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キングは池田会長と同じ道を歩んでいた――米公民権運動を闘ったハーディング氏との語らい

2020年07月10日 | 妙法

キングは池田会長と同じ道を歩んでいた――米公民権運動を闘ったハーディング氏との語らい 2020年7月10日

  • 連載〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第12回
再会を喜び合う池田先生とハーディング氏(1996年4月、東京・八王子市の創価大学で)。氏は先生を「希望への旅の友」と呼んだ。「キング博士のような、あなたの希望に満ちた精神に敬意を表したい」と
再会を喜び合う池田先生とハーディング氏(1996年4月、東京・八王子市の創価大学で)。氏は先生を「希望への旅の友」と呼んだ。「キング博士のような、あなたの希望に満ちた精神に敬意を表したい」と
 
キング博士の本当の“夢”

 「皆さんの、おばあさんの名前を教えてください」

 アメリカ創価大学(SUA)でのビンセント・ハーディング氏の講義は、いつもこんな問い掛けから始まった。

 2009年から3度にわたって講義を担当。時には大学内に泊まり込み、学生と忌憚なく意見を交わした。
 氏は、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の盟友であり、歴史学を専門とする。

 「では、生まれ育った場所は?」

 氏の質問に、学生たちも和やかに生い立ちを語り始める。互いの「ストーリー(物語)」に耳を傾けることから、新たな「ヒストリー(歴史)」は生まれる――共通性を見いだす対話にこそ、氏の人権教育の核心があった。

 晩年、氏は多くの青年にSUAへの進学を勧めていたという。キング博士が抱いた“本当の夢”を託そうと――。

 

小さな集まりから、新たな変革は始まる――アメリカ創価大学の学生と(2011年4月)
小さな集まりから、新たな変革は始まる――アメリカ創価大学の学生と(2011年4月)
 

 ハーディング氏は、アメリカ公民権運動の中核の一人。ある時はキング博士の相談役になり、ある時は博士のスピーチを書いた。キング記念センターの初代所長も務めている。

 1931年生まれの氏は、キング博士の2歳年下。同世代の二人が出会ったのは、58年秋のことである。

 当時、シカゴ大学の大学院生だった氏は、「メノナイト」という教会の一員として、白人のキリスト教徒とも協力し、開かれた共同体を創ろうと試みていた。ある日、こんな話が持ち上がる。“黒人と白人が共に行動することが危険な南部において、私たちは信念を貫くことができるか”

 アメリカ南部では、人種差別撤廃の運動と抵抗勢力の対立が激化していた。55年、ローザ・パークス氏の不当逮捕を機にアラバマ州でバス・ボイコット運動が始まり、56年に州立大学への黒人の入学が許可されるも、キャンパスや街中で暴力事件が起きた。

 ハーディング氏ら、黒人と白人の5人組は、車でアーカンソーからミシシッピ、そしてアラバマへと南下。そこで、公民権運動を指揮するキング博士と劇的な出会いを結ぶ。

 旅の詳細を知った博士の喜びは、ことのほか大きかった。博士が目指していたのは、不正と抑圧を絶つだけでなく、誰もが信頼し合える「新しいアメリカ」を建設することであり、その“希望の萌芽”を5人の勇気に見いだしたからであった。博士は語った。

 「我々がここで非暴力という手段をもって何をしようとしているのか、わかるはずだ」「何としてもここにまた戻ってきて、我々を助けてほしい」

 その後、ハーディング氏は南部への移住を決断。博士の「盟友」となる。

 氏は後年、「公民権運動」との表現は、その本質を狭めていると訴える。それは、未来へと世代を超えて継承されるべき「民主主義を拡大するための運動」である――と。

 

探求すべきは「人間の精神」

 「今日の会見を、キングも喜んでいると思います」

 ハーディング氏の笑顔がほころぶ。94年1月17日、新春の都内で池田先生との初会見が実現した。

 この前年、先生は「21世紀文明と大乗仏教」と題し、ハーバード大学で講演。後日、氏は先生の主張を知り、人間主義の哲学に深い関心を寄せた。

 「今日の会見を、キングも喜んでいると思います」

 ハーディング氏の笑顔がほころぶ。94年1月17日、新春の都内で池田先生との初会見が実現した。

ボストン近郊にある「池田国際対話センター」で講演(2010年11月)
ボストン近郊にある「池田国際対話センター」で講演(2010年11月)
 

 初会見では、「ベトナムを越えて」というキング博士のスピーチ(67年)が話題となった。

 それは、キング博士の“夢”に関わる重大なスピーチであり、ベトナム戦争の渦中に発表された、断固たる「反戦意思」の表明だった。黒人の同胞からさえ、「差別と戦争を混同するな」と批判が殺到。1年後、博士は暗殺される。実は、このスピーチの草稿を手掛けたのがハーディング氏だった。

 キング博士の晩年の夢は、「価値観の徹底的な変革」にまで広がっていた。それはアメリカの「人種差別主義」「極度の物質主義」「軍国主義」との対決であり、対話を通した“心の在り方”の変革にほかならない。

 博士と苦楽を共にしたハーディング氏が、何より深く心に刻んだもの――それは、「今日も明日も、さまざまな困難に直面しようとも、それでもなお私には夢がある」と叫び続けた、キング博士の「希望」の魂だった。

 

アメリカ創価大学で講演(2009年5月)。氏は同大学を「希望の学府」とたたえた
アメリカ創価大学で講演(2009年5月)。氏は同大学を「希望の学府」とたたえた
 

 池田先生は会談で、ハーディング氏の信念に触れ、述べている。

 「『希望』こそ『力』です。希望が新しき歴史を開き、希望が新しき人生の扉を開けます」「人間の中にこそ、無限の力があります。私はいつも祈ってまいりました。『無限の希望を、民衆のために開きたい』『無限の希望を、生み出して進みたい』と。『希望』、そしてキング氏の言う『夢』――何というロマンの言葉でしょうか。何と広大に広がりゆく魂の光でしょうか」

 ハーディング氏の瞳が輝いた。

 「私の根本の信念は、すべての人間に、創造的な力が備わっているということです。平和で正しい社会をつくる能力がある。しかし、それは、十分に開発されていません。これをどう開発するか。これが、21世紀の課題です。私は言いたいのです。まだまだ、人間精神の偉大な発明の余地は残されている。人間の内面と周辺には、『探究すべき領域』が残されている。いよいよ、これからであると」

 

対談集『希望の教育 平和の行進』
 

 初の会見以来、ハーディング氏は、池田先生を「キングの最善の精神の継承者」と信頼し、先生が創立したボストン近郊の「池田国際対話センター」での講演にも力を注いだ。

 やがて二人の対話は、対談集『希望の教育 平和の行進』に結実する――。

 

ハーディング氏と池田先生の対談集
ハーディング氏と池田先生の対談集
 

 この対談集では、アメリカ公民権運動と創価学会の民衆運動との歴史的な共通性も浮き彫りにされている。

 バス・ボイコット運動が起きた50年代後半、池田先生は大阪の地で、権力との人権闘争を展開。黒人学生が「座り込み運動」を推進した60年には、人間主義の哲学を掲げてアメリカへ。ベトナム戦争時には、折々に平和への主張を重ねた。

 ハーディング氏は、「人類が前進するための苦闘においては、私たちすべてを結びつける根源的な絆が存在する」と言う。

 池田先生のリーダーシップのもと、日夜、草の根の対話を通し、生命の変革に挑み続ける学会員の姿は、キング博士の理想と二重写しになっていた。氏は、こう断言する。

 「キングも池田会長と同じく、大いなる希望と探究心の持ち主でした。生きていれば、会長と同様の道を歩んでいたに違いありません」

 

“夢”を青年に託して
 

 若き友への薫陶は、ハーディング氏が世を去る直前まで続いた。

 亡くなる2カ月前の2014年3月、学会の青年交流団がアトランタを訪問。ハーディング氏は「ぜひ、会いたい」と飛行機で駆け付けた。

「青年との対話が大事です。学会の青年の皆さんと、もっと語っていきたい」(2014年3月、アトランタで)
 

 懇談の折、あるメンバーが「社会の不正義に対して、どう戦うべきか」と質問。博士は、しばらく沈黙した後、言葉を選びつつ答えた。

 「不正義に“対して”戦うのでなく、正義の“ために”戦うのです」

 大事なのは、「闘争の相手」でなく「闘争の目標」にある。そして、万人の“善の心”を引き出すことである――氏の深慮が光る回答だった。

 この翌月、氏と池田先生の対談集(英語版)が、アメリカ教育学教授協会の「優秀書籍」に選定された。全米教育史に深く刻まれた喜びに包まれる中、氏の82年の生涯は幕を閉じる。

 対談集の結びで、池田先生は氏にこう語り掛けた。

 「キング博士の夢も、ハーディング博士の夢も、さらに私たちの夢も、世界市民の使命に立ち上がった青年たちによって、必ず実現されていくに違いありません」

 先人たちの偉大な“夢”への軌跡は、尽きせぬ希望となって、次代を開く人々を鼓舞し続ける。

 

【プロフィル】 ビンセント・ハーディング 1931年、ニューヨーク生まれ。デンバー・アイリフ神学校名誉教授。シカゴ大学で歴史学修士・博士号を取得。58年にキング博士と出会い、公民権運動を共に戦う。65~69年、アトランタのスペルマン大学で歴史学・社会学教授。歴史学者、ジャーナリスト、人権運動家として活躍し、キング記念センター初代所長も務めた。主な著書に『マーチン・ルーサー・キング――不都合なヒーロー』『希望と歴史』『そこに川がある――アメリカにおける黒人の自由への闘争』(邦題仮訳)など。2014年5月、死去。

 

【引用・参考文献】 ビンセント・ハーディング/池田大作著『希望の教育 平和の行進――キング博士の夢とともに』第三文明社、M.L.キング著『自由への大いなる歩み――非暴力で闘った黒人たち』雪山慶正訳(岩波新書)、Vincent Harding著『Hope and History: Why We Must Share the Story of the Movement』Orbis Books、同著『Martin Luther King: The Inconvenient Hero』同ほか。 

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マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 「男子部」編

2020年07月10日 | 妙法

 

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 「男子部」編  2020年7月11日

  • 苦難こそ誉れ! 師弟こそわが道!!
男子部幹部会で指揮を執る池田先生(1964年2月、東京・台東体育館で)
男子部幹部会で指揮を執る池田先生(1964年2月、東京・台東体育館で)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、きょう7・11「結成の日」を記念して「男子部」編を掲載する。次回は「女子部」編を18日付2面に予定。挿絵は内田健一郎。

 

日蓮仏法は人類救済の指導原理
 

 <1961年(昭和36年)11月、男子部の代表10万人が国立競技場に集い、開催された男子部総会で、山本伸一は訴える>

 「なぜ、世界も、日本国内も、不幸と悲惨が絶えないのか。それは、日蓮大聖人の大仏法を鑑として拝すれば、すべては明らかであります。

 その原因は、いずれの指導者にも、社会を支えゆく民衆にも、確かなる指導理念、哲学がないことにあります。仮に、哲学をもっていても、自他ともの幸福を実現しゆく生命の大哲学ではありません。

 そのなかにあって、私どもは、自己の人間革命と、社会、世界の平和を可能にする、完全無欠なる日蓮大聖哲の大生命哲学をもっております。この大生命哲学こそ、人類を救済しゆく、最高の指導原理であるということを、私どもは、声を大にして、叫び続けていこうではありませんか!」

 賛同と誓いの大拍手が、競技場の空高く舞った。(中略)

 「願わくは、諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたいことを強く、念願するものでございます。

 私は、ただただ、学会の宝であり、人類の希望である、誉れの青年部の諸君の成長と健闘を祈っております。

 以上、簡単ではございますが、一言、ごあいさつ申し上げ、講演に代えさせていただきます」(中略)

 彼は、哲学不在の時代に、民衆の幸福と人類の平和を築く、真実のヒューマニズムの指導原理が日蓮仏法にあることを、宣言したのである。

 (第5巻「勝利」の章、220~221ページ)

 

創価の後継者は弘教の大闘士に
 

 <77年(同52年)3月、福島文化会館(当時)を訪れた伸一は、居合わせた幹部に、学会の後継者が身につけるべき力について語る>

 「青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たちが、弘教の大闘士に育たなければ、学会の未来は開けないからね」

 大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せである。その御心を体して、弘教に生き抜くなかに信仰の大道がある。(中略)

 折伏は、自身の一生成仏、すなわち絶対的幸福境涯を築く要諦となる仏道修行である。

 御書には、「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(1121ページ)とある。さらに、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360ページ)と断言されている。

 私たちは、勇んで唱題と折伏に励むことによって、仏に連なり、仏の使いの働きをなし、地涌の菩薩となり得るのだ。

 つまり、自行化他にわたる信心の実践によって、仏の力が涌現し、地涌の菩薩の大生命が脈動する。(中略)

 そして、それによって、自身の人間革命、宿命の転換が成し遂げられ、絶対的幸福境涯を築くことができるのだ。また、人びとの苦悩を根本から解決し、崩れざる幸福の道を教える折伏は、最高の慈悲の行である。人間として最も崇高な利他行であり、極善の行為である。

 (第25巻「福光」の章、20~21ページ)

 

命の限り広布に生き抜く「志」を
 

 <77年(同52年)10月、北海道・厚田の戸田講堂の開館を祝賀する集いで伸一は、青年部の友に、51年(同26年)7月の男子部結成式前夜、恩師・戸田城聖と交わした師弟の語らいを紹介する>

 戸田は、伸一に語っていった。(中略)

 「命ある限り、広宣流布に生き抜こうという志をもった人間を、私はつくりたいのだ。(中略)

 牧口先生のように、人びとの幸福のために、生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく。この戸田の弟子であることの“誇り”をもち続け、広宣流布という“大理想”に生き抜こうという人間だ!(中略)

 皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ。

 伸一! 君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!

 いいな! できるな!」

 「はい!」

 決意を秘めた伸一の声が響いた。戸田は、鋭い視線を伸一に注いだ。弟子の顔から、微動だにしない広宣流布への信念を見て取った戸田は、口元をほころばせた。

 「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ。

 今夜の二人の語らいが、事実上の男子青年部の結成式だよ」

 (第26巻「厚田」の章、40~42ページ)

 

多忙の中での挑戦が自身を錬磨

 <51年(同26年)9月、御書講義の講師として埼玉・川越地区に派遣された伸一は、仕事が忙しく学会活動の時間が取れないと悩む青年を励ます>

 「私もそうです。どうやって学会活動の時間をつくりだそうかと、悩み抜いています。(中略)

 青年時代に職場の第一人者をめざして懸命に働いていれば、忙しいに決まっています。(中略)

 多忙ななかで、いかに時間をつくりだすかが既に戦いなんです。少しでも早く、見事に仕事を仕上げて活動に出ようと、必死に努力することから、仏道修行は始まっています。自分の生命が鍛えられているんです。

 この挑戦を重ねていけば、凝縮された時間の使い方、生き方ができるようになります。

 平日は、どうしても動けないのなら、日曜などに、一週間分、一カ月分に相当するような充実した活動をするという方法もあります。

 たとえ会合に出られないことがあっても、広宣流布に生き抜こうという信心を、求道心を、一歩たりとも後退させてはなりません。

 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)との御文がありますが、大変な状況のなかで、信心に励むからこそ、それだけ功徳も大きいんです。

 戸田先生は、よく『青年は苦労せよ。苦労せよ』『悩みなさい。うんと悩みなさい』とおっしゃいます。(中略)

 私も、その先生のご指導を生命に刻んで、歯を食いしばりながら挑戦しています。

 君には、今の大変な状況のなかで、『こうやって学会活動をやり抜いた』『こうやって職場の大勝利者になった』という実証を示して、多くの男子部員に、その体験を語れるようになってほしいんです」

 (第26巻「奮迅」の章、399~400ページ)

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