〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第4回 人間讃歌の時代開く大文化運動㊤ 2020年5月21日
◆大串 創価学会は、仏法を基調とした平和と文化と教育の運動を多角的に展開しています。日本から始まった、この民衆運動は今、世界中に広がっています。そこで今回からは、学会の文化運動について伺いたいと思います。
◇原田 はじめに、新型コロナウイルスの感染拡大で、文化・芸術に携わる方々も、いまだかつてない苦境にあることを思うと、本当に心が痛みます。一日も早い終息を祈るばかりです。人々を結び、希望の光源にもなる、文化・芸術は人類にとって不可欠なものです。人々に“生きる力”を与えてくれるのも、文化・芸術の価値であると思います。
いつの時代も、優れた文化の根底には、宗教がありました。まだ学会の草創期、はるか未来を見据え、戸田先生は「大白蓮華」の巻頭言(1956年<昭和31年>)で、「最高の文化国家の建設」「広宣流布と文化活動」について論じられました。
この恩師の理念と構想を、民音や東京富士美術館の設立をはじめ、広範な規模で、一つ一つ実現されたのが池田先生です。
◆樺澤 先生は70年5月3日の本部総会で、「広宣流布とはまさしく“妙法の大地に展開する大文化運動”である!」と宣言されています。
◇原田 小説『新・人間革命』第15巻「蘇生」の章には、「妙法の大地に展開する大文化運動――それは、仏法の人間主義を根底とした社会の建設である。肥沃な土壌には、豊かなる草木が繁茂する。同様に、仏法の大生命哲学をもって、人間の精神を耕していくならば、そこには、偉大なる文化の花が咲き薫り、人間讃歌の時代が築かれることは間違いない。いな、断じて、そうしなければならない。そこにこそ、仏法者の社会的使命があるのだ」と記されています。
忘れ得ぬシーンがあります。74年5月の初訪中の際、中国側のスタッフから「創価学会とは、どのような団体ですか」と問われた時、先生は「広宣流布を推進する団体です。広宣流布とは、仏法を基調にして、平和と文化と教育に貢献することです」と述べられたのです。
約3カ月後の初訪ソの折にも、コスイギン首相との会談の中で、「あなたの根本的なイデオロギーはなんですか」との問いに対し、「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と答えられています。首相も「その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います」と応じられました。
◆林 この基本的な考え方が、今日の各国のメンバーの活動の指針になっていますね。
◇原田 ソ連から帰国された直後の74年9月27日に宮城県仙台市で行われた本部幹部会で、先生は9項目にわたる「広布への指針」を発表されました。
その第2で、「学会は広宣流布の団体である。さらに、大仏法を基調とした平和と文化の推進の団体である。理由は、信仰それ自体は一個人の内面的問題にとどまってしまう。それでは『立正安国論』の原理に反する。したがって、日蓮大聖人の仏法が広宣流布を志向する上から、過去の仏法昇華の歴史の上からみても、文化・平和を推進し建設するのは、当然の法理であるからである」と述べられています。
学会が、世界へ未来へ向かって進むべき道を明確に示されたのです。
◆西方 「妙法の大地に展開する大文化運動」の“先駆け”となってきたのが、各地で行われた文化祭です。文化祭といえば、67年10月15日、当時の国立競技場で行われた、世紀の大祭典「東京文化祭」には、政・財界人や言論人、学者、各国の駐日大使など5000人の来賓が参加したと聞いています。
◇原田 その模様は、『新・人間革命』第12巻「天舞」の章に詳しく描かれていますが、来賓の一人であった松下幸之助氏の言葉が、この文化祭のスケールを表していると思います。
「一歩、会場に足を踏み入れた瞬間から興奮を覚え、荘厳華麗な人絵や演技が進行していくにつれて、会場全体が一つの芸術作品のるつぼと化し、躍動の芸術とでもいうか、筆舌し難い美の極致という感に打たれた。これも信仰から自然にわき出る信念により、観覧者をして陶酔境に浸らしめ、自分としても得るところ大なるものがあり、感銘を深くした」
こうした文化運動の中で、学会の力は社会に大きく示され、また多くの人材が錬磨されていくのです。
◆西方 各地の文化祭では、音楽隊、鼓笛隊も活躍しました。54年5月6日、青年部の室長であった池田先生が音楽隊を結成してくださったことは、何よりの誇りです。
◇原田 ご存じのように、この時、先輩幹部や理事たちは、先生の考えに全く関心を示さず、反対する人も少なくありませんでした。結局、先生が一人で費用を工面し楽器を贈るなどして、今日の世界に誇る大音楽隊が船出したのです。
3日後の9日、全国から集った青年5000人の前で、音楽隊は初めての演奏を披露しました。当時、中学1年生の私もその場に居合わせ、演奏を聴きました。雨中で真剣に演奏する雄姿、気迫に、「すごい」と感動したことを覚えています。
何より、音楽隊の演奏の指揮を、池田先生が雄渾に執られる姿は、広布の一ページとして刻まれています。
鼓笛隊も56年に先生が結成してくださいました。先生自ら、楽器を買いそろえてくださり、「世界一の鼓笛隊に」との期待を胸に出発したのです。
◆西方 音楽隊は今、世界各地に広がり、学会の文化運動の担い手として活躍しています。16度の“日本一”に輝いている「創価ルネサンスバンガード」の演奏は“模範楽曲”として、全国で参考にされています。日本のマーチング団体の“教科書”のような存在になっているのです。バンガードに入りたいために、学会への入会を希望する青年もいます。
ほかにも、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、しなの合唱団などが“日本一”に輝いています。
◆大串 鼓笛隊も“日本一”の創価グランエスペランサ、創価中部ブリリアンス・オブ・ピースをはじめ皆が、全国、全世界で、地域の行事に張り切って出演しています。
◇原田 学会は、青年が生き生きと躍動している団体です。文化祭の淵源は54年11月7日、広宣流布への青年の熱と力を表現する新たな試みとして、池田先生が体育大会を企画し、開催されたことにあります。
私は東京・世田谷の日大グラウンドで行われた、この第1回体育大会「世紀の祭典」にも参加し、競技の応援をしました。「学会魂」という棒倒しや1万メートル競走など、若人の熱気に満ちあふれ、新しい時代を建設しようとの意気込みを感じました。また、応援合戦も楽しく、“宗教”という殻に閉じこもるのではなく、学会の幅広い開かれた世界に魅力を感じたことをよく覚えています。
◆樺澤 戸田先生が、「原水爆禁止宣言」を発表されたのも、神奈川での体育大会でした(57年9月8日)。
◇原田 学会が行ってきた体育大会にせよ、文化祭にせよ、人間の生の躍動と歓喜を表現するものです。平和といっても、単に戦争がない状態ではなく、人々の生きる喜びがなければなりません。学会の運動は、民衆一人一人の内なる生命の躍動と歓喜を呼び覚まし、人類をつなぎ、人間性の勝利を打ち立てるものです。文化祭等の催しは、その一つの象徴といえます。
81年6月には第1回の世界平和文化祭がアメリカのシカゴで、82年9月には埼玉の所沢で第2回が開催され、東西冷戦下の80年代、平和文化祭の流れが作られていきます。これらは世界広布新章節の開幕を告げる祭典であり、世界宗教としての創価学会の、新たな船出の催しでした。さらに平和文化祭は、各国、各地に広がっていきます。
◆大串 先生は常々、「学会は、歌とともに進んできた。歌で勝ってきた」と言われます。青年部は、“歌の力”で現在の困難を乗り越えようと、「うたつく」(歌をつくろう)運動を行い、制作参加者が1万人に及ぶ中で「5・3」に完成しました。「勇気の心が春を呼ぶ」と確信し、「笑顔」で新たな「未来」を開いていく決意です。
◇原田 新しい青年の歌「未来の地図~Step Forward~」の完成、本当におめでとうございます。
歌といえば、私は先生が「人間革命の歌」を作られた時のことを思い起こします。76年、大阪事件の出獄から20年目を迎える年のことです。
先生は、「いかなる大難にも負けない、魂の歌を作りたいんだ。希望を湧かせ、勇気を鼓舞する、人間讃歌を作りたいんだ」と言われながら、この歌に取り掛かられました。
72年から75年は、世界を舞台にした先生の平和外交、人間外交が活発に展開された時でもあります。しかし実は、この頃から、第1次宗門事件の嵐が吹き始めていました。それは、創価の師弟を分断し、衣の権威で信徒を隷属させようとする、広布破壊の大謀略でした。
先生は「必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(御書1087ページ)との御聖訓を命に刻まれていました。ゆえに、“吹雪に胸はり いざや征け”という、障魔に負けない、大難に打ち勝つための歌を作られたのです。
当時、先生から、「本来ならば、こうした歌は弟子が作るべきである。皆が作らないから、私が作ったんだ」と厳しく指導されたことがあります。未来の広布を見据え、これから先、どんな大難があっても、断じて揺るがず、心を一つにして師弟の信心で進めば、必ず勝ち越えていける――「人間革命の歌」に込められた師の慈愛を思う時、その深さに心が震えます。
◆林 先生は、ピアノの演奏を通し、同志に励ましを送ってくださることもあります。
◇原田 全ては、会員の皆さまに、勇気と希望を届けるためです。第3代会長を辞任された直後、宗門らの謀略により、会合でスピーチをすることができなくなる中、静岡研修道場で“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、代表に贈ってくださったこともありました。
初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かわれたのです。烈々たる気迫の演奏でした。
当時の真情が『新・人間革命』第30巻<上>「大山」の章に描かれています。
「ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。“立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”」――先生は、そうした思いを込めて、ピアノの演奏をされているのです。