〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉山梨 2020年9月1日
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「山梨――生き甲斐あふれる友情の里」〈2014年6月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。秀麗な富士を仰ぐ甲斐国・山梨は、創価の師弟の魂が深く刻まれた天地。そこには、人間の温もりをたたえた伝統文化が息づき、「人は石垣 人は城」との団結の心が光っている。社会全体が大きな苦難に直面する今、地域の友との絆を一段と強めながら、悠然と「慈愛に生きる人生」を歩んでいきたい。富士のごとくに――。
幸せの
不動の姿の
富士の山
富士は動じない。いかなる烈風が吹き荒れようとも、悠然とそびえ立っています。その姿は、いつも無言のうちに励ましを送ってくれます。
山梨の友人たちと語り合ったことがあります。「富士を間近に仰ぎながら、人生の春夏秋冬を飾りゆけることは、なんと幸せでしょうか。世界中の人が羨ましく思うでしょう」と。
わが恩師・戸田城聖先生も、秀麗な富士が見守る河口湖や山中湖の畔で、青年たちと研修を行い、薫陶してくださいました。
「青年よ、富士のごとくあれ!」
――恩師のその一言には、万巻の書を凝縮させたような指針が含まれていました。
心に富士を抱いた青春は強い。
それは、尊敬する師匠また父母という不動の大山を、心から離さない人生に通ずるかもしれません。
私は山梨を訪れる折々に、富士と親しく対話する思いで、言い知れぬ敬愛と感謝を込めて、カメラを向けてきた一人です。
〈山梨は「名水の里」として知られ、古くからの「交通の要衝」でもある。池田先生は、この自然豊かな天地に暮らす人々と、地域の魅力について語り合ったことを述懐し、“苦労こそ宝”との思いで、誠心誠意、社会に尽くしてきた友の姿を紹介する〉
お国自慢を尋ねるなかで、地元の友が異口同音に誇りとしていたのは、山梨の「文化力」です。
歴史を振り返っても、古来、学ぶ気風が盛んで、江戸時代、徽典館をはじめとする学舎や塾には、武家も庶民も共に通い、当時の身分制度を超えた向学の輪が培われていました。また、歌舞伎や俳諧の集いなども興隆し、皆が一緒に楽しみ、文化の喜びを分かち合ったといいます。
笛吹市出身の俳人・飯田蛇笏は「人温」すなわち「人間の心にのみ存するところのあたゝかさ」を強調していました。「人を思い、人を愁い、人を親しみ、人を嘆ずる」ことこそ、詩情あふれる文化の源泉であるとしたのです。
山梨の文化には、何とも言えない人間の温もりが湛えられていると言ってよいでしょう。
私の妻の友人は、小さな頃に母を亡くし、父も病に倒れ、働きながら弟妹たちの面倒を見てきました。職場の人間関係等、悩みは尽きませんでした。
しかし、良き友とのスクラムのなかで、「自分は不幸だ」と思う愚痴の心を、きっぱり断ち切ろうと決めました。
「苦労こそ自分の持ち味であり、生命の財宝ではないか。それを発揮して、もっと悩んでいる人たちを励まそう!」と。
ガタガタの自転車に乗ってデコボコ道を歌声も高らかに、また、わが子を背負って歩きに歩いて、友のもとへと駆けつけました。その行動の日々を通して、笑い声の絶えない幸福の家庭、和楽の地域を、創り、広げてきたのです。
共感し合い、励まし合って、目の前の課題を一つ一つ勝ち越えていく仲よき絆こそ、「平和の文化」の美しき花づなでありましょう。
大月市生まれの文豪・山本周五郎は、「どんな状態になっても人間はひとりではなく、いつも人間どうしの相互関係でつながれている」と語っていました。
とりわけ、文豪が光を当てたのは、「縁の下の力持ち」となって皆を支えている存在です。「人眼につかぬところに働いている人々の心労を想え」との信念であったのです。
いずこの世界にあっても、陰で皆のために尽くしている尊い人材がいます。その労苦を知り、その人に感謝し、讃えていくことこそ、真の文化の心ではないでしょうか。
〈池田先生は、山梨の「人のために動く」心の美しさを最大に称賛。活字文化への貢献など、山梨の特色に触れつつ、子どもたちを慈しみ、地域の人々を家族のように大切にする生き方をと望んだ〉
山梨には、たくさんの日本一があります。
日本一の収穫量を誇るブドウ、モモ、スモモなどの果物の栽培には、来る日も来る日も、多くの女性の献身が込められています。
山梨は人口百万人あたりの図書館数でも日本一です。学校では朝の時間に行う「朝読」、家庭でも親子による「家読」を進め、絆が強まっているといいます。
思えば、朗らかな「赤毛のアン」の物語の訳者として有名な、甲府出身の村岡花子さんは、“父母も、子どもも一緒になって楽しむ書物を、愛する母国の家庭に献げたい”と願い続け、敗戦後の暗い社会でも喜びの物語を届けてきました。
村岡さんは最愛の子を失われています。しかし、その最も深い悲しみと向き合うなかで、見いだしたものがあります。
「一度燃やされた貴い母性の火を、感傷の涙で消し去ろうとは決して思いません。高く、高く、その炬火(たいまつ=編集部注)をかかげて、世にある人の子たちのために、道を照らすことこそ私の願いであります」と。
瞳輝く子どもたちに、希望の大空へと飛翔する翼を贈りたい。一生の幸福の土台となる、最高の精神の滋養を贈りたい。その母の願いが、時代を超えて、心を打つ希望の言葉を紡いできたのです。
かつて山中湖にほど近い場所で、麗しい母子連れと出会い、その幼い二人のお子さんに童話の本をプレゼントしたことがあります。
お母さんは、その後、甲府市で地域貢献のボランティア活動に多く取り組むとともに、「読み聞かせ」の活動も開始しました。
やがて原因不明で予後不良の病に罹り、“いつまで生きられるのか?”という不安と闘いながらも、「どんなことがあっても、子どもたちのために読み聞かせを続ける」と、いっそう活動に励んできました。
そして、このお母さんは、「命ある限り、使命に生き抜き、子どもたちの心にもっともっと夢と希望と勇気を育んでいきたい」と力強く語られていました。
地域の子どもたちを我が子のごとく、地域の友を我が家族のごとく大切に――慈愛に生きる人生は、皆に慕われる母なる富士であり、勝利の最高峰なのです。
嵐にも
厳と泰然
富士の山
君もかくあれ
我もかくある
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
※飯田蛇笏の引用は「満腔の人間愛――蛇笏の語録」丸山哲郎著『俳句』<昭和六十年四月号>所収(角川書店)、『飯田蛇笏集成 第七巻 評論・紀行・雑纂』飯田龍太監修(同)。山本周五郎は『完本 山本周五郎全エッセイ』木村久邇典責任編集(中央大学出版部)、『人間 山本周五郎』木村久邇典著(小峯書店)、『山本周五郎からの手紙』土岐雄三編(未来社)。村岡花子は『村岡花子と赤毛のアンの世界』村岡恵理責任編集(河出書房新社、一部表記を平仮名に改めた)。