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師とつづる幸福の劇〉小説「新・人間革命」と共に 2020年3月24日

2020年03月24日 | 妙法

師とつづる幸福の劇〉小説「新・人間革命」と共に  2020年3月24日

鳥取 鳥取圏・久松支部 岸本 祐子さん(圏総合婦人部長)
苦難は全て励ます力に
鳥取 鳥取圏・久松支部 岸本 祐子さん(圏総合婦人部長)
苦難は全(すべ)て励ます力(ちから)に

 大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行った。(中略)一人ひとりに光を当てる個人指導が、最も重要な活動になる。(第6巻「遠路」の章、98ページ)

 大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励(はげ)ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行(い)った。(中略)一人ひとりに光を当てる個人指導が、最(もっと)も重要な活動になる。(第6巻「遠路」の章、98ページ)

小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」
小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」
小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」

 鳥取総県婦人部では、圏や本部単位で小説『新・人間革命』を学び合う「さくらカレッジ」を行っています。
 
 わが圏は、若い婦人部の“共感力”を引き出すことに焦点を置いて勉強会を開催。毎回、グループを変えてディスカッションを行い、同世代の奮闘する姿や言葉など、ありのままを共有。メンバーからも「同じ年代の人たちの飾らない声が一番の“励まし”です」と好評です。
 
 訪問の自粛や会合中止の今は、『新・人間革命』を学ぶチャンスと捉え、電話やメール、手紙などで声を掛けながら前進しています。
 
 ◇ 
 
 広島出身の私は病気を患い、大学受験を断念。私大の通信教育部で学んでいた頃、女子部の先輩の激励がきっかけで、信心に励むようになりました。
 
 女子部時代を悔いなく走り、結婚を機に鳥取へ。申し訳ないくらい頻繁に婦人部の先輩方が通ってくれました。
 
 こうした励ましの一つ一つが、今の私を築いています。
 
 信心の転機は1997年(平成9年)のことです。次男(当時3歳)の体重減少が気になり病院へ。精密検査の結果、脳に5センチ大の腫瘍が見つかったのです。
 
 医師から「この子は今、歩けますか。話せますか」と、矢継ぎ早に質問がありましたが、私の頭の中は真っ白でした。
 
 “私が負けてはいけない”――その後、家族や同志の祈りに支えられ、手術は無事に成功。次男は幼稚園に入園できるまでに回復し、皆で喜びをかみ締めていました。
 
 しかし、その生活も長くは続きません。恐れていた再発が分かり、次男は4歳という短い人生を終えました。
 
 絶望の淵に突き落とされた時、上の子は6歳、下はまだ2歳。家事や育児に追われ、休む暇もありませんでした。苦しくて仕方がない時には、常に婦人部の先輩方が寄り添ってくれました。
 
 何よりの励ましは、池田先生の指導でした。次男が亡くなった直後、「荘厳な夕日が、再び、はつらつたる旭日になるように、大いなる『永遠の生命』は、死をも超えて活動し続ける」とのスピーチが掲載。まるで先生が直接、私たち夫婦に教えてくださっているようでした。
 
 その後は“次男の分まで”と、夫婦で広布の最前線を走りました。この『新・人間革命』の一文も常々、心に問い掛けている指導です。今振り返ると、人生における苦難は全て、同じように悩み苦しむ友に対し、寄り添う力となっているように感じます。
 
 これからも、感謝の心を忘れることなく、次代を担う婦人部員と共に、地域に希望のスクラムを広げていきます。

 鳥取総県婦人部では、圏や本部単位で小説『新・人間革命』を学び合う「さくらカレッジ」を行(おこな)っています。
 
 わが圏は、若い婦人部の“共感力”を引き出すことに焦(しょう)点(てん)を置(お)いて勉強会を開催。毎回、グループを変えてディスカッションを行い、同世代の奮(ふん)闘(とう)する姿(すがた)や言葉など、ありのままを共有。メンバーからも「同じ年代の人たちの飾(かざ)らない声が一番の“励まし”です」と好(こう)評(ひょう)です。
 
 訪(ほう)問(もん)の自(じ)粛(しゅく)や会合中止の今は、『新・人間革命』を学ぶチャンスと捉(とら)え、電話やメール、手紙などで声を掛けながら前進しています。
 
 ◇ 
 
 広島出身の私は病気を患(わずら)い、大学受験を断(だん)念(ねん)。私大の通信教育部で学んでいた頃(ころ)、女子部の先輩の激励がきっかけで、信心に励むようになりました。
 
 女子部時代を悔(く)いなく走り、結婚を機に鳥取へ。申し訳ないくらい頻(ひん)繁(ぱん)に婦人部の先輩方が通ってくれました。
 
 こうした励ましの一つ一つが、今の私を築(きず)いています。
 
 信心の転(てん)機(き)は1997年(平成9年)のことです。次男(当時3歳)の体重減少が気になり病院へ。精(せい)密(みつ)検査の結果、脳(のう)に5センチ大の腫(しゅ)瘍(よう)が見つかったのです。
 
 医師から「この子は今、歩けますか。話せますか」と、矢(や)継(つ)ぎ早(ばや)に質問がありましたが、私の頭の中は真っ白でした。
 
 “私が負けてはいけない”――その後、家族や同志の祈りに支(ささ)えられ、手術は無事に成功。次男は幼(よう)稚(ち)園(えん)に入園できるまでに回復し、皆で喜びをかみ締(し)めていました。
 
 しかし、その生活も長くは続きません。恐(おそ)れていた再発が分かり、次男は4歳という短い人生を終えました。
 
 絶(ぜつ)望(ぼう)の淵(ふち)に突き落とされた時、上の子は6歳、下はまだ2歳。家事や育児に追われ、休む暇(ひま)もありませんでした。苦しくて仕方がない時には、常に婦人部の先輩方が寄(よ)り添(そ)ってくれました。
 
 何よりの励ましは、池田先生の指導でした。次男が亡くなった直後、「荘(そう)厳(ごん)な夕日が、再び、はつらつたる旭(きょく)日(じつ)になるように、大いなる『永遠の生命』は、死をも超(こ)えて活動し続ける」とのスピーチが掲(けい)載(さい)。まるで先生が直接、私たち夫婦に教えてくださっているようでした。
 
 その後は“次男の分まで”と、夫婦で広布の最前線を走りました。この『新・人間革命』の一文も常(つね)々(づね)、心に問い掛けている指導です。今振り返ると、人生における苦難は全(すべ)て、同じように悩み苦しむ友に対し、寄り添う力(ちから)となっているように感じます。
 
 これからも、感謝の心を忘れることなく、次代を担う婦人部員と共に、地域に希望のスクラムを広げていきます。

鳥取圏の「さくらカレッジ」資料。信頼するスタッフと共に作成
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