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青年・飛躍の源流――二月闘争70周年〉第5回=完 壁は執念で破られた2

2022年02月24日 | 妙法

青年・飛躍の源流――二月闘争70周年〉第5回=完 壁は執念で破られた2022年2月24日

故郷の東京・大田を訪れた池田先生ご夫妻(1991年8月)。66年に信濃町に転居するまで、この地で同志と共戦の思い出を築いてきた
故郷の東京・大田を訪れた池田先生ご夫妻(1991年8月)。66年に信濃町に転居するまで、この地で同志と共戦の思い出を築いてきた

 今月21日付の随筆に池田先生はつづった。
 「『伝統の二月』を貫く学会精神――それは、一言にしていえば『氷壁を破る』戦いだ。苦しみ悩む友に、『冬は必ず春』と、希望の灯を点じゆく開拓である」(「随筆『人間革命』光あれ」)
 
 70年前の二月闘争で蒲田支部の同志は、池田先生という“熱源”に触れて、勇気の炎を燃やし、どんなに無理解や偏見の罵声を浴びせられ、塩や水さえまかれても、もう一軒、もう一軒と、折伏に歩いていった。
 
 ある同志は振り返る。
 「池田先生の大驀進の戦いは、蒲田支部の一人一人にやる気を起こさせ、支部内を明るく変えてくれました。
 私たちは夢中で題目をあげ、『相手を救いたい。幸せにしてあげたい』という一念で折伏に走りました」
 
 また、ある女性は「長男の手を引き、次男をおぶって、折伏に歩きました。でも、大変では全くなかった。当時は、貧乏と世間からさげすまれていましたが、とにかく楽しかった。折伏が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした」と。
 
 先生の恩師を思う一念、確信の指導、温かい励ましに包まれて、友の胸に、地涌の菩薩の生命力が湧き上がっていったのだ。
 
 2年前の2月、池田先生は記している。
 「師匠の大願に、弟子が『心のギア』をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい」(同)
 

「ちょっと待って」

 この二月闘争でも、今日と同じく、勝利の推進力となったのは、一心不乱に戦う女性たちであった。婦人部(当時)を中心に、各部が一体となって、目標の「月200世帯」へ驀進していった。
 
 池田香峯子夫人も、当時の女子部の一員として、二月闘争に参加している。
 
 自宅は、支部の広布の拠点だった。夫人は、自宅で開かれた座談会に、職場の上司を誘った。率先して会合を盛り上げ、毎日、集って来る同志を笑顔で迎えた。
 
 婦人部の同志が連れてきた子どもたちに、絵本を読み聞かせてあげるのも、夫人の役目だった。
 
 各部が団結して戦い、拡大の勢いが最高潮に達する中で迎えた「二月闘争」の最終日――。目標の200世帯は達成された。遂に“限界の壁”は破られた。
 
 そろそろ報告を締め切ろうとした時のことである。
 「ちょっと待って!」
 一人の女性から、もう1世帯、弘教が実ったという報告が飛び込んできた。
 
 「歴史に残る二月闘争の『二百一世帯』の金字塔は、わが婦人部のこの『勢い』、この『真剣さ』、そして、この『粘り』によって打ち立てられた」(2006年2月、婦人部代表者会議でのスピーチ)
 
 「今も変わらぬ、太陽の婦人部の真剣さと執念の結実である。この勢いが、冬から春への躍動のリズムそのままに、三月の連続勝利の波をつくったのだ」(「随筆『人間革命』光あれ」)
 
 1952年(昭和27年)3月10日付の聖教新聞で、2月の各支部の折伏成果が発表された。2位は小岩支部の107世帯。3位の足立支部も104世帯と健闘した。
 
 蒲田支部は201世帯。2位、3位の約2倍で、圧倒的な第1位だった。本紙は「蒲田・足立が飛躍」の見出しとともに、「支部目標を突破し得たことは賞讃すべきである」と報じている。
 
 ひとたび壁を破った蒲田の勢いは、とどまることを知らなかった。3月、4月も200世帯を達成。戸田先生の会長就任1周年となる5月には、300世帯を突破した。
 
 最初に月1000世帯を超えたのも蒲田支部である。
 蒲田にできたのなら自分たちにもできると、他の支部も次々と、壁を破っていった。
 
 池田先生の二月闘争から、創価学会は「75万世帯」への本格的な飛翔を開始したのである。
 

 「第3代を支えよ」

 二月闘争のさなかの52年2月17日、男女青年部の研究発表会が東京・墨田区内で開かれた。400人が参加し、代表20人が「信心すると大善生活ができる理由」「宗教と科学の関係」などの設問に5分以内で答える形式である。
 
 池田先生も参加者の一人だった。香峯子夫人も女子部の代表として「霊魂論が誤っている理由」を論じている。
 
 最後に講評に立った戸田先生は「私自身の思想を述べますならば、私は、共産主義やアメリカ主義では絶対ありません。東洋民族、結局は地球民族主義であります」と、初めて「地球民族主義」という信条を明かした。
 
 そして話を変え、こう講評を結んだ。
 「三代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、三代会長を、戸田門下が支えていきなさい。私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」(小説『人間革命』第5巻「驀進」の章)
 
 池田先生は、その後も、文京で、札幌で、大阪で、山口で、その時々の広宣流布の急所に飛び込み、戸田先生の願業である75万世帯達成への活路を開いた。
 
 32歳で第3代会長に就任するや、「君は世界へ征くんだ」との恩師の遺命のままに、世界広布の道をつくり、宗教やイデオロギーを超えて、世界市民の連帯を築いていった。
 
 池田先生の70年の間断なき闘争によって今、創価学会が世界宗教へと飛躍する時代が訪れたのである。その源流こそ二月闘争にほかならない。
 
 「大白蓮華」の2月号に池田先生はつづった。
 「二月闘争から七十年の今再び、わが青年部を先頭に、世界中の宝友が広布と人生の新たな跳躍に励んでくれている。日蓮大聖人は、『深く信ずる者は、満月の闇夜を照らすがごとし』(新527・全1501)と仰せである。我らの深き祈りと行動と団結で、冴え光る満月のごとく、勝負の一年を照らしゆこうではないか!

 
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