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番外編② 小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編

2020年12月09日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編② 小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編② 2020年12月9日

  • 連載<世界広布の大道>

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編②」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。
 

 
座談会

 組織の中心者や担当幹部が、全員が座談会に参加できるように、激励、指導に歩くことから座談会は始まるのである。
 個人指導に行けば、皆の要望や意見も聞ける。それぞれの特技や趣味もわかる。また、悩みや功徳の体験を聞くこともできる。
 それらを、企画などに反映させ、皆が主役となれるように工夫していくなかに、座談会の充実もあるのだ。

 さらに、座談会のあとの励ましが大事である。出席の労をねぎらい、発言を讃え、感想を聞き、次回の参加を呼びかけていくのである。

 また、伸一は、座談会の成功は団結にあることを確認し、中心幹部だけでなく、全員が主体者として立つことを訴えた。(中略)
 座談会では、皆が中心者の自覚で、信心の喜びや仏法のすばらしさを叫び抜くのだ。

 (第18巻「飛躍」の章、298~299ページ)
 

 

仏法対話

 「ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。

 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。

 種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。

 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。

 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです」(中略)

 彼は、言葉をついだ。
 「また、対話してきた人を入会させることができれば、何ものにもかえがたい、最高最大の喜びではないですか」

 (第13巻「北斗」の章、184ページ)

 

1968年(昭和43年)10月、山本伸一は静岡で座談会に出席する
1968年(昭和43年)10月、山本伸一は静岡で座談会に出席する
 
目標

 「広宣流布を進めるうえで大事なのは、常に目標をもつということです。目標がなければ、空虚になり、活動も空転してしまう。しかし、目標があれば、未来への希望が湧いてくるし、力も出る。

 また、みんなが、定めた目標を必ず達成しようと思うならば、おのずから、団結も生まれてくる。

 ところが、中心者に、“挑戦の心”と“強い生命力”がないと、たやすく達成できる目標を掲げたり、いい加減に目標を決めて、それを、みんなに押しつけたりするようになる。それでは、みんなが本気になって力を出すことはできない。

 だから中心者には、“挑戦の心”が、“強い生命力”がなくてはならない。

 さらに、自分一人になっても、この目標は達成してみせるという、偉大なる責任感がなければならない。リーダーの、その心意気に、気迫に打たれて、みんなも頑張ろうという気になるんです」

 (第9巻「光彩」の章、256~257ページ)
 

 
御書根本

 「『広布第二章』とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。
 言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。

 そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。(中略)

 新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を究めていくことが不可欠になる。その大生命哲学運動の起点が本年であります。

 教学という理念がない実践は、社会の人びとを納得、共感させる説得力をもちえず、自己満足に終わってしまう。

 また、実践のともなわない教学は、観念の遊戯であり、現実社会を変革する力とはなりません」

 (第17巻「本陣」の章、10ページ)

 

1973年(昭和48年)1月、学会本部で御書講義する山本伸一
1973年(昭和48年)1月、学会本部で御書講義する山本伸一
 
一家和楽

 「信心している人が懸命に祈っていけば、未入会のご家族も、いつか、必ず信心に励むようになります。決して、焦る必要はありません。(中略)

 なかには、自分が幹部で、子どもさんが一生懸命に信心していないことから、“幹部として恥ずかしい。皆に申し訳ない”と、何か後ろめたい思いでおられる方もいるかもしれない。(中略)

 しかし、負けてはいけません! 決して恥じることはありません。全部、深い意味があるんです。

 要は、子どもさんが信心に励み、幸せになれるように、強盛に祈り、日々、真剣に努力し抜いていくことが大事なんです。

 むしろ、子どもさんのことで、確信を失い、元気が出なくなってしまったり、学会活動に対して遠慮がちになってしまったりすることの方が問題です。それこそが、魔に破られてしまっていることだからです」

 (第27巻「求道」の章、360~361ページ)
 

 
逆境にいど

 「人間は、仕事がなくなってしまえば、落胆するし、ましてや、先が見えない状況になれば、無気力になったり、心がすさんでしまったりしがちです。

 その時に、生命力にあふれ、元気に、勇んで挑戦しようとする姿は、人びとに、かけがえのない勇気を与えます。勇気は、波動していきます。(中略)

 転職して、新しい仕事に就くとなれば、炭鉱での技能や経験は生かされない場合が多いでしょう。

 それだけに、挑戦心に富み、元気で、粘り強く、はつらつとしていることが大事になります。企業側も、悲観的で無気力な人を雇おうとは思わないものです。

 つまり、厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という“心の財”は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、“心の財”は壊されません。なくなりもしません。

 そして、“心の財”から、すべてが築かれていきます」

 (第25巻「福光」の章、89~90ページ)

 

1977年(昭和52年)3月、山本伸一は福島文化会館で友を励ます
1977年(昭和52年)3月、山本伸一は福島文化会館で友を励ます
 
山本伸一と各方面の友
北海道
三代会長有縁(うえん)の天地・北海道。1973年6月、山本伸一は懇談会で「広宣流布は北海道から」と呼び掛ける
三代会長有縁(うえん)の天地・北海道。1973年6月、山本伸一は懇談会で「広宣流布は北海道から」と呼び掛ける

 <北海道の歌「ああ共戦の歌」は、2008年(平成20年)、山本伸一が加筆し、「三代城の歌」となった>

 北海道は、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖が育ち、巣立っていった飛翔の舞台である。

 また、第三代会長の伸一が青年時代に、小樽で、札幌で、夕張で、勝利の旗を打ち立てた広布開拓の新天地である。広布の歩みには、どれ一つとして楽な戦いなどなかった。(中略)

 しかし、苦闘の果てには、燦然たる栄光が待っている。

 北海道は、永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共戦の大地であらねばならぬ――「三代城の歌」は、伸一の、その祈りの結晶であった。

(第28巻「大道」の章、224~226ページ)
 

 

関東
東京・日大講堂で行われた関東男子部総会で山本伸一は、友の敢闘に期待を寄せた(1973年3月4日)
東京・日大講堂で行われた関東男子部総会で山本伸一は、友の敢闘に期待を寄せた(1973年3月4日)

<1978年(昭和53年)11月、東京・信濃町での関東支部長会で、山本伸一は同志の奮闘をたたえた>

 「仕事や家庭のことなど、悩みと格闘しながら、同志のため、法のために、献身されている。
 時には“大変だな、苦しいな”と思うこともあるでしょう。(中略)

 しかし、だからこそ、勇んで戦い抜いた時には、最高の充実がある。爽快な歓喜がある。

 現実社会のなかで、自分に勝って、広宣流布の歩みを進めることが仏道修行なんです。(中略)

 広宣流布のために、自分の限界に挑み、殻を破っていくなかで、境涯は大きく開かれていきます。それが、広布の新しき拡大になります」

 (第29巻「力走」の章、136~137ページ)

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小説「新・人間革命」学習のために 第22巻

2020年12月04日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第22巻  2020年12月4日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第22巻を掲載する。次回の第23巻は18日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 
の団結が大願を果たす

 <1975年(昭和50年)7月、山本伸一は、戸田第2代会長の出獄30周年記念集会に出席。彼は在りし日の恩師をしのび、決意を新たにする>
 
 会長就任式の席上、戸田は、生涯の願業として、会員七十五万世帯達成の決意を発表。新生・創価学会は、広宣流布への新たな船出を開始したのである。
 
 戸田は、常に弟子たちに語っていた。
 
 「広宣流布は、この戸田がする。七十五万世帯は、戸田の手で達成する。君たちも手伝いたいか!」
 
 彼は、決して「戦ってくれ」とは言わなかった。自分でやると決めていたのだ。一人立ったのである。弟子たちは、「お手伝いをさせてください!」と、広宣流布の戦いに加わることを、戸田に誓願したのだ。だが、その戸田が、ある時、伸一に、こう語ったのである。
 
 「広宣流布は、お前がやるのだ。大聖人の仰せの通りに、立正安国の戦を起こせ! 手伝いをしている気持ちの者が、何万人集まろうが、本当の戦いはできんぞ!」
 
 戸田は、最終的には、自分と同じく、師子となって一人立つ弟子を、つくろうとしていたのである。そして、その範を示す使命を、伸一に託したのだ。
 
 広宣流布を成就する力は、師子の団結にある。傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では、勝利はない。“一切の責任を私がもつ!”と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ。
 
 自分がすべてを担う、主体者、責任者の自覚に立つ時、勇気がほとばしる。力が出る。英知が湧く。執念が燃え上がる。また、その勇猛果敢な実践のなかに、生命の躍動と充実と幸福がある。
 
 (「新世紀」の章、22~23ページ)

 

職場は自分みがく修行の道場

 <7月、伸一は「ブルー・ハワイ・コンベンション(大会)」に出席するために訪米。彼は運営に取り組むスタッフと語り合う。会社を辞めて手伝いに来たという青年が、不満そうな顔で語った>
 
 「その会社は、給料もあまりよくないし、私の力を認めようとしません。上司も、私の勤務態度が悪いとか、文句ばかり言います。題目をしっかり唱え、このコンベンションで頑張って、福運をつければ、もっとよい仕事に就けると確信しています」
 
 伸一の顔が曇った。本当の信心とは何かを、語っておかなければならないと思った。
 
 「辞めてしまったものは仕方がないが、その考えは誤りです。もちろん、唱題し、学会活動に頑張ることは大事です。しかし、懸命に働かず、ただ信心に励めば、もっとよい仕事が見つかるなどというのは、現実から逃げている姿です。その姿勢では、どんな仕事に就いても、同じ結果になるでしょう。
 
 『信心は一人前、仕事は三人前』やりなさいと、戸田先生は言われた。それが学会員の生き方です。また、大聖人は『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』(御書1295ページ)と仰せになっている。自分の仕事を法華経の修行であると思って、全力で取り組みなさいと言われているんです。職場の第一人者となり、信頼を勝ち得ながら、信心に励んでいくなかに、自身の成長があるんです。私もそうしてきました。連日のように深夜まで働きに働き、戸田先生の会社を支えてきたんです」
 
 (中略)
 
 日蓮仏法は人間革命の宗教である。自身の生命を磨き鍛えて、強く賢明にし、いかなる困難にも雄々しく挑戦し、勝利していくための信仰なのだ。
 
 (「潮流」の章、105~106ページ)

 
時間革命が価値そうぞうちから

 <9月、伸一は女子部学生局の幹部会で、夜の会合の終了時間を、午後8時30分とする「八・三〇運動」を提案した>
 
 「会合が早く終われば、家で勉強もできる。早く休むこともできる。広宣流布は長い戦いです。無理が重なり、疲れがたまれば、朝起きるのも辛くなり、生活も乱れがちになる。また、帰宅が遅くなれば、両親も心配するし、事件や事故に巻き込まれないとも限らない。御聖訓にも『よるは用心きびしく』(御書1164ページ)と仰せです。
 
 それらを、総合的に考えて、会合の終了時間を、午後八時半にしたいと思いますが、いかがでしょうか。賛成の人?」
 
 一斉に、皆の手があがった。(中略)
 
 山本伸一が提案した、会合の終了時間を午後八時半とする「八・三〇運動」は、翌十日の方面長会議で諮られ、決議されたのである。その夜、伸一に峯子は語った。
 
 「あなたが提案された『八・三〇運動』が決議されましたね。これは、大変な改革ですね。学会の時間革命に、また、一人ひとりの大きな価値創造につながります。
 
 婦人部や女子部の方も安心できますね」
 
 伸一は、笑顔で頷いた。
 
 「そうなんだよ。『八・三〇運動』がいかに大事であるかは、後になればなるほど、よくわかるだろうね。会合を早く切り上げるということは、その分、内容を充実させなければいけないということだ。一瞬一瞬を、これまで以上に、真剣勝負で臨むということだ。それが、価値を創造していく原動力になる」
 
 伸一と峯子は、日々、女子部や婦人部が絶対に無事故であるように、懸命に唱題してきた。その祈りの一念のなかで、女性の安全のために、夜の会合の終了時間を八時半にするという考えも生まれたのである。
 
 (「波濤」の章、273~276ページ)

 

こんなん宿しゅくめいてんかんのチャンス

 <11月、伸一は広島の呉を訪れた。伸一の訪問を待ち望んでいた同志に、彼は全力で励ましを送る>
 
 「長い人生であり、長い広宣流布の旅路です。いろいろな困難もあるでしょう。しかし、その時が、宿命転換の、人間革命のチャンスなんです。“負けるものか!”と、不屈の闘魂を燃え上がらせて、信心を貫いていくことです。そして、ひたぶるに、お題目を唱え、広宣流布に走り抜いていくんです。信心に行き詰まりはありません。私も、唱題第一で、ここまできました。
 
 祈れば、自分が変わります。己心の仏の生命が開かれ、周囲の人も変えていくことができる。さらに、大宇宙が味方します。
 
 ところが、いざ困難に出くわし、窮地に立たされると、“もう駄目だ”とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。
 
 闇が深ければ深いほど、暁は近い。ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していくんです」
 
 彼の声に、熱がこもっていった。
 
 「生死即涅槃と説かれているように、人生には、常に苦悩があります。仏も、一切衆生を救うために、悩み抜かれています。悩みがなくなってしまったら、人生は全く味気ないものになってしまう。おなかが空くから、ご飯がおいしい。月給が安くて生活が大変だから、昇給すれば幸福を感じる。大変さのなかにこそ、喜びがあるんです。
 
 成仏というのは、なんの悩みもなく、大金を持ち、大邸宅に住むことではありません。大歓喜にあふれ、生命が脈動し、何があっても挫けない、挑戦の気概に満ち満ちた境涯のことです。広宣流布に生き抜くならば、一生成仏は間違いありません」
 
 伸一は、皆に、断じて幸福になってほしかった。信心の醍醐味を実感してほしかった。皆が、人生の勝利者になってほしかった。
 
 信仰とは、希望である。常に、新しき心で、新しき明日に向かい、さらに、新しき前進を開始する力である。
 
 命に及ぶ数々の大難をものともせず、「然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と、新しき戦いを起こされた日蓮大聖人の大精神こそが、「創価の心」である。そして、そこに、人生の幸福への大道がある。
 
 (「命宝」の章、391~393ページ)

 
心のたから

 <1975年(昭和50年)9月15日、創価学会本部でドクター部の第3回総会が開催された。席上、山本伸一は、「崇峻天皇御書」の一節を拝して、「心の財」の大切さについて指導する>
 
 心は見えない。しかし、その心にこそ、健康の、そして、幸福のカギがある。
 
 心の力は無限である。たとえ、「蔵の財」や「身の財」が剝奪されたとしても、「心の財」があれば、生命は歓喜に燃え、堂々たる幸福境涯を確立することができる。
 
 「心の財」は、今世限りではない。三世にわたり、永遠にわが生命を荘厳していく。それはまた、「蔵の財」「身の財」をもたらす源泉ともなる。
 
 人間の本当の幸福は、蔵や身の財によって決まるのではない。心の豊かさ、強さによって決まるのだ。どんな逆境にあろうが、常に心が希望と勇気に燃え、挑戦の気概が脈打っているならば、その生命には、歓喜と躍動と充実がある。そこに幸福の実像があるのだ。
 
 流罪の地・佐渡にあって、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360ページ)と言われた、日蓮大聖人の大境涯を知れ! また、獄中にあって、「何の不安もない」「心一つで地獄にも楽しみがあります」と言い切る、牧口常三郎初代会長を思え!
 
 わが生命から込み上げてくる、この勇気、希望、躍動、充実、感謝、感動、歓喜……。
 
 これこそが「心の財」であり、私たちの信仰の目的も、その財を積むことにあるのだ。
 
 いわば、それは幸福観の転換であり、「幸福革命」でもあるのだ。
 
 山本伸一は、情熱を込めて訴えた。
 
 「『心の財』は、精神的な健康です。『心の財』から、生きようとする意欲が、希望と勇気が、張り合いが生まれます」
 
 その「心の財」は、人びとの幸福のために、さらに言えば、広宣流布のために生きることによって、築かれるのである。
 
 (「命宝」の章、334~335ページ)

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第22巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第22巻「解説編」はこちら

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第4回 鎌倉時代の感染症との闘い

2020年12月03日 | 妙法

〈危機の時代を生きる――創価学会学術部編〉第4回 鎌倉時代の感染症との闘い 2020年12月3日

 

  • 創価大学法学部教授 小島信泰さん

 感染症は、鎌倉時代にも流行していたことが知られている。その中で、日蓮大聖人やその門下たちは、いかに立ち向かっていったのか。「危機の時代を生きる――創価学会学術部編」の第4回のテーマは、「鎌倉時代の感染症との闘い」。創価大学法学部教授で、日本法制史・仏教史が専門の小島信泰さんの寄稿を紹介する。

 

 
歴史を学ぶことは将来のかて

 人類を何度も脅かしてきた感染症。日本も例外ではなく、古代から今日に至るまで、感染症との格闘の連続であった。しかし、学校教育で学ぶ歴史は、政治史が中心で、いかに多くの尊い命が感染症によって奪われてきたのかに目を向けることは少ない。
 
 そもそも、私たちは日頃、過去の歴史と、どう向き合っているのか。つらい過去は早く忘れて、未来を向いて生きたいと思うのが常ではないだろうか。しかし、過去を変えられなくとも、過去に学ぶことの中から私たちが今直面している現実の本質を知り、新しい未来を創造していくことができる。
 
 日蓮大聖人は、仏法の教えによって人々の幸福、社会の平和、国家の繁栄を説かれたが、大聖人御在世当時にも、疫病の流行という現実が立ちはだかっていた。その苦境の中での大聖人と弟子たちの奮闘を振り返ることは、これからの私たちの将来の糧となる。
 
 その意味から、ここでは、鎌倉時代の感染症との闘いに焦点を当てて考察したい。

 

「道理」を重んじた社会

 鎌倉時代は、武家社会が確立した時代であった。当時の書状や古文書には、「道理」という言葉が頻出する。道理とは、主従関係を中心とする武家社会の秩序を貫く生活規範でもあり、鎌倉時代の武家法である「御成敗式目」も道理を成文化したものとされている。しかし、道理の根本を何に求めるべきかについては確たる基準がなかったと考えることができる。
 
 鎌倉時代初期の天台僧・慈円は史論書「愚管抄」を著し、歴史上の出来事も道理によってもたらされているとした。乱れ始めた現世のありさまを、「末の世の道理」の現れとしており、いわゆる末法思想の端緒の一つとしている。

 

えきびょうで人々ののうじゅうまん

 平安時代末から鎌倉時代にかけて飢饉や疫病のほか地震などの自然災害も頻発し、末法思想が現実味を帯びていった。そのことは、鴨長明の「方丈記」などにも記されている。人々の苦悩が充満する中、鎌倉幕府は疫病に対してなすすべがなく、仏教諸宗や神道による救済に頼るしかなかった。幕府は経典の書写供養、密教による祈とうや神社への奉幣を進めていったが、人々の苦悩は一向に収まる気配がなかった。
 
 この時代の疫病は、天然痘や麻疹、近代以降に命名されたインフルエンザなどであったと考えられているが、当時は疫鬼・鬼霊・邪気といったものが原因と考えられており、そのため神仏への祈願が盛んに行われたのである。
 
 また、鎌倉時代は改元が多かったことが知られている。そこには現在と同じく、天皇の即位に伴うものも含まれるが、当時は“元号を変えることで穢れが払われ、災難がやむ”と考えられており、天変地異や疫病などの理由で改元されることがあった。

 
大聖人が訴えた法華経の重要性

 当時の諸宗も、それぞれの立場で疫病対策をしたが、今世を否定的に見て死後の世界に救いを求めたり、他者を顧みずに自己中心的な教えに終始したり、呪術的な祈とうによってその場限りの結果を求めたり、はたまた厳しい戒律一辺倒で非日常的な解決を図ったりといった内容で、このような対策では、個々の人間に平等に内在する尊極の生命を開花させることはできず、困難に立ち向かう勇気や決意を湧き立たせることもできず、ついには人々を混乱させ、かえって疫病を蔓延させることになってしまったのである。
 
 これに対し、大聖人は法華経に説かれた「仏法の道理」にのっとった御教示をされている。
 
 具体的に言うと、あらゆる仏教経典を読破された大聖人は、法華経こそが一切衆生の久遠の生命を説いた尊極の経典であることを明らかにされ、諸宗の迷妄は全て法華経を第一にしていないことに起因していると破折された。
 
 諸宗の権威と幕府の権力は、互いに依存し合い、仏法の道理を探究することもなく混迷していた。それはまさに「末世の僧等は仏法の道理をば・しらずして我慢に著して師をいやしみ檀那をへつらふ」(御書1056ページ)ような状況であった。そこで大聖人は、幕府の最高権力者・北条時頼に対し、その誤りを諫めるため、「立正安国論」を上呈されたのである。 

 

御書「仏法と申すは道理なり」

 大聖人は国家権力に対して勇敢に挑む一方、門下の一人一人に対しては個々の状況に応じたこまやかな指導・激励に徹された。
 「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(同1169ページ)とは、弟子の四条金吾が主君の勘気(とがめ)を受けた苦境の際に送られた言葉である。
 
 「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ」(同1295ページ)との仰せにもある通り、「主に勝つ」とは、主君の信頼を勝ち得ることを意味する。今日の私たちにとっては職場や地域の信頼を得て社会に貢献することが仏法の道理であり、それは勇気ある祈りを通して勝ち取っていくものである。
 
 厄年の不安を訴えた金吾の妻に対しては、「弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」(同1135ページ)と、確信の祈りの中にこそ仏界の生命が涌現すると、仏法の道理をもって激励されている。
 
 娘の病気を報告した門下に対しては、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや(中略)法華経の剣は信心のけな(勇)げなる人こそ用る事なれ」(同1124ページ)と激励された。何者をも恐れぬ師子のように、病に勇敢に立ち向かっていく勇気ある信心を勧められている。

 

自らの健康を守り、民衆に同苦する

 法華経の祈りは世間法の道理にも通じ、あらゆる智慧を生かしていく力を持っている。大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(同254ページ)と仰せである。
 
 大聖人の身延入山後の生活は、厳しい寒さに加え、長雨や降雪があれば、山中への食糧の運搬も滞り、窮乏生活を余儀なくされた。また老齢のためか、健康を損なわれることもあったようだ。そのような状況下で、大聖人の治療に献身したのが、医術の心得があった四条金吾であった。大聖人は、金吾が処方した良薬によって病状が改善したことを、たびたび書状に記されており、「教主釈尊の入りかわり・まいらせて日蓮をたすけ給うか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり」(同1179ページ)、「日蓮が死生をば・まかせまいらせて候」(同1182ページ)と心温まる謝辞を送られている。また病に悩む門下には、金吾は「善医」(同985ページ)であると紹介されている。
 
 金吾は薬の処方だけではなく、秋の旬の時期には新鮮な柿を、月日のたった頃には、より滋養のある「串柿(干し柿)」を供養するこまやかさであった。柿に感染症の予防効果があることは本連載の第3回(11月6日付)でも紹介された。まさに師弟一体となって、当時の医学と生活法を生かし切る智慧の闘いをされたのである。
 
 現代の私たちも、健康を勝ち取るために食事や睡眠、運動など、それぞれの置かれた環境で、最善の努力を地道に積み重ねていくことこそが、道理に貫かれた法華経の実践となる。

 

冬の保存食・干し柿が軒先に(徳島・つるぎ町)。四条金吾も大聖人に供養した
冬の保存食・干し柿が軒先に(徳島・つるぎ町)。四条金吾も大聖人に供養した

大聖人が「立正安国論」を上呈された思いは、「安国論御勘由来」に「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(同35ページ)と記された通り、苦しむ民衆を救済せんがためであった。
 
 大聖人の祈りの根底には、常に民衆への同苦があった。その思いを「大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり」(同721ページ)とも表現されている。
 
 大聖人の慈悲の祈りと行動は、後世の日本人にも大きな影響を与えた。生涯、法華経信仰を貫いた宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『宮澤賢治全集12』所収「農民芸術概論綱要」筑摩書房)との言葉も切実に響いてくる。コロナ禍の中に置かれた私たちもまた、自身の健康だけでなく、感染者の平癒と医療従事者の安全を真剣に祈っていきたい。これも、仏法の道理からの自然の発露なのである。

 

希望を開くちからは日々の祈りに

 今、私たちが置かれている状況がいかに厳しくとも、大聖人の行動や思想からは、人の命を支える内発的な力は全ての人に備わっていて、その力を信じ、涌現させていくことが真の信仰であるという真実を学ぶことができる。
 
 大聖人にとって、仏法とは「道理」である。ここで注目すべきは、道理とは私たちの信仰に根差しており、信仰とは日々の祈りにある。祈りとは、現実を見据えていかなる困難をも乗り越えていく力であり、未来を切り開いていく希望である。

 
〈プロフィル〉

 こじま・のぶやす 1957年生まれ。創価大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学、東北大学)。専門は日本法制史・仏教史。創価大学法学部専任講師、同助教授を経て現職。その間、駒澤大学法科大学院非常勤講師、都留文科大学非常勤講師、英国ロンドン大学SOAS客員研究員を歴任。東洋哲学研究所委嘱研究員。創価学会学術部員。副支部長。

 

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青年部が原田会長に聞く Ⅲ部〉第13回

2020年12月03日 | 妙法

〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅲ部〉第13回 世界宗教・創価学会への飛翔③  2020年12月3日

〈出席者〉志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長
師弟不二、死身弘法の精神を継承
 
「三代会長」は広布の「永遠のしょう

 ◆樺澤 2015年(平成27年)11月、「創価学会『勤行要典』」が新たに制定されました。
  
 ◇原田 「創価学会『勤行要典』」の制定は、世界宗教として、さらなる飛翔の「時」を迎え、日蓮大聖人の仏法の本義に基づき、創価学会の宗教的独自性をより明確にするためのものです。
 池田先生のご了承をいただいた上で、会則に則り、師範会議と最高指導会議の賛同を得て、制定いたしました。
  
 ◆大串 御祈念文については、「御本尊への報恩感謝」「三代会長への報恩感謝」「世界広宣流布の祈念と回向」との項目となり、「三代会長への報恩感謝」が独立した項目になりました。
  
 ◇原田 「御本尊への報恩感謝」は、「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」に深く感謝申し上げ、御本尊根本の信心を誓います。また、御本尊を顕された日蓮大聖人を「末法の御本仏」と仰ぎ、報恩感謝申し上げ、大聖人直結の信心を誓います。さらに、日興上人が御本尊根本の大聖人の教えを正しく継承されたことに報恩感謝します。
 第二の項目は、世界広宣流布の潮流を永遠ならしめるため、牧口常三郎先生、戸田城聖先生、池田大作先生の「三代会長」のお名前を入れるとともに、「三代会長」を「広宣流布の永遠の師匠」として仰ぐことを明確にしました。
 学会が世界広布を実現しゆくには、「三代会長」に貫かれる「師弟不二」「死身弘法」の「学会精神」を永遠に継承していく以外にありません。
 そのためにも、日々の信仰実践の中で、「三代会長」を「広宣流布の永遠の師匠」と仰ぎ、師弟不二の信心を確認していくことが重要です。そうした趣旨から、「三代会長」の死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げるとともに、その指導を実践し、その精神を受け継ぐことを誓うのです。
  
 ◆樺澤 「世界広布」を進める上において、海外のメンバーから「御祈念文」についても、より分かりやすいものにしてほしいとの要望があったと聞きました。
  
 ◇原田 かつて御祈念文の中に、「初代、二代、三代の会長」という表現がありました。当時、池田先生に『初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生』と記したいとお願いしましたが、先生からは「今は待ちなさい。物事には時が大切なんだ」との話があり、「初代、二代、三代の会長」という表現になったのです。私たちには、「師弟不二の信心」の継承を明確にし、“万代の広布のためにも、いつかは、お名前を記したい”という思いがずっとあり、15年の制定に至ったのです。
  
 ◆西方 2010年から、いよいよ池田門下の弟子が全責任を担い、広宣流布を進める時代に入りました。そうした中で先生は、広宣流布大誓堂が完成5周年を迎えた折、「私は、かけがえのない一人ひとりを、いやまして大切に励まし、育てながら、じっくりと時を創り、21世紀の第二の『七つの鐘』を絢爛と打ち鳴らしゆく」との決意で戦ってこられたとの真情を披露されています。
  
 ◇原田 さらに、「時は満ちて、今、この大誓堂を中心として、日本中、世界中に、『広宣流布の大願』を掲げた青年が澎湃と躍り出ております。そして『師子王の心』で結ばれた『異体同心の団結』は、ますます揺るぎなく、桜梅桃李の人華を爛漫と咲かせ、平和と人道の世界市民の大連帯を広げているではありませんか!」と訴え掛けてくださいました。
 まさしく、先生が一人一人を励まし、育て、「時」を創ってくださり、世界広布の新時代が到来したのです。
  
 ◆志賀 15年、学会の勤行要典が制定された時、会則前文が全般的に見直されました。
 前文は、「釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された。末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し、未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに、世界広宣流布を御遺命された」との一節から始まります。
 そして、次のようにあります。
 ――池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された――
  
 ◇原田 会則前文の見直しは、末法万年にわたる世界広布の未来を見据え、万代に崩れざる学会の基盤を、一層強固にするために行いました。
 先生は、創価学会が「魂の独立」を果たした1991年11月28日の17日後、12月15日に東京・大田にて、「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されました。
 御聖訓に「閻浮提内広令流布」(御書1467ページ)と仰せです。この御文の通り、大聖人の仏法を世界に広宣流布する、唯一の仏意仏勅の教団が創価学会であることを、先生は「魂の独立」宣言直後に再確認される意味を込めて、後世のために書き記してくださっていたのです。
 そして今、「三代会長」の死身弘法の闘争により、御聖訓が現実となり、地球を包む世界広布の大興隆の「時」を迎えているのです。

 

牧口先生、戸田先生、池田先生の「三代会長」と「広宣流布大誓堂」の威容が描かれた画「創価師弟三代勝利城」(内田健一郎作)
牧口先生、戸田先生、池田先生の「三代会長」と「広宣流布大誓堂」の威容が描かれた画「創価師弟三代勝利城」(内田健一郎作)
 
未来のきょうてんには
創価学会ぶつの名

 ◆林 2016年11月には、会則に「創価学会仏」との言葉が加えられ、学会の宗教的独自性がさらに明確になりました。
  
 ◇原田 この年の7月の全国最高協議会へのメッセージの中で、池田先生は「御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。戸田先生が『創価学会仏』と言い切られたゆえんである」と言われました。
 これは学会の宗教的独自性を明確に宣言するものです。そこで、会則に記載する運びとなったのです。
 具体的には、「創価学会は、大聖人の御遺命である世界広宣流布を唯一実現しゆく仏意仏勅の正統な教団である」「日蓮大聖人の曠大なる慈悲を体し、末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。ゆえに戸田先生は、未来の経典に『創価学会仏』と記されるであろうと断言されたのである」との文言です。
 先生は、“広布を推進しゆく創価学会が仏の存在であり、創価学会なくして広布はなく、学会を守ることが広布を永遠ならしめることである”とも言われました。
 これは学会にとって、未来にわたり重要なご指導です。
  
 ◆林 「創価学会仏」について先生は、小説『新・人間革命』第30巻「大山」の章で詳述されています。
  
 ◇原田 まず戸田先生が、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と話されていたこと。
 そして、法華経不軽品に登場する「威音王仏」という名前の仏を通し、池田先生は指導してくださいました。
 「この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も『威音王仏』といった。そして『是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり』(法華経556ページ)と記されている。つまり『二万億の仏』が、皆、同じ『威音王仏』という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ」と。
  
 ◆西方 戸田先生は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と鋭く洞察されていました。
  
 ◇原田 ここが重要です。
 個人の今世の寿命は限られています。しかし、広布に戦う精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになります。
 つまり、「創価学会仏」とは、三代の師弟に連なり、広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いのことです。
 池田先生は、「学会は、『創価学会仏』なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。また、それゆえに、第六天の魔王は、牙を剝いて襲いかかるのである」とも記されています。御聖訓に照らし、魔の勢力から嫉妬され、憎悪され、迫害されることは、日蓮仏法を正しく行じている証左です。この60年、池田先生は、その一切の矢面に立ち、今日の広宣流布の大河の流れを勝ち築いてくださいました。

 

“センセイ! 必ず勝利します!”――海外の友の呼び掛けに応える池田先生(2010年3月、都内で)
“センセイ! 必ず勝利します!”――海外の友の呼び掛けに応える池田先生(2010年3月、都内で)
 
「センセイ」は
すでに世界共通語

 ◆志賀 この新たな会則で、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする」と明記されました。
  
 ◇原田 前年の15年の会則で、「『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である」と定めたことに伴い、その敬称を明確にしたのです。
 戸田先生は、「(学会は)三代までが、万年の土台となる」と言われ、さらに「(第3代会長が)広宣流布のすべての指揮を執り、世界広布の教えを、すべて残してくださる」「第3代会長の教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるようになっている」とも言及されています。
 初代、二代、三代の会長のご指導通りに進んでこそ、学会は発展し、広宣流布は進んでいきます。これこそが、学会永遠の根本軌道です。
  
 ◆大串 海外の同志も皆さんが、「センセイ」と呼んでいます。「センセイ」は、世界共通語です。
  
 ◇原田 そこには、“池田先生が不惜身命の闘争で世界広布の道を開いてくださったからこそ、遠く離れた国の私たちも仏法に出あうことができた。これだけ幸せになれた。地球上に人間主義の哲学が広まった”という感謝と尊敬の念が込められています。
 こうした現実も踏まえながら、聖教新聞等の表記につきましても、原則、「牧口先生」「戸田先生」「池田先生」の敬称を使用していくことになったのです。
 学会は万代にわたって、「三代会長」を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、異体同心の団結で、仲良く朗らかに、「大法弘通慈折広宣流布」の大願の道を進んでいきたい。

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小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編①

2020年12月02日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編① 2020年12月2日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編①」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。

 

みなが主役

 「広宣流布の大河も、日蓮大聖人お一人から始まりました。創価学会も、最初は牧口先生と戸田先生のお二人であったが、今では、世界に広まりました。ヨーロッパも、(中略)大発展することは間違いありません。
 
 だが、それには、互いに人を頼るのではなく、皆が一人立たなければならない。
 
 “私がいる限り、たとえ自分一人になっても、絶対に広宣流布をしてみせる。必ず勝つ!”と、師子となって戦い続ける人が、何人いるかです。その一人の発心、一人の勝利が積み重なってこそ、大勝利がある。
 
 したがって“時代を開く”“歴史を創る”といっても、特別なことではない。一人ひとりが自分の決めた課題に挑み、今日を勝ち抜くことです。(中略)それぞれが広布の主役であることを自覚し、信心のヒーロー、ヒロインとして、果敢なる挑戦のドラマをつくっていただきたいのであります」
 
 (第12巻「新緑」の章、63~64ページ)
 

 

リーダー率先

 勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。(中略)山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの“山本伸一”をつくり出していったのである。
 
 共感することによって、行動するのが人間である。ゆえに、リーダーが臆し、ずる賢くなって、率先して行動せずに、皆を動かそうとしても、動いてくれるわけがない。すると、リーダーは焦りを感じて、その言動は、ともすれば、威圧的、命令的になっていく。そして、組織は、重く、暗くなり、人心は、ますます離れてしまうことになる。
 
 それに対して、率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの“やる気”を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
 
 ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。
 
 (第23巻「勇気」の章、242~244ページ)
 

 

1956年(昭和31年)、大阪の同志を激励する山本伸一
1956年(昭和31年)、大阪の同志を激励する山本伸一
 
こんの使命

 「日蓮大聖人は、『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(御書467ページ)と言われています。つまり、一心に唱題と折伏に励み抜いていくことこそ、人間として生まれてきた、今世の最高の思い出となると、御断言になっているんです。
 
 私たちは、人間として生まれたからこそ、題目を唱え、人に仏法を語ることができる。
 
 一生成仏の千載一遇のチャンスを得たということです。ゆえに、地涌の菩薩として、今世の使命を果たし抜いていくんです」
 
 皆、真剣な眼差しで、伸一を見ていた。(中略)
 
 「人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。“私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、すばらしい人生はない”と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです」
 
 (第25巻「共戦」の章、151~152ページ)
 

 
 
 「人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。“私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、すばらしい人生はない”と、むねを張って言える日々を送っていただきたいんです」
 
 (第25巻「共戦」の章、151~152ページ)
 

 
広宣流布

 「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。(中略)
 
 日蓮大聖人が『末法万年尽未来際』と叫ばれたこと自体、広宣流布の流れは、悠久にして、とどまるところがないことを示されたものといえます。広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」
 
 (中略)
 
 広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。そこに生命の歓喜と躍動と真実の幸福がある。
 
 さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは“妙法の大地に展開する大文化運動”であると定義づけたのである。
 
 (第14巻「大河」の章、297~298ページ)
 

 
 
 
 

1974年(昭和49年)元旦、創価学会本部での新年勤行会で指導する山本伸一
1974年(昭和49年)元旦、創価学会本部での新年勤行会で指導する山本伸一
 
持続のちから

 「粘り強く、包容力豊かに、指導の任に徹していくべきであります。たとえば、自分の担当する組織で、活動に参加していない方のお宅におじゃまし、個人指導したとします。しかし、それで、すぐに発心することは、むしろ、まれです。
 
 折を見て、また、お伺いしては、根気強く、励まし続けていく。そのなかで、こちらの真心が通じ、信頼が生まれ、“頑張ろう”という思いをいだいていくものです。個人指導に求められるのは、持続力なんです」
 
 (中略)
 
 「個人指導によって、相手の方が奮起した場合でも、“その後、どうなったのか”“悩みは克服できたのか”と心を砕き、電話でも、手紙でもよいから、連絡を取って、激励していくことです。(中略)張り切って会員宅を訪れ、個人指導した。しかし、一度だけで終わりというのでは、途中で放り出してしまったようなものです」
 
 (第27巻「激闘」の章、297~298ページ)
 

 
 

瑞相

 山本伸一は、マイクに向かうと、「減劫御書」の一節を拝した。
 
 「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(1467ページ)
 
 そして、確信のこもった声で語っていった。
 
 「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同士打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります。
 
 私どもは今、戦後最大といわれる経済の激動のなかで、日夜、広宣流布に邁進しております。筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信し、いよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
 
 (第18巻「飛躍」の章、291ページ)
 

 
 

1970年(昭和45年)5月、第33回本部総会で講演する山本伸一
1970年(昭和45年)5月、第33回本部総会で講演する山本伸一
山本伸一と各方面の友
 
関西
関西戸田記念講堂で行われた7・17「大阪の日」記念幹部会(1978年7月17日)
関西戸田記念講堂で行われた7・17「大阪の日」記念幹部会(1978年7月17日)

 <1978年(昭和53年)7月、大阪での記念幹部会で、「関西の歌」が発表された>
 
 〽今再びの 陣列に
  君と我とは 久遠より……
  
 
 皆、心に熱い血潮をたぎらせながら、声を限りに歌った。ある人は、「君と我とは 久遠より」の一節を歌いながら、感涙に眼を潤ませた。ある人は、「愛する関西 勇み立て」との言葉に、胸を揺さぶられる思いがした。(中略)
 
 “愛する、愛する関西の同志よ! 未来永劫に関西は、正義の旗が高らかに翻る常勝の都であれ! 民衆を守り抜く人間讃歌の都であれ! 関西がある限り、学会は盤石だ!”
 
 (第28巻「広宣譜」の章、62~64ページ)
 
 

 
中部
中部広布30周年を記念して開催された第1回中部青年平和文化祭(1982年4月29日)
中部広布30周年を記念して開催された第1回中部青年平和文化祭(1982年4月29日)

 〈1982年(昭和57年)4月、第1回中部青年平和文化祭が盛大に開催された〉
 
 伸一は、躍動する青年たちの姿を目にしながら、中部に、創価の崩れざる“金の城”が築かれたことを確信した。東京、関西の中間に位置する中部に、難攻不落の広宣流布の堅塁を築き上げることは、師・戸田城聖と彼の「師弟の誓い」であった。伸一は、若き日、一首の和歌を師に捧げた。
 
 「いざや起て いざや築けと 金の城 中部の堅塁 丈夫勇みて」
 
 戸田は、即座に返歌を認めた。
 
 「いざや征け 仏の軍は 恐れなく 中部の堅塁 立つは楽しき」
 
 この師弟の念願が、見事に成就したのだ。
 
 (第30巻〈下〉「誓願」の章、230~231ページ)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

師弟凱歌の記憶 第23回「人類の宿命転換の大哲学」 師弟がいおく  2020年12月2日

  • きょう 小説「人間革命」起稿の日

 1964年12月2日、池田先生は沖縄で小説『人間革命』を起稿した。きょうで56年となる。ここでは「師弟凱歌の記憶」として、小説を通しての先生の言論戦を振り返る。

 激務の中、原稿の執筆に当たる池田先生(1972年11月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

激務の中、原稿の執筆に当たる池田先生(1972年11月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 
 ――小説『人間革命』の主題である。
 
 池田先生が、この大河小説の執筆を開始したのは1964年12月2日。当初、沖縄の地で起稿したことを知る人は、ほとんどいなかった。翌年1月1日付の本紙で連載が始まる。
 
 「戦争ほど、残酷なものはない」「だが、その戦争はまだ、続いていた」との冒頭の一節を読んだ、ある沖縄の友は起稿の地を知らないものの、“まるで、我々の住んでいる今の沖縄のことじゃないか”と直感したと言う。
 
 沖縄では、太平洋戦争で悲惨な地上戦が繰り広げられた。敗戦後はアメリカの統治下に置かれ、米軍の基地建設が進められた。連載が開始された当時、ベトナム戦争が世界に暗い影を落とし、沖縄の基地からも爆撃機が飛び立っていた。
 
 また沖縄には、核ミサイル・メースB基地も設けられていた。
 
 人類は、いつまで愚かな争いを続けるのか。核軍拡競争をエスカレートさせ、人類自体を滅亡に追い込もうとさえしている――。
 
 冒頭の一節には、そうした現状への深い憤りと、平和への固い決意が込められていた。

 

池田先生が小説『人間革命』を起稿した和室。この一室があった旧・沖縄本部の地には現在、沖縄国際平和会館が立つ
池田先生が小説『人間革命』を起稿した和室。この一室があった旧・沖縄本部の地には現在、沖縄国際平和会館が立つ

 崩れざる平和と幸福を築くには、人間主義と生命尊厳を人類の根本規範として打ち立てる以外にない――この人間革命の哲学を、池田先生は、戸田城聖先生の思想と生涯、弟子・山本伸一の苦闘の青春、広布に生きる中で宿命転換を遂げていく同志の姿を通して、立体的に描いていった。
 
 創価学会の会長として指揮を執りながらの執筆は、まさに命を削る言論闘争であったといえる。
 
 ペンを握れないほど疲労困ぱいの時は、原稿をテープに吹き込み、時には香峯子夫人が口述筆記した。宗門事件の嵐がすさび、行動を制約される中で、師弟の魂を小説につづり、同志を鼓舞した。
 
 会長就任15周年の75年5月3日を記念して池田先生は、小説『人間革命』の主題「一人の人間における……」を揮毫した。

 

小説『人間革命』の主題を池田先生が揮毫した書。1975年5月3日を記念して

 同年5月16日には、フランスのパリで、アウレリオ・ペッチェイ博士と会見。博士は、環境危機に警鐘を鳴らすリポート『成長の限界』を発表し、世界に衝撃を与えたローマクラブの創設者である。
 
 博士はこの会見に、小説『人間革命』の英語版を持参していた。「人間性の革命」を主張してきたが、先生との語らいを通して、人間性を形成する生命そのものの変革――すなわち「人間革命」が、人類を救うには必要と考えるに至ったと言う。
 
 池田先生はこの年、アメリカ、中国、フランス、イギリス、ソ連を訪問。各国各界の識者、指導者との対話に、同志の励ましにと、人間主義の言論で世界を結ぶ激闘を続けていた。
 
 まさに小説の主題を自ら証明せんとする、平和への闘争が展開されていたのである。
 
 先生は『人間革命』の後、『新・人間革命』をつづりながら、世界を駆け巡り、人間革命の哲学への共感を広げてきた。
 
 そして今、世界の同志に呼び掛ける。“2030年までの10年は、人間革命の実証を打ち立て、人類の宿命転換を成し遂げる「勝負の時」”――と。
 
 人間革命の主題を実現しゆく師弟旅へ、出発の時である。

 
小説『人間革命』の起稿の日を記念した、創価合唱団のリモート合唱
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1:54

 

 

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