市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

マチES細胞 夢と希望の廃墟から

2006-01-11 | Weblog
 サイクリング再開の予行で、綾町、青島、西都市と年末、年始と走ってみた。15年前は100キロは遊び半分で走れたが、現在はわずか50キロでもギヤを神経質にチェンジしなければ、膝が持たなくなっている。目もカールツアイスの双眼鏡なみに風景は明晰に見えたのに、もやがかかったようだ。あのころは、寒風にわざわざ向かって、肉体の限界で頭が真っ白になるのが快楽であった。今はそよ風さへ、避けたくなる。そう、サイクリングに不向きの肉体に衰亡したことを、明確に自覚できるのであった。夢と希望は廃墟になり、そこからの再出発である。やれるかしら、いややれる形のサイクリングをやるしかないと、まずお断りし、出発である。

 宮崎神宮から平和台団地を超え、カフェ松本の前から5キロのややきつい勾配を上り、一気に7キロ下るバイパスを走ってみた。あれが超えられれば、近郊めぐりの自転車走プロジェクトも望みはあるかと、やってみたわけだ。24段のギアをフルに変えながら、ぜいぜいと息はきながら、なんとかやりおおせた。

 今度の走行で、自動車でしか走るしかなかった道路というものが、肉体的に把握できるのだったが、これは衝撃であった。道路とはなんなのだろうかと、考えさせられる。ただ、今日は、3年ぶりの訪れた、西都市の中心、旧国鉄「妻」駅の裏に展開していた商店街のことをまず語りたい。

 そこは、まさに廃墟と変わっていた。かってわざわざ、そこのラーメンが食べたくて訪れた広場の角のラーメン店も、無くなっていた。真昼というのにベンチに
横になった労務者が一人いただけだった。
コメント
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