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随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 新しき朝へ勇み進め

2020年12月25日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 新しき朝へ勇み進め  2020年12月25日

命を燃やして紅葉が輝く。赤い色素は、次の春に伸びる次世代の芽を有害な紫外線から守る働きがあるとも(池田先生撮影。11月26日、都内で)
命を燃やして紅葉が輝く。赤い色素は、次の春に伸びる次世代の芽を有害な紫外線から守る働きがあるとも(池田先生撮影。11月26日、都内で)
「創価」とは「希望」の光なり
我らの「価値創造」に限界はない!
 

 私は
  誰にも負けない
      紅葉かな
    
 かつて、人生と社会の戦野で奮闘する友に贈った句である。
 炎のように真っ赤な枝葉を広げる紅葉の姿は、あまりにもけなげで、凜々しく、まぶしい。
 何があろうが、誰が何と言おうが、断じて負けない――この不撓不屈の生命力が紅に染まったように見える。
 やがて大地に散り落ちた葉は土壌を豊かにし、次の春、仲間の木々が勢いよく新しい枝葉を伸ばし、生長するための力となっていく。鮮やかな紅葉は、命のバトンタッチを見事に成し遂げた勝ち鬨ともいえよう。
 まさしく、この試練の一年を耐え抜き、赤々と「負けじ魂」を燃え上がらせてきた、わが創価家族の英姿と重なり合う。
 友の身を案じ、無事を祈り、声をかけ、励ましを送る。自分ができることからと、賢く朗らかに足取り軽く行動する。
 いずこであっても、わが同志は「信心即生活」「仏法即社会」なりと一念を定めて実証を示し、世のため、人のため、家族のため、未来のために、粘り強く戦い続けている。
 真正の「地涌の菩薩」でなければ、決してなし得ぬ行動である。
 この「自他共の幸福」を願って動く、世界市民の連帯の壮大な広がりは、さながら御本仏が「地涌の義」と仰せの姿そのものであると、私は確信してやまない。
 なかんずく、尊い命を守らんと医療現場で戦い続けるドクター部、白樺の友をはじめ、社会・地域の最前線で、日夜、献身されている方々のご苦労をあらためて労いたい。
 また各界の識者からも“コロナ禍における希望と良識の言論”等と共鳴される聖教新聞を、日々配達してくださる「無冠の友」に感謝は尽きない。
 さらに、聡明に“新様式”で工夫しながら、会館での会合を運営し、同志を守ってくれた、男女青年部の創価班、牙城会、白蓮グループの皆さん、本当にありがとう!
 壮年部王城会、婦人部香城会、会館守る会、サテライトグループの方々をはじめ、広布の活動を支えてくださった全ての宝友の陰の戦いこそ、後世に語り継がれゆく創価の真実の姿なのである。

 

広布へ一人立つ
世界の平和と人々の幸福のために――共戦の同志と共に、久遠の師弟旅は未来へと続く(2001年11月、八王子市の創価大学で)
世界の平和と人々の幸福のために――共戦の同志と共に、久遠の師弟旅は未来へと続く(2001年11月、八王子市の創価大学で)

 栄光の学会創立百周年へ、“勝負の十年”を決する「希望・勝利の年」がいよいよ幕を開ける。
 「創価」とは、まさに無限の「希望」そのものだ。
 一九四五年(昭和二十年)七月、出獄した恩師・戸田先生は、戦禍の焼け野原に立たれた。
 先師・牧口先生は獄死。自らも衰弱し、事業は多額の負債を抱えていた。
 国中が絶望に覆われ、希望の欠片も見えない。その暗闇の世に、たった一人、「今こそ広宣流布の時なり!」と心を定め、学会再建の戦いを開始されたのだ。
 戸田先生は語られた。
 「南無妙法蓮華経は、永劫永遠の根本法則である。大宇宙の本源力であり、無上道である。
 ゆえに、この妙法を持ち、信じ、行動していく人に、断じて不幸はない。完璧なる幸福境涯になることは間違いない」と。
 この最極の希望の行進に、先生は地涌の若人を、一人また一人と呼び出していかれたのである。
 十九歳で先生の弟子となった私は、その後の学会存亡の危機にお供し、一九五一年(昭和二十六年)の五月三日、戸田先生の第二代会長就任の時を師弟して勝ち開いた。
 希望ある限り、道は必ず開ける。相次ぐ苦難をも飛躍の転機へと変えていける。その汲めども尽きぬ希望の源泉こそが、妙法の信仰なのだ。

 
楽聖がくせい逆境ぎゃっきょうから

 「自分に課せられていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない」
 今月、生誕二百五十周年を迎えた楽聖ベートーベンの言葉である。難聴を患い、音楽家の命である聴力が日ごとに失われる中で認められた。
 彼は聴覚を失っても、なお創造の使命を貫き、「第九」をはじめとする傑作を世に送り出した。いな、この逆境がなければ、「第九」も生まれなかったかもしれない。
 楽聖を楽聖たらしめたのは、“わが魂はこれに打ち勝たねばならぬ”との誓いの炎であった。
 人間の真価は、最大の逆境においてこそ鍛え顕すことができる。御聖訓にも「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と仰せの通りだ。
 ベートーベンは生涯、「情愛深い母」を慕い、感謝していた。母亡き後にも、「ああ、お母さんという美しい言葉を、私がまだ口にしていたり、それが聞こえたりしていた頃の私にも増して幸福な者があったでしょうか」と綴っている。
 ベートーベンが人類に贈ってくれた「歓喜の歌」も、母の慈愛あればこそ誕生したのである。
 明年は、「希望の太陽」たる婦人部の結成から、晴れの七十周年となる。
 どんな大変な時にも、微笑みを忘れず、皆を温かく包んでくれる創価の母たちに、私は、あの「歓喜の歌」を捧げたい思いである。

 
困難な時にこそ

 日蓮大聖人の御聖誕の八百年を前にした、この師走、木星と土星が仲良く大接近して、夕空に輝きを放った。
 実は、目に見えて、これほど近づくのは約八百年ぶりということだ。前回は一二二六年(嘉禄二年)で、数え年五歳であられた大聖人も御覧になったかもしれないと、ロマンは広がる。

 

今月22日、木星㊧と土星㊨が最接近して見えた。望遠レンズは土星の輪も捉え、木星の側には衛星も。二つの星が次に同程度に接近するのは60年後の2080年――学会創立150周年に当たる(同日夕、信濃町の総本部周辺から。本社カメラマン撮影)
今月22日、木星㊧と土星㊨が最接近して見えた。望遠レンズは土星の輪も捉え、木星の側には衛星も。二つの星が次に同程度に接近するのは60年後の2080年――学会創立150周年に当たる(同日夕、信濃町の総本部周辺から。本社カメラマン撮影)
 

 二十七年前(一九九三年)、御本仏御聖誕の二月十六日を、日本から地理的に最も遠い南米アルゼンチンの友と祝賀したことが思い出される。
 共々に「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり」(御書八八三ページ)の御聖訓を拝し、「心広々と太陽のように明るく、全国土、全民衆に希望の光彩を送ろう」と語り合った。
 その通り、アルゼンチンをはじめ中南米さらに全世界の同志は、「太陽の仏法」の大光でいよいよ社会を照らしている。
 同国の人権活動家エスキベル博士も学会の創立記念日にメッセージを寄せ、不安、絶望等の迷宮の中で大切なのは、異なる視点から“出口を見つける”力だと強調された。
 そして、「どうか、人生において笑顔を絶やさないでください。最も困難な時こそ、前進し続けなくてはなりません。私たちは常にその『希望の力』で、より良い世界を築くことができるのです」と語ってくださった。
 その希望の担い手として、博士が讃えられたのが創価の青年である。
 五大州を結んだ世界青年部総会を経て、男子部も、女子部も、学生部も、皆、新時代開拓へ先駆してくれた。未来部も立派に成長している。
 新たに始動した青年部の「新・人間革命」世代プロジェクトも、皆で最大に応援していきたい。

 
いざ「勝利」へ!

 この苦難の一年にあっても、後継の若人たちを先頭に、世界広布は確実に進んでいる。我らの価値の創造に限界はない。
 「大智度論」には、大乗菩薩の根本精神として、「大誓願あり、心動かす可からず、精進して退かず、是の三事を以て、名けて菩提薩埵と為す」と記されている。 
 第一に「広布の誓い」。
 第二に「不退の決意」。
 第三に「勇猛精進」。
 この三条件のもとで、我らの胸中に宿る偉大な力が脈動し始めるのだ。
 文豪ビクトル・ユゴーは、亡命の苦難の渦中、民衆へ呼び掛けた。
 「逆境にあっては、まさに、かく叫ばねばならぬ、『希望! 希望! また希望!』と」
 そして、「仏法は勝負」であるがゆえに、我らはいやまして誇り高く――「勝利! 勝利! また勝利!」と、勇んで出発しようではないか。新しき朝へ、元初の誓いの「希望・勝利の峰」へ!

(随時、掲載いたします)

 

 ベートーベンの言葉は『新編ベートーヴェンの手紙』小松雄一郎編訳(岩波書店)、青木やよひ『図説ベートーヴェン』(河出書房新社)。ユゴーは『ユーゴー全集9』神津道一訳(ユーゴー全集刊行会)=現代表記とした。