五 重 塔 の お 話 |
仏教寺院では、境内に五重の塔を建立いたします。
仏教の開祖であるお釈迦さまが亡くなられた時、その遺体は荼毘(火葬)に付され、その遺骨(仏舎利といいます)は8つに分骨されて、その当時のインドの8つの主な部族に渡されました。 そうして、8つの部族はそれぞれに頂いた仏舎利を、塔を建ててその中に安置してお祀りいたしました。この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストゥーパ」といいます。このストゥーパが五重塔の起源です。 五重の塔はなぜ五重かといいますと、その5つは、この世を形づくる五つの基礎となるものを表しているのです。その五つとは、「地」、「水」、「火」、「風」、「空」です。 これを「五大」と呼びます。 今日、仏教徒がお寺での法要などで表に故人の戒名などを書いて仏前に立てる板を「卒塔婆(そとば)」といいますが、この語源も、梵語の「ストゥーパ」です。 その卒塔婆の頭には、「地」、「水」、「火」、「風」、「空」を表す形が刻みこまれています。 卒塔婆を立てるということは、五重の塔を建てることと同じ意味があります。 「地」、「水」、「火」、「風」、「空」を表すそれぞれの形は、「地」は方形、「水」は円、「火」は三角形、「風」は月、「空」は宝珠です。 右の写真は、日本で一番美しい五重塔といわれる山口市にある瑠璃光寺の五重塔です。 一番上に目を向けてみますと、屋根の上に飾りのようなものが立っています。 これは避雷針などではありません。
最後に、五重の塔に関する、ちょっと変わったお話を紹介します。 それは、仏教における未来記とも言えると思いますが、お釈迦さまが亡くなられたあとに、世の中がどうなっていくのかを表したお話と、五重塔を結びつけたものです。 仏教では、お釈迦さまが亡くなられてから最初の五百年は「解脱堅固(げだつけんご)の時」といわれ、お釈迦さまの説かれた説法を伝え聞いて悟りを開く人がたくさんいる時代です。 次の第二の五百年を、「禅定堅固(ぜんじょうけんご)の時」といい、真剣に修行して道を求める人がまだたくさんいる時代です。 この第一、第二の1000年間を「正法(しょうほう)の世」といいます。 さて、第三の五百年は「多聞堅固(たもんけんご)の時」といい、真剣な修行はうすらいで、もっぱら読経や説法の盛んな時代です。 第四の五百年は「多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)の時」いい、もはやお釈迦さまの教えもうすらぎ、もっぱら塔や寺の建築ばかりが行われる時代です。 この第三、第四の1000年間を「像法(ぞうほう)の世」といいます。ひらたくいえば、まやかしの法の時代とも言えるでしょう。 そして、第五の五百年そして以降万年に続く時代を「闘諍堅固(とうじょうけんご)の時」、つまり、「末法の世」となり、仏法はすたれ人々は争いに明け暮れる時代です。 奈良の法隆寺の五重塔の各階には、むかし、各階ごとにこの五つの時に相当する壁画が書かれていたとのことです。 五重の塔の一階、二階は「正法」、三階、四階は「像法」、最上階は「末法」というふうにです。 いまはその壁画は失われているとのこと。 五重塔は未来記だったというお話です。 ちょっと変わったお話ですね。 さてさて・・・ 五重の塔最上階の末法の世を過ぎた人々は、屋根をつきぬけ、宝輪の一番下におられる弥勒菩薩に救われるということになりましょうか? 弥勒菩薩は、お釈迦さま入滅後、56億7000万年後にこの世に降りてこられ、人々を救うとされています。 でも、そのすぐ上には、なにやら恐ろしげな大鎌(たいれん)があります。 これは何を意味するのでしょう・・・ わたしたち人類の行く先には何があるのでしょうか? |
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