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説「新・人間革命」に学ぶ 第29巻 解説編 

2021年05月26日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第29巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座2021年5月26日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第29巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
5:03
ポイント
①常楽我浄と死身弘法
②誓いと行動の継承
③「対話の橋」を架ける

 第29巻の舞台は、宗門の僧が学会批判を繰り返していた、1978年(昭和53年)10月から翌年2月までです。
  
 「常楽」の章には、山本伸一が、熱原の法難に思索を巡らせる場面が描かれています。
  
 この法難は、弘安2年(1279年)を頂点に、熱原郷(現在の静岡県富士市の一部)で起こった日蓮門下への弾圧事件です。当時、熱原郷では弘教の波が広がり、恐れを抱いた、地域の天台宗寺院の院主代・行智による迫害が起こります。
  
 その魔の手は、熱原の農民信徒にも及び、中心的存在であった神四郎、弥五郎、弥六郎が殉教。それでも、農民信徒たちは、信仰を捨てようとしませんでした。
  
 熱原の法難の歴史を振り返りつつ、伸一は「断じて殉教者を出すような状況をつくってはならない。もしも殉難を余儀なくされるなら、私が一身に受けよう!」(35ページ)と覚悟します。最愛の同志を守るため、いかなる攻撃に遭ったとしても、矢面に立って耐え忍ぶ決心だったのです。
  
 戦後の広布の大伸展は、「軍部政府の弾圧と戦って獄死した初代会長・牧口先生の死身弘法の精神を、戸田先生が、そして、同志が受け継いできたから」(37ページ)でした。
  
 現在の世界広布の時代が開かれたのも、「大阪事件」「宗門事件」等々、池田先生が先師・恩師の精神を継承し、死身弘法の覚悟で一人一人の励ましに徹してきたからです。
  
 同章に、「『常楽我浄』の境涯の確立があってこそ、真の『衆生所遊楽』があり、それは、死身弘法の決意と実践から生まれる」(同)とあります。
  
 この「死身弘法の決意と実践」とは、「“人生の根本目的は広布にあり”と決めること」(35ページ)であり、「人びとに仏法を教えるために、自らの生活、生き方をもって、御本尊の功力、仏法の真実を証明していく」(同)ことです。

「使命に生きる人の心には、常に晴れやかな虹がある」――インドを訪問した池田先生は、ニューデリーの大空に懸かる二つの虹を撮影した(1997年10月)
「使命に生きる人の心には、常に晴れやかな虹がある」――インドを訪問した池田先生は、ニューデリーの大空に懸かる二つの虹を撮影した(1997年10月)
偉大なる起点

 1978年(昭和53年)の1年間で、伸一は北海道から九州まで10方面を訪問し、30曲ほどの学会歌を作成しました。第1次宗門事件の渦中にあった「嵐吹き荒れる激動の一年」(233ページ)は、「創価の松明を掲げ、守り抜いた力走の一年」(同)であり、「新しき歴史を築いた建設の一年」(同)でもあったのです。
  
 全国を力走する中で、伸一が訴えたのは、「信心の基本」に立ち返るということでした。それは、「究極的には“御本尊根本”ということ」(102ページ)であり、「何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくこと」(同)でした。
  
 また、リーダーの姿勢について、「皆に信心の養分を送り続けていく存在であり、そのためには、自らが信心強盛な先輩を求めて切磋琢磨し、常に成長し続けていくことが大事です」(168ページ)と述べます。
  
 どれだけ同志を立ち上がらせ、共に広布のために汗を流すことができたか――この一点に、リーダーの使命があることを、伸一は各地で訴え、責任と自覚を促していったのです。
  
 「清新」の章は、79年(同54年)の新年から始まります。力走した78年から清新な決意で、伸一は79年を迎え、再び力走を開始します。
  
 「七つの鐘」の終了を迎える同年は、“総仕上げ”の年であると同時に、「偉大なる起点」(236ページ)でもありました。会長就任から20年目を迎え、日本国内の広布の基盤は盤石なものになりつつありました。伸一は「今後、自分が最も力を注ぐべきは世界広布」(326ページ)と考えます。
  
 2月、彼は香港・インドを訪問し、世界広布への新たな行動を開始します。戸田先生の誕生日である11日、伸一はインド・ガンジス川のほとりに立ち、恩師に誓います。
  
 「先生! 伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります! 弟子の敢闘をご覧ください」(433ページ)
  
 宿舎に戻った後も、彼は恩師の遺影に向かい、広布の大闘争を誓います。広布の「偉大なる起点」は、弟子が師匠に誓いを立てることから始まります。「世界広布は、その誓いと行動の継承があってこそ可能となる」(371ページ)のです。

不確実性と確実性

 第29巻では、“世界の知性”との対話の模様がつづられています。
  
 米ハーバード大学名誉教授で、世界的な経済学者であるガルブレイス博士との対談では、「不確実性」と「確実性」が話題に上ります(78年10月)。
  
 伸一は、不確実性の時代の中で、必要な指導理念について問います。博士は、人間の行う努力は常に修正されていくべきであり、その考え方を受け入れること自体が、一つの指導理念になると述べます。
  
 これに対して伸一は、「人間を高め、成長を図っていくことが、常に的確な判断をしていくうえで、極めて大事」(19ページ)であり、「仏法を基調にした精神変革、人間革命の運動こそ、二十一世紀を開く大河となる」(20ページ)と訴えます。
  
 英オックスフォード大学のウィルソン社会学教授とは、今後、宗教が担うべき使命について意見が交わされました(79年1月)。
  
 「清新」の章では、この対談の内容に触れながら、「宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある」(310ページ)と記されています。
  
 さらに、宗教の比較・検証のために、「『人間を強くするのか、弱くするのか』『善くするのか、悪くするのか』『賢くするのか、愚かにするのか』」(321ページ)という尺度が求められることに言及しています。ウィルソン教授とは宗教の在り方を巡って、対談が重ねられました。
  
 伸一は「一民間人」として、また人間主義の「仏法者」として、宗教や思想の違いを超えて、「対話の橋」(316ページ)を架けてきました。この対話の道を真っすぐに進むことこそ、仏法者の使命です。
  
 同章に、「対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける」(315ページ)とあります。
  
 社会はコロナ禍という“不確実性”の中で、未来を見通すことができず、揺れ動いています。苦悩する友の心に寄り添い、語り合いながら、人間蘇生の光を放つ――この「創価の底力」を、今こそ発揮していきましょう。

高知・南国文化会館で、“未来の宝”たちを激励する池田先生(1990年11月)。第29巻では、1978年12月の高知訪問の足跡がつづられている
高知・南国文化会館で、“未来の宝”たちを激励する池田先生(1990年11月)。第29巻では、1978年12月の高知訪問の足跡がつづられている
名言集
●女性の眼

 生活者の視点に立つ女性の眼は、最も的確に、その社会の実像をとらえる。(「常楽」の章、14ページ)

●晩年の実証

 晩年における最高最大の信心の実証とは何か――財力や地位、名誉等ではない。ありのままの人間としての人格の輝きにある。(「常楽」の章、86ページ)

●永遠の栄え

 いかなる団体であれ、“基本”と“精神”の継承は、永続と発展の生命線である。そのうえに、時代に即応した知恵が発揮され続けていってこそ、永遠の栄えがある。(「力走」の章、176ページ)

●心の魔

 いかに困難であるかということばかりに目がゆき、現状に甘んじて良しとしてしまう。それは、戦わずして心の魔に敗れてしまっていることになる。(「清新」の章、241ページ)

●決めて、祈って、動く

 心を定め、祈って、動く――それを粘り強く、歓喜をもって実践する。単純なことのようだが、これが、活動にあっても、人生にあっても、勝利への不変の方程式なんです。(「清新」の章、242ページ)

●大人の責任

 物心両面にわたって、子どもを守り育てていくことは、大人の責任であり、義務である。(「源流」の章、407ページ)

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