紙上教学研さん 「わが愛する青年に贈る」に学ぶ〉第9回 広宣流布〈上〉 共々に地涌の使命に生き切る誉れ 西方男子部長2021年3月6日
「紙上教学研さん『わが愛する青年に贈る』に学ぶ」では、今回と次回で「広宣流布――共々に地涌の使命に生き切る誉れ」について、西方男子部長と共に学んでいきます。(〈下〉は20日付の予定。前回は2月20日付に掲載。池田先生の講義は『わが愛する青年に贈る』から引用)
池田先生の指導
広宣流布とは、
人々の生老病死の苦悩を救い、
幸福境涯に至らしめる仏の願いを
受け継ぎ、実現する仏弟子の使命。
まもなく3・16「広宣流布記念の日」を迎えます。1958年(昭和33年)のこの日、第2代会長の戸田城聖先生から池田大作先生を中心とした青年たちに広宣流布のバトンが託されました。そして今、池田先生は私たち青年部に広布の未来を全て託してくださっています。学会の使命である「広宣流布」とは何か。改めて考えたいと思います。
■ 池田先生の講義
“創価三代”の師弟を貫く誓願とは、広宣流布にほかなりません。
1942年(昭和17年)5月、軍部政府による思想の統制が強まるなかで開催された総会で、初代会長・牧口常三郎先生が断固と訴えられたのは「広宣流布」でした。さらに翌年、弾圧による逮捕後の取り調べでは、広宣流布の意味を問われ、先生は堂々と、「末法の時代、いわゆる現世のごとき濁悪の時代思想を、南無妙法蓮華経の真理によって浄化すること」(趣意)と主張されていたのです。
1951年(昭和26年)の5月3日、第2代会長就任式で戸田先生が誓願されたのも、「広宣流布」であります。「私が生きている間に75万世帯の折伏は私の手でする」と宣言されるとともに、今日の広宣流布は、膝づめの“一対一の対話”で成し遂げられると、実践の根本軌道を示してくださいました。
1960年(昭和35年)の5月3日、第3代会長に就任した私も、戸田門下生を代表して「化儀の広宣流布」を目指し、一歩前進への指揮を執り始めました。
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「勤行要典」の御祈念文には、創価の三代会長を「広宣流布の永遠の師匠」と仰ぐことが明確にうたわれています。
一方で、学会活動を始めたばかりの男子部員や新入会の友から「直接会ったことがない人を、師匠となかなか思えない」と、相談を寄せられることもあります。
私はかつて聖教新聞の記者として、全国各地の同志を取材しました。男子部長になってからも、社会で活躍する多くの先輩たちの話を伺ってきました。「一流」といわれる実証を示す方々に共通することは、それぞれの分野に「師匠」と呼べる人がいることです。芸術の師匠、学問の師匠、スポーツの師匠……。
しかしまた、異口同音に「私の『人生の師匠』は池田先生です」と断言されるのです。それは根本となる生き方を学んでいることにほかなりません。広宣流布とは仏法を弘めることであるとともに、「信心を根本に自他共の幸福に尽くす無上の“生き方”を広げること」ともいえるでしょう。
今、小説『新・人間革命』の研さんを通して創価の三代会長なかんずく池田先生の人生を学び、「私も師匠のように広布のために生きたい!」と立ち上がる友が、あの地この地に現れています。男子部として進めている拡大・結集・育成の「広布の三冠王」の取り組みも、「師弟の生き方」を学び広げる挑戦なのです。
池田先生は、恩師・戸田先生が繰り返し講義をされていた「顕仏未来記」を拝して、次のように教えてくださっています。
【御文】
予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依って仏の在世に生れず正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あって後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや(顕仏未来記、御書505ページ3行目~5行目)
【現代語訳】
私(日蓮)は一度は嘆いて言う。――今は釈迦仏の滅後、既に二千二百二十余年がたっている。いったい、いかなる罪業があって、仏(釈迦仏)のおられる時代に生まれ合わせることができず、また、正法時代の四依の人(迦葉・阿難や竜樹・天親等)にも、像法時代の天台大師や伝教大師にも会えなかったのであろうかと。
また、一度は喜んで言う。――いったい、いかなる福徳があって、後の五百年(の末法)に生まれ、この薬王品の真実の文を拝見することができたのであろうかと。
■ 池田先生の講義
広宣流布とは、人々の生老病死の苦悩を救い、人類を永遠の幸福境涯に至らしめる仏の願いを受け継ぎ、実現する仏弟子の使命にほかなりません。
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「生老病死の苦悩」――私の祖父と母の入会理由も、そこにありました。
私は常勝関西の出身です。祖父と母は1956年(昭和31年)に池田先生が指揮を執られた「大阪の戦い」で、折伏されたそうです。祖父は当時、重い病を患っていました。しかし弘教に歩く中、体調は快方へ向かい、74歳の天寿を全うするまで生き抜くことができたのです。
また祖父と母は、57年の「大阪大会」に参加したことを誇りとしていました。“信心しきったものが必ず勝つ!”――大会で師子吼された池田先生のこの確信こそ「永遠の幸福境涯」の実像ではないでしょうか。
今、私はコロナ禍の中でアメリカや韓国、ブラジルなど各国の男子部リーダーとオンラインで懇談しています。いずこでも青年たちが入会する理由は「生老病死」にまつわることが多い。時代は変われど、人間が直面する悩みは根本的には変わりません。と同時に、仏法の実践を通して信心の確信をつかんでいく友のドラマも、世界共通なのです。
「仏の願い」であり、創価の三代会長を貫く誓願である「万人の幸福の実現」という仏弟子の使命も、未来永遠に変わることはありません。
仏法は「時」を重視します。悪世末法に大聖人が御聖誕された意義を、先生は御書を拝して語ります。
■ 池田先生の講義
(「顕仏未来記」の御文にある)「歎いて」から「喜んで」への大転換に、重大な意味が拝察されます。
当時、大聖人は、次々と迫害を受け続けられていました。その結果、罪人として、死罪にも等しい流罪に処せられた境遇にありました。本抄にも、「日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(御書509ページ)と示されている通りです。
その中にあって、大聖人は「幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(同ページ)とまで仰せです。
まさしく「喜んで」と言われた御胸中には、末法広宣流布に一人立つ師子王の魂が、明々と燃えておられたと拝されます。
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思い出す原点があります。私が、創価大学に入学してまもない頃のことです。
「母さんね、がんが見つかったの」――大阪にいる母からかかってきた電話の内容に、私は耳を疑いました。“こんなに信心を頑張ってきた母が、なぜ?”
動揺する私を、先輩は力強く励ましてくれました。「大丈夫。西方君が本気で信心をする“時”が来たんだよ」と。私は「一家の宿命転換を懸けて折伏しよう」と誓いを立てました。とはいえ、友人に具体的に何を語ればよいか分かりません。池田先生の著作を貪るように読みました。そして毎週末、先輩の車に乗せてもらって地元へ帰省し、弘教に挑戦したのです。
その中で、実感したことがあります。“草創の先輩たちも皆、人生の師と出会い、「救われる存在」から「人々を救う存在」へ人間革命していったんだ”。まさに「嘆き」から「喜び」への転換です。
自分もまた、その師弟の道に連なっている――そう思うと、今まで感じたことのない誇りが湧いてきました。弘教は結実。母も治療が奏功して、病を乗り越えることができたのです。この体験を通して、その後も一家で多くの人に信心の功徳を語ることができています。
嘆きも苦悩も、広布の使命を自覚した時、全て境涯を開くための力となり、知恵となります。苦難と真正面から向き合う中でこそ真の喜びも生まれるのです。
今まさに、思わぬ宿命の嵐と戦っている友もいるでしょう。池田先生はこう励ましを送られています。
■ 池田先生の講義
誰しも、それぞれの人生において否応なく直面する境遇や状況があるものです。あまりにも過酷な苦難や試練もある。しかし、その襲いかかる「宿命」を、自分だからこそ耐えられる、必ず深い意味があると、あえて捉え直し、「使命」をつかみとっていく、生命の究極の道があります。
それこそが久遠より願って悪世末法の娑婆世界に生まれ、法華経を弘めるのだと誓願した地涌の菩薩の元初の生命なのです。
戸田先生は、獄窓の内で、地涌の菩薩の使命を自覚され、敗戦の焦土と化した日本にあって、「妙法流布の大願」を掲げられました。あの戦後の絶望と悲嘆の時代に、いったい誰が、「今こそ広宣流布の時なり」と誇り高く誓うことができたでしょうか。
創価学会が、仏意仏勅の「広宣流布の宗教」であるゆえんは、まさにこの「広宣流布の信心」があるからです。
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「あまりにも過酷な苦難や試練」と聞くと、東日本大震災から10年の歩みを重ねてこられた東北の方々を思い浮かべずにはいられません。
宮城のある男子地区リーダーは津波で4人のきょうだいを失いました。当時、高校2年生。家族を救えなかった自責の念に長年、苛まれたといいます。「自分には幸せになる権利はない」と。
それでも、何があっても負けない母の姿や、温かな創価家族の励ましに触れて「自分も変わりたい。成長したい」と折伏に挑戦。その中で「幸せ」について真剣に考えたそうです。自分が幸せになれないようでは、人を幸せにすることもできない――それなら「笑って生きよう。幸せになろう」と決めたのです。
彼は一昨年、男子部大学校生として弘教を実らせました。さらにコロナ禍の昨年も、高校の同級生を入会に導きました。互いに「共に負けない人生を歩もう」と励まし合って進んでいます。入会した一人は、男子部大学校への入校を決意しました。
地区リーダーの彼は「震災の事実は変わらない。でも、その意味を変えることはできる。宿命を使命に変える人生を生きようと決めました」と語っています。
「広宣流布の信心」がある限り、「悲哀」を「勇気」に、「宿命」を「使命」に、そして「大悪」を「大善」に変えていけるのです。
■ 池田先生の講義
法華経はまさしく、最も崇高にして根本的な「生きる意味」を人間に自覚させます。結論から言えば、民衆一人ひとりが広宣流布の大願に生きることこそ、無上道の人生であることを教えています。
法華経において、釈尊から滅後末法の広宣流布を付嘱された「久遠の弟子」こそ地涌の菩薩だからです。
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