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―小説「新・人間革命」学習のために 第25巻

2021年02月05日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第25巻2021年2月5日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第25巻を掲載する。次回は「壮年部」編を19日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

副役職者の活躍が勝利の力

 <1977年(昭和52年)3月、山本伸一は福島県を訪問。福島文化会館(当時)で県・圏の代表者らにリーダーの在り方について語った>
 
 「よく、こういう組織があります。
 
 ――県長をはじめ、総ブロック長(後の支部長)も、大ブロック長(地区部長)も、必死になって頑張っている。しかし、結果的に、はかばかしい前進がない。
 
 それは、本当に張り切って、駆け回っているのは、ライン幹部だけで、必勝の息吹が、組織全体に波及していないからなんです。この状況を打開するには、全幹部が結束していくことです。特に、すべての副役職者が、いかんなく力を発揮していくことがポイントです。そうなった時に、組織全体が回転していくんです。
 
 学会の組織は、次第に重層的になってきているので、副役職の人は、これからますます増えていきます。世代交代のための人事もあるので、副役職者の方が、正役職者より活動経験も豊富で、力もあり、年齢も上というケースも多くなっていくでしょう。
 
 それだけに、正役職者は、“俺が中心だ”などという顔をするのではなく、“副役職の方々の力をお借りするのだ”という姿勢で接し、尊敬していくことが大事です。連絡なども、むしろ、正役職者の方から積極的に取って、意見や応援を求めていくんです。人間は、“自分は期待もされていないし、軽んじられている”と思えば、力を出そうとはしません。
 
 また、副役職者の役割分担や責任を明確にしていくことも必要でしょう。
 
 副役職者が、中心者と呼吸を合わせ、はつらつと活躍している組織は、大きな力を発揮しています」
 
 荒野に一本の木が立っているだけでは、風は防げない。多くの木々が茂り、森をつくってこそ、風も防ぐことができるし、さまざまな森の恵みも、もたらすのである。
 
 (「福光」の章、30~32ページ)

日蓮仏法は強き心育む宗教

 <5月、山口広布開拓20周年を祝う記念勤行会に出席した伸一は、信心の基本姿勢について言及していった>
 
 伸一は、「『必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し』云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎ(剣)なれども・つかう人によりて物をきり候か」(御書1186ページ)との御文を拝した。
 
 「妙楽大師は『必ず心が堅固であってこそ神の守護も厚い』と述べている。これは、諸天善神の守護といっても、人の心の強さによるということである。法華経は、よい剣であるが、その切れ味は、使う人によるのである――との意味であります。
 
 この御文は、自身の信心の強さが、守護する諸天善神の働きを引き出すことを説かれた重要な御指導です。いくら御本尊を受持していても、何かあったら、すぐに揺らぐような信心では、諸天の加護はありません。
 
 たとえば、病気になったりすると、“信心しているのになぜ?”と、現象に惑わされ、御本尊を疑う人がいます。しかし、生身の人間である限り、病気にもなります。
 
 もし病気になったとしても、不退の信心を貫き、強靱な生命力を涌現し、自らを蘇生させていくための信心なんです。目的は、何があっても負けない自分をつくることにある」
 
 伸一が、心の強さを強調したのは、日蓮仏法は、いわゆる“おすがり信仰”ではなく、“人間革命の宗教”であることを、訴えておきたかったからである。
 
 (「共戦」の章、193~194ページ)

学会活動こそ成仏への直道

 <5月、北九州文化会館(当時)で伸一を囲んで懇談会が行われた。彼は、男子部として活躍する歯科医師たちと再会し、励ました>
 
 「歯科医師が男子部の幹部となり、役員として陰の力に徹し、黙々と頑張っている。その姿が尊いし、私は嬉しい。それが、創価学会の本当の姿です。
 
 社会的に、それなりの地位や立場を得ると、自分が特別に偉いかのように思い、学会員を見下したり、学会活動を軽んじるようになってしまう人もいます。
 
 しかし、医師だから、弁護士だからといって、特別に偉いわけではない。どの職業も、社会に必要なんです。優秀な医師でも、おいしいお米を作ることはできないし、有能な弁護士だからといって、家を建てることはできない。職業に貴賤なしです。
 
 ところが、自分がいちばん偉いのだと勘違いしてしまい、地道な仏道修行を怠り、信心という一生成仏への直道を、踏み外してしまう。これほど、愚かなことはありません。
 
 自他共の、生涯にわたる絶対的幸福を築くだけでなく、未来永劫の幸福の道を教えているのが仏法です。永遠の平和と人類繁栄の哲理を説いているのが仏法です。ゆえに、その仏法を実践し、伝え抜いていった人こそ、いちばん尊貴で偉いんです。
 
 どうか、皆さんは、社会的な地位や立場に幻惑されるのではなく、どこまでも一途に、真の仏法者として、創価の大道を歩み抜いてください」
 
 三人の青年歯科医は、伸一の指導に大きく頷いた。
 
 (「薫風」の章、221~222ページ)

広布大願の一念が団結生む

 <5月、熊本文化会館を訪れた伸一は、代表幹部と県の今後の課題などについて語り合い、組織の団結について指導した>
 
 「よく、城の石垣というのは、異なる形の石を組んでつくっているから堅固であるといわれる。学会の組織も同じです。さまざまな個性、異なる能力をもった人材が育ち、団結していってこそ、難攻不落の創価城ができるんです。野球だって、優秀なピッチャーばかり九人集めても、決して強いチームにはなりません。
 
 団結を示す『一心同体』という言葉があるが、日蓮大聖人は『異体同心』と言われた。それは、仏法の、また、学会の団結は、一人ひとりを鋳型にはめるのではなく、異体、すなわち、各人の個性、特質を、最大限に尊重し、生かしていくことを意味しています。
 
 人材城というのは、多彩な人材の集まりということなんです。
 
 問題は、多種多様な個性をもつ人材が集まると、ともすれば、個性と個性がぶつかり合い、団結できなくなりがちだということです。では、どうすればよいのか。そこで、『異体同心』の『同心』ということが大事になるんです。『同心』とは、同じ目的に生きようとする心です。私たちの立場でいえば、広宣流布という崇高な大目的に生き抜く心です。(中略)
 
 皆が、自分の面目や、名聞名利など、小さな『我』に執着する心を打ち破り、広宣流布の大願に立つならば、最強の団結が生まれます。それによって、自分のもつ最強の力を発揮できるんです。一滴の水では、木の葉も穿つことはできない。しかし、海に連なれば、大波となって寄せ返し、岩をも削ることができるではありませんか。
 
 学会の組織にあって、“広宣流布のために団結しよう”“団結できる自分になろう”と懸命に唱題し、努力を重ねていくなかに、自身の人間革命もあるんです」
 
 (「人材城」の章、390~391ページ)

価値論

 <創価学会初代会長である牧口常三郎は、幸福とは「価値の獲得」にあるとした。さらに、その価値とは何か――を掘り下げていく>
 
 牧口は、新カント派の哲学者が確立した「真・善・美」という価値の分類に対して、「美・利・善」という尺度を示した。
 
 「真」すなわち「真理」の探究は、よりよい生活を送るために知識を得るという手段的なものであり、それ自体は目的とはなり得ないとして、価値から外したのだ。そして、「真」に代わって、「利」すなわち「利益」を加えた。生活苦に喘ぐ庶民の子らに接してきた牧口は、自身の経験のうえから、「利」の価値の大切さを痛感していたのであろう。彼は、「美醜・利害・善悪」を、価値判定の尺度としたのだ。画期的な、新たな価値論の提唱である。
 
 牧口は「美」と「利」を個人的価値とし、社会的価値(公益)を「善」とし、個人と全体の調和、自他共の共栄を説いたのである。
 
 昭和に入ると、時代は、軍国主義化の度を深め、「滅私奉公」が声高に叫ばれていった。そのなかで、個人主義にも、全体主義にも偏ることのない牧口の教育思想は、軍部政府の政策とは、相反する原理であった。
 
 また、日蓮仏法と出合った牧口は、その教えを価値論の画竜点睛とした。
 
 彼は、社会的価値である「善」には、人びとに金品を施すことなど、さまざまあるが、現世限りの相対的な「善」ではなく、「大善」に生きることを訴えた。
 
 牧口のいう「大善」とは、三世永遠にわたる生命の因果の法則に基づく生き方である。つまり、法華経の精髄たる日蓮仏法を奉持し、その教えを実践し、弘めゆくなかに「大善」があり、そこに自他共の真実の幸福があるというのが、牧口の結論であった。
 
 彼は述べている。
 
 「吾等各個の生活力は悉く大宇宙に具備している大生活力の示顕であり、従ってその生活力発動の機関として出現している宇宙の森羅万象――これによって生活する吾吾人類も――に具わる生活力の大本たる大法が即ち妙法として一切の生活法を摂する根源であり本体であらせられる」
 
 そして、その妙法を根本とした生活法を、「大善生活法」と名づけた。この大善生活法を人びとに伝え、幸福の実験証明を行うことに、彼は生涯を捧げたのである。いわば、広宣流布という菩薩の行に生き抜くなかに、自己の幸福が、そして、社会の平和と繁栄があると、牧口は訴えたのである。
 
 子どもの幸福を願う彼の一途な求道は、広宣流布という極善の峰へ到達したのだ。
 
 (「人材城」の章、375~378ページ)

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 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第25巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第25巻「解説編」はこちら

 

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