雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

平和宣言

2008-08-06 22:47:14 | 歴史
平和宣言全文を読んだ。

数年前より落ちたように思う。

数年前のそれは、結局暴力で強いところの意見しか通らんのか!と世界に抗議していた。

この抗議は次につながるものだった。

どのようにつながるかといえば、次のような論旨が展開される礎となるからだ。

まず暴力が強けりゃいいのなら日本は大戦というゲームに負けただけで、ほかの国に道義的には謝る必要はなくなる。

まして国際紛争中の領土問題を軍隊を常駐させて自らの領土であることを主張するような国はすでに日本を非難する資格はない。非難するなら同じことはするな。

戦力で争うことが是なら、殺し合いは是ということであり、殺し合いにルールなんて無意味であり、ヤラレタ方は死ぬというのにルールなるものが機能するはずはない(だから僕は、核兵器だけを廃絶しろ、という演説は好きではない。ほかの銃火器は使用していいことになる)。

ひとことでいえば「平和宣言」なら全暴力の廃止を少なくとも希求すべきである(それがなくてなぜ「パラダイム・チェンジ」といえる?)。

それから北朝鮮への非難も言及されていない。

暴力で脅して、金品を巻き上げる国がなぜテロ国家でないのだ(あの国のあのやり方を認める国にもまた日本は道義的な謝罪はする必要がなくなったことになる)。

なぜ拉致問題が金総書記が陣頭指揮のもとに行われたことをいい、国家犯罪であることに言及しない?

結局日本自体もきちんと反省していないから論旨の爪があまいということだ。

組織の構造についてはもちろんだが、暴力についての教育が全くなされていない。

先日「退行2」に書き込みがあったが、あのような暴走族をやる青年がいること自体がそれを物語っている。

彼らの存在について考えたことがあるのか。

社会にある食糧や電気や水道は利用しつつ、それを供給する市民に迷惑行為を働いている。

彼らは理性に支配される機関か、自らに恐怖を与えるような団体には迷惑はふっかけない(外道のフリをして全く外道ではないのだ)。

ただ市民相手(女性や中高年や妻帯者)に暴力で優位であるということだけなのだ(彼らが新日本プロレスや高砂部屋に殴りこんだなんて話は聞いたことがない)。

この幼さは、どこぞの誰かがいったように、日本人には大人がいない、子供しかいない、ということを証明しているだけではない。あの戦争を反省しながら最も反省すべき点に到っていないことを示している。

なぜならその反省を最も効果的に表す部分が教育機関を経てそうした存在が生まれているからだ(原因はコンビニでも法律でもない、教育だと思います)。

核兵器廃絶というまやかしや日本が悪いと書くことで思考をストップさせているとしか思えない、

と再実感させる平和宣言だった(60余年昔のことなんだからある程度普遍性を持った主張にまで昇華させないと、説得力に欠けると思う)。

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