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凱歌の秋へ勇者共戦

2021年10月14日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 凱歌の秋へ勇者共戦2021年10月14日

東京・信濃町の「創価世界女性会館」――オープンから21年、この幸と平和の城から希望の宝光を社会へ世界へ!(今月、池田先生撮影)
東京・信濃町の「創価世界女性会館」――オープンから21年、この幸と平和の城から希望の宝光を社会へ世界へ!(今月、池田先生撮影)

 広宣流布に生きゆく我らは、御本仏と常に共にある。
 日蓮大聖人は、甲州(山梨)と「一千里の山海」を隔てた佐渡の老いたる功労の国府尼に仰せになられた。
 「日蓮こい(恋)しく・をはせば 常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををが(拝)ませ給え、いつ(何時)となく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり」(御書一三二五ページ)
 妙法で結ばれた創価家族には、日天・月天という天の明鏡にも映し出されゆく、壮大なロマンの絆がある。日本中、世界中の地涌の宝友と誓願の祈りを一つに、共に励まし合い、異体同心の大連帯を広げゆくのだ。
  

模範の勝利島部

 去る十月七日は、「勝利島部」の日であった。
 この記念日に際して、全国の二百三十を超える島々で活躍されている、多くの友の近況を伺った。
 北は北海道、東北から、東京、信越・北陸の島々、中部、関西の島々、広島など中国、四国の島々、南の九州・沖縄の島々まで――。
 草創より、無理解な批判の中、忍耐して根を張り、地域の発展のために汗を流し、厚い信頼を勝ち得てきた多宝の父母がおられる。
 負けじ魂を燃やし、コロナ禍の苦難とも闘い、人間革命の実証を示しゆく同志がいる。島の“希望の宝”と光る、凜々しき男女青年部、未来部の友もいる。
 どんな烈風もはね返し、友好と貢献の見事な模範を打ち立てている創価の不軽菩薩たちに、私は合掌する。一つ一つの島に届けと題目を唱え、一人ひとりに福徳安穏あれ、栄光凱歌あれと祈る日々である。
 大聖人は、荒海に浮かぶ佐渡で、門下はもとより島の人びとを大きく包容されながら、「一閻浮提広宣流布」の未来記を宣言された。
 「一身一念法界に遍し」(同二四七ページ)である。
 地涌大願の一念は、どんな限界をも破る。
 一つの島の広布、一つの地域の立正安国は、紛れもなく「一つの世界」の広布であり、立正安国なのである。
 御本仏は「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(同一四六七ページ)と門下を激励された。
 私たちは、いずこの地にあっても、わが使命の郷土、地域で、広布を託された幸福責任者なりと、誇りに胸を張っていきたい。
  

母の「豊富な力」

 佐渡の千日尼へのお手紙には、「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(同一三一二ページ)と記されている。
 牧口・戸田両先生以来、このお心を拝し、母たち女性たちを大切にするのが、創価の師弟の心である。
 早いもので、私が長編詩「母」を作ってから、半世紀になる。一九七一年(昭和四十六年)の十月、大阪市の東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会が、発表の場であった。
 あの“大阪の戦い”から十五年。私と共に、けなげに奮闘してくれた常勝関西の母たち女性たちに真っ先に贈りたかったのである。
 まだ推敲の跡が残る詩の最終原稿を携えて、妻が私の名代として参加した。
 「母よ!/おお 母よ」
 「あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」
 私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。
 否、これからこそ、女性たちの「豊富な力」が輝き光っていくはずだ。
 折々に、クリームイエローの気品ある創価世界女性会館の前を通るたびに、妻が笑顔をほころばせる。
 二十一世紀開幕の前年、「婦人」ではなくして「世界女性」との名を冠して誕生した殿堂の意義は深い。
 日眼女(四条金吾夫人)に送られた御書には、妙法の大功力を譬え、「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや」(一一〇九ページ)と仰せである。
 太陽と月の如く、蓮華の如く、まさに今、人びとに幸と智慧を送り、生命尊厳の女性の世紀を勝ち開く、希望のスクラムが新生しようとしている。
 来る創立記念日の十一月十八日を期して、女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!
 いかなる混迷の世の闇も打ち払う、この創価の宝光を世界が待っている。
  

阪神・淡路大震災の年、2度目の関西訪問。苦難に不屈の友のもとへ(1995年5月、大阪市の関西文化会館で)
阪神・淡路大震災の年、2度目の関西訪問。苦難に不屈の友のもとへ(1995年5月、大阪市の関西文化会館で)
青年の大確信で

 青年の秋だ。希望の秋だ。そして勝利の秋だ!
 大文豪ゲーテは言った。
 「青年は青年にたいしてもっとも強く働きかける」「これが世界を活気づけ、精神的にも肉体的にも死滅せしめない力なのである」と。
 七十年前(一九五一年)の十月、私たち青年部は猛然と立ち上がった。
 皆が若き胸に抱いていたのは、恩師からいただいた指針「青年訓」である。
 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
 「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」
 その一言一言に、男子部も女子部も心躍らせた。
 恩師は、さらに“同志の士気を鼓舞し、広宣流布の大願の中心人物たることを、自覚せよ”と絶大なる期待を託されたのだ。
 翌月、東京都内で行われた学会全体の総会で、私は男子部を代表して「青年の確信」と題する決意発表を行った。当時は班長だったから、今でいえばニュー・リーダー、地区リーダーに当たるだろうか。
 それは、恩師の「青年訓」への報恩の誓いであった。
 「われら青年は、そのお言葉を絶対虚妄にいたしません」「闘争力と、勇気に満ちたる青年が、学会青年の確信であります」と――。
 この総会で戸田先生は、弟子に応えてくださるかのように、「創価学会の大誓願」と題して講演された。
 「北条時宗への御状」――文永五年(一二六八年)、執権の北条時宗を諫暁された御書を拝して、訴えられたのだ。
 “創価学会の魂とは、この日蓮大聖人の魂を魂とし、一乗妙法の力で、全民衆を救うのが、学会精神であります”
 この日から十年後(一九六一年)の十一月――。
 「男子部の日」の淵源となった五日の男子部総会には十万人、そして十二日の「女子部の日」の淵源となった女子部総会には八万五千人の友が、勝ち鬨をあげて集ったのである。
 この時、私が第三代会長として指揮を執り始めて一年半――生命の宝塔を林立させゆく青年たちの「勝利」の二字こそ、恩師に捧げる「師弟不二の誓願の結晶」となったのである。
  

青年は世界の柱。1961年11月、師と共に青年10万が国立競技場(当時)に集い、「勝利」の歴史を刻んだ(内田健一郎画伯の鉛筆画「われ勝てり!」)
青年は世界の柱。1961年11月、師と共に青年10万が国立競技場(当時)に集い、「勝利」の歴史を刻んだ(内田健一郎画伯の鉛筆画「われ勝てり!」)
舞を舞うが如く

 それから、さらに二十星霜を経た一九八一年(昭和五十六年)。「青年の年」と銘打ったこの一年、私は、総東京はもちろん、東海道、関東、関西、信越、中部と、列島各地、そして北中米、ハワイ、ソ連(ロシア)、欧州と、世界中を駆け巡った。
 一人の青年が本気で立ち上がれば、「二人・三人・百人と」広宣流布の陣列は必ずや広がっていく。
 師の心を、わが心とする若人が一人いれば、その地域、その国の未来は明るい。これこそが、私が恩師のもとで先駆けた道であった。ゆえに、直接、会える、会えないではなく、私は、あらゆる機会を捉え、全精魂を注いで青年を励ました。
 この年の九月に行われた「北海道青年部総会」の大成功を報じる聖教新聞を手に、私は「見たか! 北海道の青年が立ち上がったぞ!」と快哉を叫んだことも懐かしい。
 十一月には、私は東京と関西で「嗚呼黎明は近づけり」の歌の指揮を執り、四国では、青年と共に「紅の歌」で新時代の暁鐘を打ち鳴らした。そして、「青年の年」の総仕上げが、九州・大分での長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の誕生であった。
 この勇者の共戦によって本格的に始まった反転攻勢から、今日に至る世界広布の大道が開かれたのだ。
  

創価の師子に恐れなし。若き師子のスクラムで勇み前進! この池田先生の書は、1982年の“青年の月”7月に発表された
創価の師子に恐れなし。若き師子のスクラムで勇み前進! この池田先生の書は、1982年の“青年の月”7月に発表された
今再び「大いなる広布の山」を登れ!

 大聖人は、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書一三〇〇ページ)と断言され、勇み立つ生命を、「ま(舞)いをも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」、そして「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」と明かされている。
 大悪――最も大変な時こそ、大善へと、自分自身を、さらに社会をも転じていけると勇み、立ち上がるのが、仏法者にほかならない。 
 そこには、憂いも悲嘆も、感傷も諦めもない。喜びだ。最高無上の妙法を実践する大歓喜であり、わが使命を果たす誉れである。これほど尊く充実した「青春の勝利劇」はないのだ。
 当時の若師子も、華陽の乙女も、まっしぐらに広布の山を、私と一緒に登攀し、後継の陣列を築いてくれている。皆、私の生命の奥底から離れることはない。
 今再び、我らの前には「大いなる広布の山」がある。
学会創立百周年の二〇三〇年へ、さらに二十二世紀の民衆勝利を開くために、越えてゆかねばならぬ山だ。
 ゆえに私は、今再び、愛し信ずる地涌の君たちに、声を大にして訴えたい。
 この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!
 その所願満足の歓喜の法戦こそ、無上道の人生であり、青春であるがゆえに、私はすべてを本門の君たちに託したい!――と。
   
(随時、掲載いたします)
  

 <引用文献>ゲーテの言葉は『詩と真実 第2部』山崎章甫訳(岩波文庫)から


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