〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 燃える命で飛躍の春へ2021年12月27日
師走になると、尽きせぬ感謝とともに思い起こされる恩師の和歌がある。
勝ち負けは
人の生命の
常なれど
最後の勝をば
仏にぞ祈らむ
これは、一九五七年(昭和三十二年)の十二月に、戸田城聖先生から私が賜った一首である。
先生が波瀾万丈の苦難を乗り越え、生涯の願業たる七十五万世帯の大折伏を遂に達成された時であった。だが、体調を崩されて悲願の広島行きも断念し、静養を余儀なくされていた。
私自身、夕張炭労事件や大阪事件をはじめ、熾烈な攻防戦の矢面に立ち続けた渦中である。冤罪を晴らす法廷闘争も始まっていた。
御書に仰せのごとく、三障四魔が紛然と競い起こり、学会が更なる飛躍を果たせるか否かの分岐点にあったといってよい。
ゆえに先生は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書一一六五ページ)との御聖訓を、自ら今一重深く拝された。
そして、何があろうとも、「師子王の心」で悠然と祈り、戦おう! 途中はどうあれ、最後は断じて勝とうではないか! 全学会員を勝たせようではないか!と、病を押して励ましてくださったのである。
不二の弟子として私は奮い立ち、強く固く決意した。
――一年また一年、世の毀誉褒貶を見下ろしながら、先陣を切って“次こそは”“来年こそは”と、広布の法戦に挑みゆくのだ。わが誉れの同志が一人ももれなく、一切を変毒為薬して「最後の勝」を飾りゆけるように道を開くのだ、と。
ゆえに私にとって、何よりの喜びは、創価家族の凱歌の人生にほかならない。
つい先日も、聖教新聞に、牧口常三郎先生と戸田先生の故郷である北海道の百三歳を迎える多宝のお母さまが、それはそれは神々しい笑顔で紹介されていた。
度重なる悲嘆を越え、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同二三四ページ)との一節を拝し抜いてきた生命が輝いている。
「私は勝ちました」との大勝利宣言に、妻と最敬礼して拍手を送った。日本中、世界中に光る、この「最後の勝」の晴れ姿こそを、私は報恩の誠として先師と恩師に捧げたいのである。
北海道、東北、北陸、信越、北関東、近畿、中国、さらに世界の北国、雪国の宝友の冬のご苦労が偲ばれる。
折から寒波襲来で大雪となり、皆様の無事安穏を祈らずにはいられない。
とりわけ、日の出前の暗く寒い中、聖教新聞を配達してくださる、尊き「無冠の友」の無事故を祈念するとともに、この一年の労に最大に感謝申し上げたい。
厚田の天地に念願の墓園が開園した折、北海天地の友と私は御書を拝読した。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を」(同一二五三ページ)と。
そして約し合った。
厳寒の逆境を勝ち越えた春の訪れにこそ、計り知れない希望と喜びがある。“法華経は冬の信心なり。冬は必ず春となるのだ”と確信し、粘り強く苦難への挑戦を繰り返そう、と。
この御書を頂いた妙一尼は、迫害が続く中、夫に先立たれ、病気の子らを抱えながら、必死に信心を貫き通した女性である。
世界の創価の女性たちが鑑としてきた母である。
妙一尼は、流罪の大難に遭われた佐渡の日蓮大聖人のもとへ、自らの従者を遣わし、お仕えさせてもいる。
その御礼を綴られた御返事が、今回、御書の新版に新たに収められた。
大聖人は、釈尊が過去世に積んだ身の供養と対比されながら、法華経の行者を護り抜こうとする妙一尼の気高い「志」を、大絶賛されているのである。
「志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや」(御書新版一六九三ページ)――あなたの志はすでに彼の人(過去世の釈尊)を超えています。未来の果報がどうして同じでないことがあるでしょうか――と。
今また、妙法の広宣流布のために異体同心で戦う創価の同志、なかんずく女性たち母たちが無量無辺の大果報に包まれゆくことは、絶対に間違いないのだ。
平和と共生の人華を爛漫と!
「冬は必ず春となる」に続けて、大聖人が引かれた法華経の一節がある。
「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(創価学会版法華経一三八ページ)
誰一人として置き去りにせず、救っていくのだ! 必ず救い切れるのだ!と。
日蓮仏法は、いかなる困難な壁も越え、万人成仏の妙法を全世界に弘め、一切衆生を幸福にすることを根本の誓願とした「広宣流布の宗教」である。
そして、あらゆる差別を排し、誰もが平等に仏性を具えた尊極の存在であると、一人ひとりが個性を生かし合い、尊敬し合う「人間主義の宗教」なのだ。
思えば、一九七九年(昭和五十四年)の五月三日朝、公式に第三代会長を辞する総会を前に、私は内外の策動を清風の心で見極めながら、筆を執った。
「桜梅薫 桃李香」(桜梅は薫り 桃李は香る)と。
大聖人が示された、厳冬を勝ち越えた凱歌の春に、「桜梅桃李」という平和共生の人華の園を、世界中に薫り香らせゆかんと、人知れず心に期したのである。
時は満ち、時は来りて、晴れやかな女性部の新出発とともに、いやまして多彩な自体顕照の幸のスクラムが広がり、嬉しい限りだ。
御本仏の平等大慧の御精神を踏みにじる権威主義、差別主義の邪宗門の衣の呪縛を解き放ち、正義の学会が「魂の独立」を果たして三十周年を迎えた。
あの一九九一年(平成三年)の秋から年末、私は、関西の兵庫へ、大阪へ、中部の愛知へ、第二総東京へ、わが故郷・大田区をはじめ東京各区へ、大聖人有縁の千葉、神奈川、静岡へ、そして埼玉へと、西へ東へ、動きに動いた。
その前進は、「文化音楽祭」など、創価の意気軒昂なる歌や舞と共にあった。
さながら「ま(舞)いをも・まいぬべし」「をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三〇〇ページ)と仰せ通りの民衆の躍動である。
文化や芸術は、人間性の多彩な開花であり発露だ。それを教条的、独善的な偏見によって排斥する、生命抑圧の宗門と決別し、我らは晴れ晴れと進んだ。そして文化の力で、世界の人びとを結んできたのである。
過日、八王子を訪れた際、彼方に秀麗なる白雪の富士を望むことができた。
富士のある静岡、山梨の友の不屈の同志たちのことが胸に迫る。ことに富士宮特区の友は、「魂の独立」三十周年の記念日に大歓喜で集い合った。
痛快なる民衆の勝利劇に、私も快哉を叫んだ。
“富士宮の不二の同志、万歳!”――と。
このほど、東海道の青年たちが、学会正義を師子吼して戦った先輩同志の闘魂を後世に残そうと聞き取り調査を行い、証言集として届けてくれた。その後継の心意気が誠に頼もしい。
「芸術は世界を一つに結びつけます」とは、楽聖ベートーベンの言葉である。
本年、コロナ禍に屈せず、創価グロリア吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、関西吹奏楽団、また、創価シャイニングスピリッツ、創価グランエスペランサ、創価ジャスティスウィングス、創価中部ブリリアンス・オブ・ピースなど、各地の音楽隊・鼓笛隊、さらに創価大学のパイオニア吹奏楽団等の活躍はめざましかった。
「創立の日」記念の本部幹部会でも、世界の青年部と音楽隊によるベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が、全学会に満々と「飛躍の息吹」を行き渡らせてくれた。
「第九」といえば、四国の徳島や、福岡はじめ九州の友が歌い上げた大合唱も忘れることはできない。
ベートーベンに、「フィデリオ」という歌劇がある。
「レオノーレ」という名の妻が「フィデリオ」という偽名で男装して牢獄内に潜入し、不当に捕らわれた夫を助けるストーリーである。
劇中、厳しい困難を前に、レオノーレは歌う。
「希望よ来たれ、疲れはてた人々の最後の星を消さないでおくれ。そして私の目標をてらしておくれ」
レオノーレの勇敢な行動は、夫を陥れた悪人までも「何という法外な勇気だ」と感嘆させていく。
最後には夫と全ての国事犯が釈放され、「高いよろこびの情熱でレオノーレの気高き勇気はたたえられよ」との大合唱が轟き渡る。
それは、苦闘の友を励まし、いかなる大悪も大善へと転じゆく、世界中の創価の女性たちへの喝采と響き合っているのだ。
“女性部一期生”の労苦もあろう。しかし一切は後世の感謝と称賛に変わる。その大確信で、どこまでも仲良く、朗らかに、楽しい前進を、お願いしたい。
激動のこの一年、最愛のご家族を亡くされた方々もおられるだろう。
大聖人は、母を追善する四条金吾に仰せである。
――亡き母は釈迦・多宝・十方の諸仏の御宝前におられて、「これこそ四条金吾殿の母よ母よ」と同心に頭をなでられ、悦び褒められていますよ、と(御書一一一二ページ、趣意)。
広宣流布の真正の闘士である学会員の父母たちも、家族眷属も、皆、永遠に、大聖人の御照覧に包まれ、三世十方の仏菩薩から讃嘆され、厳護されゆくことを誇りとしていただきたい。
「希望・勝利の年」から、「青年・飛躍の年」へ!
忍耐と充実の冬から、友情と福徳の爛漫の春へ! 沖縄の桜の開花も近づく。共戦の喜びを沸き立たせ、地涌の青年を先頭に、さあ前進だ!
新春に
誓い深まる
師弟かな
(随時、掲載いたします)
〈引用文献〉ベートーベンの言葉は『新編ベートーヴェンの手紙㊦』小松雄一郎編訳(岩波書店)、歌劇「フィデリオ」の話は『ベートーヴェン フィデリオ』(音楽之友社)より。引用の言葉は坂本健順訳。