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未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年

2020年07月12日 | 妙法

未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年 2020年7月12日

  • トルコ アンカラ大学
  • 東西が出会う十字路
1992年6月、池田先生は首都アンカラに到着したその足で、「アタチュルク廟」を訪問。「建国の父」の生涯をしのび、献花した
1992年6月、池田先生は首都アンカラに到着したその足で、「アタチュルク廟」を訪問。「建国の父」の生涯をしのび、献花した
 

 トルコの首都アンカラの空港に降り立った池田先生が、真っ先に向かった先は市内を一望するアヌッテペの丘だった。
 
 同国のケマル・アタチュルク初代大統領が眠る「アタチュルク廟」に、献花するためである。
 
 1992年6月の、先生のトルコ訪問の折だった。
 
 トルコ革命で共和国の樹立(23年)を導き、「アタ(父なる)チュルク(トルコ人)」、すなわち「建国の父」との称号を与えられた初代大統領は、今なお、国民の敬愛を集める指導者である。
 
 そのケマル大統領が教育改革に身をささげて創立した大学が、アンカラ大学である。
 
 同大学と創価大学の学術交流協定が締結されたのは90年。アンカラ大学が日本の大学と、創大が中近東地域の大学と、それぞれ初めて結んだ交流だった。
 
 前年の89年。創大記念講堂の着工に際し、創立者の池田先生は、世界の大学から由緒ある石を集め、定礎式で埋納することを提案していた。
 
 趣旨に賛同したアンカラ大学のセリーン総長(当時)は、総長室の机の下の「アンカラ・ストーン」をはがして寄贈した。この一つの石から教育交流が始まった。
 
 90年10月には先生と総長が初会見。ケマル大統領の民衆奉仕の精神、教育改革などを巡り、語り合った。
 
 この出会いを機に、総長は、先生の広い見識とトルコを見つめる人間史観に触れ、さらに創大や民音を通じて、トルコと日本の交流を促進する先生の功績への知見を深めていく。
 
 “この尊敬すべき、比類なき哲学者こそ、わが大学の名誉博士号を贈るのにふさわしい方である”
 
 総長の思いが発露となって、92年6月24日、アンカラ大学を訪問した先生に、「名誉社会科学博士号」が授与されたのである。

 

アンカラ大学「名誉社会科学博士号」の学位記が、セリーン総長(前列右)から池田先生に贈られた。この後、先生は、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題して記念講演。ケマル・アタチュルク初代大統領の人間像を通して、人と文化を結ぶ教育の役割などについて語った(1992年6月、同大学で)
アンカラ大学「名誉社会科学博士号」の学位記が、セリーン総長(前列右)から池田先生に贈られた。この後、先生は、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題して記念講演。ケマル・アタチュルク初代大統領の人間像を通して、人と文化を結ぶ教育の役割などについて語った(1992年6月、同大学で)
 

 アジア大陸の西の端、ヨーロッパ大陸の東の端に位置するトルコ。東西が出あう「十字路」のこの地は、いにしえより、古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国、セルジューク朝……幾多の民族と文明の、治乱興亡の舞台となった。
 
 15世紀以降に一大勢力を誇ったオスマン帝国は、トルコを中心に文化絢爛たるイスラム世界を築いた。20世紀初頭、その帝国が第1次世界大戦で敗れると、トルコは列強による分割の危機に陥った。
 
 その時、立ち上がったのがケマル・パシャ(後のアタチュルク)であった。彼が率いた革命によって、トルコは共和国として独立を果たしたのである。
 
 ケマルが20世紀を代表する指導者として評価されるゆえんは、建国とともに推進していった改革の数々にほかならない。
 
 最も特筆すべきは、イスラム国家としては異例の、政教分離に踏み切ったことである。さらに、アラビア文字に代えてローマ字表記を採用した「文字革命」や女性参政権の実施など、今日の近代国家としての基礎は、彼の時代に築かれた。

 

アンカラ滞在中、トルコ初の私立大学であるビルケント大学の「栄誉賞」が先生に授与された。同大学創立者で、アンカラ大学総長を歴任したドーラマジュ博士㊨との友情はこの後も続いた(アンカラ市郊外で)
アンカラ滞在中、トルコ初の私立大学であるビルケント大学の「栄誉賞」が先生に授与された。同大学創立者で、アンカラ大学総長を歴任したドーラマジュ博士㊨との友情はこの後も続いた(アンカラ市郊外で)
 

 奇跡とも称される改革を可能にした、ケマルの特質とは何か――。
 
 先生は、名誉社会科学博士号の授与式の席上、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題して記念講演。その中で「卓越したバランス感覚」を、理由の一つに挙げた。
 
 強大な権力を手にしながらも、自己抑制を働かせ、独善や偏狭を退けたケマルのバランス感覚こそ、今日の世界が要請するものである、と。
 
 さらに先生は、ケマルが民衆の側に立ち続け、戦争で自失状態にあった民衆の心を変えることで、革命を成し遂げた事績に言及。その底流にあった力は「教育」であるとしつつ、こう語った。
 
 一見、急進的に見えるケマル革命も、教育を機軸にした漸進主義を基調とした点に、革命の成功の要因があった。民族といい、文化といい、個別のもの同士が接触し、普遍的なものへと昇華する回路は、対話を含む、広い意味での教育による以外にない――。
 
 先生が、セリーン総長らアンカラ大学の首脳、オザル大統領、デミレル首相をはじめとする各界の識者との語らいで光を当てたのも、この民衆教育を志向するケマルの精神であり、行動であった。
 
 「一日にひとつ学校をつくること」を抱負に、多くの学校を創立したこと。
 
 自ら黒板とチョークを持って、町から町を回り、人々に文字を教えたこと。
 
 大統領から直接教わり、自分の名前を書けるようになった人々が、喜びを分かち合ったこと――。
 
 「偉大なる運動はすべてその根を人民の心の底深くおろすべきである」(ブノアメシャン著『灰色の狼 ムスタファ・ケマル』牟田口義郎訳、筑摩書房)
 
 この叫びのままに、民衆を目覚めさせる教育の力で新生トルコの扉を開いたケマル大統領。アンカラ大学こそ、その建国の先頭に立つ学府であった。
 


 

 
命を懸けて「道」を開く。後に続く人たちを信じて

 先生が友情を結んだトルコ出身の知性の一人に、米ハーバード大学のヤーマン博士がいる。92年3月に初めて会って以来、二人は語らいを重ね、対談集『今日の世界 明日の文明』を発刊している。
 
 文化人類学の知見から、人が出会い、文明が出あう故郷トルコの、悠久の歴史を見つめてきた博士。先生に、こう語った。
 
 「池田会長の実践は、対話のあるべき姿を示されています。すなわち、まず第一に『相手を尊敬する』。そして、『耳を傾ける』ということです。これこそが、他の文化に生きる人々との理解をすすめる道です」
 
 東西の十字路を行き交ったのは「人」である。人が出会うところ、無数の人間模様が織り成され、歴史がつくられていく。
 
 トルコをはじめ、世界を巡る先生の平和旅も、人間に会い、人間を結ぶ行動にほかならない。相手を尊敬し、耳を傾け、心通わせる「対話の十字路」が、あの地この地に広がった。
 
 教育交流もまた、民衆の間に、文化を超えた、尊敬と理解の橋を架けるための作業である。
 
 創大とアンカラ大学の交流開始から、本年で30年。両大学を往来する交換留学生らによって、友情の橋はさらに堅固になった。
 
 92年9月、セリーン総長との再びの会見に臨むに当たり先生は、こう語った。
 
 「『道』を私はつくっている。『道』さえあれば、次の世代、また次の世代の人たちが通っていけるからだ。ひとつの道は、他の道ともつながり、交差し、縦横に地球を包んでいく。時とともに広がっていく。私は、その未来を信じ、後に続く人々を信じて、毎日、丁寧に、命を打ち込んで、『平和の道』を切り開いているのです」
 

 先生が友情を結んだトルコ出身の知性の一人に、米ハーバード大学のヤーマン博士がいる。92年3月に初めて会って以来、二人は語らいを重ね、対談集『今日の世界 明日の文明』を発刊している。
 

 

 
セリーン元総長の声

 「世界の平和と、学術・文化交流への貢献」をたたえて、私から(名誉社会科学博士号の)学位記を授与させていただきました。
 
 その際の「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題した池田博士の講演は、多くの聴衆に、トルコの「誇り」を呼び覚ますものでした。
 博士の英知の言葉は我々に建国の父アタチュルクの“世界に開かれた精神性”を一段と開花させ、新たな国際秩序の建設に寄与すべき「使命」があることを思い起こさせてくださったのです。(中略)
 
 トルコには「一つのパンがあれば、半分は貧しい人に分かち合う」という言葉がありますが、これはイスラムの知恵と教えであるのみならず、トルコ国民の知恵であり、国民性でもあります。
 
 これまで大学では、「技術」の開発には力を入れてきましたが、その技術を用いる「知恵」の開発は軽視されてきたと言わざるをえません。
 
 人類の未来を決する、環境や資源や戦争の問題を解決していくためには、極限にまで高められた技術を「何のため」に使うのかという、「賢明な知恵」の獲得こそが必要なのです。つまり、苦しむ民衆の心が分かる学生でなければならないのです。そのために私は、人類にとって最も重要な哲学者であり人間主義者である池田博士に学び続けていきたいと考えているのです。(本紙2012年9月30日付)
 

 
 

建国の父アタチュルクが創立 国家をリードする名門学府建国の父アタチュルクが創立 
トルコ随一の歴史と伝統を誇るアンカラ大学
トルコ随一の歴史と伝統を誇るアンカラ大学
トルコ随一の歴史と伝統を誇るアンカラ大学

 トルコ共和国の首都アンカラに立つ同国最高峰の学府。トルコ革命を指導したケマル・アタチュルク初代大統領を創立者と仰ぐ。
 
 農民に奉仕することを目的とした農業研究所や、トルコと世界を結ぶ“言語と文化の懸け橋”の形成を目指した人文学部などは、新生トルコの建設に大きな役割を果たした。こうした施設を基に、1946年にアンカラ大学として公式に設立された。
 
 現在、18学部に約6万7000人が学ぶ。同大学の名誉博士号は池田先生のほか、各国大統領ら国家元首、各分野の著名な学者などに贈られている。

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御書を開けば希望が輝く 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

2020年07月12日 | 妙法

御書を開けば希望が輝く 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年7月12日

 【写真の説明】笛吹市にある学会の山梨教学研修センター。その上空に、七色の虹が輝く。1999年(平成11年)9月、池田大作先生がカメラに収めた。
 この2年前、池田先生は同センターを初訪問。「立正安国論」を拝しつつ、日蓮大聖人の御精神のままに正義の対話をと呼び掛けた。
 7月16日は、大聖人が時の実質的な最高権力者・北条時頼に「立正安国論」を提出された日である。本年で、760年の歴史を刻む。
 立正安国論に曰く、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)――あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである、と。御書根本に、社会の安穏を祈り、友の心に希望の虹をかけていこう。
  

 

池田先生の言葉

 人間が生きるには、
 人との協調や気遣い、
 また、礼儀やマナー、
 支え合い、助け合いが
 不可欠である。
 その心を育むには、
 人間をどう捉えるか
 という哲学が必要である。
 まさに、
 それを教えているのが
 仏法なのである。
  
 御書には、
 病苦や生活苦、
 家族の看病や介護、
 愛する人と別れる悲しみ、
 親子の葛藤、
 仕事・職場の圧迫等々、
 千差万別の試練に直面した
 門下への励ましが
 満ち溢れている。
 御書を開けば、
 御本仏の
 大生命の赫々たる陽光を
 浴びることができる。
 どんな不幸も、
 どんな宿命も
 勝ち越えていける勇気が、
 智慧が、希望が
 限りなく湧いてくるのだ。
  
 御書を拝せば聡明になる。
 心が美しくなる。
 その一文字一文字は、
 日蓮大聖人の
 師子吼であられる。
 一文でも、一節でもいい。
 声に出して拝読し、
 生命に
 刻みつけていくことだ。
 私も青年部時代の
 激闘の中で、
 日々、御書を開き、
 日記などにも
 要文を抜き書きした。
 御書には、
 魂の滋養が満ちている。
  
 教学を学ぶ人は、
 「哲学者」である。
 哲学とは、よりよく生きる
 「智慧」である。
 戸田先生は
 「仏法で学んだことは、
 どしどし口に出して
 話しなさい。
 そうすれば、
 やがて身につくものです」
 と語られていた。
 教学は、どこまでも、
 「実践の教学」であり、
 「広宣流布の教学」である。
 正義を学び抜き、
 生涯不退の原点を
 築いていただきたい。

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キングは池田会長と同じ道を歩んでいた――米公民権運動を闘ったハーディング氏との語らい

2020年07月10日 | 妙法

キングは池田会長と同じ道を歩んでいた――米公民権運動を闘ったハーディング氏との語らい 2020年7月10日

  • 連載〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第12回
再会を喜び合う池田先生とハーディング氏(1996年4月、東京・八王子市の創価大学で)。氏は先生を「希望への旅の友」と呼んだ。「キング博士のような、あなたの希望に満ちた精神に敬意を表したい」と
再会を喜び合う池田先生とハーディング氏(1996年4月、東京・八王子市の創価大学で)。氏は先生を「希望への旅の友」と呼んだ。「キング博士のような、あなたの希望に満ちた精神に敬意を表したい」と
 
キング博士の本当の“夢”

 「皆さんの、おばあさんの名前を教えてください」

 アメリカ創価大学(SUA)でのビンセント・ハーディング氏の講義は、いつもこんな問い掛けから始まった。

 2009年から3度にわたって講義を担当。時には大学内に泊まり込み、学生と忌憚なく意見を交わした。
 氏は、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の盟友であり、歴史学を専門とする。

 「では、生まれ育った場所は?」

 氏の質問に、学生たちも和やかに生い立ちを語り始める。互いの「ストーリー(物語)」に耳を傾けることから、新たな「ヒストリー(歴史)」は生まれる――共通性を見いだす対話にこそ、氏の人権教育の核心があった。

 晩年、氏は多くの青年にSUAへの進学を勧めていたという。キング博士が抱いた“本当の夢”を託そうと――。

 

小さな集まりから、新たな変革は始まる――アメリカ創価大学の学生と(2011年4月)
小さな集まりから、新たな変革は始まる――アメリカ創価大学の学生と(2011年4月)
 

 ハーディング氏は、アメリカ公民権運動の中核の一人。ある時はキング博士の相談役になり、ある時は博士のスピーチを書いた。キング記念センターの初代所長も務めている。

 1931年生まれの氏は、キング博士の2歳年下。同世代の二人が出会ったのは、58年秋のことである。

 当時、シカゴ大学の大学院生だった氏は、「メノナイト」という教会の一員として、白人のキリスト教徒とも協力し、開かれた共同体を創ろうと試みていた。ある日、こんな話が持ち上がる。“黒人と白人が共に行動することが危険な南部において、私たちは信念を貫くことができるか”

 アメリカ南部では、人種差別撤廃の運動と抵抗勢力の対立が激化していた。55年、ローザ・パークス氏の不当逮捕を機にアラバマ州でバス・ボイコット運動が始まり、56年に州立大学への黒人の入学が許可されるも、キャンパスや街中で暴力事件が起きた。

 ハーディング氏ら、黒人と白人の5人組は、車でアーカンソーからミシシッピ、そしてアラバマへと南下。そこで、公民権運動を指揮するキング博士と劇的な出会いを結ぶ。

 旅の詳細を知った博士の喜びは、ことのほか大きかった。博士が目指していたのは、不正と抑圧を絶つだけでなく、誰もが信頼し合える「新しいアメリカ」を建設することであり、その“希望の萌芽”を5人の勇気に見いだしたからであった。博士は語った。

 「我々がここで非暴力という手段をもって何をしようとしているのか、わかるはずだ」「何としてもここにまた戻ってきて、我々を助けてほしい」

 その後、ハーディング氏は南部への移住を決断。博士の「盟友」となる。

 氏は後年、「公民権運動」との表現は、その本質を狭めていると訴える。それは、未来へと世代を超えて継承されるべき「民主主義を拡大するための運動」である――と。

 

探求すべきは「人間の精神」

 「今日の会見を、キングも喜んでいると思います」

 ハーディング氏の笑顔がほころぶ。94年1月17日、新春の都内で池田先生との初会見が実現した。

 この前年、先生は「21世紀文明と大乗仏教」と題し、ハーバード大学で講演。後日、氏は先生の主張を知り、人間主義の哲学に深い関心を寄せた。

 「今日の会見を、キングも喜んでいると思います」

 ハーディング氏の笑顔がほころぶ。94年1月17日、新春の都内で池田先生との初会見が実現した。

ボストン近郊にある「池田国際対話センター」で講演(2010年11月)
ボストン近郊にある「池田国際対話センター」で講演(2010年11月)
 

 初会見では、「ベトナムを越えて」というキング博士のスピーチ(67年)が話題となった。

 それは、キング博士の“夢”に関わる重大なスピーチであり、ベトナム戦争の渦中に発表された、断固たる「反戦意思」の表明だった。黒人の同胞からさえ、「差別と戦争を混同するな」と批判が殺到。1年後、博士は暗殺される。実は、このスピーチの草稿を手掛けたのがハーディング氏だった。

 キング博士の晩年の夢は、「価値観の徹底的な変革」にまで広がっていた。それはアメリカの「人種差別主義」「極度の物質主義」「軍国主義」との対決であり、対話を通した“心の在り方”の変革にほかならない。

 博士と苦楽を共にしたハーディング氏が、何より深く心に刻んだもの――それは、「今日も明日も、さまざまな困難に直面しようとも、それでもなお私には夢がある」と叫び続けた、キング博士の「希望」の魂だった。

 

アメリカ創価大学で講演(2009年5月)。氏は同大学を「希望の学府」とたたえた
アメリカ創価大学で講演(2009年5月)。氏は同大学を「希望の学府」とたたえた
 

 池田先生は会談で、ハーディング氏の信念に触れ、述べている。

 「『希望』こそ『力』です。希望が新しき歴史を開き、希望が新しき人生の扉を開けます」「人間の中にこそ、無限の力があります。私はいつも祈ってまいりました。『無限の希望を、民衆のために開きたい』『無限の希望を、生み出して進みたい』と。『希望』、そしてキング氏の言う『夢』――何というロマンの言葉でしょうか。何と広大に広がりゆく魂の光でしょうか」

 ハーディング氏の瞳が輝いた。

 「私の根本の信念は、すべての人間に、創造的な力が備わっているということです。平和で正しい社会をつくる能力がある。しかし、それは、十分に開発されていません。これをどう開発するか。これが、21世紀の課題です。私は言いたいのです。まだまだ、人間精神の偉大な発明の余地は残されている。人間の内面と周辺には、『探究すべき領域』が残されている。いよいよ、これからであると」

 

対談集『希望の教育 平和の行進』
 

 初の会見以来、ハーディング氏は、池田先生を「キングの最善の精神の継承者」と信頼し、先生が創立したボストン近郊の「池田国際対話センター」での講演にも力を注いだ。

 やがて二人の対話は、対談集『希望の教育 平和の行進』に結実する――。

 

ハーディング氏と池田先生の対談集
ハーディング氏と池田先生の対談集
 

 この対談集では、アメリカ公民権運動と創価学会の民衆運動との歴史的な共通性も浮き彫りにされている。

 バス・ボイコット運動が起きた50年代後半、池田先生は大阪の地で、権力との人権闘争を展開。黒人学生が「座り込み運動」を推進した60年には、人間主義の哲学を掲げてアメリカへ。ベトナム戦争時には、折々に平和への主張を重ねた。

 ハーディング氏は、「人類が前進するための苦闘においては、私たちすべてを結びつける根源的な絆が存在する」と言う。

 池田先生のリーダーシップのもと、日夜、草の根の対話を通し、生命の変革に挑み続ける学会員の姿は、キング博士の理想と二重写しになっていた。氏は、こう断言する。

 「キングも池田会長と同じく、大いなる希望と探究心の持ち主でした。生きていれば、会長と同様の道を歩んでいたに違いありません」

 

“夢”を青年に託して
 

 若き友への薫陶は、ハーディング氏が世を去る直前まで続いた。

 亡くなる2カ月前の2014年3月、学会の青年交流団がアトランタを訪問。ハーディング氏は「ぜひ、会いたい」と飛行機で駆け付けた。

「青年との対話が大事です。学会の青年の皆さんと、もっと語っていきたい」(2014年3月、アトランタで)
 

 懇談の折、あるメンバーが「社会の不正義に対して、どう戦うべきか」と質問。博士は、しばらく沈黙した後、言葉を選びつつ答えた。

 「不正義に“対して”戦うのでなく、正義の“ために”戦うのです」

 大事なのは、「闘争の相手」でなく「闘争の目標」にある。そして、万人の“善の心”を引き出すことである――氏の深慮が光る回答だった。

 この翌月、氏と池田先生の対談集(英語版)が、アメリカ教育学教授協会の「優秀書籍」に選定された。全米教育史に深く刻まれた喜びに包まれる中、氏の82年の生涯は幕を閉じる。

 対談集の結びで、池田先生は氏にこう語り掛けた。

 「キング博士の夢も、ハーディング博士の夢も、さらに私たちの夢も、世界市民の使命に立ち上がった青年たちによって、必ず実現されていくに違いありません」

 先人たちの偉大な“夢”への軌跡は、尽きせぬ希望となって、次代を開く人々を鼓舞し続ける。

 

【プロフィル】 ビンセント・ハーディング 1931年、ニューヨーク生まれ。デンバー・アイリフ神学校名誉教授。シカゴ大学で歴史学修士・博士号を取得。58年にキング博士と出会い、公民権運動を共に戦う。65~69年、アトランタのスペルマン大学で歴史学・社会学教授。歴史学者、ジャーナリスト、人権運動家として活躍し、キング記念センター初代所長も務めた。主な著書に『マーチン・ルーサー・キング――不都合なヒーロー』『希望と歴史』『そこに川がある――アメリカにおける黒人の自由への闘争』(邦題仮訳)など。2014年5月、死去。

 

【引用・参考文献】 ビンセント・ハーディング/池田大作著『希望の教育 平和の行進――キング博士の夢とともに』第三文明社、M.L.キング著『自由への大いなる歩み――非暴力で闘った黒人たち』雪山慶正訳(岩波新書)、Vincent Harding著『Hope and History: Why We Must Share the Story of the Movement』Orbis Books、同著『Martin Luther King: The Inconvenient Hero』同ほか。 

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マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 「男子部」編

2020年07月10日 | 妙法

 

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 「男子部」編  2020年7月11日

  • 苦難こそ誉れ! 師弟こそわが道!!
男子部幹部会で指揮を執る池田先生(1964年2月、東京・台東体育館で)
男子部幹部会で指揮を執る池田先生(1964年2月、東京・台東体育館で)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、きょう7・11「結成の日」を記念して「男子部」編を掲載する。次回は「女子部」編を18日付2面に予定。挿絵は内田健一郎。

 

日蓮仏法は人類救済の指導原理
 

 <1961年(昭和36年)11月、男子部の代表10万人が国立競技場に集い、開催された男子部総会で、山本伸一は訴える>

 「なぜ、世界も、日本国内も、不幸と悲惨が絶えないのか。それは、日蓮大聖人の大仏法を鑑として拝すれば、すべては明らかであります。

 その原因は、いずれの指導者にも、社会を支えゆく民衆にも、確かなる指導理念、哲学がないことにあります。仮に、哲学をもっていても、自他ともの幸福を実現しゆく生命の大哲学ではありません。

 そのなかにあって、私どもは、自己の人間革命と、社会、世界の平和を可能にする、完全無欠なる日蓮大聖哲の大生命哲学をもっております。この大生命哲学こそ、人類を救済しゆく、最高の指導原理であるということを、私どもは、声を大にして、叫び続けていこうではありませんか!」

 賛同と誓いの大拍手が、競技場の空高く舞った。(中略)

 「願わくは、諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたいことを強く、念願するものでございます。

 私は、ただただ、学会の宝であり、人類の希望である、誉れの青年部の諸君の成長と健闘を祈っております。

 以上、簡単ではございますが、一言、ごあいさつ申し上げ、講演に代えさせていただきます」(中略)

 彼は、哲学不在の時代に、民衆の幸福と人類の平和を築く、真実のヒューマニズムの指導原理が日蓮仏法にあることを、宣言したのである。

 (第5巻「勝利」の章、220~221ページ)

 

創価の後継者は弘教の大闘士に
 

 <77年(同52年)3月、福島文化会館(当時)を訪れた伸一は、居合わせた幹部に、学会の後継者が身につけるべき力について語る>

 「青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たちが、弘教の大闘士に育たなければ、学会の未来は開けないからね」

 大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せである。その御心を体して、弘教に生き抜くなかに信仰の大道がある。(中略)

 折伏は、自身の一生成仏、すなわち絶対的幸福境涯を築く要諦となる仏道修行である。

 御書には、「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(1121ページ)とある。さらに、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360ページ)と断言されている。

 私たちは、勇んで唱題と折伏に励むことによって、仏に連なり、仏の使いの働きをなし、地涌の菩薩となり得るのだ。

 つまり、自行化他にわたる信心の実践によって、仏の力が涌現し、地涌の菩薩の大生命が脈動する。(中略)

 そして、それによって、自身の人間革命、宿命の転換が成し遂げられ、絶対的幸福境涯を築くことができるのだ。また、人びとの苦悩を根本から解決し、崩れざる幸福の道を教える折伏は、最高の慈悲の行である。人間として最も崇高な利他行であり、極善の行為である。

 (第25巻「福光」の章、20~21ページ)

 

命の限り広布に生き抜く「志」を
 

 <77年(同52年)10月、北海道・厚田の戸田講堂の開館を祝賀する集いで伸一は、青年部の友に、51年(同26年)7月の男子部結成式前夜、恩師・戸田城聖と交わした師弟の語らいを紹介する>

 戸田は、伸一に語っていった。(中略)

 「命ある限り、広宣流布に生き抜こうという志をもった人間を、私はつくりたいのだ。(中略)

 牧口先生のように、人びとの幸福のために、生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく。この戸田の弟子であることの“誇り”をもち続け、広宣流布という“大理想”に生き抜こうという人間だ!(中略)

 皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ。

 伸一! 君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!

 いいな! できるな!」

 「はい!」

 決意を秘めた伸一の声が響いた。戸田は、鋭い視線を伸一に注いだ。弟子の顔から、微動だにしない広宣流布への信念を見て取った戸田は、口元をほころばせた。

 「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ。

 今夜の二人の語らいが、事実上の男子青年部の結成式だよ」

 (第26巻「厚田」の章、40~42ページ)

 

多忙の中での挑戦が自身を錬磨

 <51年(同26年)9月、御書講義の講師として埼玉・川越地区に派遣された伸一は、仕事が忙しく学会活動の時間が取れないと悩む青年を励ます>

 「私もそうです。どうやって学会活動の時間をつくりだそうかと、悩み抜いています。(中略)

 青年時代に職場の第一人者をめざして懸命に働いていれば、忙しいに決まっています。(中略)

 多忙ななかで、いかに時間をつくりだすかが既に戦いなんです。少しでも早く、見事に仕事を仕上げて活動に出ようと、必死に努力することから、仏道修行は始まっています。自分の生命が鍛えられているんです。

 この挑戦を重ねていけば、凝縮された時間の使い方、生き方ができるようになります。

 平日は、どうしても動けないのなら、日曜などに、一週間分、一カ月分に相当するような充実した活動をするという方法もあります。

 たとえ会合に出られないことがあっても、広宣流布に生き抜こうという信心を、求道心を、一歩たりとも後退させてはなりません。

 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)との御文がありますが、大変な状況のなかで、信心に励むからこそ、それだけ功徳も大きいんです。

 戸田先生は、よく『青年は苦労せよ。苦労せよ』『悩みなさい。うんと悩みなさい』とおっしゃいます。(中略)

 私も、その先生のご指導を生命に刻んで、歯を食いしばりながら挑戦しています。

 君には、今の大変な状況のなかで、『こうやって学会活動をやり抜いた』『こうやって職場の大勝利者になった』という実証を示して、多くの男子部員に、その体験を語れるようになってほしいんです」

 (第26巻「奮迅」の章、399~400ページ)

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全国最高協議会 池田先生がメッセージ 原田会長を中心に討議 

2020年07月09日 | 妙法

全国最高協議会 池田先生がメッセージ 原田会長を中心に討議    2020年7月9日

  • 創立90周年へ立正安国の旗を 9月下旬にオンラインで世界青年部総会を開催
学会創立90周年を「私の広布前進」で荘厳しよう!――原田会長を中心に開かれた全国最高協議会(学会本部別館で)
学会創立90周年を「私の広布前進」で荘厳しよう!――原田会長を中心に開かれた全国最高協議会(学会本部別館で)
 

 全国最高協議会が8日午後、東京・新宿区の学会本部別館で行われ、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、全国の方面長・婦人部長、各部の代表が出席した。
 
 池田大作先生はメッセージを贈り、冒頭、九州をはじめ豪雨被災地へのお見舞いを述べるとともに、「変毒為薬」の復興を念願。試練に見舞われたこの上半期、「能忍」(能く忍ぶ)という仏の心で「四表の静謐」(世界の安穏)を祈り抜き、「仏法即社会」の智者の指揮で奮闘した全国の同志に、心から感謝した。
 
 次いで先生は、「御義口伝」の「霊山一会儼然未散(霊山一会儼然として未だ散らず)」(御書757ページ)を拝し、「我らは、久遠元初より、そして未来永遠に、『妙法流布』の大誓願で結ばれている。常に我らの生命は一体であり、不二なのである」と強調。
 
 「かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(同965ページ)を拝読し、青年部を先頭に智慧を出し合い、新時代の「異体同心」のスクラムを組みながら、一人一人がいよいよの「広布前進」をと望んだ。
 
 そして、民衆の幸福と安穏、世界の平和と前進のために、新たな「立正安国」の凱歌を決意し合いたいと述べメッセージを結んだ。

 全国最高協議会が8日午後、東京・新宿区の学会本部別館で行われ、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、全国の方面長・婦人部長、各部の代表が出席した。
 
 

広宣流布大誓堂での誓願勤行会を9月15日から再開 新型コロナ感染症対策委員会を設置
 

 協議会では、11月18日の「学会創立90周年」を目指す下半期の諸活動について協議。各人・各家庭で折伏、聖教拡大、友好拡大などの目標を立て、「私の広布前進」で大佳節を祝賀しゆくことを確認した。また、感染防止に細心の注意を払い、オンラインの活用などの新しい活動様式も取り入れながら、「一対一」「少人数」の励ましを広げ、人材の拡大に取り組むことを約し合った。
 
 さらに、諸行事について検討。10・2「世界平和の日」の60周年を記念する「世界青年部総会」を9月下旬にオンラインで実施することが決定した。
 
 併せて、広宣流布大誓堂での「誓願勤行会」を9月15日からの予定で、首都圏・東京を対象に再開すること、学会本部に「新型コロナウイルス感染症対策委員会」(総合委員長=原田会長、委員長=谷川主任副会長)を新たに設けることが発表された。
 
 席上、原田会長は、コロナ禍の中で奮闘する同志に最大に感謝。「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」(同1220ページ)を拝し、「一歩も引くな」との第2代会長・戸田城聖先生の遺言を命に刻み、どこまでも信心根本に智慧を発揮して、今こそ「立正安国」の旗を掲げ、未曽有の「挑戦」に「応戦」したいと訴えた。
 
 そして、これまで以上に「一人」を大切にし、励ましの連帯を広げながら、創立90周年の佳節を、池田門下の一人一人が「私の広布前進」で勝ち飾ろうと呼び掛けた。

 

青年部の協議会も 8月に学生部が教学実力試験
 

 青年部最高協議会が8日、各方面とテレビ中継で結んで、学会本部別館で行われた。
 
 志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長をはじめ、全国の男女青年部の代表が参加し、下半期の対話拡大と人材育成について討議。また8月に学生部が実施する教学実力試験など、教学研さんの取り組みを確認した。
 
 席上、志賀青年部長が、世界青年部総会へ、強き団結で勝ち進もうと力説。原田会長は、広布の希望である青年部の勇気と智慧の挑戦で、従藍而青の新たな歴史をと語った。

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