毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

逆境を勝ち越えた英雄たち】第21回 エンリケ航海王子

2022年07月09日 | 妙法

ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第21回 エンリケ航海王子2022年7月9日

世界に開かれた神戸港を望む(1995年10月、池田先生撮影)。先生はつづった。「関西の勝利が全国の勝利へと深く連動しているように、兵庫の勝利は、必ず関西の常勝へと、大きくつながっていくのだ」
世界に開かれた神戸港を望む(1995年10月、池田先生撮影)。先生はつづった。「関西の勝利が全国の勝利へと深く連動しているように、兵庫の勝利は、必ず関西の常勝へと、大きくつながっていくのだ」
〈エンリケ航海王子〉
恐れなく航海を続け、岬越えを達成せよ!

 水平線のかなたに広がる“新世界”を求めて、人間が未知の領域へと乗り出していった「大航海時代」。その歴史は15世紀、ヨーロッパ西端の国から始まった。
 
 当時、ヨーロッパは東西を結ぶシルクロードを遮断され、文化的・経済的な孤立を深めていた。
 
 その中で「陸」から「海」へ目を転じ、東洋への新たな道を開こうとする若き指導者が現れた。ポルトガルのエンリケ航海王子(1394―1460年)である。
 
 国王ジョアン1世の三男として生まれたエンリケ王子は、21歳の時、北アフリカのイスラム世界に触れ、大ポルトガル建設への志を強くする。自ら宮廷生活を捨て、イベリア半島の西南端にあるサグレス岬へ移住。探検事業家として航海者たちを支援・指導した。
 
 だが十数年にわたってアフリカ西海岸を探索するも、なかなか新航路は見つからない。なぜか。船乗りたちが、ある地点以上に進もうとしなかったからである。
 
 その地点とはボジャドール岬。ここから先は怪物が住み、海は煮えたぎり、滝となって落下する。中世以来、「不帰の岬」として恐れられてきたことから、船乗りたちは王子の命に背き続けたのだ。
 
 ある日、王子は彼らに告げた。
 
 「もしかりに、世界でいわれているような噂が、すこしでも根拠のあるものならば、わたしもおまえたちをこれほどまでに責めはしない。しかしおまえたちの話を聞いていると、ごくわずかの航海者たちの意見に過ぎないではないか。しかもその連中というのは(中略)羅針盤も航海用の海図も使い方がわからない連中ばかりなのだ」
 
 恐れなく航海を続け、岬越えを達成せよ!――王子の叫びに、一人の航海士が立ち上がった。そして1434年、ついに岬越えは成し遂げられたのである。
 
 いわばそれは、何世紀もの間、船乗りたちがおびえ続けた“恐怖の岬”という“臆病の壁”を越えた瞬間だったと言える。“見えない敵”の向こう側には、穏やかな海が広がっていた。
 
 ここから、歴史の歯車は大きく動きだした。王子亡き後、先駆者の遺志は後継の航海者に受け継がれ、アフリカの喜望峰への到達、インドへの新航路の発見などに結実するのである。

1960年、エンリケ航海王子の没後500年を記念して造られた「発見のモニュメント」(ポルトガル・リスボン市内)。池田先生は65年10月27日にこの地を訪れた
1960年、エンリケ航海王子の没後500年を記念して造られた「発見のモニュメント」(ポルトガル・リスボン市内)。池田先生は65年10月27日にこの地を訪れた
〈ポルトガルの歴史を語る池田先生〉
臆病では、前進も勝利もない。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」である。
広布の新航路を開くのは勇気だ。
自身の心の“臆病の岬”を越えることだ。

 池田先生は折々に、波濤を乗り越えた勇者から学ぶ“勝利の要諦”を共戦の同志に伝えてきた。
 
 小説『新・人間革命』第10巻の「新航路」の章には、1965年10月27日、ポルトガルに第一歩をしるした山本伸一が、エンリケ航海王子の逸話を通して同行の友に語る場面が描かれている。
 
 「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(新1675・全1282)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」
 
 思えば、初代会長・牧口常三郎先生の少年時代は、海と共にあった。第2代会長・戸田城聖先生と池田先生も、海の近くで育った。
 
 池田先生が戸田先生の前で何度も歌った曲の一つに、旧・東京高等商船学校の寮歌「白菊の歌」がある。
 
 ある時、関西の会長室で、歌を聴き終えた戸田先生が「この歌の心は何だと思う」と池田先生に尋ねた。
 
 池田先生は即座に答えた。
 
 「この歌は、海軍の士官学校ではなく、もともと民間の航海士と機関士を養成する、商船学校の歌です。“戦争のためではなくして、平和のために、七つの海へ! 小さな島国の権威がなんだ! 我らは真の海の英雄として、世界と友情を結びゆくのだ!”――そうした心意気が伝わってきます」
 
 こう語った当時の心情は、関西そして兵庫の友に贈った「随筆 新・人間革命」〈民衆の歓喜の港 友情の街〉につづられている。
 
 その中で先生は、こうも記した。
 
 「広宣流布とは、民衆の幸福のため、世界の平和のための正義の大航海である。航海には『港』が必要だ。わが創価の大船団が『完勝』の大海原へ船出する港は、どこであろうか。その重要な母港こそが、大兵庫であることは、議論の余地はない」(本紙2003年10月27日付)
 
 今、その兵庫をはじめ神奈川、愛知、埼玉、福岡など各地で、正義の大航海を進めゆく創価の大船団――波濤を越えた先には、凱歌の大海原が洋々と広がっている。
  

【引用・参考】金七紀男著『エンリケ航海王子 大航海時代の先駆者とその時代』(刀水書房)、ダンカン・カースルレイ著『図説 探検の世界史1』生田滋訳(集英社)、青木康征著『海の道と東西の出会い』(山川出版社)ほか

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創価学会ドクター部編〉第13回 心臓というエンジン

2022年07月08日 | 健康

危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編〉第13回 心臓というエンジン2022年7月8日

  • 東京大学大学院医学系研究科・心臓外科教授 小野稔さん

 医学では、体内の各器官が互いに連携し、支え合いながら私たちの健康を守っていることが明らかになってきている。まさに調和の世界であり、仏法の“人体は小宇宙”との思想と共鳴する。コロナ禍の中、この人体の調和を保つために、どのような心掛けが大切で、仏法ではどう説いているのか。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第13回は、東京大学大学院医学系研究科・心臓外科で教授を務める小野稔さんの「心臓というエンジン」と題する寄稿を紹介する。

コロナ禍が及ぼす影響

 新型コロナウイルスが流行して2年余り。私の専門は心臓外科ですが、コロナ禍は少なからず心臓にも影響を及ぼしていることを感じます。
 一つは直接的影響で、心臓がコロナに感染し、心筋炎になりやすいということです。これは最悪の場合、命に及ぶことがありますが、欧米に比べ、日本では重症化した例は少ないようです。
 もう一つは、間接的影響です。コロナで重症化しやすいといわれる人、特に糖尿病、高血圧の方は、感染しないように外出を控えるあまり、運動不足に陥ります。それが生活習慣病を悪化させ、結果として心不全や心筋梗塞のような病気につながってしまうのです。この間接的影響の方が大きいと感じます。
 日本人の死因のうち、心臓病などの心疾患は、がんなどの悪性疾患に次ぐ2位ですが、その多くも運動不足などの生活習慣と深く結び付いています。感染対策はしっかり取った上で、身体を動かすことを習慣化し、運動する習慣がない方でも、若い人は1日に8000歩、足腰の悪い人でも5000歩を目標に歩いていただければと思います。

休みなく全身を支える命の源

 人間が生きていく上で、どの臓器も不可欠ですが、二つある臓器の場合は、もし片方がなくなっても生きていけます。しかし、心臓は一つしかありません。
 心臓は、右心房、右心室、左心房、左心室という四つの部屋からできており、その一番の役割は、収縮と拡張で血液に酸素を乗せて全身に供給することでしょう。具体的には、右心室から押し出された血液が肺を通り、ここで体内から回収した二酸化炭素を捨て、酸素を取り込むと、左心房に入ります。そして、左心室へ送られ、ここから血液が押し出されて全身に酸素を送り、それぞれの臓器が出した二酸化炭素を受け取って、右心房に戻ってくるのです。

心臓の中の血液の流れを示した図。左下の右心室から押し出された血液は、青色の管(肺動脈)を通って肺に送られ、右上の左心房に戻る。そして右下の左心室から押し出された血液は、赤色の管(大動脈)を通って全身に送られ、左上の右心房に戻ってくる ©Dorling Kindersley: Dan Crisp/Dorling Kindersley RF/Getty Images
心臓の中の血液の流れを示した図。左下の右心室から押し出された血液は、青色の管(肺動脈)を通って肺に送られ、右上の左心房に戻る。そして右下の左心室から押し出された血液は、赤色の管(大動脈)を通って全身に送られ、左上の右心房に戻ってくる ©Dorling Kindersley: Dan Crisp/Dorling Kindersley RF/Getty Images

 臓器は、酸素なしには生きていけません。ですので、心臓の力が弱まり、全身に血液が行き渡らなくなると、酸素も減り、全身の臓器も機能しなくなってしまいます。
 例えば、心臓が止まると、5~10秒ほどで意識がなくなり、5~10分で脳が死んでしまいます。その意味では、心臓は“命の源”であり、私たちの活動を支えるエンジンともいうべきものです。
 心臓の大きさは握りこぶしほどですが、私たちが寝ている時も休みなく動き、そこから1日に8トンもの血液を全身に送り出しています。
 心臓の拍動は1分間に約60~80回、1日に約10万回。一生を80年と考えれば、約28億回も動き続けます。
 通常、人間は歩き続けると、筋肉に乳酸がたまり、いわゆる筋肉痛になってしまって動くことができなくなります。しかし、心臓を構成する心筋細胞は、筋肉痛を起こしません。それは、乳酸をもエネルギーとして使用できる特殊な能力を持っているからです。

心臓のアクセルとブレーキ

 心拍をコントロールしているのは、自律神経です。
 自律神経は、交感神経と副交感神経という二つの柱から成り、交感神経は、人間を活動的にする働きで、心臓では拍動を早めるアクセルとして機能します。もう一方の副交感神経は、人間が休んでいる時に優位となるもので、精神的にリラックスさせ、心拍をゆっくりさせるブレーキとして作用します。
 このアクセルとブレーキのバランスで、各臓器や私たちの活動に必要なエネルギーを生み出しているのです。その上で、心臓の健康という意味では副交感神経を優位にすることが重要です。副交感神経は血圧と心拍数を下げ、心臓への負担を減らすからです。
 心臓の健康は、私たちの生活習慣とも結び付いています。例えば、睡眠は副交感神経を優位にしますが、その睡眠をしっかり取らないと交感神経が高ぶり、高血圧になって心臓に負担をかけてしまいます。また食生活でも、塩分過多は血圧を上げることが分かっているので、やはり心臓に負担がかかります。
 もちろん、生活していく上で、動かないというわけにはいきませんので、普段は心穏やかに、副交感神経を優位にしておきつつも、いざという時には交感神経を働かせ、パッと行動できるようにしておくことが大事でしょう。

笑いと感動――学会活動は健康の王道

 心臓にいい生活とは、大きな変化のない穏やかな生活ですが、それは何もしないということではありません。
 例えば、人間関係を断って山の中にこもり、食事も質素にして暮らす。確かに、これを続ければ長生きできるでしょう。なぜなら、生活習慣病にならない生活だからです。しかし、そうした生活は万人にできることではありません。
 万人にできることは、やはり人間の中で生きていくことです。そこには人間同士の葛藤やストレスがあるかもしれませんが、そうした中でも、人間は副交感神経を優位にできる力を備えています。
 その一つとして注目されているのは「笑い」です。実は、笑うことで脳から身体をリラックスさせるホルモンが分泌され、身体の緊張を取ってくれることが分かっています。
 もう一つ、「感動」も大切です。これは人の話を聞いたり、素晴らしい人に出会ったりすることで、心が動かされることです。そうすると副交感神経が働き、身体をリラックスさせてくれるホルモンが分泌されるのです。
 またアメリカの研究では、人間同士の強い絆が、心臓病の抑制につながっていることが明らかになりました。これは、ある町で、心臓疾患による死亡率が周囲の町と比べて半分以下だったことで注目されるようになったものです。
 調査をする中、その町の住民は、周囲の町の住民と比べて、飲酒や喫煙、食事、運動といった行動や健康意識は大して変わらなかったものの、「連帯感」や「助け合い」といった意識が非常に強いことが分かったのです。
 この結果も、日々の助け合い、関わり合いを通し、そこに暮らす人々に「笑い」と「感動」が生まれていたのだろうと考えられます。
 最近、日本では1人暮らしの方が増えていますが、その中で、学会員は自ら進んで地域の人々と友好を結んでいます。こうした活動は、自分も周囲も健康にしていく道だと実感します。しかし、そうした地域の絆があれば、暴飲暴食をしても、寝不足になってもいいというわけではありません。あくまで良識的な生活を心掛けることが重要です。
 加えて、身体を動かすことも大切です。
 心臓はかつて、単なる筋肉のポンプだと思われていましたが、近年では、この心臓から血管を柔らかくし、血液を流れやすくするホルモンが分泌されていることが分かりました。実は、そのホルモンを分泌する秘訣が運動なのです。血管が柔らかくなり、血液の循環が良くなれば、各臓器に血液が適切に流れ、臓器が守られることにもなります。
 ともあれ、学会活動には笑顔と歓喜があり、友のもとへ足を運ぶ実践もあります。皆さんは日々、健康の王道を進んでいるのだと、胸を張っていただきたいと思います。

笑いと感動の人生――それは心臓の健康とも密接に結び付いている ©thianchai sitthikongsak/Moment/Getty Images
笑いと感動の人生――それは心臓の健康とも密接に結び付いている ©thianchai sitthikongsak/Moment/Getty Images
「心臓」を「蓮華」と見る仏法

 心臓が元気であれば、全身の臓器も生き生きとし、私たちも活発に動くことができます。いわば、心臓は、人間の身体の「母なる大地」です。
 この心臓について、仏法では、心臓が二つの肺に包まれた姿が、ちょうど蓮華がつぼんでいる形に似ていると説いています。そして「御義口伝」では、私たちの五体を「妙法蓮華経」の五字に当てはめ、「胸は蓮なり」(新997・全716)と仰せです。
 「心臓」を「蓮華」と見る。私は、ここに深い意義を感じます。それは、御書に「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(新1913・全1580)とある通り、蓮華は、花という「原因」と、実という「結果」を同時に成長させることから、“仏の生命を開く原因と結果も同時に具わる”という「因果俱時」の象徴とされているからです。
 私は、心臓は因果俱時に通じる存在ではないかと考えています。というのも、心臓が休みなく動き続けることができるのは、左心室から全身に血液を送り出す大動脈から枝分かれした冠動脈を通って、心臓自身に血液が送り届けられているからです。では、その冠動脈に血液を送り出す力は、どこから生まれているかというと、それも心臓の拍動なのです。つまり、心臓は、自らが動くという「原因」によって、自らが動くための動力源という「結果」を得ており、それが同時に存在することで、動き続けることができるのです。

蓮のつぼみ。古代インドの医学書には「心臓は蓮のつぼみの形をして、先端を下に向け、ぶら下がっている」と記されている ©I love Photo and Apple./Moment/Getty Images
蓮のつぼみ。古代インドの医学書には「心臓は蓮のつぼみの形をして、先端を下に向け、ぶら下がっている」と記されている ©I love Photo and Apple./Moment/Getty Images
生命の本質に迫る思想

 余談ですが、冠動脈が動脈硬化を起こし、詰まりかかったり、詰まったりすることで狭心症や心筋梗塞が起こります。こうした病が起きる時の症状について、皆さんの中には、胸が苦しくなって倒れるような場面を想像する方もいらっしゃるでしょう。しかし実際、動脈硬化が進んでいるのに無症状の人もいるなど、自分で判断することは、なかなか難しいのが実情です。
 実は心臓が悪くなった時、一番多く出るのは「息切れ」です。年のせいと思う方もいらっしゃるでしょうが、自分と同年代の方と歩いたり、階段を上ったりという、同じような行動をした時、周囲の人に比べて息が切れやすいという方は注意が必要です。心臓は、私たちの行動を支えるエンジンですが、そのエンジンが弱っているために息切れしている可能性があるのです。また、すぐに動悸がするという症状も、心臓からのサインかもしれません。ともあれ、そうした違和感があれば、すぐに受診していただくことをお勧めします。
 その上で、私が興味深いと思うのは、仏典でも、そうした症状についての記述があることです。
 例えば、心臓の病の症状について、「天台小止観」では「身体が寒くなる」「口が乾く」といった事例が挙げられています。「身体が寒くなる」というのは、心不全の症状です。もともと寒がりな人は別にして、心不全が重くなると、多くの方が寒がることが分かっています。また、心臓が悪くなると、鼻ではなく、口で呼吸しがちになるので、「口が乾く」ということも起こり得ます。
 さらに、「摩訶止観」では「顔色が青くむくむ」と記されています。実際、生まれつきの心臓病の子どもたちや、大人になって心不全が重くなると、こうした症状が出る方がいらっしゃいます。
 こうしたことから考えると、仏法には人間というものを深く見つめ、生命の本質に迫る思想が脈打っていると感じずにはいられません。

人生の好循環生み出す励まし運動

 心臓は、私たちが生き生きと活動するための源ですが、その心臓は、人間同士の強い絆があってこそ、健康に保たれます。私は、この強い絆を、いかに育めるかという点が大切であると感じます。
 強い絆といっても、周囲の人と友情を結ぼうとする「一人」がいなければ、育んでいくことなどできません。だからこそ、一人一人が、まさに心臓のように地域に希望を送り続ける「一人」となっていく。それが自らの心臓を健康にし、自らがさらに生き生きと活動するための源につながっていくと思うのです。
 この好循環を生み出していくのが、創価の励まし運動であり、そうした活動によって、因果俱時の法理のままに、自分自身の生命に仏界の大生命を涌現していけることを教えたのが、仏法の哲学なのではないでしょうか。
 日蓮大聖人は「浄きこと、蓮華にまさるべきや」(新1510・全1109)と仰せです。泥沼の中でも高潔な美しさを失わない蓮のように、現実社会の中で広布の使命に胸を張り、同志と共に動きに動いて、皆が健康で生き生きと暮らせる社会を築いていきたいと決意しています。

〈プロフィル〉

 おの・みのる 1961年生まれ。東京大学医学部を卒業。医学博士。米オハイオ州立大学心臓胸部外科臨床フェローなどを経て現職。東京大学臨床生命医工学連携研究機構教授、同大学医学部附属病院医工連携部部長を兼務。人工心臓などの分野で、東大病院の心臓外科を世界トップレベルに押し上げた立役者。創価学会東京副ドクター部長。副本部長。
 
 
 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

書籍「危機の時代を生きる」が好評発売中

 本紙の連載をまとめた二つの書籍が好評発売中である。
 『危機の時代を生きる』は、生命科学や歴史、経済、教育等、各分野の識者へのインタビューなどを収録。『危機の時代を生きる2――創価学会学術部・ドクター部編』には、現代における仏法の価値を論じた学術部・ドクター部の友の寄稿などが収められている。
 ともに1100円(税込み)。潮出版社刊。全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイト、または電話での注文も受け付け中。電話(0120)983563(午前9時~午後5時、土・日・祝日を除く)。FAXでの注文はできません。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。

『危機の時代を生きる』
『危機の時代を生きる』
『危機の時代を生きる2――創価学会学術部・ドクター部編』
『危機の時代を生きる2――創価学会学術部・ドクター部編』
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桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉第11回 7・17「大阪大会

2022年07月05日 | 妙法

桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉第11回 7・17「大阪大会」2022年7月5日

 連載「勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ」では、池田先生がつづった長編詩を紹介していきます。第11回は、「永遠の常勝関西を讃う」(2007年6月)です。

“最後は、信心しきった者が、正しい仏法が、必ず勝つ!”――豪雨と雷鳴の中、大勢の同志が駆け付けた、中之島の大阪市中央公会堂での大阪大会。正義の師子吼が轟いた(内田健一郎画)
“最後は、信心しきった者が、正しい仏法が、必ず勝つ!”――豪雨と雷鳴の中、大勢の同志が駆け付けた、中之島の大阪市中央公会堂での大阪大会。正義の師子吼が轟いた(内田健一郎画)
勇敢に真実を叫び抜け!

 昭和三十二年の七月三日。
 まったく事実無根の
 選挙違反の容疑で
 私は不当に逮捕された。
 それが「大阪事件」である。
 奇しくも
 わが師・戸田先生が出獄された
 同じ七月の三日の
 同じ夕刻七時であった。
  
 権力の狙いは邪険にも
 戸田先生の逮捕であった。
 学会の壊滅であった。
 既に衰弱の激しかった師が
 再度の投獄となれば
 死にもつながりかねない。
  
 それゆえに
 大阪拘置所の独房に囚われた
 若獅子は一切の矢面に立った。
 正義の師匠を護り抜くために
 過酷な取り調べも
 巌の如く耐え忍んだ。
  
 この獄中の私と共に
 関西中の同志が戦ってくれた。
 悪口罵詈を浴びせられて
 動揺する臆病者など
 わが関西にはいなかった。
  
 「室長は完璧に潔白や!」
 「無実の室長を
  一日も早く釈放せよ!」
 民衆の憤怒は
 十重二十重の大波の如く
 傲慢なる権力の石壁を叩き
 激しく震撼させた。
  
 ◆◇◆
  
 五十年前の七月の十七日――
 鎖から解き放たれた愛弟子は
 師を伊丹空港でお迎えし
 そして 横暴な権力を糾弾する
 不滅の大阪大会へ向かった。
  
 北大阪の中之島・中央公会堂には
 全関西の尊き戦友が集った。
 関西と一体で伸びてきた
 中国からも 四国からも
 そして
 九州など西日本の全域から
 さらにまた
 東京など東日本からも
 わが同志は駆けつけてくれた。
 豪雨を物ともせぬ
 この真正の同志と心一つに
 「正義は必ず勝つ!」と
 私は宣言したのである。
  
 この日
 戸田先生は師子吼なされた。
 「破折すべきは
  徹底して破折せよ!
  黙っていれば敗北だ。
  肉声こそ最大の言論である。
  正義が噓八百に
  負けてたまるか!」
  
 ◆◇◆
  
 正義の人々が
 冤罪で陥れられてきた
 暗黒の流転を断ち切るために
 私は勇敢に真実を叫び抜いた。
 厳正なる裁判長の審判を信じ
 邪悪な虚偽を一つ一つ
 完璧に打ち砕いていった。
  
 昭和三十七年の一月二十五日。
 判決公判のその日
 裁判長の凜とした声が
 大阪地裁の法廷に響いた。
 「池田大作は無罪――」
  
 それは
 私一人の勝利ではなかった。
 信念の殉教をなされた
 牧口先生の勝利であった。
 先師の仇討ちを誓った
 戸田先生の勝利であった。
 そして
 私と恐れなく立ち上がった
 関西の同志の勝利であった。
  
 ◆◇◆
  
 我らの胸中にこだまするのは
 「断じて」という
 絶対勝利の執念しかない!
  
 眼前の山また山を
 断じて勝ち登れ!
 断じて今日を勝ち切れ!
 ほとばしる勇気と智慧で
 この決戦を断じて勝ち抜け!

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希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 御書とともに

2022年07月04日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 御書とともに2022年7月4日

  • 決めて祈り、行動する時、道は開く!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で引用された御文と、折々の励ましの言葉を紹介します。

【御文】

 いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。
 
 (新1539・全1132)

リーダーが原動力に

 これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれる大聖人の「祈り」であられた。
 
 人ではない。自分である。広布のリーダーは、まずみずからが祈ることである。
 
 人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
 
 とくに青年は、求めてみずからを鍛えなければならない。
 
 若いときからお金もある、何の苦労もない――では人物はできない。民衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
 
 苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしない王者の自分自身を築きあげていただきたい。
 
 (『池田大作全集』第87巻、86ページ)
 

【御文】

 各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。
 
 (新2145・全1300)

試練と戦う地涌の舞

 師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
 
 崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
 
 あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。(中略)
 
 ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。
 
 (『御書と師弟』第3巻、50ページ)
 

1956年の「大阪の戦い」で、池田先生は友の激励に奔走していた折、「勇戦」と揮毫。それを大切に保管していた関西の同志が、83年3月、“先生のもとにお返ししたい”と来阪中の師匠に届けた。先生は「よく大事に持っていてくれたね」と喜び、「書き直してあげよう」と筆をとった(関西文化会館で)。新しい「勇戦」は、「大勝」の書と共に、この月に関西文化会館で開催された本部幹部会で紹介された。先生はつづっている。「さあ、わが本門の勇戦の弟子たちよ、打って出る時は来た。“いよいよ”の心意気で、愉快に、痛快に、仏縁を広げゆくのだ」
1956年の「大阪の戦い」で、池田先生は友の激励に奔走していた折、「勇戦」と揮毫。それを大切に保管していた関西の同志が、83年3月、“先生のもとにお返ししたい”と来阪中の師匠に届けた。先生は「よく大事に持っていてくれたね」と喜び、「書き直してあげよう」と筆をとった(関西文化会館で)。新しい「勇戦」は、「大勝」の書と共に、この月に関西文化会館で開催された本部幹部会で紹介された。先生はつづっている。「さあ、わが本門の勇戦の弟子たちよ、打って出る時は来た。“いよいよ”の心意気で、愉快に、痛快に、仏縁を広げゆくのだ」
1983年3月、池田先生がしたためた縦1・7メートルの「勇戦」の大書
1983年3月、池田先生がしたためた縦1・7メートルの「勇戦」の大書
【御文】

 今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。
 
 (新2085・全1451)

「今ここ」こそ正念場

 私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。
 
 大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
 
 そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
 
 私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
 
 「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
 
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、76ページ)
 

【御文】

 始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん。譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。
 
 (新2063・全1440)

「本当に楽しかった」

 いざという時に「やらんかな!」と勇み立つ生命は、金剛不壊の仏の大境涯を開くことができる。
 
 大変だからこそ、大きく「心の財」が積まれるのだ。
 
 戸田先生は、「広布の戦いは、皆が最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやり通すのだ」と教えてくださった。
 
 何事も、中途半端では喜びはない。一念を定めて祈り切り、ベストを尽くして走り切る中で、人間革命できるのだ。
 
 「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし」「信心の歩みを運ぶべし」(新2063・全1440)である。
 
 社会のため、未来のため、楽しく朗らかに動き語り、共々に栄光の峰を登攀しよう!
 
 (創価新報「池田大作先生が贈る 青春勝利の大道」第25回)

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きょう「7・3」――常勝の金字塔を頼む

2022年07月03日 | 妙法

きょう「7・3」――常勝の金字塔を頼む 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2022年7月3日

 【写真説明】きょうは7月3日。戸田城聖先生は1945年のこの日、軍部権力との獄中闘争を貫き出獄した。池田大作先生は57年のこの日、事実無根の選挙違反の容疑で逮捕され、入獄した。7月17日、池田先生は出獄し、大阪大会で師子吼した。“最後は信心しきった者が必ず勝つ”と。そして50年後の2007年11月、大会の舞台となった大阪市中央公会堂にカメラを向けた。
 師弟の誓いの「7・3」。今再び常勝不敗の金字塔を築きゆけ!
 

池田先生の言葉

 七月三日とは、
 真正の弟子が決然として、
 また憤然として――
 一人、立ち上がる
 「師弟の日」だ!
 勇気凜々と、
 生まれ変わって
 戦いを開始する日だ!
  
 「誰か」ではない。
 「自分」である。
 自分が勝つことだ。
 自分に勝つことだ。
 その姿こそが、
 皆に勇気を
 波動させていく。
  
 引っ込み思案になって、
 臆病な生命に
 縮こまってはつまらない。
 同じ生きるのならば、
 勇気を奮い起こすのだ。
 愉快に、はつらつと
 打って出るのだ!
 大変な時こそ、
 良き友と
 励まし合いながら、
 師子奮迅の
 「信力」「行力」で、
 無敵の「仏力」「法力」を
 湧き出しながら
 断固として勝ち進むのだ!
  
 創価の師弟は、
 一人も残らず師子である。
 師子は臆さない!
 師子は負けない!
 師子は油断しない!
 師子は攻め抜く!
 師子は必ず勝つ!
  
 関西は、
 全世界の同志の
 憧れの天地だ。
 関西の前進を、
 全世界が見つめている。
 関西の勝利こそ、
 学会の勝利、
 世界の勝利なのだ。
 ゆえに、関西よ、
 わが大関西よ、
 これからも
 常勝の金字塔を、
 断固と頼む!
  
 世界広宣流布の前進は、
 これからが本番だ。
 胸を張って、
 わが情熱を伝えよう!
 声を大にして、
 信念を語ろう!
 そして、今こそ、
 創価の師弟の正義を
 満天下に
 示しゆこうではないか!
 
 
 

 ◆関西の歌「常勝の空」の動画はこちらから

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