11月10日火曜、朝から土砂降りの雨が、午前10時になってもまだ雨脚を弱めない。小林君が予定通りに来たので、新聞社まわりをすることにした。ただし、この雨では駐車場のある社だけを訪れるしかないなと、半ごろ出発した。うそ寒い、暗い街路と、雨しぶきのよどむウインドウで、気分までうっとうしい。
この小春の宮崎市上演についてスタートしたときのことを思い出した。あのとき、毎月決まって文化イベントをやって、200人くらいの参加者でにぎわうという催しをしらされ、かつ主催者の代表にその情報を教えてもらえた喫茶店主に小春マイノリティオーケストラ上演趣意書と資料を渡して、代表に上演イベントとしてどうですかと聞いてもらった。翌日、彼女の回答は、上演費用が高すぎるということですということであった。出演料だけで、他の費用は、3万円くらいを分担してほしいという金額であった。旅費、その他はべつなのに、それでも高すぎるのですかと、がっかりして言うと、彼女はもう一度説明してみますと約束してくれた。
翌日、彼女の店に行き、まずランチを頼み、客が空いたところで彼女に結果を聞いたところ、代表は、一万円ならということでしたと告げるのだった。一万円!!これじゃおはなしにもなにもあったもんじゃないですよ。6人の航空運賃、ホテル代だけでも何十万円ですからと言うと、彼女は、つづけて、代表はうちでは、こういうライブなどは、みんな一万円でやっているのだとおっしゃいましたというのだ。そうか、こういうライブか、一万円ライブという見方に小春のライブも加えられれたというわけであった。東京からわざわざなんで、この程度のミュージシャンを連れてくるのかという代表者のみごとな常識がありありと想像されて、腹がたつより、ぼくらの甘さ、ひとりよがりと、代表の井戸のなかの蛙ぶりの常識の強固さとが、がらんがらんと宮崎市という空間で転がりあい響きあうのを、聞く思いに襲われたのであった。三ヶ月前のことであった。
新聞社にはデスクが一人で淋しげに座っていて、受付テーブルには、テーブルを拭き掃除していた中年の女性がいて、名刺と資料を渡すと、すぐに愛想良く受け取って、そのまま後の言葉がないので、ではよろしくとひきかえそうとしたら、デスクが、なんだろうという気持ちで近寄ってきた。そこでそのまま彼女から資料を渡してもらい、来意をつげ、かんたんに趣旨を説明すると、かれは、おあずかりしますと儀礼的な受け取りをしてくれた。ただ、それだけであった。
ぼくらがあっさり、外に出たのも、やっても無駄だろうということを多少の経験で知っていたからだ。こちらの望むような記事、あるいは広報でもやってもらおうというなら、まえもってアポが必要だったかと思いだしたからだ。おたがいそれが無駄を省ける。時間もかからずに済む。宮崎市の文化情報としては、かなり記事にする価値があるということを、説得してみたかったわけだが、これには、ゆっくり話合う時間がいるのだ。デスクも忙しそうだし、こっちも忙しい。おまけに気分も冴えなかった。
しかし、なによりこちらの時間がない。余計な労力は省かなければならない。よし、今日はこれで引き揚げよう。あんたとおれで知った記者やテレビのプロデューサに電話して、能率化するしかないなと、降っている雨のなかを引返した。
日曜日からは、蟻のいる藪のなかを普段着で踏み込んで、草花を探し出そうとしているようなものだ。あちこち刺されて、目的の花を探し出すのに、痛さが邪魔をしつづける。
この小春の宮崎市上演についてスタートしたときのことを思い出した。あのとき、毎月決まって文化イベントをやって、200人くらいの参加者でにぎわうという催しをしらされ、かつ主催者の代表にその情報を教えてもらえた喫茶店主に小春マイノリティオーケストラ上演趣意書と資料を渡して、代表に上演イベントとしてどうですかと聞いてもらった。翌日、彼女の回答は、上演費用が高すぎるということですということであった。出演料だけで、他の費用は、3万円くらいを分担してほしいという金額であった。旅費、その他はべつなのに、それでも高すぎるのですかと、がっかりして言うと、彼女はもう一度説明してみますと約束してくれた。
翌日、彼女の店に行き、まずランチを頼み、客が空いたところで彼女に結果を聞いたところ、代表は、一万円ならということでしたと告げるのだった。一万円!!これじゃおはなしにもなにもあったもんじゃないですよ。6人の航空運賃、ホテル代だけでも何十万円ですからと言うと、彼女は、つづけて、代表はうちでは、こういうライブなどは、みんな一万円でやっているのだとおっしゃいましたというのだ。そうか、こういうライブか、一万円ライブという見方に小春のライブも加えられれたというわけであった。東京からわざわざなんで、この程度のミュージシャンを連れてくるのかという代表者のみごとな常識がありありと想像されて、腹がたつより、ぼくらの甘さ、ひとりよがりと、代表の井戸のなかの蛙ぶりの常識の強固さとが、がらんがらんと宮崎市という空間で転がりあい響きあうのを、聞く思いに襲われたのであった。三ヶ月前のことであった。
新聞社にはデスクが一人で淋しげに座っていて、受付テーブルには、テーブルを拭き掃除していた中年の女性がいて、名刺と資料を渡すと、すぐに愛想良く受け取って、そのまま後の言葉がないので、ではよろしくとひきかえそうとしたら、デスクが、なんだろうという気持ちで近寄ってきた。そこでそのまま彼女から資料を渡してもらい、来意をつげ、かんたんに趣旨を説明すると、かれは、おあずかりしますと儀礼的な受け取りをしてくれた。ただ、それだけであった。
ぼくらがあっさり、外に出たのも、やっても無駄だろうということを多少の経験で知っていたからだ。こちらの望むような記事、あるいは広報でもやってもらおうというなら、まえもってアポが必要だったかと思いだしたからだ。おたがいそれが無駄を省ける。時間もかからずに済む。宮崎市の文化情報としては、かなり記事にする価値があるということを、説得してみたかったわけだが、これには、ゆっくり話合う時間がいるのだ。デスクも忙しそうだし、こっちも忙しい。おまけに気分も冴えなかった。
しかし、なによりこちらの時間がない。余計な労力は省かなければならない。よし、今日はこれで引き揚げよう。あんたとおれで知った記者やテレビのプロデューサに電話して、能率化するしかないなと、降っている雨のなかを引返した。
日曜日からは、蟻のいる藪のなかを普段着で踏み込んで、草花を探し出そうとしているようなものだ。あちこち刺されて、目的の花を探し出すのに、痛さが邪魔をしつづける。
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