ランカスターLancaster とランカスター城 lancaster Castle 、続きです。
9ポンド(1,786 円)の入場料を払って2時間足らずの内容の濃いガイドツアーに参加しました。
30分おきにギフトショップ兼総合案内所前から出発します。
参加しなければ建物の内部を見学できません。
ツアーの言語は英語のみ。自信がない方はヘッドフォン式日本語音声ガイドの併用をお勧めします!使用料は入場料=ガイドツアー料に含まれます
英語の音声ガイドもあるそうです。ガイドについて回りながらも音声ガイドを聞きたい人をも対象としたサービスなようです。見学コースはガイド同伴でなければ入れませんから。
私たちのグループがカフェのとなりの小さな戸口を通って最初にはいったのは...
1,860年代から2011年まで使われていた男子刑務所 Male penitentiary です。
上階の監房は、木曜と金曜のみ開館しているランカシャー警察博物館 Lancshre Polce Museum の展示室として使われています。
アッパー・コートヤード Upper Courtyard と言われる、主に法務、司法関係の機能が集中している部分の...☟
やはり2011年まで現役の刑務所として使われていた女子刑務所 Female penitentiary の内部です。
18世紀末、受刑者を男女にわけて収監する法令の施行後1821年に建造された、今も残る(しかも21世紀まで使用され続けられていた!)数少ない初期の女子専用の刑務所です。
円形または扇形の建物の円周に沿うように独房をならべ、中央におかれた監視塔から少数の看守が24時間受刑者を監視下におく「パナプティカン」という人道上問題のある管理システムが各地で実験的に採用されたそうです。受刑者が終日生活する独房には壁がなく、廊下に面した檻があるだけで行動はすべて看守に筒抜け...ここもその一つです。
管理性はバツグンだったものの、受刑者の精神衛生を考慮してそのシステムはほどなく廃止され、現在、各房には壁と扉がついています。パナプティカン制度廃止後、受刑者は日中、房を出て建物の中を自由に行き来することをゆるされていたようです。
房のひとつが見学者用に開放され、便器に座ったりして写真が撮れるようになっています。
上の「アッパー・コートヤード」の写真、左側の八角形のでっぱり部分の内部が...
...階段塔になっています。各房はこの階段塔を半分囲むように扇形に並んでいます。「監視塔」はもうありません。
アッパー・コートヤードに沿って時代様式ごちゃまぜの建物の中の、中世の塔や、民事法廷、「ペンドゥル魔女」たちが裁かれた法廷(19世紀に改装)、植民地アメリカやオーストラリアに流刑者を移送するまでの仮収監施設、死刑囚が刑の執行の準備をした部屋...など非常に興味深いスポットを次々と案内されました。
中世風の真っ暗な監房(古く見えるけど18世紀の建造)に閉じ込められて扉を閉められる体験や、発狂した囚人を落ち着くまで縛り付けておいた椅子(実物)に座らせてもらう体験もしました。ランカスター最後の絞首刑(1910年)に使われた縛り首縄(実物)も見ました。
史蹟/古建築探訪というより、刑務関係(罪と罰)の歴史について学ぶ社会科見学的なアトラクションでした。学術的な探求心も下世話な怖いもの見たさの好奇心も満足させてくれる秀逸なガイドツアーです!
有名らしい「債務者監獄」や、エリザベスI世が滞在したという12世紀建造の塔など、案内リーフレットで見つけた面白そうな場所はツアーに含まれていなかったので内部が見られませんでした。
...写真はないのかって?ありません。
たまにしか使用されていないものの、現役の裁判所、司法設備なので写真撮影は厳禁でした。スマートフォンを手にするのも遠慮してほしいという厳しさ、違反すれば2年以下の懲役刑もあり得るそうです。
旧刑務所内はガイド説明が終わったあと写真撮影タイムがもうけられていました。
ゲートハウスを通して丘の下の私たちが泊まったホテルが見えます☟
見学後に、カフェの外席に座って紅茶を飲みました。
自分でブレンドした茶葉をティーポットで淹れて飲む、自称紅茶通の夫は、外出時にはコーヒーしか飲みません。でも家に帰って自分で淹れた紅茶が飲めない旅先では紅茶ばかり注文します。
2人用のポットで出された紅茶は、ティーバッグでしたが逸品でした。
アトキンソンズ・コーヒー・ロースターズ Atkin's Coffee Roasters という、19世紀末創業の地元ランカシャーでは有名らしい老舗コーヒー会社が経営するカフェです。帰宅してから評判を知った、ここのカフェのコーヒーを注文すればよかった!
カフェの外席でかなり長いこと座っていた間、ガイドツア―を終えた数グループがコートヤードのいろいろな場所で散会しているのを見てツアーの開始/終了スポットがそれぞれ違うことに気づきました。
30分の時間差で次々と出発する2時間足らずのツアーなので、狭い場所でかち合わないように順路をずらしているようです。
ゲートハウスの前の観光バスが何台か停められる広さの広場は、花壇が整えられこぎれいなミニ・パークになっていました。
*ペンドゥル魔女裁判 Pendle Witch Trials 、前回の続きです。
16世紀末にはすでに自白を引き出すための拷問が禁止されていたイングランドでは、告発は多かったものの魔女として有罪判決が下った例は20%前後、欧州や隣国スコットランドにくらべてかなり少なかったそうです。決め手は隣人の証言、それと、へんてこりんな「検証」だったと言います。(前回の記事参照)
ペンドゥル魔女裁判 は好例です。以下、概要です。
1612 年、ペンドゥル村の1人の少女にピン(衣服やエプロンなどをとめるための長い待ち針)をねだられ断った行商人が、少女に呪いの言葉をなげかけられた直後にその場に倒れて半身不随になりました。
行商人の息子による告発で呪いの成就の容疑で逮捕された少女は自分の呪術の能力に恐れおののき、全面的に容疑を認めました。(現在では脳溢血の発作だったことがわかっています)
ピンが必要な理由が、恋敵に見立てた人形の心臓に針を刺す「のろいのおまじない」をするためだったという説もあります。
おまじない行為は教会で禁止されたバチアタリ行為とみなされていたようです。少女の家庭は祖母も母も未亡人、おまじないや物乞いが家業の妖しいげな女系家族でした。
少女の逮捕がきっかけで、おまじないの心得があるー家全員、同業のライバル家族まで巻き込んで総勢12人が魔女の容疑で逮捕されランカスター城の通名「魔女の塔」の地下牢に収監されました。
ただ1人逮捕を免れた9歳の次女(ピンの少女の妹)が祖母、母、姉、兄、それにライバル家族が呪いの能力を得るために悪魔と取引をしているところを目撃したとランカスター城内の法廷で証言、それが決め手になり1人と獄死した少女の祖母を除くほぼ全員が有罪、ランカスター城の近隣の丘で10人の絞首刑が執行された...という陰惨な話です。
当時は、呪いの言葉を使った隣人同士の激しい口論や物乞いへの施しを拒否したあとで家畜が死んだり、納屋の屋根が崩れたり...等々の残念なぐうぜんがあった際も呪いをかけられたとして告発されるケースが多発したそうです。
イングランドに限らず、キリスト教世界では邪悪な現象にビクビクおびえる政情不安な時代だったようですね。
ギフトショップで見つけて、買おうか迷ったトートバッグと同じ、「悪魔のサバス」の有名なイラストがプリントされたバッグです☟帰宅後、オンラインショップで見つけた別の製品です。
ギフトショップにあったのは、おどろおどろしい版画文字で気の利いたジョークが書かれていました(夫も私も何と書かれていたか思い出せません)
12ポンドはちょっと高め...買いませんでした。ランカスター城オリジナルの製品ではなかったのも買わなかった理由のひとつ。このタイプの生成りの薄いバッグは、店のロゴやウェッブアドレスがプリントされ、エコバッグがわりに多くの店で2ポンドから4ポンドで販売されています。上の写真を勝手に借りたショッピングサイトでは20ポンドの値がついていました。