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忘れ得ぬ旅 太陽の心で

2021年11月02日 | 妙法

忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉 イスタンブール2021年11月2日

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「イスタンブール――命がつなぐ歴史と希望」〈2013年5月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。トルコ最大の都市イスタンブールは、2000年以上の歴史を誇る。時代の流れの中で、三つの帝国の首都としても栄えた。多彩な文化を受け入れてきた“歴史の街”に息づく、調和の心に学び、一人一人が輝く未来を創っていきたい。
  

イスタンブールの街の一風景。赤い壁の家がひときわ鮮やかに(1992年6月、池田先生撮影)
イスタンブールの街の一風景。赤い壁の家がひときわ鮮やかに(1992年6月、池田先生撮影)

 チューリップ
  色とりどりの
     友たちと
    ならんで咲きゆく
      おとぎの国かな
  
 美しき「人類の古都」イスタンブールで迎えてくれたのは、なんとも愛らしいチューリップの花々でした。一九九二年の六月に訪れた時のことです。
 日本の幼子たちが一番はじめに描く花はチューリップが多いと聞いたことがあります。誰からも親しまれ、可憐ななかに凜々しさを湛えた、この花の故郷こそ、トルコであると言われます。
 富山県や新潟県の県花であるチューリップは、トルコでは国花として愛でられているのです。
  
 チューリップの「博愛」との花言葉は、古来、世界中から多くの民族を迎え入れてきたイスタンブールの温もりを象徴しているかのようです。
 そもそも、この「花言葉」という文化自体、トルコで生まれました。相手に対する自分の思いを花に託して伝える風習が、世界に広がったのです。
 イスタンブールは、二千数百年もの歴史を誇ります。その名をビザンチウム、コンスタンチノープル、イスタンブールと順々に変えながら、三つの大帝国の首都として、ギリシャ・ローマ文化、キリスト教文化、イスラーム文化の要衝となって栄えてきました。
 さらに、ここを出発して、ユーラシア大陸を横断する「絹の道(シルクロード)」、大海を越える「海の道(マリンロード)」は、日本にもつながっていたのです。
 様々な人や文化が往来し、息づく、この世界都市を支えてきた精神とは、何か――。
 イスタンブールの指導者が私に語られたのは、常に「人間」として「人間の価値」を第一に考えることです。異なる民族と文化、すべてを平等に尊重することです。
 多彩なチューリップの花咲く都は、朗らかに「まず人間であれ」そして「自分らしくあれ」と励ましてくれているのです。

ヨーロッパとアジアの接点であるボスポラス海峡の両岸に、イスタンブールの街並みは広がる(1992年6月、ヨーロッパ側からアジア側を望む。池田先生撮影)
ヨーロッパとアジアの接点であるボスポラス海峡の両岸に、イスタンブールの街並みは広がる(1992年6月、ヨーロッパ側からアジア側を望む。池田先生撮影)
誉め称える

 〈ボスポラス海峡を挟んでアジアと欧州にまたがるイスタンブール。池田先生はさまざまな出会いを振り返りつつ、東西の交差路に脈打つ“相手を尊重する精神性”をたたえる〉
  
 美しき
  心の都を
   日々 築け
  
 私は、イスタンブール出身の高名な人類学者ヤーマン博士(ハーバード大学名誉教授)と、『今日の世界 明日の文明』と題する対談集を発刊しました。
 博士は私に、「『共感』は真の人間らしさを示す特質である」と強調されたことがあります。
 すなわち、積極的に他者と対話し、交流し、悲しみや喜びを分かち合い、他者の生き方に深く配慮していく「共感」を育むことです。
 その根幹には、他者の生命への尊敬が自身の生命を荘厳することだという哲学があります。
 十三世紀、トルコゆかりの大詩人ルーミーは、「誰かが誰かのことを良く言う時、その善果は自分自身に戻ってくる。実は始めから自分自身のことを褒め讃えるようなものだ」と謳いました。
 日々の生活のなかでも、陰の労苦や真心の献身を誉め讃え、ねぎらう言葉がもっと増えたら、お互いが、どれほど心豊かに光り輝いていくことでしょうか。

トルコの国民的歌手バルシュ・マンチョ夫妻(前列左)と共に(1992年6月、イスタンブール市内で)
トルコの国民的歌手バルシュ・マンチョ夫妻(前列左)と共に(1992年6月、イスタンブール市内で)

 トルコの多彩な音楽文化は世界に知られています。
 国境を超えて愛された国民的歌手バルシュ・マンチョさん夫妻との出会いは、今も胸から離れません。
 第二次世界大戦中に生まれた氏を、父母は、当時トルコ語圏では珍しい「バルシュ(平和)」と名づけました。何かの道で「平和の大使」となり、世界で多くの人々に友情を広げるよう願っていたといいます。
 十五歳の時、父を失い、経済的にも苦労が重なりましたが、トルコで特別に奨学生に選ばれて学び抜き、力を磨いて、平和のために世界の舞台で活躍していきました。自身を育ててくれた父母と祖国への恩返しとして、そして「ふるさとは『世界』」と高らかに歌いながら――。
 氏は強く語っていました。
 「私は『この地球上に生まれて、意味のない人はいない』と信じています。何のために皆、生まれてきたのか。自分以外の人の『喜び』を創造するためだ、と私は思います。むろん『悲しみ』ではなく」
 なかんずく、「大人の心」よりも、大きく純粋で率直な「子どもの心」へ、平和のメッセージを伝えるために奔走されてきたのです。

次の世代のために

 〈池田先生は結びに、92年に記念講演を行った名門アンカラ大学の創立者であり、トルコの「建国の父」であるケマル・アタチュルク初代大統領の言葉を紹介。未来に向かって貢献の歩みを進めよう、と呼び掛ける〉
  
 アタチュルク初代大統領は、教育に力を注ぐとともに、一九三四年に女性参政権も確立しています。そして「あらゆる人間にとって、生きることの喜びと幸福とを感じるために必要なことは、人が自分のためだけではなく、自分につづく世代のために働くことである」と語っていました。イスタンブールで国家建設の指揮を執り、最晩年もこの都で戦い生きました。
 次の世代のために、今できることを、誠心誠意、やり切っていく。その心にこそ、尽きることのない歓喜の都が築かれていくのではないでしょうか。
  
 崩れざる
  永遠の都の
    道ひらく
   希望に満ちて
     いざや征かなむ
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
  
  

 ※ヤーマン博士の言葉は『今日の世界 明日の文明――新たな平和のシルクロード』ヌール・ヤーマン/池田大作著(河出書房新社)。ルーミーの引用は『ルーミー語録 イスラーム古典叢書』井筒俊彦訳(岩波書店)。アタチュルク大統領は『世界の教科書=歴史 トルコ3』E・Z・カラル著、永田雄三編訳(ほるぷ出版)。

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