市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

夢と希望? 綾宮崎自転車 その3

2006-01-20 | Weblog
 その舗装が一般自動車道と比べて悪いのは、自転車が自動車に比べて劣った乗り物とみなされるからである。だから、この程度の歩道で十分ということだ。

 確かに輸送能力という視点からいえば、自転車は自動車には負ける。内燃機関で走るのと足で車輪を回すのではお話にならない。自動車は人を魅惑するが、自転車は大衆を魅惑させない。自動車はステイタス・シンボルにもなりうる贅沢品であるが、自転車は、実用品にすぎない、所有して妬まれるよりも、貧乏人にみられる、などなどとこの産業、経済社会の基準からいえば、上流でなく下層に属する。なら、舗装もこの程度でいいとなる。

 しかし、同じ郵送機器でありながら、自動車が絶対に敵わぬ機能がある。何キロもただで走れる。税金もかからない。人を殺さない。自動車にいくら乗っても体力は増さないが、自転車は体力を増強する。無料で、人にも環境にも優しく、健康にいいという快楽が、自動車には絶対にありえない。つまり、これは今流行りのロハスの視点である。ロハスは健康で環境を破壊せず維持できるライフスタイルという意味です。

 どちらが上位という固定的価値判断から自由になり、ものの本質を判断する知性があるならば、自転車道には、自動車道よりも滑らかな舗装が最適であることが、自明になるはずである。この視点と知性が働かなかったのが綾・宮崎自転車道なのである。

 つまり道路とう形だけを作った。その形はES細胞となりすべてとなるという夢と希望を幻想させたといえないか。こんな夢からおさらばしよう。

 アメリカ生まれの造語
「ロハス」とは、
Lifestyle of health and sustainability
という英語の略。



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