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小説「新・人間革命」学習のために 第23巻

2020年12月18日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第23巻 2020年12月18日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第23巻を掲載する。次回の第24巻は明年1月8日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 
教育はちからを引き出す労作業

 <1976年(昭和51年)4月、北海道に札幌創価幼稚園が開園した。山本伸一は折にふれ、園児たちを激励。また、教員たちも、創価の幼児教育の新しい道を開くため、奮闘していく>
 
 基本を教え込むには、忍耐強さが求められる。地味で目立たぬ労作業である。しかし、そこから、すべては開花していくのだ。
 
 子どもは、自分のことは、自分でできるようになりたいと思っている。
 
 入園当初、多くの園児が歓声をあげている時に、泣きだす子どもがいた。教員たちは、それは、集団生活の第一歩を踏み出そうとする子どもの、自己主張の声であると、とらえた。
 
 「なんで泣いているの?」教員が聞いても、すぐに答えは返ってこない。なだめながら、根気強く、笑顔で尋ねる。「泣かずに言ってごらん」ようやく、訳を話し始める。
 
 ――「靴が脱げないよう」「ボタンがとめられないよ」など、理由はさまざまだ。
 
 「大丈夫だよ。ゆっくりやってごらん」
 
 時間はかかっても、やり方を教えるだけで、代わりにやることはしない。「頑張ろうね。もう少しだよ」
 
 問われるのは、教員の粘り強さである。教育は、根比べでもある。“だめだ!”と、投げ出すことは、教員自身の敗北を意味する。
 
 人を育てることは、自分を磨き、自分を育てていくことでもある。
 
 できた時の、園児の顔は誇らかだ。自分のもっている可能性に気づき、その力を引き出した、喜びの表情だ。この達成感が、強さにつながっていくのである。
 
 (「未来」の章、68~69ページ)

 

人間的成長こそ学問の真価

 <85年(同60年)8月、創価大学通信教育部の夏期スクーリングでは、第10回学光祭が盛大に行われた>
 
 いよいよ山本伸一のあいさつとなった。彼は、ある著名な大学教授の、創価大学通信教育部への讃嘆の言葉を紹介しながら、今や、創大通教は、全国の大学の模範の存在になったことを語った。それから、学問に取り組む姿勢について、力を込めて訴えていった。
 
 「学問は、宇宙の真理の探究であり、そこには、王道はない。それゆえに、学問の道には、覚悟と努力、そして、強靱な探究心が必要とされます。“なんとかなるだろう”といった安易な気持ちでは、決して達成されるものではないことを知っていただきたい。
 
 大学を卒業したといっても、ただ大卒の資格を得ただけで、学問的にも、人間的にも、なんの成長もなければ、大学に学んだ意味はありません。それは虚像にすぎない。
 
 それに対して、真剣に学問に励んでいる人は、知性が輝き、人格も磨かれる。人間完成に向かって成長を遂げていきます。
 
 懸命に働きながら、通信教育での卒業をめざして、全力で精進する皆さんは、着実に学問を身につけ、また、深い人生を生き抜いておられる。そこには、人間の実像があります。その精進の日々は、すべて自身の財産となって、永遠に輝きゆくことは間違いありません。
 
 その意味で、諸君の姿は、まことに尊いし、私は、心から賞讃を惜しみません」
 
 伸一は、創立者として、真の人間の生き方を教えたかった。本当の人間の輝きとは何かを、通教生の魂に、深く刻んでおきたかったのである。それが人生哲学として確立されてこそ、学問を生かすこともできるし、人間の幸福もあるからだ。人間の道を教えることにこそ、人間教育のテーマがある。
 
 (「学光」の章、190~192ページ)

 

師と心を合わせ勝利へ前進

 <56年(同31年)、伸一は戸田城聖から、関西に広宣流布の盤石な城を築くことを託され、年頭から大阪に派遣された。以来、何度も関西指導を重ねていく。彼は自ら率先して、大阪中をくまなく回り、同志を励まし、一人一人の心に、勇気の炎をともしていった>
 
 伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。そして、こう訴えたのである。
 
 「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか!
 
 そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、“先生は、じっと見ていてくださる”“先生なら、どうされるか”と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
 
 広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
 
 自転車も、車軸にスポークがしっかりと繋がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
 
 伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。三月には、大阪支部が五千五世帯、堺支部が七百五十九世帯の弘教を達成。さらに四月、大阪支部は九千二世帯、堺支部は千百十一世帯の成果を収めた。
 
 戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
 
 「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
 
 (「勇気」の章、244~245ページ)

 

広布せいがんの祈りがきょうがい開く

 <76年8月、鹿児島の九州総合研修所を訪れた伸一は、清水・国分総ブロック合同の代表者勤行会に出席する>
 
 「祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです。広宣流布のために戦っている地涌の菩薩である師弟が、心を合わせて祈るんですから、願いが叶わぬわけがありません。
 
 広宣流布を誓願して、題目を唱えていくならば、それは、地涌の菩薩の祈りです。その時、わが生命は、地涌の菩薩の境涯へと開かれていくんです。ゆえに、その祈りには、諸天諸仏を、大宇宙を動かす力があり、自分も、ご家族も守られ、個人の願いもまた、成就していくんです。したがって、広宣流布を祈り抜いていくことが、自分の境涯を開き、願いを成就していく直道なんです。
 
 そして、決意、祈りは、具体的であることが大事です。“今日は、あの人に信心を教えたい”“この人を座談会に参加させよう”、あるいは、“信心の実証を示すために、就職を勝ち取らせてください”“元気に学会活動に走り回れるように、この病を治してください”といった明確な祈りです。
 
 祈りが叶えば、歓喜が湧きます。それがまた、新たな活力になっていきます」
 
 伸一の導師で、勤行が始まった。
 
 白馬が天空を駆け上がるような、生命の躍動感にあふれた勤行であった。
 
 (「敢闘」の章、364ページ)

 

戸田先生が発刊した月刊学習雑誌「小学生日本」
戸田先生が発刊した月刊学習雑誌「小学生日本」
 
戸田先生の通信教育

 <1976年(昭和51年)5月16日、創価大学の通信教育部の開学式が行われた。山本伸一は、大学の設立構想の時から、通信教育の開設を考えていた。それは、歴代会長の悲願の結実ともいうべきものであった。「学光」の章には、恩師・戸田城聖の通信教育事業について、つづられている>
 
 戸田は、一九四〇年(昭和十五年)一月に、月刊学習雑誌『小学生日本』の五年生向けを、四月に、六年生向けを創刊する。そのなかに、切り取って送ることのできる「誌上考査問題」を掲載している。届いた答案は、採点し、間違いを正し、考え方を指導し、批評して送り返すのである。
 
 戸田城聖は、『小学生日本』の「誌上考査問題」で、成績優秀者を誌上で発表し、メダルや記念品を贈った。そこには、次代を担う「宝」である子らの学習意欲を、少しでも高めたいとの、強い思いがあった。当初、考査問題に挑戦した児童は、五年生向けが約二千人、六年生向けが約三千人であった。
 
 発刊翌年の一九四一年(昭和十六年)春、国民学校令によって小学校が国民学校に変わったことから、『小学生日本』も『小国民日本』へと改題する。この年の十月号によれば、考査問題への応募者は、五、六年生合わせて、一万二千人を超えている。
 
 その後、戸田は、軍部政府の弾圧によって逮捕される。四五年(同二十年)七月三日に出獄し、事業の再建に取りかかった彼が、真っ先に着手したのが、戦争で学びたくても学べなかった青少年のための、通信教育事業であった。
 
 中学生(旧制)を対象にした半年間のコースで、月に二回、数学、物象(物理、化学、鉱物学などを包括した教科)の教材を送り、月に一度、試験問題の添削を行った。後に英語も加えられ、高等学校、専門学校(旧制)受験のための添削も始めている。
 
 申し込みと同時に、前金を納めるというシステムで、一日に八百通以上の申し込みが届いた日もあった。しかし、戦後の混乱期にあってインフレの影響を受け、紙代や印刷費が高騰し続け、通信教育事業から撤退せざるを得なくなったのである。
 
 “万人に教育の機会を与えたい。民衆が賢明にならずしては、本当の民主主義はない。それには教育しかない!”(中略)
 
 戸田は、山本伸一への個人教授の折にも、よくこう語っていた。「日本中、世界中の人たちが、学べるような教育の場をつくらなければならんな」
 
 その言葉を伸一は、遺言の思いで聞いた。
 
 (116~118ページ)

 

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