市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

夢と希望? 綾宮崎自転車 その2

2006-01-18 | Weblog
 昨日述べたように、この走るに値しない綾・宮崎自転車道に、なぜ存在価値があるのかである。初めは、堤防はまばらに舗装されているだけだったので、この自転車道は有用であった。ところが、アスファルトの滑らかな舗装になってしまったので、コンクリート道を選ぶ必要がなくなった。先日行った西都市パルコが宮崎市の中心市街地やイオンショッピングモールと隣接されたため無用になったことに一見似ている。しかし、大きく違う。

 西都市のパルコは買い物の場としては存在価値が無くなったが、この自転車道は走らなくても存在できる。堤防を自転車道と出来ないからである。つまり、同質のショッピング施設ではなく、「別のもの」だからである。

 そう、堤防を走っていても自動車が溢れれば、一瞬にして自転車道に移動できるのだ。堤防を走っていても、いつも綾・宮崎自転車道を行っていると、わくわくした気分を味わえる。この綾・宮崎自転車道はいつでも付き添い、いつでも帰れる道路、まあ、故郷のようなもの(なんとう賞賛、作ってやつはそこまで自覚はなかったはず)そして、それはハンドルの遊びの部分のように無用でありながら無くてはならぬものなのである。

 この母なる場、悠々たる遊びの自転車道なのである。だったら、下らぬ場所に花壇や植樹をしてまわるより、ここにこそ花や植樹をしたければすればいいんだ。そして最高の舗装を。

 そして州一の、いや日本一のサイクリング道路を作ることは、具体的である。実現のビジョンも明確な夢となる。九州一の景観づくりの、「九州一の景観」とは具体的になんなのか、だれも語れない。これこそ夢を語る風説であろが!!

 で、もう一つ、自転車道はなぜ舗装が悪いのであろうか?!
コメント (2)
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