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ゴルバチョフ元ソ連大統領から特別寄稿

2021年05月04日 | 妙法

ゴルバチョフ元ソ連大統領から特別寄稿――新たな脅威と戦う今 対話と協調の歩みを2021年5月4日

 元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏から、5・3「創価学会の日」を慶祝する寄稿が届けられた。氏と池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長は、1990年7月以来、10度にわたる会談を重ね、友誼を結んできた。語らいは対談集『20世紀の精神の教訓』として結実し、11の言語で出版されている。寄稿の中で氏は、「5・3」を祝福するとともに、女性の持つ可能性やコロナ禍を乗り越える方途、核兵器廃絶に向けた国際社会の取り組みなどについて言及している。
  
  

5・3「創価学会の日」を慶祝して

 親愛なる池田SGI会長、親愛なる創価学会の皆さま!
  
 61年前の5月3日、池田大作氏が創価学会第3代会長に就任されました。皆さまにとって、この日がいかに大切な日であるか、よく存じ上げております。皆さまのご健勝、ならびに平和と教育と青年育成のさらなる伸展をお祈り申し上げます。
  
 有名な箴言に「社会は次世代を育成できてこそ、初めて成熟したといえる」とありますが、この言葉は、まさに貴団体のことを指しています。創価学会の人材群は、池田会長の賢明なご指導のたまものであります。
  
  

平和構築のために「女性の力」は不可欠

 併せて5・3「創価学会母の日」を心よりお祝い申し上げます。何と素晴らしい記念日でしょう!
  
 女性の皆さまには、ますます美しく、愛情に包まれながら、揺るぎない家族の絆を構築されますよう、そして、これからも創価学会のあらゆる活動を支える存在としてご活躍されますよう、お祈り申し上げます。
  
 私の日本女性との出会いは、学会の素晴らしい女性通訳の方々が原点となっています。彼女たちはスピーチや会見、会議の通訳をしてくれただけでなく、日本の文化や芸術、習慣や生活全般について語ってくれ、あらゆる場面で力になってくれました。心からの感謝をささげたいと思います。
  
 私は、平和や軍縮、核兵器廃絶の取り組みにおける女性の役割を非常に高く評価しております。政策形成や国際条約の作成・締結の場に、より多くの女性が参加できれば、世界情勢はさらに安定し、将来の見通しが一段と良くなると確信しています。
  
 当然、女性の平等な参画のためには、まだ多くのことをなさなければなりません。先日、IPU(列国議会同盟)が発表した各国議会の女性進出に関する報告書を見る機会がありました。なんと、日本もロシアも100位以下でした。ロシアは138位、日本は166位です。
  
 その中で唯一、喜ばしいメディアの指摘がありました。女性は議会の中で少数であったとしても、最重要の議題に関する最も優れた発言の多くは、女性によるものだということです。
  
 女性を取り巻く環境は、今後大きく変わっていくでしょう。とりわけ若い世代の女性たちが政治や経済、文化、環境保全などの分野で、どんどん活躍されると思います。
  

創価大学を訪問したゴルバチョフ氏が創大生の代表と(2007年6月)
創価大学を訪問したゴルバチョフ氏が創大生の代表と(2007年6月)

 創立50周年を迎えた創価大学出身の女性の皆さまも、そこに名を連ねることは間違いありません。なぜなら創価大学は、全人類に貢献できる創造力豊かな「世界市民」を育成し続けてきたからです。
  
  

出会いから三十星霜を超え

 ここで、わが友・池田大作会長への思いをつづりたいと思います。
  
 会長は卓越した思想家であり、平和と核軍縮の闘士、優れた教育者、作家、写真芸術家であり、かつ、それぞれの分野で輝かしい功績を残されています。
  
 クレムリンでの初めての出会いから30年以上が経過しました。
  
 初対面であるにもかかわらず、まるで旧知の友と語り合っているようでした。このような感覚は、めったにあるものではありません。今でも私の胸に深く刻まれています。
  
 以来、私たちの友情は深まり、世紀の境目には、対談集『20世紀の精神の教訓』が発刊されました(1996年に日本語版、2000年にロシア語版)。
  
 この対談集は、去りゆく20世紀に人類が経験したことの精神的な意味を思索しようという試みであり、現代文明の精神性を真剣に見つめることへの呼び掛けでもありました。
  
 私たちは異なる文化を持ち、異なる人生経験を経てきました。一人は共産主義思想の中で、もう一人は仏教思想の中で年輪を重ねてきました。
  
 その二人が語らいを通し、共通の精神的基盤を見いだすことができたのです。この事実そのものが、多くのことを物語っていると思います。
  
 冷戦の終結後、人類は「協調」と「道徳精神」に基づく政治を実現する貴重な機会を手にしました。しかし、その重要性を十分に評価できなかったため、利己主義的な動きが地政学的な駆け引きを復活させ、その結果、冷戦のような空気が再び漂い始めています。
  
 私の元には、今も、対談集への感謝がつづられた手紙が、さまざまな国の人から届きます。発刊から長い年月がたつにもかかわらず、現在も読み続けられているのです。この事実に、対談の重要な意義が裏付けられています。
  
 3年前、池田会長の90歳の誕生日に祝電をお届けしました。その中で、自分は会長をお手本とすることが多く、年齢においても後に続くことをお約束しました。本年3月、その約束を果たし、90歳を迎えることができました! この場をお借りして、私の90歳の誕生日に真心こもるメッセージを送っていただいたことに、心から感謝申し上げます。
  
 また毎年、桜の季節が訪れるたびに、ロシア語を学ぶ創価大学の学生さんたちが、妻・ライサと創価大学に植樹した「ゴルバチョフ夫婦桜」の写真を贈ってくれています。大変にありがとうございます。毎回、楽しく鑑賞しています。
  

SGI会長夫妻が、関西創価学園を訪れたゴルバチョフ氏夫妻と共に(1997年11月)
SGI会長夫妻が、関西創価学園を訪れたゴルバチョフ氏夫妻と共に(1997年11月)
「人間の生命」こそ人類共通の価値

 冷戦という地球規模の対立の終結と未曽有の最新技術の開発が、世界に新たな息吹を与え、一人一人の生活を改善してくれる――ごく最近まで、そう思われてきました。ところが、現実は違いました。
  
 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、グローバル社会に新たな課題を突き付けました。個人にとっても政府にとっても、まったく予想外の出来事だったはずです。コロナは、これまで未解決だった問題をさらに悪化させ、現代文明を脅威にさらしています。
  
 コロナ危機と向き合う今、あらゆる国際政治の在り方を見直す必要があります。力を合わせて模索し、より信頼できる国際安全システムを構築しなければなりません。
  
 このような構想は、既に80年代後半に打ち立てられていました。当時、旧ソ連のリーダーだった私は、「新思考」の理念として、世界秩序を全人類的価値に基づいて改善することを提唱したのです。
  
 それは、各国の独立性を尊重し、相互不干渉の原則を順守しながら、国家と国民が人類の生存に対する共通の責任を認識するという構想でした。そして、その価値の中で最も重視すべきは「人間の生命」であり、一人一人の自由と安全です。
  
 今再び、世界は、この理念に立ち戻るべきです。今日、人類は、長い歴史上で初めて、共同の繁栄がありうると理解し始めているのではないでしょうか。
  
  

人間の安全保障

 新思考を掲げた30年以上前も、そして現在も、焦点は新しい世界秩序ではなく、国家や社会が相互関係を構築するための原則を打ち立てることです。
  
 その原則とは、以下の3点です。
  
 第一に「安全保障の概念を再認識する必要性」。
  
 第二に「非軍事化、軍縮、軍事費の削減、核兵器のない未来」。
  
 第三に「政治、経済、人文分野における対話、信頼関係、協調」です。
  
 第一に挙げた安全保障の再認識とは、安全保障を軍事のみに限った課題とする捉え方を変えることです。安全保障とは広範な概念であり、人類が近年直面した、あらゆる最重要課題の解決策を模索することです。
  
 具体的には、人々の健康維持、環境や天然資源の保護、水や食料の確保、飢餓や貧困への対策――つまり「人間の安全保障」です。
  
 第二の非軍事化の原則は、軍備拡張や政治・思想の軍事化が今もなお、現代人にとって最も深刻な脅威であり、人間の自由を制限し、常に生命を脅かすものであるとの認識に立脚するものです。新兵器の開発・実験・製造に費やされる資金は、医療や教育や自然保護などの分野の発展に向けられるべきです。
  
 これら二つの原則を実現した先に、第三の信頼関係と協調の道が開かれます。競争や紛争、瀬戸際外交などは、経済・人文分野の交流にその座を譲るべきです。
  
 病や貧困、環境汚染との戦いのために、全ての国が結束し、新たな国際協調を築くとともに、国家の枠を超え、国際組織の役割と意義を強化しなければなりません。その道から外れるならば、世界の無秩序は強まり、文明や自然が破壊されるリスクが高まることでしょう。
  
 新たな脅威にさらされている今、国のリーダーや市民社会が問題の深刻さを真に理解するならば、国際政治を見直そうとするに違いありません。
  
 かつて「新思考」の理念は、現実に生かされ、冷戦の終結をもたらし、その効力を証明しました。困難な道ではありましたが、紛れもなく素晴らしい協調の経験でありました。
  

池田SGI会長とゴルバチョフ氏との9度目の会見(2007年6月、東京牧口記念会館で)
池田SGI会長とゴルバチョフ氏との9度目の会見(2007年6月、東京牧口記念会館で)
直ちに行動を

 近年、さまざまな方面から、国際問題において「戦争や武力を容認すべきである」という声が聞かれるようになりました。核兵器の賛歌が再び響き渡り、周囲に戦争のにおいが漂ってきました。昨今の西側諸国とロシアの対立も憂慮に堪えません。
  
 「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」(『戦争論〈上〉』清水多吉訳・中公文庫)との、ドイツの軍略家クラウゼヴィッツの言葉が、より頻繁に用いられるようになっています。彼も、自分の言葉で21世紀の世界が覆われている現状を目にしたならば、驚くことでしょう。
  
 もし政治の行き着く先が戦争ならば、そのような政治は退けるべきです。今、世界に響かせるべきは別の言葉でしょう。それは「思い止まろう」です。
  
 新戦略兵器削減条約(新START)延長の決定は、その第一歩となるべきです。米露には、今後の軍縮について合意し、他の核大国を交渉のテーブルに着けてもらいたい。そして、軍事ドクトリン(原則)を核兵器先制不使用の方向に修正してもらいたい。そう願わずにはいられません。
  
 私は、バイデン大統領の米露首脳会談実施の提案を歓迎します。ここ数年間、私は米露首脳に対し、首脳会談の実現をたびたび訴えてきました。それは、直接会って語り合うことで初めて、新しい二国間関係が構築できると信じるからです。
  
 両国には既にそのような経験があります。アメリカのレーガン大統領(当時)と私は、ジュネーブやレイキャビクで会談を行ってきました。
  
 現状は「待ったなし」の状況です。手をこまねくことなく、直ちに行動を起こすべきなのです。
  

中距離核戦力(INF)全廃条約に調印するレーガン米大統領(右から2人目)とゴルバチョフ氏(1987年12月、米ワシントンで)©Bettmann/Getty Images
中距離核戦力(INF)全廃条約に調印するレーガン米大統領(右から2人目)とゴルバチョフ氏(1987年12月、米ワシントンで)©Bettmann/Getty Images
核戦争に勝者なし 廃絶は我々の責務

 今こそ、当時の米ソ共同声明で宣言した言葉を繰り返す時です。
  
「核戦争は許されない。そこに勝者はありえない。双方は軍事的優位を求めない」と。
  
 昨年8月、広島・長崎への原爆投下75年の関連行事として、長崎で開催された国際シンポジウムにリモートで参加しました。その中で私は、「核兵器のない人類の未来を建設しよう」との訴えを支持しました。
  
 今日、核兵器廃絶の戦いは、我々一人一人の責務であります。
  
 さらにメッセージの中で私はこう呼び掛けました。
  
 「私たちは市民社会の代表として、核軍拡競争に反対し、核兵器保有を減らし、最終的には核兵器の全廃に向けて、全世界的な取り組みをもう一度展開しなければなりません」
  
 かつて、米ソ首脳は、レイキャビクで核兵器のない世界を目指す歩みを開始しました。それは平坦ではなく、茨の道でした。しかし、核兵器の全廃以外に目的はあり得ません。
  
 今、必要なことは「対話」です。恨みや非難や失望といった、感情にこだわった対話ではなく、「私たち人類には共通の運命があり、新たな脅威には誰もが脆弱である」との認識に基づいた対話が必要なのです。
  
 それはまさに、池田会長と私が実践してきた「対話」の精神であり、そこから、人類は共同の繁栄へと向かうことができるのです。
  
  

【プロフィル】ミハイル・S・ゴルバチョフ 1931年生まれ。85年にソ連共産党書記長に就任し、東西冷戦を終結に導く。90年、ソ連初代大統領に就任。同年、ノーベル平和賞を受賞する。91年12月、ソ連解体とともに大統領を辞任。その後、「社会・経済・政治研究国際財団(ゴルバチョフ財団)」を創設するなど、世界各地で活動を展開している。

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通信員企画〈小説『新・人間革命』

2021年05月04日 | 妙法

通信員企画〈小説『新・人間革命』にある風景〉2021年5月4日

■広島 原爆死没者慰霊碑
広島市中区の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑。奥には原爆ドームが立つ
広島市中区の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑。奥には原爆ドームが立つ
第22巻「命宝」の章

 第22巻「命宝」には、戸田先生と山本伸一の“平和への思い”や“慰霊碑”の前で祈る伸一の模様がつづられている。
 
 

 歴史上初めて原子爆弾が投下され、多くの尊い命が奪われた広島。
 1957年、戸田先生は体調を崩されながらも広島行きを切望。実現はしませんでしたが、「死んでも行くぞ」との言葉から深い平和への思いを感じてなりません。
 池田先生は「平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできない」と、恩師の心をわが心として平和行動を展開。75年には“弟子の誓い”を果たされ、来県されます。美しい師弟の絆に胸が熱くなりました。
 師の存在に感謝し、池田先生から頂いた「大思想は 原爆を恐れじ」との言葉を胸に、一人の弟子として平和闘争をし続けます。
 (松浦悦子、松浦義弘)
 
  

■熊本 熊本城
堂々たる熊本城。池田先生は1966年5月8日に訪れ、人材の城をと語った
堂々たる熊本城。池田先生は1966年5月8日に訪れ、人材の城をと語った
第25巻「人材城」の章

第25巻「人材城」で山本伸一は“陰の力”に言及し、「表舞台に立つリーダーは、そうした方々を心から尊敬し、大切に」と述べた。
 
 

 この5年間、熊本人の多くが“自分の中の熊本城”を胸中に抱き、復興の道を歩んできたのではないでしょうか。
 最近までクレーンなどの重機が復旧作業をしていましたが、今年4月、いよいよ天守閣が完工。漆黒の外壁と白いしっくい。威厳と輝きを併せ持つ名城がついに再び……。胸が熱くなりました。
 石垣の表面にある巨石の裏側には、無数の小石が詰まっています。池田先生はこの「裏込」工法を通して“表舞台で輝く人だけでなく、裏で黙々と頑張る人を見つけ育てなければ、難攻不落の創価城は築けない”と。
 城郭の全てが復旧するのは約20年後。私たちも不屈の信心で勝利の人生を歩みます。
 (河端清則)
 
  

■岐阜 土岐川の堤防
43年前、東濃文化会館の勤行会に参加する友が師匠を求めて歩いた土岐川の堤防
43年前、東濃文化会館の勤行会に参加する友が師匠を求めて歩いた土岐川の堤防
第28巻「大道」の章

 1978年7月28日、山本伸一は東濃文化会館を初訪問。5回に及ぶ勤行会で全魂の励ましを送る姿が第28巻「大道」に。
 
 

 池田先生は1978年(昭和53年)7月28日、第1次宗門事件で苦しむ友を励ますため、東濃文化会館を初訪問されました。
 2回目の勤行会を終えた先生が、会館の窓から土岐川の堤防を眺めると、会館に向かって歩いて来る同志の列が続いていました。そこで“全員と会うまで勤行会を”と提案。一回、また一回と御書を通して力の限り、激励を重ね、苦楽ともに唱題し抜く大切さや、無疑曰信の信心などについて指導されました。
 この地へ足を運び、命を振り絞るようにして友の心に希望の灯をともした師匠の激闘に思いをはせました。師弟共戦の誓いに燃えて“広宣流布の大道”を生涯、歩み続けます。
 (佐古由貴)
 
  

■栃木 思川駅
1951年5月27日、地方闘争の初陣で池田先生が降り立った思川駅
1951年5月27日、地方闘争の初陣で池田先生が降り立った思川駅
第30巻〈下〉「誓願」の章

 宗門を離脱した栃木・淨圓寺から日寛上人書写の御本尊授与の申し出があった模様が第30巻<下>「誓願」に描かれている。
 
 

 第2次宗門事件以降、淨圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊が御形木御本尊として、全世界の会員に授与されるようになりました。同寺がある栃木県小山市は、池田先生が地方闘争の初陣を飾られた地です。
 1946年(昭和21年)9月、戦後初の地方指導を栃木の地から開始された戸田先生に続き、1951年(同26年)5月27日、池田先生は栃木県小山市にある思川駅に降り立ち、師弟共戦の歴史を刻んでくださいました。
 池田先生の地方闘争70周年を迎える本年、師弟のロマンがあふれる栃木の地で広布に走れる喜びを胸に、友と深い縁を結びながら、対話拡大に先駆します。
 (浅沼紀子、荻原秀子)
 

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