未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年 2020年7月12日
- トルコ アンカラ大学
- 東西が出会う十字路
トルコの首都アンカラの空港に降り立った池田先生が、真っ先に向かった先は市内を一望するアヌッテペの丘だった。
同国のケマル・アタチュルク初代大統領が眠る「アタチュルク廟」に、献花するためである。
1992年6月の、先生のトルコ訪問の折だった。
トルコ革命で共和国の樹立(23年)を導き、「アタ(父なる)チュルク(トルコ人)」、すなわち「建国の父」との称号を与えられた初代大統領は、今なお、国民の敬愛を集める指導者である。
そのケマル大統領が教育改革に身をささげて創立した大学が、アンカラ大学である。
同大学と創価大学の学術交流協定が締結されたのは90年。アンカラ大学が日本の大学と、創大が中近東地域の大学と、それぞれ初めて結んだ交流だった。
前年の89年。創大記念講堂の着工に際し、創立者の池田先生は、世界の大学から由緒ある石を集め、定礎式で埋納することを提案していた。
趣旨に賛同したアンカラ大学のセリーン総長(当時)は、総長室の机の下の「アンカラ・ストーン」をはがして寄贈した。この一つの石から教育交流が始まった。
90年10月には先生と総長が初会見。ケマル大統領の民衆奉仕の精神、教育改革などを巡り、語り合った。
この出会いを機に、総長は、先生の広い見識とトルコを見つめる人間史観に触れ、さらに創大や民音を通じて、トルコと日本の交流を促進する先生の功績への知見を深めていく。
“この尊敬すべき、比類なき哲学者こそ、わが大学の名誉博士号を贈るのにふさわしい方である”
総長の思いが発露となって、92年6月24日、アンカラ大学を訪問した先生に、「名誉社会科学博士号」が授与されたのである。
アジア大陸の西の端、ヨーロッパ大陸の東の端に位置するトルコ。東西が出あう「十字路」のこの地は、いにしえより、古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国、セルジューク朝……幾多の民族と文明の、治乱興亡の舞台となった。
15世紀以降に一大勢力を誇ったオスマン帝国は、トルコを中心に文化絢爛たるイスラム世界を築いた。20世紀初頭、その帝国が第1次世界大戦で敗れると、トルコは列強による分割の危機に陥った。
その時、立ち上がったのがケマル・パシャ(後のアタチュルク)であった。彼が率いた革命によって、トルコは共和国として独立を果たしたのである。
ケマルが20世紀を代表する指導者として評価されるゆえんは、建国とともに推進していった改革の数々にほかならない。
最も特筆すべきは、イスラム国家としては異例の、政教分離に踏み切ったことである。さらに、アラビア文字に代えてローマ字表記を採用した「文字革命」や女性参政権の実施など、今日の近代国家としての基礎は、彼の時代に築かれた。
奇跡とも称される改革を可能にした、ケマルの特質とは何か――。
先生は、名誉社会科学博士号の授与式の席上、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題して記念講演。その中で「卓越したバランス感覚」を、理由の一つに挙げた。
強大な権力を手にしながらも、自己抑制を働かせ、独善や偏狭を退けたケマルのバランス感覚こそ、今日の世界が要請するものである、と。
さらに先生は、ケマルが民衆の側に立ち続け、戦争で自失状態にあった民衆の心を変えることで、革命を成し遂げた事績に言及。その底流にあった力は「教育」であるとしつつ、こう語った。
一見、急進的に見えるケマル革命も、教育を機軸にした漸進主義を基調とした点に、革命の成功の要因があった。民族といい、文化といい、個別のもの同士が接触し、普遍的なものへと昇華する回路は、対話を含む、広い意味での教育による以外にない――。
先生が、セリーン総長らアンカラ大学の首脳、オザル大統領、デミレル首相をはじめとする各界の識者との語らいで光を当てたのも、この民衆教育を志向するケマルの精神であり、行動であった。
「一日にひとつ学校をつくること」を抱負に、多くの学校を創立したこと。
自ら黒板とチョークを持って、町から町を回り、人々に文字を教えたこと。
大統領から直接教わり、自分の名前を書けるようになった人々が、喜びを分かち合ったこと――。
「偉大なる運動はすべてその根を人民の心の底深くおろすべきである」(ブノアメシャン著『灰色の狼 ムスタファ・ケマル』牟田口義郎訳、筑摩書房)
この叫びのままに、民衆を目覚めさせる教育の力で新生トルコの扉を開いたケマル大統領。アンカラ大学こそ、その建国の先頭に立つ学府であった。
先生が友情を結んだトルコ出身の知性の一人に、米ハーバード大学のヤーマン博士がいる。92年3月に初めて会って以来、二人は語らいを重ね、対談集『今日の世界 明日の文明』を発刊している。
文化人類学の知見から、人が出会い、文明が出あう故郷トルコの、悠久の歴史を見つめてきた博士。先生に、こう語った。
「池田会長の実践は、対話のあるべき姿を示されています。すなわち、まず第一に『相手を尊敬する』。そして、『耳を傾ける』ということです。これこそが、他の文化に生きる人々との理解をすすめる道です」
東西の十字路を行き交ったのは「人」である。人が出会うところ、無数の人間模様が織り成され、歴史がつくられていく。
トルコをはじめ、世界を巡る先生の平和旅も、人間に会い、人間を結ぶ行動にほかならない。相手を尊敬し、耳を傾け、心通わせる「対話の十字路」が、あの地この地に広がった。
教育交流もまた、民衆の間に、文化を超えた、尊敬と理解の橋を架けるための作業である。
創大とアンカラ大学の交流開始から、本年で30年。両大学を往来する交換留学生らによって、友情の橋はさらに堅固になった。
92年9月、セリーン総長との再びの会見に臨むに当たり先生は、こう語った。
「『道』を私はつくっている。『道』さえあれば、次の世代、また次の世代の人たちが通っていけるからだ。ひとつの道は、他の道ともつながり、交差し、縦横に地球を包んでいく。時とともに広がっていく。私は、その未来を信じ、後に続く人々を信じて、毎日、丁寧に、命を打ち込んで、『平和の道』を切り開いているのです」
「世界の平和と、学術・文化交流への貢献」をたたえて、私から(名誉社会科学博士号の)学位記を授与させていただきました。
その際の「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題した池田博士の講演は、多くの聴衆に、トルコの「誇り」を呼び覚ますものでした。
博士の英知の言葉は我々に建国の父アタチュルクの“世界に開かれた精神性”を一段と開花させ、新たな国際秩序の建設に寄与すべき「使命」があることを思い起こさせてくださったのです。(中略)
トルコには「一つのパンがあれば、半分は貧しい人に分かち合う」という言葉がありますが、これはイスラムの知恵と教えであるのみならず、トルコ国民の知恵であり、国民性でもあります。
これまで大学では、「技術」の開発には力を入れてきましたが、その技術を用いる「知恵」の開発は軽視されてきたと言わざるをえません。
人類の未来を決する、環境や資源や戦争の問題を解決していくためには、極限にまで高められた技術を「何のため」に使うのかという、「賢明な知恵」の獲得こそが必要なのです。つまり、苦しむ民衆の心が分かる学生でなければならないのです。そのために私は、人類にとって最も重要な哲学者であり人間主義者である池田博士に学び続けていきたいと考えているのです。(本紙2012年9月30日付)
トルコ共和国の首都アンカラに立つ同国最高峰の学府。トルコ革命を指導したケマル・アタチュルク初代大統領を創立者と仰ぐ。
農民に奉仕することを目的とした農業研究所や、トルコと世界を結ぶ“言語と文化の懸け橋”の形成を目指した人文学部などは、新生トルコの建設に大きな役割を果たした。こうした施設を基に、1946年にアンカラ大学として公式に設立された。
現在、18学部に約6万7000人が学ぶ。同大学の名誉博士号は池田先生のほか、各国大統領ら国家元首、各分野の著名な学者などに贈られている。