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教育本部の日 実践記録が14万事例に 2020年3月31日

2020年03月31日 | 妙法

きょう31日は教育本部の日 実践記録が14万事例に きょう31日は教育本部の日 実践記録が14万事例に 2020年3月31日

教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集
教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集
教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集

 きょう31日は「教育本部の日」。同本部は2002年同日、前身の「教育部」が学校教育、幼児・家庭教育、社会教育の分野を担う3部体制へと拡充されたことに伴い、発足した。教育部が誕生した1961年から数えると、約60年の歴史を持つ人間教育者の集いである。

 このほど同本部の友がつづった2019年度の「実践記録」がまとまった。子どもたちと共に歩んだ成長のドラマが収められている。

 実践記録運動のスタートは1984年。池田大作先生の提案によるものである。累計は14万5000事例を突破した。

 きょう31日は「教育本部の日」。同本部は2002年同日、前身の「教育部」が学校教育、よう・家庭教育、社会教育の分野をになう3部体制へとかくじゅうされたことにともない、発足した。教育部がたんじょうした1961年から数えると、約60年の歴史を持つ人間教育者の集いである。

 このほど同本部の友がつづった2019年度の「実践記録」がまとまった。子どもたちと共に歩んだ成長のドラマが収められている。

 実践記録運動のスタートは1984年。池田大作先生の提案によるものである。るいけいは14万5000事例をとっした。

昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた
昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた
昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた

 実践記録の執筆者が自らの取り組みを報告する「人間教育実践報告大会」も毎年、列島各地で行われ、感動と共感を広げている。昨年10月に富山で行われた全国大会には海外の教育者も来賓として参加。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」(スペイン・アルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のイボラ所長)と高い評価を寄せた。

 また「実践報告大会の内容に世界中の人が触れられるようにしていただきたい」(カナダ・オタワ大学教育学部のイブラヒム教授)等の要望が高まっていることを受け、現在、実践記録の英訳も進められている。

 本年は、初代会長・牧口常三郞先生が第2代会長・戸田城聖先生の支えを得て完成させた『創価教育学体系』第1巻の発刊から、90周年の佳節を迎える。池田先生は「教育本部の皆様こそが、『創価教育学体系』の“続編”を綴りゆく創価教育の後継者であり、『実践編』を体現されゆく人間教育の真正の勇者である」と期待する。

 創価教育100周年となる2030年へ、実践記録運動の進展とともに、人間教育者の連帯も一段と広がっていくに違いない。
 

 実践記録のしっぴつしゃが自らの取り組みを報告する「人間教育実践報告大会」も毎年、列島各地で行われ、感動と共感を広げている。昨年10月に富山で行われた全国大会には海外の教育者もらいひんとして参加。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」(スペイン・アルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のイボラ所長)と高い評価を寄せた。

 また「実践報告大会の内容に世界中の人がれられるようにしていただきたい」(カナダ・オタワ大学教育学部のイブラヒム教授)等の要望が高まっていることを受け、現在、実践記録のえいやくも進められている。

 本年は、初代会長・牧口常三郞先生が第2代会長・戸田城聖先生の支えをて完成させた『創価教育学たいけい』第1かんの発刊から、90周年のせつむかえる。池田先生は「教育本部のみなさまこそが、『創価教育学体系』の“続編”をつづりゆく創価教育のこうけいしゃであり、『実践編』を体現されゆく人間教育の真正の勇者である」と期待する。

 創価教育100周年となる2030年へ、実践記録運動の進展とともに、人間教育者の連帯も一段と広がっていくに違いない。
 

実践記録の代表事例から(要旨)
実践記録の代表事例から(要旨)
秋田 成田恵子さん(小学校教諭) 行動の奥にある心を知る
秋田 成田恵子さん(小学校教諭) 行動の奥にある心を知る

 4度目の挑戦でやっと教員採用試験に合格した私は、期待に胸をふくらませて小学校教員としての生活を開始。担任として受け持つことになった1年生のクラスに、Aくんはいました。

 彼は急に暴れたり、友達にいたずらをしたりと、問題行動を起こしてばかり。「笑顔にあふれた学級運営」という私の理想は、打ち砕かれました。Aくんを感情的に叱ってしまう毎日。彼も聞く耳を持ちません。顔を合わせるたび、まるで「先生のことなんて信じられない」とでも言わんばかりの目つきを、私に向けてきます。私は自分があまりに情けなくて、帰宅後に涙を流す日もありました。

 ある日、創価学会の教育部の先輩から受けたアドバイスが、胸に響きました。「子どもを変えたいなら、まず自分が変わることだよ」と。Aくんの言動ばかりにとらわれて、その行動の奥にある、彼の心に目を向けていなかった自分を反省しました。

 Aくんのことをもっと知ろうと、私は、彼のお母さんと懇談。Aくんが保育園の頃から問題行動を起こして怒られてばかりいた事実に加え、今も自宅で叱られてばかりいることを知りました。

 4度目のちょうせんでやっと教員採用試験に合格した私は、期待にむねをふくらませて小学校教員としての生活を開始。たんにんとして受け持つことになった1年生のクラスに、Aくんはいました。

 彼は急に暴れたり、友達にいたずらをしたりと、問題行動を起こしてばかり。「笑顔にあふれた学級運営」という私の理想は、くだかれました。Aくんを感情的にしかってしまう毎日。彼も聞く耳を持ちません。顔を合わせるたび、まるで「先生のことなんて信じられない」とでも言わんばかりの目つきを、私に向けてきます。私は自分があまりに情けなくて、たく後になみだを流す日もありました。

 ある日、創価学会の教育部のせんぱいから受けたアドバイスが、むねひびきました。「子どもを変えたいなら、まず自分が変わることだよ」と。Aくんの言動ばかりにとらわれて、その行動のおくにある、彼の心に目を向けていなかった自分を反省しました。

 Aくんのことをもっと知ろうと、私は、彼のお母さんとこんだん。Aくんが保育園のころから問題行動を起こしておこられてばかりいた事実に加え、今もたくしかられてばかりいることを知りました。

絵本の読み聞かせをする成田さん
絵本の読み聞かせをする成田さん
絵本の読み聞かせをする成田さん

 Aくんの自己肯定感を高めていこう――そう決めた私は、教室移動の時に手をつないだり、お手伝いをしてくれた時は笑顔で「ありがとう」を伝えたりするなど、彼と心のつながりが結べるよう心掛けました。Aくんがトラブルを起こした時も、「なぜ、そうしたのか」という理由に耳を傾け、思いを受け止めることに専念したのです。

 Aくんのお母さんにも、小まめに電話をかけ、彼が頑張っている様子を伝えました。とても喜んでくださり、家庭内でAくんを褒める機会が増えていったそうです。

 自分を大切にされた経験のない人が、誰かを大切にできるはずがありません。反対に、「自分の気持ちを分かってもらえてうれしい」との経験を数多く持つことができれば、人の気持ちを理解しようという思いも強くなっていくはずです。

 ある日の休み時間、私は、Aくんが友だちと一つのボールを譲り合って遊ぶ姿を目にしました。ささいなことかもしれません。しかしそこに私は、彼の確かな成長を見て取り、なんとも言えない温かさが胸いっぱいに広がったのです。

 Aくんのお母さんが教えてくれました。「息子はね、どんなつらいことがあっても、先生と会うと笑顔になれるんですよ」

 私にとっても、笑顔の思い出をたくさんつくることができたのは、ほかでもない、Aくんのおかげです。
 

 Aくんのこうていかんを高めていこう――そう決めた私は、教室移動の時に手をつないだり、お手伝いをしてくれた時は笑顔で「ありがとう」を伝えたりするなど、彼と心のつながりが結べるようこころけました。Aくんがトラブルを起こした時も、「なぜ、そうしたのか」という理由にみみかたむけ、思いを受け止めることにせんねんしたのです。

 Aくんのお母さんにも、まめに電話をかけ、彼ががんっている様子を伝えました。とても喜んでくださり、家庭内でAくんをめる機会が増えていったそうです。

 自分を大切にされた経験のない人が、だれかを大切にできるはずがありません。反対に、「自分の気持ちを分かってもらえてうれしい」との経験を数多く持つことができれば、人の気持ちを理解しようという思いも強くなっていくはずです。

 ある日の休み時間、私は、Aくんが友だちと一つのボールをゆずり合って遊ぶ姿すがたを目にしました。ささいなことかもしれません。しかしそこに私は、彼の確かな成長を見て取り、なんとも言えない温かさがむねいっぱいに広がったのです。

 Aくんのお母さんが教えてくれました。「息子はね、どんなつらいことがあっても、先生と会うと笑顔になれるんですよ」

 私にとっても、笑顔の思い出をたくさんつくることができたのは、ほかでもない、Aくんのおかげです。
 

香川 山本泰司さん(小学校教諭) 人とのつながりこそ“力”
香川 山本泰司さん(小学校教諭) 人とのつながりこそ“ちから

 私は東京で6年間、小学校の教員を務めた際、障がいのある児童と関わりました。通常学級と特別支援学級の子が互いに尊重し合える教育をしたいと思うようになり、働きながら勉強を重ねて特別支援学校の教員免許を取得したのです。

 地元・香川に帰郷後、小学校の特別支援学級の担任に。そこで出会った2年生のYくんは、手足に障がいがありました。

 特別支援教育は、その子の特性に合った関わりをすることに加え、保護者との協力関係が欠かせません。私はYくんの保護者と面談を重ね、学校に対する要望を率直に伺いました。

 親御さんが望んでいたのは、Yくんのコミュニケーション力を養うために、「本人にできることは積極的に挑戦させたい」ということ。Yくんとの関わりを通し、ほかの児童にも障がいへの理解を深めてほしいということでした。

 Yくんは、軽い言語障がいもあり、発話が少し苦手ですが、書くことについては発達の遅れは見られません。私はYくんに文章で自分の思いを表現する力を磨いてほしいと思い、本人やご家族の了承を得て、宿題として簡単な日記を書いてもらうことにしました。その内容がとてもユーモアに富んでいて、面白いのです。私はYくんに日記を他の人にも読んでもらうのはどうかと提案したところ、快諾してくれました。

 私は東京で6年間、小学校の教員を務めた際、障がいのある児童と関わりました。通常学級と特別支援学級の子がたがいにそんちょうし合える教育をしたいと思うようになり、働きながら勉強を重ねて特別支援学校の教員めんきょを取得したのです。

 地元・香川にきょう後、小学校の特別支援学級のたんにんに。そこで出会った2年生のYくんは、手足に障がいがありました。

 特別支援教育は、その子の特性に合った関わりをすることに加え、保護者との協力関係が欠かせません。私はYくんの保護者と面談を重ね、学校に対する要望を率直にうかがいました。

 おやさんが望んでいたのは、Yくんのコミュニケーション力を養うために、「本人にできることは積極的にちょうせんさせたい」ということ。Yくんとの関わりを通し、ほかの児童にも障がいへの理解を深めてほしいということでした。

 Yくんは、軽い言語障がいもあり、発話が少し苦手ですが、書くことについては発達のおくれは見られません。私はYくんに文章で自分の思いを表現するちからみがいてほしいと思い、本人やご家族のりょうしょうを得て、宿題としてかんたんな日記を書いてもらうことにしました。その内容がとてもユーモアに富んでいて、面白いのです。私はYくんに日記を他の人にも読んでもらうのはどうかと提案したところ、かいだくしてくれました。

山本さんの授業中の一こま
山本さんの授業中の一こま
山本さんの授業中の一こま

 授業の一環として始めたのが「日記帳を携えた歩行練習」です。Yくんが歩行器を使って校内の先生方を訪ね、自分の日記を読んでもらい、感想をもらうという取り組みです。

 Yくんは、どちらかといえば歩行練習が苦手でした。しかし、日記を読んだ先生に「面白いね!」と言ってもらえる喜びや、さまざまな人と話すことの楽しさを感じて、歩行練習への意欲も高まっていったのです。

 また、休み時間に、Yくんが所属する特別支援学級の教室に通常学級の子たちを招き、一緒に遊んでもらうよう呼び掛けました。子どもたちは、Yくんの得意なこと、苦手なこと、何より彼の人柄に触れる中で、障がいへの理解を深めていきました。ある子は自ら進んで、掃除の時間にYくんと一緒に清掃に取り組むようにもなりました。Yくんの周りは、いつも、たくさんの笑顔であふれるようになったのです。

 池田先生の言葉に「子ども自身が『自分の人生を切り開く力』を養うとともに、『人とのつながり』『心の結びつき』を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります」と。人間にとっての幸せとは何か。Yくんがその答えを教えてくれたと思います。
 

 授業のいっかんとして始めたのが「日記帳をたずさえた歩行練習」です。Yくんが歩行器を使って校内の先生方をたずね、自分の日記を読んでもらい、感想をもらうという取り組みです。

 Yくんは、どちらかといえば歩行練習が苦手でした。しかし、日記を読んだ先生に「面白いね!」と言ってもらえる喜びや、さまざまな人と話すことの楽しさを感じて、歩行練習へのよくも高まっていったのです。

 また、休み時間に、Yくんが所属する特別支援学級の教室に通常学級の子たちを招き、いっしょに遊んでもらうようけました。子どもたちは、Yくんの得意なこと、苦手なこと、何よりかれひとがられる中で、障がいへの理解を深めていきました。ある子は自ら進んで、そうの時間にYくんといっしょせいそうに取り組むようにもなりました。Yくんの周りは、いつも、たくさんの笑顔であふれるようになったのです。

 池田先生の言葉に「子ども自身が『自分の人生を切り開く力』を養うとともに、『人とのつながり』『心の結びつき』を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります」と。人間にとっての幸せとは何か。Yくんがその答えを教えてくれたと思います。
 

茨城 江幡友子さん(高校教諭) 学ぶ楽しさを共に見つけ
茨城 江幡友子さん(高校教諭) 学ぶ楽しさを共に見つけ

 私の勤務先は水産海洋系の高校で、生徒たちは主に航海や漁業の技術・知識を学びます。私の担当は初任時から今日まで「食品科」。水産食品の製品作りや販売・流通に関して教えています。

 私が高校1年の担任に就いた時のことです。クラスにTさんという生徒がいました。彼女は友達からの人望はあるものの、教員には反抗的で、授業を抜け出すことも、しばしば。具体的な目標や夢を持って入学したわけではなく、「学校に来る意味が分からない」というのです。

 やがて高校を辞める意思を固めた彼女は、学校にも来なくなりました。

 どうしたものか……。悩んだ私は、池田先生の書籍を開きました。そして“子どもの心を動かすのは、こちらの真剣で必死な「心」です”との言葉に触れたのです。

 反省しました。“自分はTさんの悩みに対して、どこまで真剣に向き合ってきただろうか”と。そして祈りました。“彼女の心が分かる自分にさせてください”と。時間をこじ開けるようにして彼女の自宅を訪ね、声に耳を傾け、手紙を送り続けました。

 そして3学期が終わろうとしていたある日、彼女は「学校を辞めてもやりたいことがあるわけじゃない。これからどうすればいいか分からない」と、胸の内を打ち明けてくれたのです。

 私のきんさきは水産海洋系の高校で、生徒たちは主に航海や漁業の技術・知識を学びます。私のたんとうは初任時から今日まで「食品科」。水産食品の製品作りやはんばい・流通に関して教えています。

 私が高校1年のたんにんいた時のことです。クラスにTさんという生徒がいました。彼女は友達からの人望はあるものの、教員にははんこうてきで、授業をすことも、しばしば。具体的な目標や夢を持って入学したわけではなく、「学校に来る意味が分からない」というのです。

 やがて高校を辞める意思を固めた彼女は、学校にも来なくなりました。

 どうしたものか……。なやんだ私は、池田先生のしょせきを開きました。そして“子どもの心を動かすのは、こちらのしんけんで必死な「心」です”との言葉にれたのです。

 反省しました。“自分はTさんのなやみに対して、どこまでしんけんに向き合ってきただろうか”と。そして祈りました。“彼女の心が分かる自分にさせてください”と。時間をこじ開けるようにして彼女のたくたずね、声にみみかたむけ、手紙を送り続けました。

 そして3学期が終わろうとしていたある日、彼女は「学校を辞めてもやりたいことがあるわけじゃない。これからどうすればいいか分からない」と、胸の内を打ち明けてくれたのです。

生徒に実験内容を説明する江幡さん
生徒に実験内容を説明する江幡さん
生徒に実験内容を説明する江幡さん

 私は込み上げるものを抑えながら、Tさんと一緒に「学ぶ楽しさ」を見つけ、卒業の日を共に迎えたいという思いを、精いっぱい伝えました。彼女は目に涙を浮かべながら、「私のことをこんなに思ってくれる江幡先生が担任でよかった」と話してくれたのです。

 進級したTさんと共に、新たな挑戦が始まりました。もともと手先が器用なTさんは、包丁の使い方を教えると、すぐに理解してくれます。私は彼女にカツオの解体といった難しい作業に挑戦させるなど、「活躍の場」をつくりました。

 手応えを感じたのでしょうか。彼女は授業でも積極的に発言したり、勉強が苦手な子に教えたりするようになりました。企業実習にも、はつらつと取り組んでくれました。彼女が「先生! 食品科の勉強って楽しいね」と言ってくれた時の感動は忘れられません。

 Tさんは学びを生かせる職場を目指し、第1希望の食品系企業から内定を獲得。笑顔の卒業式を迎えることができました。

 どんな状況にあっても、「学ぶ楽しさ」を感じられた時、子どもは見違えるように成長していく。教育者として絶対に忘れてはならないことを、Tさんは、私に教えてくれたのです。

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