市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

鹿児島市小旅行

2008-06-02 | Weblog
 ガソリンが高騰しても、乗るのを控えれば対応できると、考えるわけだが、そんなわけにもいかないのを実感して、鹿児島市から夕べ午後10時に帰り着いた。12時間のツアーだった。ガソリンを満タンすると、159円でも6215円かかった。今朝は175円に高騰してきたと報じられていた。
 
 昨日は、鹿児島新港の水族館を見て、そのまま海岸沿いに、与次郎浜、鴨池、谷山と走りショッピングモールやアウトレット、郊外型店舗の集積を見て回るつもりだった。しかし、あまりにビルが集積されて、なにがなんやらわからぬ街にいっぺんしてしまって、もうどこにどんな店舗があるのかわからなくなっていた。ホテル
マンション、会社ビルが混在し、それが、団地ともなり、大型郊外型店舗の集合ともなり、ホテルと住宅マンションと会社ビルと、公共施設、官庁ビルもが、似たような外観で入り乱れている。

 そして、どの建物も巨大であり、巨大にしてかつ外観は誇大妄想的に飾りたてられて、看板的であり、それゆえに単調、均質である。それぞれは、さまざまの用途のビル群で、その集合であるから、多様ではあるが、多様性は感じられず、胸をおしつぶされるような圧迫感と、目標が探せないストレスがあり、樹木すらない無機性の広大な街区が騒音につつまれていた。

 この広大な街区では、自動車なしには用が足せない。歩いてなど、目的地にはたどり着けない。自転車も走ってない。自動車依存するしかない街である。今朝ガソリン代が175円になり、かなりの人が自動車に乗るのを控えだしたという。やがて、
控えるというような生易しいことでなく、今のように乗れなくなる日も、近く、くるのではないか。
 
 そのとき、この街区はどうなるのだろう。いや、その日までにここらはどうなっていくのだろうか。

 そこで、この街が生きていくために、次にどうなるのか、想像してみよう。

 それは共通のコミューン型乗り物を使うのが、必然化してくるのではないだろうか。もしそうなれば、これはきわめて、良い文化になると思う。

 そのとき、この無機質なビル群が、生まれ変わっていく契機も生じるであろうと思う。これは社会を革新するのではないかと、意外と明るい未来を思うのでる。ここには、エネルギーがある。エネルギーは保存されるからだ。街の本質があるからである。
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