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【牧口先生生誕150周年記念特集㊤】

2021年06月06日 | 妙法

【牧口先生生誕150周年記念特集㊤】 人道と正義の生涯 2021年6月6日

  • 池田先生のサイモン・ウィーゼンタール・センターでの講演から

 池田先生が「牧口常三郎――人道と正義の生涯」と題し、アメリカのサイモン・ウィーゼンタール・センターで行った講演(1996年6月)から25周年。「牧口先生生誕150周年記念特集㊤」では、同講演で言及された内容に沿って、社会変革と子どもの幸福のために戦い抜いた牧口先生の生涯を振り返る。

〈講演の背景と意義〉
牧口先生の不屈の人権闘争を語る池田先生の講演に、多くの識者が耳を傾けた(1996年6月、米ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターで)
牧口先生の不屈の人権闘争を語る池田先生の講演に、多くの識者が耳を傾けた(1996年6月、米ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターで)

 1993年1月、池田先生はサイモン・ウィーゼンタール・センターの「寛容の博物館」を訪問。ハイヤー会長らの案内でホロコーストの歴史に触れ、“このような悲劇を、断じて繰り返してはならない”と改めて実感する。そして翌年5月、同センター等の協力で「アンネ・フランクとホロコースト」展を日本で開催。各地を巡回し、数百万の人々の心を揺さぶった。
 
 こうした中でハイヤー会長は、牧口先生が軍部政府に抵抗し、獄死したことを知る。“日本にも人権の英雄がいた”――この事実を広めるために連続講演会を企画し、名称を「マキグチ記念人権講演会」としたのである。
 
 池田先生の講演は、その第1回として行われた。ハイヤー会長は語った。「(池田会長は)寛容の橋を架ける作業を、ただ語るだけでなく、実践してこられました」
 
 講演から四半世紀。創価学会は、“ホロコースト展”の支援を続けるなど「人権文化」の構築に尽力。創価三代の師弟の信念を基に、幸福と平和のための対話と行動を力強く重ねている。

◎郷土に根差した「世界市民」の育成を提唱
牧口先生が著した『人生地理学』。郷土を立脚点に世界へと目を向ける、世界市民の理想が光る
牧口先生が著した『人生地理学』。郷土を立脚点に世界へと目を向ける、世界市民の理想が光る

 牧口先生の大著『人生地理学』が出版されたのは、日露戦争が始まる前年に当たる1903年。開戦論が沸騰していた時期に、先生は同書で、人類は、軍事的競争から、政治的競争、経済的競争を経て、人道的競争へ向かうべきであると展望した。
 
 また、人間は地域に根差した「郷民(郷土民)」であるとともに、国家の中で社会生活を営む「国民」、さらには世界との結び付きを意識して生きる「世界民(世界市民)」であり、この三つの自覚を併せ持つことで、人生の可能性を豊かに開花できると訴えた。
 
 「国権の優位」がことさらに強調される中で、どこまでも一人の「人間」に焦点を当てた、牧口先生の深い人権意識と視点について、池田先生は講演で、「足元の『郷土』に根差して、しかも『狭隘な国家主義』に偏らず、『世界市民』の意識を育むことを提唱した」と、その卓越性に言及した。

◎皆から慕われた慈愛の教育者
牧口先生は、女性の通信教育にも尽力した。出版に携わった雑誌「大家庭」㊨と「家庭楽」㊥、一流の講師陣による講義録「高等女学講義」(創価大学の池田大作記念創価教育研究所所蔵)
牧口先生は、女性の通信教育にも尽力した。出版に携わった雑誌「大家庭」㊨と「家庭楽」㊥、一流の講師陣による講義録「高等女学講義」(創価大学の池田大作記念創価教育研究所所蔵)

 牧口先生は、北海道で教員としての第一歩を踏み出した。その後、上京し、女性のための通信教育や中国の留学生の教育に携わったほか、六つの小学校の校長を歴任した。
 
 その心は、子どもへの限りない慈愛に満ちていた。校長時代、弁当を持参できない児童のために、学校としてパンとみそ汁を提供するなど、給食を先駆的に実施した。

東京・白金尋常小学校の校長時代、児童たちと記念撮影。前列中央が牧口先生(1923年)
東京・白金尋常小学校の校長時代、児童たちと記念撮影。前列中央が牧口先生(1923年)

 教育改革を進める牧口先生には常に圧迫が加えられ、追放されたことも。しかし、子どもも保護者も教職員も、こぞって牧口校長を慕い、留任を求める同盟休校までした学校もあった。
 
 講演で池田先生は、こうした「子どもの幸福」を第一義とする牧口先生の歩みに触れ、「ほぼ同時代のホロコーストのなかで、命を賭けて、子どもを守る奮闘を続けた、ポーランドの偉大なユダヤ人教育者コルチャック先生の人間愛とも相通ずる」と述べた。

◎仏法との出あい 「創価教育学体系」の出版 教育を通した社会変革を志向
師弟不二の闘争で、世界に希望の光を!――牧口先生㊨が戸田先生と共に(1928年)
師弟不二の闘争で、世界に希望の光を!――牧口先生㊨が戸田先生と共に(1928年)

 牧口先生は1928年に仏法の研さんを始める。その感動を、「言語に絶する歓喜を以て殆ど60年の生活法を一新するに至った」と述懐している。
 
 講演で池田先生は、全ての人間生命に内在する尊極の智慧を開発しようとする仏法は、それ自体が、社会に開かれた民衆教育の哲理であるとし、教育を通した社会変革を強く志向してきた牧口先生は、仏法との出あいによって、理想の実現への確かな手応えを実感していったと考察した。

牧口先生の教育思想を集大成した『創価教育学体系』(長野県諏訪清陵高校・三澤先生記念文庫所蔵)
牧口先生の教育思想を集大成した『創価教育学体系』(長野県諏訪清陵高校・三澤先生記念文庫所蔵)

 2年後の1930年、牧口先生は自身の教育学説の出版について、弟子・戸田城聖先生に相談する。戸田先生が「先生の教育学は、何が目的ですか」と問うと、牧口先生は「価値を創造することだ」。「では先生、創価教育、と決めましょう」と戸田先生は提案した。
 
 そして、牧口先生の膨大な原稿を戸田先生が整理・編集。同年11月18日、『創価教育学体系』第1巻が発刊される。この日が後年、創価学会の創立記念日となるのである。
 
 池田先生は講演で、牧口先生が、アメリカの哲学者・教育学者であるデューイ博士らの実用主義の見地を踏まえつつ、「価値」の中心は「生命」であると洞察したことに言及。「『生命』の尊厳を守る『平和』という『大善』に向かって、挑戦を続け、いかなる困難にあっても、価値の創造をやめない――そうした『人格』の育成にこそ、『創価教育』の眼目があります」と紹介した。

◎戦時下でも240回の座談会に出席 500日の獄中闘争
1941年11月に福岡・二日市で行われた九州総会の翌朝、同志と共に記念のカメラに納まる牧口先生(前列中央)
1941年11月に福岡・二日市で行われた九州総会の翌朝、同志と共に記念のカメラに納まる牧口先生(前列中央)

 信教の自由なき戦時下で、折伏・弘教を進めた牧口先生は、思想犯として特高警察の監視にさらされる。しかし、先生は間断なく立正安国の戦いを重ねる。起訴状には、1941年5月からの2年間で、実に240回を超える座談会に出席したことが記されている。
 
 権力に迎合した宗門からの神札受諾の勧告も厳然と拒絶した。
 
 1943年7月6日、牧口先生は折伏に訪れていた現在の静岡県下田市内で治安維持法違反ならびに不敬罪の容疑で検挙。約500日の獄中闘争では、取り調べの検事や看守にさえも諄々と仏法の法理などを説き聞かせた。

法難の地である静岡・下田に立つ「牧口常三郎先生 法難頌徳之碑」
法難の地である静岡・下田に立つ「牧口常三郎先生 法難頌徳之碑」

 サイモン・ウィーゼンタール・センターの講演会場に、池田先生の力強い宣言が響いた。
 
 「牧口は、権力と真っ正面から戦い、微動だにしませんでした。その勇気と英知の提唱は、時代を超えて、人々の良心を揺さぶり、覚醒していくことでありましょう」
 
 「本日の貴センターにおける講演を、私は、牧口常三郎初代会長、ならびに『人道』と『正義』のために殉じた、すべての方々に、そして、深き『決意』をもって未来に生きゆく若き人々に捧げます」

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