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101歳 たとえ目が見えぬとも

2022年09月24日 | 人権

ブラボーわが人生 信仰体験〉第102回 101歳 たとえ目が見えぬとも2022年9月17日

  • 「多少のことは笑い飛ばしましょう」
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん

  
 【青森県八戸市】両目が見えない。左目は物心のつく頃に、右目は8年前に視力を失った。けれども、江刺家キミさん(101)=地区副女性部長=は、笑顔になれる一日を「ありがたいもんだなあ」と感謝している。
  

撮影前に髪を整える
撮影前に髪を整える
  
●本文

  
 あらー、よくいらっしゃいましたなー。このばあさんが(取材を)承知した後に、困ったことしたなーって、ちょっと後悔しましたった。だけどまあ、当たって砕けろで、冒険もいいことだと。人間やっぱり、何かに挑戦する気持ちが、いいと思いますよー。
 はい、ちっちゃい時、病気したらしいですね。それで左目が見えなくなりました。大変でしたな。家のことを、ぜーんぶしないとなんねえの。
 宿命的な家系でのお、知ってるだけでも上3代、主婦が40代で亡くなるのです。私の母もそうでした。
 私は一番下の妹をおぶって、高等小学校に行ってたんだけど、先生に「うちのことが山盛りにあるから、学校やめます」って。そしたら「お母さんの代わりにしっかり働いてちょうだい」と激励されました。友達は楽しそうだから、だんだん会うのがつらくなって、外に出ないようにした記憶があります。
  

部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい

  
 戦争中に結婚しました。4人の子を産んだけど、兄の嫁さんも早くに死んだわけ。私も死んじゃうのかなあ。子どもがつらい思いをするなあ。おびえておったんですね。
 昭和38年(1963年)の暮れでした。東京の学校に行ってるせがれが帰省してな。
 「母さん、これ読んどいておくれ」
 黒革の分厚い御書を渡すわけです。私は読書が好きだから、一生懸命に読みました。
 意味は分からないのに、日蓮大聖人の言わんとすることが分かるんですねー。この信心は、宿命を転換する力があるんだなと。それで、せがれに「母さんはやるよー!」って電話したの。
 初めて折伏できた時の喜びは、味わったことのない気持ちでしたな。勢いついちゃって、40代を越えて、気付けば50歳。池田先生と初めてお会いできました。
 昭和46年の6月14日でしたな。池田先生が八戸会館(当時)においでになったと聞きつけての、夢中で会館まで走りましたな。会場がぎっしりで、一番後ろで膝立ちしました。
  

ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」
ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」

  
 池田先生は、ユーモアを交えるのですねー。みなさんニコニコ聞いて、気持ちがほぐれる感じです。
 「みなさんの功徳を倍にしてください」って話されましたな。さてさて、どういうふうに倍にしたらいいのかな。はたと考えました時、「俺は信心しない」と宣言した主人が浮かんだわけです。
 よし!と。主人のそばに聖教新聞を毎日置いたんです。こっそり読んだんだべなあ。10年して、「俺もやってみるかなあ」。したり!と思いました。
  
 だけどやっぱり、人にはうれしいことより、困ったことの方が、次から次へとありますな。1日のうちに右目が見えなくなっての。ある時の衝撃からです。
 8年前でした。ほれ、小学校に通う時におんぶした一番下の妹が、病気で亡くなったんですね。東京で元気にしてると思ったのに。私が主人に先立たれて寂しそうにしてたら、「姉さん、一緒に暮らそう」って優しかったのに……。
 妹の骨を玄関で頂いて、後のことは分かりません。どのくらい泣いたもんだか。泣いて泣いて泣いて泣いて。気が付いたら、目が見えなくなってたの。
 こうなった時に、死にたいと思う人の気持ちが、分かったようだったな。
  

「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」
「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」

  
 でも、新聞に載ってる池田先生のお話を、娘(長女の佐々木ウタ子さん、76歳、総県女性部主事)がいつも読んでくれます。
 池田先生はすごいなー。世界一の創価学会はすごいなー。信心の世界中の集まりの中に、自分も一人入ってるんだと思うと、うれしいんですね。
 やっぱり、長生きが私の役目でないかな。
 たとえ目が見えなくなったって、心の眼には、八戸会館に来られた時の池田先生が、しっかりと映っていますからね。
 あれは……池田先生が私を応援するために、わざわざ八戸に足を運んでくれたんだと思うようになりました。無学なばあさんの早合点と笑ってください。
 “長生きするんだよ。うんと長生きして、世界のともしびになるんだよ”
 そんなふうに、心の眼の先生は、希望を持たせてくれるんですなあ。真剣勝負で題目あげると、それがしみじみと分かります。涙が出てきます。
  

5年前の写真。ひ孫に囲まれて
5年前の写真。ひ孫に囲まれて

 
 よし、くじけない心を倍にしよう! そういう出発ができた時、池田先生とつながれた感じがしたんですねえ。
 だからもう、多少のことは笑い飛ばしましょう。そしたら次に、喜びの春の陽光がまいります。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)で、春風が吹いてきますよ。あっはっは。
 じいさん、ばあさんの代からの宿命を転換できたと確信しております。子どもたちが「母さん、よくぞ!」と褒めてくれます。
 もう何にも苦がありませーん。目が悪くなっても、耳が聞こえますから、そんなに悲観しないで、平常な気持ちで暮らしております。
 まずまずこの調子だから、何にも取材にならなかったと思いますよ。いやいや、お恥ずかしい。
  

キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
 
●後記

  
 キミさんは窓辺に腰掛け、光が差す方を見上げた。「きょうは青空だなあ」。明るいか暗いかは分かる。101歳の澄んだ黒い眼に、雲ひとつない空が映っていた。笑顔が印象的で、この人の心が大空に溶け込んでいるようだった。
 楽な人生ではなかったはずだ。不信を抱いたことは? 「いやー、絶対に一度もなかったです」と語気を強めた。じょっぱり魂(強情という意味の方言)を感じさせる声だった。
 キミさんはユーモアの人で、「写真撮るなら整形しとけばよかった」とか、「その辺がごちゃごちゃしてても、目が見えないからいいわあ」とか楽しい。
 なるほどと思ったのは、人と接する時の心構えだ。「やっぱり愛情です。まず、相手を好きになることから……」。真剣なお顔がひときわまぶしい。
 で、次の日。インターホンを押すと、長女のウタ子さんが出迎えてくれた。どうぞどうぞの後、くるりと奥を向き、大きな声で「お母さーん、お見合い相手が見えましたよー」。この過激な愛情表現に、クラッときた。タキシードでも着ていけば良かったなあ。(天)
  

3:09
 
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