毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

小説『新・人間革命』学習のために 第14巻

2020年07月03日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 第14巻 2020年7月3日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第14巻を掲載する。次回は「男子部」編を11日付2面に予定。第15巻の掲載は、31日付の予定です。挿絵は内田健一郎。

 

自他共の幸福築く学会活動
 

 <1960年代末から学生運動は過激化していく。ある学生部員は、運動に身を投じていたが、民衆と遊離した革命に虚無感をいだき、離れていた学会活動に取り組む。その中で、人生の希望の光を見つける>

 彼は、学会のなかにこそ、未聞の大衆運動の大潮流があることに気づいた。

 学会では、職業も、年代も、社会的な立場も異なる人たちが、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福の実現に向かい、日夜、懸命に活動に励んでいる。

 自営の社長もいれば、大企業の役員もいる。工場労働者もいれば、商店に勤務する人も、専業主婦も、学生もいる。それが対立し合うのではなく、同じ目的に向かって、仲良く団結し、前進しているのである。そこには、「前衛」と「大衆」の乖離などなかった。(中略)

 また、学会の運動は、「生活者」に立脚し、常に個々人の具体的な苦悩と向き合うことから出発していた。(中略)

 彼は、革命に生きるということと自己の幸福とは、相反するものであると考えていた。しかし、自他ともの幸せを築いていくのが、仏法の在り方であるというのだ。

 また、学会員は、よく「煩悩即菩提」という言葉を口にした。仏法は、煩悩、つまり欲望などを否定するのではなく、信仰に励み、広宣流布という目標に生き抜くなかで、それが、菩提、すなわち人間完成への原動力となっていくというのである。

 事実、日々、学会員が多くの功徳の体験を積みながら、希望と喜びにあふれて、友のため、社会のために奔走する姿が、それを物語っていた。

 つまり、創価学会の運動には、個人の身近な幸福の追求と革命の理想とが、地球が自転しながら公転しているように、なんの矛盾もなく、共存し、連動しているのである。

 (「智勇」の章、93~94ページ)

 

「文」は自身の境涯の投影

 <1969年(昭和44年)8月、文芸部が結成。指導会で山本伸一は、万感の期待を寄せる>

 「皆さんは、本当の実力をつけていただきたい。(中略)

 大事なことは、何人の人が自分の作品に共感するかです。皆さんの文学を、多くの人が支持し、賞讃してくれることが、そのまま仏法のすばらしさの証明になる。そのためには、自分と戦うことです。一日一日が勝負になります。“今日も自分の殻を破ろう”“新しい境地を開こう”との精進がなければ、社会で勝つことはできません」(中略)

 「私は、これからも、書きまくっていきます。連載小説だけでなく、各出版社からの原稿依頼もかなりの数になります。三九度近い熱が続いた時もありました。しかし、“ここでやめるわけにはいかない!”“書かずしてなるものか!”との一念で、ペンを執り続けました。(中略)

 『文は人なり』と言われますが、それは、『文は生命』であり、『文は魂』であり、また、『文は境涯』であるということです。文には、生命がすべて投影されます。

 したがって、苦労して、苦労して、苦労し抜いて、ほとばしる情熱で、炎のように燃え上がる生命でつづった文は、人びとの心を打つんです。話をする場合も同じです。必死さ、真剣さが、その魂の叫びが、情熱の訴えが、人の心を揺さぶるんです。大事なことは、民衆の心をつかむことです。

 人びとの幸福に最大に貢献するのだという信念をもち、思想、哲学の眼を開いて、それぞれの分野で、皆さんが、大いに活躍されんことを念願いたします」

 (「使命」の章、170~173ページ)

 

勇気と確信の源泉は御書
 

 <69年(同44年)秋から70年(同45年)にかけて起きた「言論・出版問題」で、学会は激しい誹謗中傷にさらされる。一切の矢面に立つ伸一を、妻の峯子は、御書を拝し、不動の信心で支える>

 山本伸一の自宅も、警戒が必要であった。彼は、妻や子どものことを考えると、心配でならなかった。だが、妻の峯子は、何があっても悠然としていた。(中略)

 少しでも時間を見つけては、懸命に御書を拝していった。御書という“明鏡”に照らすと、信心の眼が開かれ、勇気と確信が湧き上がってくるのだ。

 ある時、拝した「辦殿尼御前御書」には、次のように認められていた。

 「第六天の魔王十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)(中略)

 峯子は、夫の伸一が会長に就任してから、片時も休むことなく、ただ、ただ、人びとの幸福と世界の平和を願って、広宣流布のために走り抜いてきたことを、誰よりもよく知っていた。まさに、大聖人の仰せのままに、全精魂を注いでの“闘争”であった。そして、今や学会は、七百五十万世帯の一大民衆勢力になった。

 “その大前進が御仏意にかない、第六天の魔王を攻め立てているから、あらゆる勢力が攻撃の牙をむいて、襲いかかってきたのだ”と峯子は確信することができた。

 “難こそ正義の証明である。難こそ誉れである”というのが彼女の結論であり、心の底からの実感であった。

 (「烈風」の章、270~271ページ)

 

逆境こそ成長のための道場
 

 <70年(同45年)6月、伸一は箱根の研修所で高・中等部、少年・少女部の代表と懇談。父親のいない友へ励ましを送る>

 伸一は、参加者のなかに、父親のいない人がいることを聞いていた。彼は、そのメンバーのために、一言しておきたいと思った。最も悲しい思いをしてきた人を励ますのが、“学会の心”である。

 「ところで、皆それぞれ、家庭環境は違っています。お父さんやお母さんがいないという人もいるでしょう。両親がそろっている人は幸せです。しかし、仏法の眼から見れば、親がいない場合は、もっと幸せとも言える。

 では、なぜ、そう言えるのか――。

 お父さんやお母さんがいなければ、経済的にも精神的にも、大変なことが多いと思う。しかし、苦労があるということは、自分を磨き鍛えることができる。また、人の苦しみもよくわかる人になれるし、大変な状況にある人を、自分の体験を通して励ましていくことができる。

 つまり、苦労があるということは、自分を強くし、民衆のリーダーとして育つ大事な条件を手にしたことになる。だから結果的に見れば、それは幸せなことであるといえるんです。また、お父さんやお母さんが信心をしていない人もいるかもしれない。それもまた、深い意味があることなんです。

 私の場合は、最初、両親も、家族も、誰も信心をしていなかった。だから、一家の幸福と繁栄のために、私が頑張らなければならないと思った。それによって、甘えを排して信心に取り組むことができたんです。逆境は成長のための道場であり、幸福を創造するための舞台であることを知ってください」

 (「大河」の章、328~330ページ)

 

誉れの通信員
 

 <1970年(昭和45年)11月、完成間もない聖教新聞社の新社屋で全国通信員大会が開かれる。「大河」の章には、山本伸一と恩師・戸田城聖の通信員に対する思いが描かれている>

 通信員大会の開催を聞いた伸一は、聖教新聞社の幹部に言った。(中略)

 「通信員の皆さんは、配達員の皆さんとともに、新聞を支えてくださっている大きな力です。皆、仕事や学会活動で忙しいなか、足を棒にして取材をし、記事を書いてくださっている。だから聖教新聞は、地域に密着し、人びとに親しまれる新聞になっている。

 細かく張り巡らされた通信員の皆さんの取材網は、ちょうど毛細血管のようなものです。みんなは、ともすれば大動脈のような、大きなところ、目立つところばかりに目がいってしまうが、人体の隅々にまで血を送り、命を支えているのは毛細血管です。

 通信員の皆さんは、同じように、組織の隅々にまでアンテナを張り巡らせ、あの町、この村のニュースをつかみ、情報を吸い上げてくださる。それによって、聖教新聞は、日々、脈動した記事を読者に送り続けることができる。

 また、そうしてできあがった新聞を、毎日、読者のもとに届けてくださるのが、配達員の皆さんです。

 通信員と配達員の皆さんこそ、新聞の生命線です。ありがたいことではないですか。本社にいる者は、そのことを絶対に忘れてはいけない」(中略)

 「私は、通信員の活動にこそ、聖教新聞の原点があると思っている。当初、聖教新聞は、専従の職員というよりも、学会の幹部が皆でつくってきた。戸田先生をはじめ、私も、理事たちも、皆、懸命に原稿を書きました。(中略)

 みんな、仕事をし、学会活動に励み、そして、新聞をつくった。忙しいが必死だった。その闘魂が紙面にあふれていた。だから、新聞には感動があった。今、その精神を受け継いでいるのが通信員の皆さんです」

 (370~372ページ)


 通信員制度が発足し、初の通信員会議がもたれたのは、一九五四年(昭和二十九年)一月のことであった。(中略)

 戸田は最大の期待を込めて、通信員に語った。

 「聖教新聞に対する皆さんのご協力は、大変にありがたい。

 今、皆さんは、新しい決意に燃えておられるが、人間は、ともすれば、次第に惰性に流されていくものです。記事を書くうえでも、その惰性との戦いが大事です。

 私は、通信員は本当の“闘争人”になってもらいたい。“闘争人”というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです。見栄や体裁で書く格好だけの文章では、邪悪を断つことはできない。そんな文は自己満足です。正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」

 (372~373ページ)

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第14巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第14巻「解説編」はこちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする