小説「新・人間革命」に学ぶ 第29巻 基礎資料編2021年5月5日
- 連載〈世界広布の大道〉
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第29巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。
1978年(昭和53年)10月10日、山本伸一は、ハーバード大学名誉教授のガルブレイス博士と会談。心通う率直な語らいのなかで、友情の絆が結ばれていく。
大阪を訪れた伸一は11日、熱原法難700年記念の城東区の総会に出席。現代における殉教の精神について指導する。21日、東京・板橋文化会館で行われた本部幹部会では、伸一が作詞した新婦人部歌「母の曲」、茨城の歌「凱歌の人生」が発表される。終了後も「母の曲」の歌を婦人部の代表と共に聴く。また、埼玉には「広布の旗」、東京・世田谷には「地涌の旗」、新潟には「雪山の道」、栃木には「誓いの友」と、次々に県・区歌を作詞して贈る。
一方、弁護士・山脇友政の謀略に踊る宗門僧によって、学会への攻撃が激しさを増していた。伸一は同志を全力で励まし続け、指導部には「永遠の青春」を、山梨には「文化と薫れ」を作詞し、贈る。
11月10日、大阪・泉州文化会館を初訪問し、有志の育てた菊を観賞。12日、伸一の作詞した「泉州の歌」(後の「歓喜の城光れ」)の歌詞が発表される。
11月18日、学会創立48周年を記念する本部幹部会で山本伸一は、「七つの鐘」が明1979年(昭和54年)に鳴り終わることを述べ、未来展望を語る。翌日、「11・18」を記念して提言を発表。「地方の時代と創価学会の役割」や環境問題に言及する。
21日、伸一は神奈川の戸塚文化会館へ。22日、群馬県では彼が作詞した県歌「広布の鐘」が発表される。23日、伸一は第1回関東支部長会に出席し、幹部の在り方について指導。また、激闘のなか、「静岡健児の歌」を作詞し、同志に贈る。
29日に大阪入りした伸一は、30日には三重へ。12月1日、名張市を初訪問。地元の壮年本部長やその家族など、同志を激励する。三重から大阪に戻り、高知指導へ。雄大な太平洋に臨む高知研修道場を初訪問し、連日、同志の激励に全精魂を注ぐ。また、香川県の四国研修道場に舞台を移し、12日の徳島県幹部総会では、“覚悟”の信心を訴える。
12月26日から28日には、栃木・群馬へ。“今、戦わずして、いつ戦うのだ! 時は今だ! この一瞬こそが、黄金の時だ!”――伸一は、自身に言い聞かせ、「力走」を続ける。
1979年(昭和54年)1月、山本伸一は東北指導へ。12日には岩手・水沢文化会館で開館を記念する自由勤行会を開催。「皆が“地域の柱”に!」と訴える。東日本大震災(2011年3月11日)で、地域の人々のために勇んで献身する学会員のなかには、この自由勤行会で伸一との出会いを結んだ人たちが少なくなかった。伸一は、出発の直前まで、会館の庭で子どもたちと相撲を取るなど、同志との交流に努めた。
14日、青森文化会館で、10年前の約束を忘れず訪ねてきた、下北半島のかつての中等部員たちを歓迎する。幹部会や懇談会に臨み、翌15日には、「清新」の気にあふれた新成人のメンバーや、役員の青年らと記念撮影。さらに会館周辺をまわり、路上で何人もの学会員を励ます。
東京に戻った伸一は、20日、オックスフォード大学のウィルソン教授と対談。後年、二人は対談集『社会と宗教』を発刊する。
伸一はインドへの出発地を、戸田城聖が東洋広布を託した九州と定める。2月1日、九州研修道場での記念幹部会で、インド国歌の熱唱を聴き、世界広布への決意を新たにする。
2月3日、山本伸一は、香港を訪れ、4日には九竜会館を初訪問。香港広布18周年を祝う記念勤行会へ。
6日午前零時過ぎ、インド・デリーに到着。午後には、デリー大学での図書贈呈式に出席。翌7日以降、デサイ首相やバジパイ外相等、要人との会見が続く。過密なスケジュールのなか、インドの同志との懇談会が行われる。全インドから集った約40人のメンバーに、伸一は、「ガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です」と指導する。
9日、ジャワハルラル・ネルー大学では、ナラヤナン副総長と友誼を結ぶ。戸田城聖の生誕の日にあたる2月11日、パトナに移動した伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりで、東洋広布を念願した恩師を偲ぶ。
カルカッタ(後のコルカタ)では、タゴールの精神を継承するラビンドラ・バラティ大学に図書を贈呈。インド博物館では、仏教盛衰の歴史に思いを馳せる。
その後、インド創価学会(BSG)は大発展を遂げ、広布の大河となっていく。
1979年2月
香港・インド