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 楽聖の魂の調べは鳴り響く

2021年12月19日 | 妙法

〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第15回 楽聖の魂の調べは鳴り響く2021年12月19日

  • わが道を歓喜をもって走れ!

 日本の師走を彩る風物詩の一つに、ベートーベン作曲の「交響曲第9番ニ短調」の演奏がある。今年も列島各地で「第九」が高らかに鳴り響く年末を迎えた。
 ベートーベンは「極めて優れた作曲家・音楽家」を意味する「楽聖」といわれる。交響曲第5番「運命」や第6番「田園」など、彼が残した作品の数々は、今も多くの人を魅了する。
 池田大作先生は若き日から、楽聖の伝記などを読み、その生涯に強く共感した。友人たちから、“ベートーベン博士”と呼ばれ、近所の中学校の夏季学校に招かれて、楽聖に関する講義をしたこともあった。

オーストリアのウィーンに立つベートーベンの像。楽聖の生涯を通して、池田先生は述べている。「万策尽きたと言う前に、本当に万策を試してみたのか。千策も、いや百策だって本気でやってみたのか。行け。自分を信じよ」
オーストリアのウィーンに立つベートーベンの像。楽聖の生涯を通して、池田先生は述べている。「万策尽きたと言う前に、本当に万策を試してみたのか。千策も、いや百策だって本気でやってみたのか。行け。自分を信じよ」

 1949年1月3日、池田先生は戸田城聖先生が経営する出版社に初めて出社した。少年雑誌の編集に携わり、この年の5月には編集長となった。
 だが、不況に加えて、戦前からの大手出版社が雑誌の復刊などに乗り出した。出版物は過剰生産に陥り、同年12月、少年雑誌は休刊を余儀なくされる。
 戸田先生は新たな事業を開始したものの、暗礁に乗り上げた。翌50年8月には、業務停止が決定した。
 この窮地の時、池田先生が手回しの蓄音機で繰り返し聴いたレコードが、ベートーベンの「運命」だった。
 「ベートーベンの『運命』が、狭い一室に轟然と響きわたった時、その力強く厚い音の真っ只中に陶然として聴き入った感動は、今も鮮やかである」
 肺病による発熱。給料は遅配が続いた。絶体絶命の中で、レコードがすりきれるほど聴いた「運命」は、若き先生の魂を鼓舞したのである。
  
 53年1月2日、先生は25歳の誕生日を迎えたその日、男子部の第1部隊長に就任した。
 年末までに部隊1000人の達成へ向けて驀進していたある日、第1部隊の会合終了後、一人の青年が池田先生のもとへ来た。“男子部の役職をやめたい”という相談だった。
 青年は弱気になっていた。先生は、「逃げるんですか!」と一喝し、「一つ一つあきらめずに、力の限り挑戦していけば、すべてに勝利することができるものだ。私が応援するよ」と。
 それでも、青年は自信が持てず、意を決して、池田先生のアパートへ向かった。先生はその青年と銭湯に行った後、アパートでレコードを2曲かけた。スッペの「軽騎兵」序曲と、ベートーベンの「運命」である。レコードを聴くと、青年に語った。
 「悔しくとも、悲しくとも、また、どんなに大変でも、前へ、前へと進むんだ」
 青年は後に長野広布のリーダーとなる。この時の先生の励ましについて、「現在も私の心の中に生きている」と手記に残した。音楽を通した激励は、青年の心をいつまでも温め続けた。

池田先生が青年時代に使用した蓄音機と同時代のもの
池田先生が青年時代に使用した蓄音機と同時代のもの

 音楽家にとって、聴覚は命そのものである。その聴覚の異常を、ベートーベンが自覚するようになったのは、1798年ごろといわれる。
 ベートーベンは主治医の勧めで、1802年の半年間ほど、オーストリアのウィーン郊外に位置するハイリゲンシュタットに居を構えた。そこで、彼は幾つもの名曲を生み出した。
 ハイリゲンシュタットの建物は現在、ベートーベンの記念館に。1981年5月27日、オーストリア訪問の折、池田先生は記念館に足を運んだ。
 楽譜や手紙、肖像画など、先生は一つ一つを丹念に見学。記念館の関係者から一筆を求められると快く応じ、ペンを走らせた。
 「正義/青年時代に憧れの/大作曲家の家に来たる/ベートーベンと/常に生き語りし想い出を/思い出しながら/しばし、この地にたたずむ」
 この日、先生に同行したヨシオ・ナカムラさん。2年前の79年4月10日、次男のケイジさんが生後6カ月で亡くなった。すぐに東京から電報が届いた。池田先生からだった。
 「ダイショウニンノブッポウハ(大聖人の仏法は) シュクメイテンカンノブッポウデス(宿命転換の仏法です)」
 「フドウノシンジンニタチ(不動の信心に立ち) スベテヲヘンドクイヤクシテ(全てを変毒為薬して)……」
 同年4月24日、先生は第3代会長を辞任。ヨシオさんは、「最も大変な時に、日本から遠く離れた私と妻のヤスエのことを心配して電報を打たれた。先生が一人のために、どれほど心を砕かれてきたか。そのことを示しているのではないでしょうか」と振り返る。
 師の励ましは続いた。2003年10月5日、聖教新聞にベートーベンの記念館を訪れた思い出をつづったエッセーが掲載された。
 ヨシオさんとヤスエさんは目を真っ赤にしながら、紙面を読んだ。10月5日が、ケイジさんの25歳の誕生日だったからである。
 「生きよう。もう数えるな。自分に何ができなくなったかを。もう数えるな。自分の手からこぼれてしまった幸福の数々を。むしろ、自分にもまだできることがある。それだけを考えて生きよう」――エッセーの一文一文を胸に刻み、ナカムラさん夫妻は、オーストリア広布に突き進んだ。
 しかし、再び過酷な運命が待ち受けていた。2007年、創価大学に学び、オーストリアのテレビ局で働いていた長男のシンイチさんが、急性白血病で倒れた。先生は病床のシンイチさんに伝言を贈った。
 「シンイチ君。断じて生き抜け。皆が待っている。創大生が、学会員が世界中で待っている。絶対負けるな。笑顔で会おう」
 ステロイドの副作用で骨はもろくなり、両足にチタンを入れた。重度の貧血にも苦しめられた。それでも、生きることを諦めなかった。壮絶な闘病生活を続けて8年。シンイチさんはついに、社会復帰を果たした。
 長女のカヨコさんも、創価大学を卒業し、オーストリアの地で自他共の幸福の輪を広げる。
 難聴に苦しむベートーベンは、「僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない」(片山敏彦訳)と記した。
 師の激励を生きる力に変え、蘇生の階段を一歩また一歩と上ってきた、ナカムラさん一家。楽聖のような不屈の歩みを、現在も続けている。

ウィーン郊外にあるベートーベンの記念館を訪問(1981年5月27日)。難聴に苦しんだ楽聖が遺書を書いたことから“ハイリゲンシュタットの遺書の家”とも呼ばれる。池田先生は遺書の複製やピアノなどを見て回り、その生涯に思いを巡らせた
ウィーン郊外にあるベートーベンの記念館を訪問(1981年5月27日)。難聴に苦しんだ楽聖が遺書を書いたことから“ハイリゲンシュタットの遺書の家”とも呼ばれる。池田先生は遺書の複製やピアノなどを見て回り、その生涯に思いを巡らせた

 ベートーベンの肖像画を一度でも見たことがある人は多いだろう。バッハやモーツァルトなどの肖像画はかつらを着けているが、楽聖のそれは地毛である。
 音楽家はかつて、王侯・貴族の支援によって生計を立てていた。かつらは宮廷の仕事場において必需品だった。
 ベートーベンは王侯・貴族から自立した生活を望んだ。権力・財力など“力を持つ人間”にへつらうことを嫌った。楽聖は、自らの音楽は貧しい人々にささげられなければならない、と考えていた。
  
 1990年11月16日、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会が開催された。席上、富士交響楽団と創価合唱団によるベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の演奏・合唱が行われた。
 先生はスピーチで、「歓喜の歌」に言及し、いかなる苦悩も突き抜けて、人生の勝利と歓喜を勝ち開いていこうと訴えた。さらに、創立65周年には5万人、創立70周年には10万人で「第九」の合唱を提案。“ドイツ語でもやろう”と呼び掛けた。
 1カ月後の12月16日、宗門から「お尋ね」と題する文書が学会に送付されてきた。ドイツ語で「歓喜の歌」を歌うことは、キリスト教の神を賛嘆することであり、「外道礼讃」であるという的外れなものだった。そこには、宗門の「文化否定」の体質が如実に表れていた。
 宗門が文書を送り付けてきた12月16日は、くしくも、ベートーベンの生誕の日である。この日、一年の掉尾を飾る本部幹部会が行われた。
 先生は、ベートーベンが難聴という絶望の中で、作曲を続けた理由について、自らがつかんだ歓喜の境涯を、未来の人々のために分け与えたかったからであると語った。
 この年、世界では、東西に分断されていたドイツが統一。その前夜、東ドイツで行われた式典で「歓喜の歌」が合唱された。ドイツ語では「神々」との表現があるが、それは特定の宗教を示したものではない。哲学者の河端春雄氏は、「人間の内なる精神の極致、理想」と指摘している。
 「第九」は、宗派を超越し、人類の融和と勝利の象徴として、世界で歌われてきた。その普遍性を「外道礼讃」と否定した宗門は、閉鎖的な教団であることを自ら“逆証明”したのである。

本部幹部会の席上、池田先生がVサインを(1990年12月16日、大田池田文化会館で)。さあ、「青年・飛躍の年」へ! 歓喜の凱歌を轟かせよう
本部幹部会の席上、池田先生がVサインを(1990年12月16日、大田池田文化会館で)。さあ、「青年・飛躍の年」へ! 歓喜の凱歌を轟かせよう

 創立65周年に5万人、創立70周年に10万人で「第九」の合唱を――この師の提案を実現したのが、九州青年部だった。しかも、ドイツ語である。
 94年11月23日、福岡ドーム(当時)での「アジア青年平和音楽祭」で、5万人が「歓喜の歌」を合唱。2001年12月2日には、マリンメッセ福岡と九州の116会場、さらに東京の学会本部を生中継で結び、「アジア青年平和文化総会」が行われ、10万人の「歓喜の歌」が響き渡った。
 「5万人の第九」が決定した後、幾つもの課題が出てきた。なかでも、“5万人の混声合唱が一つになれるか”は最大のものだった。
 5万人がオーケストラの音を同時に聞くために、全員がレシーバーを耳に着けた。また、ロイヤルボックスから均等の距離で、合唱メンバーが扇形に並ぶようにした。さらに、各パートの歌声を一つにするために、合唱メンバーの指揮者を配置した。青年たちは、できる全てのことをやり抜いた。
 本番数日前に初めて行われた5万人のリハーサル。ロイヤルボックスで、歌声は見事に一つに溶け合った。本番は、より力強く、より崇高な響きをたたえた。
 音楽祭の終了後、先生は「数万の 若き歌声 世界へと 胸を貫き 飛びゆく美事さ」など3首の和歌を詠んだ。空はあかね色に染まっていた。先生は「この50年で、一番素晴らしい夕日だ」と。夕焼けは、九州青年部の勝利を現していた。
  
 「歓喜の歌」に、「走れ、兄弟たちよ、汝らの道を/凱旋の英雄のように歓びをもって」(渡辺護訳)と。
 2022年は、7年ごとの前進を期す「第2の七つの鐘」の4番目の鐘を打ち鳴らす出発の時である。
 進もう。師と共に、同志と共に。
 わが使命の道を、歓喜をもって。

苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!――5万人の青年が「第九」を高らかに歌い上げた、九州のアジア青年平和音楽祭(1994年11月23日、福岡ドーム〈当時〉で)。池田先生は、「九州は勝ったね! 完璧だった」と青年たちの奮闘を最大にたたえた
苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!――5万人の青年が「第九」を高らかに歌い上げた、九州のアジア青年平和音楽祭(1994年11月23日、福岡ドーム〈当時〉で)。池田先生は、「九州は勝ったね! 完璧だった」と青年たちの奮闘を最大にたたえた
【アナザーストーリー】

 1957年8月30日、本紙に「運命の人 ベートーヴェン」と題する記事が掲載になった。執筆したのは池田先生である。
 先生は、聴覚を奪われた中で、不朽の名作を残したこと自体が、楽聖の偉大さを物語っているとつづった。
 執筆1カ月前の7月3日、先生は権力の横暴によって、無実の罪で逮捕・勾留された。過酷な獄中闘争は17日まで続いた。
 8月上旬には、東京・荒川区で広布の指揮を執り、わずか1週間で区の会員世帯の1割を超える拡大を成し遂げた。
 激闘に次ぐ激闘の中で、先生は原稿を書き、紙面を通して同志に勇気を届けた。
 ベートーベンは、「おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」(片山敏彦訳)と書き残した。この言葉を通して、先生は述べている。
 「わが友は、その使命と責任の大きさゆえ、来る日も来る日も、忙しい。労苦も多い。しかし、だからこそ、幾百倍、幾千倍も充実した人生を生きている。この生命を最大に輝かせているのだ。
 この一年も『私は勝った!』『我らは勝った!』と、万歳の歓呼を共々に送り合おうではないか」

 
【引用・参考文献】中野雄著『ベートーヴェン』(文春新書)、ロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳(岩波文庫) 

 
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創価学会公式サイト特集㊦ 

2021年12月18日 | 妙法

創価学会公式サイト特集㊦ より使いやすくなったSOKAnet会員サポート2021年12月18日

 リニューアルされた「SOKAnet会員サポート」では、学会関連のサイトのコンテンツも閲覧可能となり、より使いやすくなった。ここでは、新たに加わった機能やおすすめのコンテンツを紹介する。なお、本ページは、創価学会公式サイトのトップページからもアクセスできる。(特集㊤はこちらから)


SOKAnet会員サポートはこちらからアクセスできます。
  
  

〈新版にも対応 御書全集・全文検索〉
「御書検索」は、「SOKAnet会員サポート」のトップページに設置されている
「御書検索」は、「SOKAnet会員サポート」のトップページに設置されている
「御書新版」全文検索のメニュー画面。トップページに表示されるアイコンからアクセス可能だ
「御書新版」全文検索のメニュー画面。トップページに表示されるアイコンからアクセス可能だ

 御書本文の検索ができる御書検索では、これまでの「御書全集」に加え、本年11月に発刊された『日蓮大聖人御書全集 新版』も検索可能に。語句、ページ数、題号の他、「十大部」「伊豆の門下へ」といった分類からも調べられる。また、「御書全集」と「御書新版」との「ページ対照表」も閲覧できる。
  
  

〈学会関連サイト検索〉

 「学会関連サイト検索」では、SOKAnet内のコンテンツはもちろん、聖教電子版や青年部サイト、未来部希望ネット、さらには、第三文明社や潮出版社などのサイトも含めた横断的な検索が可能になった。
  
  

〈活動別・目的別に探しやすく〉

 閲覧者のニーズに沿ったコンテンツに簡単にアクセスできるよう、活動別・目的別検索が設置された。例えば「目的別」の「学ぶ」をクリックすると、「月々の広布史」、「世界広布の大道」(YouTubeの聖教新聞公式チャンネル)、「Nichiren Buddhism Library」(御書などの英・西・仏訳を閲覧できるサイト)等が表示される。
  
  

〈おすすめコンテンツ〉
【お役立ち活動アイテム集】

 唱題表や入場整理券など、日々の学会活動に役立つアイテムを配信している。年賀状のひな型や明「青年・飛躍の年」のテーマスタンドなどをダウンロードすることもできる。
  
  

【小説『新・人間革命』『人間革命』要旨】

 池田大作先生が創価学会の歴史と師弟のドラマをつづった小説『新・人間革命』『人間革命』。それぞれの章の要旨を、挿絵付きで紹介している。
  
  

【座談会御書e講義】

 毎月の「大白蓮華」に掲載される座談会拝読御書の、講義動画を配信している。御文や通解、語句解説をまとめた資料に加え、講義の中で紹介された池田先生の指導のPDFデータも、ダウンロードできる。

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多宝の友へ

2021年12月14日 | 妙法

〈桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進〉第20回 多宝の友へ2021年12月14日

 本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第20回は、多宝の友に詠んだ「広宣の勝利者に贈る」(2001年)です。

尊き功労の友を励ます池田先生(1983年3月7日、愛知・渥美研修センター〈現・渥美会館〉で)。先生は「この多宝の方々が 世界の広宣流布の土台を 築いたのだ。 この功績と無量の功徳は 永遠であることは確かだ」とつづった
尊き功労の友を励ます池田先生(1983年3月7日、愛知・渥美研修センター〈現・渥美会館〉で)。先生は「この多宝の方々が 世界の広宣流布の土台を 築いたのだ。 この功績と無量の功徳は 永遠であることは確かだ」とつづった
君は宇宙と共に三世に永遠!

 おお
 偉大なる多宝の友よ!
 広宣流布に戦い抜いた
 尊き多宝の友よ!
  
 皆さまは戦った。
 そして
 皆さまは勝った。
 真っ赤な太陽と共に
 生き抜き
 戦い抜き
 偉大にして荘厳なる
 人生を飾られた。
  
 後悔なく
 人生の前進
 また前進をし抜いて
 最高に尊貴な宝冠を
 胸に抱きながら
 悠然として
 未来を高々と見つめながら
 あなたは勝った!
 人間の英雄である。
  
 君よ
 今日も
 歓びを認める日であれ!
 そして今日も
 いかに苦しくても
 美しく朗らかに
 足跡を残しゆく日であれ!
  
 ◆◇◆
  
 自身の勝利は
 人生の最終章の時に
 決定される。
 自身の幸福もまた
 その最終章で決まる。
 若くしての成功も
 若くしての幸福も
 幻である。
  
 勝ち誇った人生の
 今際の時の境涯が
 永遠の合図となる。
 「人生の勝負は
  死の数年前で決まる」とは
 著名な哲学者の言葉であった。
  
 ◆◇◆
  
 君の一生は
 自分を感動させながら
 無数の人々まで
 感動させ抜いた。
  
 卑劣な者たちまでも
 今となっては
 あなたの強き信念を
 見上げ
 自身の中傷・批判を
 覆しながら
 最敬礼をしている姿よ。
  
 あなたは勝った!
 あなたの人生は
 生ある限り 尊き仏天が
 行く道を荘厳する。
 さらに眠る時が来ても
 無数の鳥が
 舞い出でて歌い
 君のいるところ一帯は
 あらゆる国々の名曲が
 轟き響きわたって
 聞こえる。
  
 君には
 世の果てはない。
 宇宙と共に
 三世に永遠!
 わが一族も
 これまた
 三世に永遠!
  
 ◆◇◆
  
 おお
 生き抜こう!
 おお
 戦い抜こう!
  
 君も
 人生を躍れ!
 私も
 勝って人生を躍る。
  
 御聖訓には
 「上行菩薩の大地より
  いで給いしには
  をどりてこそ
  いで給いしか」と。
  
 優しく そして
 燃える忍耐で武装した
 壮麗なる わが友よ!
  
 無数に飛び交う
 あの白鳥を見つめながら
 堂々たる
 偉大な人生の勝利を
 金星の勝利を
 見せつけ給え!

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新たな山へ 使命の大空へ

2021年12月12日 | 妙法

新たな山へ 使命の大空へ 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2021年12月12日

 【写真説明】白雪をまとった峰がどこまでも続く。眼下に連なるアルプスの4000メートル級の山々に、池田大作先生はカメラを向けた。1994年(平成6年)5月、先生はドイツから空路、イタリアへ向かっていた。宗門の弾圧を堂々と勝ち越えて、平和行動の翼を広げ、縦横に世界を駆け巡っていた。
 今年の12月は、先生が九州・大分の地で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表して40周年。2030年の学会創立100周年へ、その第一歩を勝利で踏み出した私たちの前には今、「新たな広布の山」が広がっている。
 さあ、私の飛躍、創価の飛躍を期して、師と共に登攀を開始しよう!
 

池田先生の言葉

 一つの山を制覇したら、
 新たな山の踏破を!
 前進し、戦い続ける中に
 人間としての成長がある。
 人生の醍醐味がある。
 世界に平和と幸福の大道を
 広げゆく広宣流布は、
 人間として最極の聖業である。
  
 苦難の烈風に向かい、
 決してたじろぐことなく、
 高らかに飛翔を遂げていく――
 これこそが、学会精神だ。
 その心意気を忘れぬところに、
 発展と勝利がある。
  
 広宣流布に生きるとは、
 大きく利他の翼を広げることだ。
 そして、
 使命の大空に羽ばたく時、
 自身の境涯の飛躍があるのだ。
  
 民衆を、
 宿命や苦悩の鎖から解き放ち、
 自らの翼で使命の大空に
 羽ばたかせていく。
 それを可能ならしめるのは、
 一人一人への励ましの力だ。
 ゆえに、
 我らは民衆の中に飛び込み、
 人類を照らす
 希望と正義の哲理を
 語っていくのである。
  
 我らには、
 異体同心の信心がある。
 あらゆる壁を打ち破る、
 不屈の負けじ魂がある。
 無限の価値創造の大空を飛ぶ、
 慈悲と智慧の翼がある。
 さあ常勝のスクラムを
 さらに強く、
 勇気の前進、また前進だ!
  
 さあ、出発しよう!
 わが胸に
 広布の誓いを燃やせば、
 誰もが永遠の青年だ。
 その本因妙の生命で
 戦おうではないか。
 皆で“歓喜の凱歌”を
 高らかに歌いながら、
 金色に染まる
 新たな希望の大山に向かって!

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勇気の舞 凱歌の行進

2021年12月08日 | 妙法

桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進〉第19回 壮年部の友へ2021年12月8日

 本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第19回は、壮年部の友に詠んだ「誉れの人生航路」(1999年)です。

「滝の如く 激しく 滝の如く 撓(たゆ)まず」――壮年部の友は今、困難の時代にあって、“滝の如く”堂々と、勝利に向かって奮闘を続ける。師との誓いを果たしゆくために(池田先生撮影、1994年8月、青森で)
「滝の如く 激しく 滝の如く 撓(たゆ)まず」――壮年部の友は今、困難の時代にあって、“滝の如く”堂々と、勝利に向かって奮闘を続ける。師との誓いを果たしゆくために(池田先生撮影、1994年8月、青森で)
皆に希望を届ける人間王者たれ

 先師 牧口先生も
 恩師 戸田先生も
 誉れある壮年部の年齢であられた
  
 王冠もなく 名声もなく
 非難中傷を
 わが身に受けながら
 蓮祖の御聖訓どおりの
 法戦 また法戦に進んだ
  
 よく わが師
 戸田城聖先生は
 臆病者は去れ!
 去る者は去れ!
 批判する者は 勝手にせよ! と
  
 我らの燃えゆく生命体は
 大聖人に 直結して
 広布の魂に直結しゆく
  
 我らには慈悲の涙がある
 真昼の光の強さがある
 暗き困難なときにも
 美しき また尊き心がある
 ともあれ
 信心という 宇宙の宝石で
 包まれている
  
 ◆◇◆
  
 新中国の建設に身を捧げ
 革命に生きた周恩来総理も
 「勝利とは
  座して待つものでなく
  戦い取るものである」と
 年を重ねても
 心は壮んなり!
 常に闘争の先頭に立ちて
 自ら勝利の原動力となった
  
 広宣流布という
 人類最高の偉業に進む我らは
 断じて 臆してはならない!
 断じて 負けてはならない!
  
 我らが歩みを止めれば
 大聖人が悲しむ
 人類が 野蛮に破壊される
 つまり
 人類が 永遠の闇に包まれ
 不幸の流転と苦悩を
 さまよい続ける
  
 御聖訓にいわく
 「今 日蓮等の類い
  南無妙法蓮華経と唱え奉るは
  大風の吹くが如くなり」
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」
 なんと 悠然たる
 御聖訓であろうか!
  
 ◆◇◆
  
 君の心も 私の心も
 燃え続けながら
 高邁なる 来る年 来る年を
 また一日 また一日と
 生命の歴史を 綴っていくのだ
 最も この世で美しいものを
 見ながら 感じながら
 歌いながら!
  
 これだけ多くの宝友と
 心と心で交わった私たちは
 死後も 三世にわたって
 賑やかにして 楽しかろう!
 この生命の航路を僚友たちと
 ともどもに生き抜き
 両手を高々と挙げながら
 麗しき月に照らされゆくは
 なんと優美な
 なんと不滅な
 名誉なる足跡か!
  
 ◆◇◆
  
 壮年の方々は
 社会で勝たねばならない!
 職場で勝たねばならない!
 多くの人々と 信頼ある
 親交を持たねばならない!
 一家を 朗らかに大きく包む
 城でなければならない!
 頑健な身体で
 頑健な現実闘争に
 勝たねばならない!
  
 自己の生命は
 三世永遠に
 自己自身なのである
 ゆえに 自己自身を
 いかに鍛えるか
 向上させるか
 幸福にさせるか
 ここに
 人間革命の課題がある
  
 ◆◇◆
  
 心の広い人に!
 心の深い人に!
 心の温かい人に!
 心の強い人に!
 ここに 仏道修行の
 勝利の旗がある
  
 何処に行っても
 皆を安心させゆく柱たれ!
 皆に希望を持たせゆく 大人たれ!
  
 今いる わが場所が
 宝塔と輝きをもつ
 人間王者たれ!

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