ライオネル・トリリング解釈のニーチェによれば、あくまで発動はデュオニソスで、その噴出するエネルギーに、アポロが手を添えて制御し普遍性を持たせる、というのが理想である。最近聴いている、ブラームスの交響曲1番はその理想に近い(「無念」参照)。
五線で辛うじて曲の体裁は保っているが、一本でも切ろうものなら、血しぶきが飛び散りかねない、内燃する情念が感じられる。今聴いている演奏の指揮者たちは、そんな荒馬の凶暴な情念をいささかも制御することなく疾駆させることができる。
フルヴェンが振ると、自らの生の力に駆り立てられて、暴走する以外なくなった、筋骨たくましいペガサスをドアップで凝視しつづけているような気分になる。
カラヤンが指揮すると、自らの力の強大さに正気を失った荒馬たちが、正気を失っていながら、隊列を崩さず整然と轟音とともに一直線に疾駆する。
そのペガサスに乗って振り落とされないように鬣(たてがみ)にしがみつきたくなる演奏もあれば、そのペガサスと同等の力を僕が得て並走する気分になる演奏もある(後者がザンデルリング)。
というわけでブラ1を聴いてると、短距離走のスタート直前の気分になって(昔陸上やってました)、ムズムズして仕方ない。赤いマントを見据えて今にも突っ込みたくなる闘牛のような気がしてくる。
そもそもブラ1には、一体何が描かれているのだろうか。
ブラームスに関する評論を読むと、ベートーベンの交響曲群に続く壮大さを求めての、などと書いてあるが、昔から僕はこれをブラームスのクララへの恋と関係づけてきた(というかブラームスの伝記のなかで印象深いのがこの挿話というだけだが)。
若き日のブラームスは、ガラスのようなイメージの美少年で背が低いことをコンプレックスにしている才気がまだ走り出していない青年だったが、自分を認めてくれたシューマンの奥さんであるクララに恋する。
クララには子供が何人もいて年齢も20くらい離れているのだが、ブラームスは一生惚れ続ける。
それを知った僕も当時青二才で、40くらいの女性を好きになることがとても現実的じゃなかったから衝撃的だった。誰だったか、過去の持つ正の力のために惚れたのでは、と推測し、その根拠を、ブラームスの作風が温故知新であることに求めていたが、その当時はともかく今なら説得力を感じる。
そしてクララがえらいのは、シューマンが精神病院に入ってとんでもない状況なのにしっかりと若きブラームスのことを考えて彼の熱情を拒み続けたところ。といってシューマンがそんな状態の家庭のなかでブラームスが果たす役割は小さくなかった。よく助けていた、ブラームスは。
だから余計狂おしい恋なのである。
結果思い込みの激しい1ブラームスファンによると、ブラ1の最初の荘厳さは、男としてのブラームスが真摯な力強さを求め続けた結果の伝統的なよき「男」が持つそれであり、作曲まで20年間かかったのもそのためだった。一人前の、クララと並んでおかしくない男性像を描くにはそれなりの年月が必要だった(描くにはわからなきゃならないから)。そして例えば4楽章のよくTVに流れる旋律などは、クララか、クララとの良好な関係を想像した。
うーむ、どうやら今日の僕は音楽と恋について語りたいらしい(沢木耕太郎も恋愛小説書くんだってね、そういえば)。
とすると思い浮かぶ楽器は、ハーモニカである。
というのも僕のアプローチは、ハーモニカから始まるからである。なかなか渋くってでインパクトありそうだし、しかも安い。特に僕があげるのはブルース・ハープだから3,000円前後で何個でも購入可である(例えば以下)。
これは、Hering というドイツ製のVintage model である。今これを持っているのは、気に入った女性にいつ遭遇しても渡せるようにしてあるわけではなく、ここ2年ほど隠れて演奏するようになったからである(どちらかというと「いじる」程度だが)。
きっかけは、友人Uが主催する雑誌にアコーディオンについて書かせてもらってから。アコーディオンは、ハーモニカと属が同じで、中国から「笙」がヨーロッパに渡り、両者の分化を決定的にするのが、19世紀の「ムンド・エオリーネ」(「ムンド」が「口で」、「エオリーネ」には風神アイオロスがついているので、「口で風を起こして音を出す」という意味)という楽器だった。
すごく面白くてすぐ演奏したくなったが、アコーディオンはでかいし高価なのでハーモニカにした。
写真を見てなかなかカッコいいと思ってくれると嬉しいが、今までの経験では、これが功を奏したことはない。
上手くいったことがないというわけではなく、僕の申し出を受けてくれた女性は、大体この種のプレゼントに眉をしかめるか喜ぶふりをする(それなのにOKしてくれた、不思議だ)。そして上記のようなのが好きそうな方は全部空ぶりだった(だから僕の恋愛観はOthelloなのである)。
ちなみに最近買った愛器が下。
Hohner のSuper Chromonica 260である。以前使っていた270より音域が半オクターブ狭くなったが、10穴なので持ち運びがよいのと音が鋭いかもしれない。
つい「小さきもの」に心奪われて選択したのだが、音域の狭さはいかんともしがたい。パルティータ5番やモーツアルト40番はギリギリだし、トゥーツ・シールマンスのアドリブは全部追えない。Super Deluxe 270は4オクターブだからこれから買う人にはそれがオススメ。
とにかく僕からハーモニカを渡されたら要注意といいたい(警告してどーする?)。