを思い出した。
なぜ哲学を考えなければならないか。その答えは文明の根本原理になるからだ、と。
そしてデカルトの「われ思うゆえにわれあり」に立脚する西洋哲学をいつものように批判し、自らの主張である草木国土悉皆成仏をこれからの哲学として推奨された。
簡単にいえば人間中心主義をやめ、植物と共生することである。
ちなみに僕は梅原さんは好きな方ではあるが、数寄にはなっていない。
仏教関係の解説についてなぜか胡散臭さを感じていた。
理由は「舌端火を吐く」に到っていない、今一歩踏み込みが足りないと感じていたからだろう。
例えば今回のインタビューにしても、人間中心主義をやめるとか、植物との共生を謳うところがすでに傲慢に思える。
更に言えば梅原さんによれば西洋哲学と草木国土悉皆成仏は別物だが、僕はそうは思っていない。
西洋哲学は包含されうると考えている。
なんでもそうだが、批判対象と好ましいものとが対照されている間は次に進まないと思うわけだ、ピカソや岡本太郎がいうように。
話をもどそう。
しかし今回の梅原さんの話で、なぜ物語に関心があるのかはみえた気がした。
僕も次代の根本原理としての物語を探していたのだ。
哲学より物語がいいのは、なんといっても矛盾が包摂されうるところ。
例えば前向きに突き詰めていけば疑い深くなる、ということがある。
これは哲学では矛盾になるだろう(もちろん「絶対矛盾的自己同一」というのはある)。
現代はその疑いを砂をかむように掻き消して、1か0に還元し、バーチャルな仮想現実を作る時代であるわけだが、それは仮想であって現実ではない(それを村上春樹は『1Q84』でとても上手に書いた)。
春樹の作品は久しぶりだったが、やっぱり現代作家だなぁと感心したが、春樹の作品がそうであることも梅原さんの話の反証になる。
梅原さんは小説は人間中心主義だから童話がいいとおっしゃっていたが、そんなことはないのだ。
人間が人間自身を素直にありのままにみつめうけとめればおのずと草木~も自ずと達成されると僕は思う。
追伸:福島県立大の先生の学会発表内容。福島での健康調査結果が本当に最後のページに記載されている。ガンなどの兆候はみられていないが、肥満、高血圧症、肝臓の異常はみられるとのこと。それから日本の汚染状況が深刻であることと、一次産業を守ることを両立させることが重要であるとは書いてあるが、その具体的な方法は当然考え方をどうするかになるわけだが、メディアが稚拙なので専門家がやらなきゃというだけだった。
斬新な、コレという物語をいつも探している。
映画では最近 JUNO(2008) とFINDING FORRESTER(2009)、『ステキな金縛り』を観た。
僕にとって新しかったし、すごく面白かったが、「コレ」とは感じなかった。
といって子供ができてからずっとはまっている絵本や童話にいいのがあったわけでもない。
もちろん面白いことは面白いんだけど、「コレ」がみつからない。
で、焦点はいつからか「コレ」を探すことから「なぜオレは関心がある?」に代わっていたことに最近気づいた。
そしたら先日哲学者の梅原さんがBSの100年インタビューで話していたのを思い出した。
なぜ哲学を考えなければならないか。その答えは文明の根本原理になるからだ、と。
そしてデカルトの「われ思うゆえにわれあり」に立脚する西洋哲学をいつものように批判し、自らの主張である草木国土悉皆成仏をこれからの哲学として推奨された。
簡単にいえば人間中心主義をやめ、植物と共生することである。
ちなみに僕は梅原さんは好きな方ではあるが、数寄にはなっていない。
仏教関係の解説についてなぜか胡散臭さを感じていた。
理由は「舌端火を吐く」に到っていない、今一歩踏み込みが足りないと感じていたからだろう。
例えば今回のインタビューにしても、人間中心主義をやめるとか、植物との共生を謳うところがすでに傲慢に思える。
更に言えば梅原さんによれば西洋哲学と草木国土悉皆成仏は別物だが、僕はそうは思っていない。
西洋哲学は包含されうると考えている。
なんでもそうだが、批判対象と好ましいものとが対照されている間は次に進まないと思うわけだ、ピカソや岡本太郎がいうように。
話をもどそう。
しかし今回の梅原さんの話で、なぜ物語に関心があるのかはみえた気がした。
僕も次代の根本原理としての物語を探していたのだ。
哲学より物語がいいのは、なんといっても矛盾が包摂されうるところ。
例えば前向きに突き詰めていけば疑い深くなる、ということがある。
これは哲学では矛盾になるだろう(もちろん「絶対矛盾的自己同一」というのはある)。
現代はその疑いを砂をかむように掻き消して、1か0に還元し、バーチャルな仮想現実を作る時代であるわけだが、それは仮想であって現実ではない(それを村上春樹は『1Q84』でとても上手に書いた)。
春樹の作品は久しぶりだったが、やっぱり現代作家だなぁと感心したが、春樹の作品がそうであることも梅原さんの話の反証になる。
梅原さんは小説は人間中心主義だから童話がいいとおっしゃっていたが、そんなことはないのだ。
人間が人間自身を素直にありのままにみつめうけとめればおのずと草木~も自ずと達成されると僕は思う。
追伸:福島県立大の先生の学会発表内容。福島での健康調査結果が本当に最後のページに記載されている。ガンなどの兆候はみられていないが、肥満、高血圧症、肝臓の異常はみられるとのこと。それから日本の汚染状況が深刻であることと、一次産業を守ることを両立させることが重要であるとは書いてあるが、その具体的な方法は当然考え方をどうするかになるわけだが、メディアが稚拙なので専門家がやらなきゃというだけだった。