市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

下北方町 さびしい 

2009-04-06 | 日常
 平和台大橋を降り、すぐ左折、一番手前の坂道から下北方町に入った。すると、すぐに橋上から見た巨木の木立群に出くわした。タブあり、クスあり、杉も屋久杉のようにごつごつと存在感がある。こそぶる雨の下で森閑として、音もない。小さな社殿が木立の奥にみえ、ここは「こぐや」かと、近づくと、一人の老人が竹箒で社殿の前を掃いていた。記帳ノートがあり、「皇宮神社」とあった。老人に声をかけると、まだ50歳そこそこの男性だった。「ここはコグヤですよね」と通称を確認すると、そんな呼び名は聞いたことがないような返事をされた。聞けば、串間に住んでいたが、息子が結婚して、この近所に家を建てたので、一緒に暮らすためにこちらに来たとうことだった。

 ある日、この神社に来て見ると、この静かな雰囲気がなんともいえず落ち着けるので、あれからときどき掃除をするようになったのだということだった。そこで帝釈寺が、コンクリート造になり、雰囲気も消し飛びましたよねというと 「淋ししですよねえ」とほほえんで、相槌を打ってもらえるので、「いらいらしますよね。なにをかんがえて、あんなことをするんですかね。」と返すと「淋しいです。ここはいいです。息子が家を建てまして、33年ぶりに帰ってきたんです」とつづけるのだ。
 
 息子夫婦といっしょに暮らす。そして無人のコグヤで一人で庭を掃く、ぼくなら街中のタリーズかスタバでコーヒーを飲む。ここでは、寂しさが身に染み過ぎるのだ。男性とわかれて、境内をまわっていると「皇軍発祥の地」と彫られた高さ10メートルを超える日向石を積んだ塔があった。神武天皇の東征軍の編成された場所という。しかし今は賽銭箱も朽ち果てていた。

 するとそのとき、境内の東の崖をへだてて、向かいの斜面の木立のうしろに堂々たる寺院の屋根と白壁が目を射た。まだコンクリート化されていない、すぐに行ってみることにした。境内の木立にそうぬかるんだ地面を回り、ふたたび道路にもどり、そこから右に細い路地をくだり、大きな道路に出て、路地を右に30メートルほど曲がりながら下ると、道はふたたびj自動車がとおれるくらいになり、そこに階段がありこの上が寺院であった。ずいぶん勝手が悪いお寺であるなと、数段の階段を自転車をかかえて上ると、個人の住宅ではないか。大きな苗字だけを記した表札があった。はじめ寺院を改造してかと思ったが、まったくの住宅だとわかった。

 訪ねようかと一瞬おもったが、このなぞめいた大屋敷のままがイメージがふくらむわいと、黙って階段を下りて、この町をあちこちと回るのが、あらためて楽しみになりだした。淋しいとかどうとか、言ってられないほど、まるで遊園地にはいりこむ気分が沸いてくるのを押さえようがなくなってきた。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自転車で下北方町の迷路に | トップ | 迷路の町 下北方町 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mk)
2009-04-06 20:02:42
こんばんは。先日はようこそお出で頂きました。
それなりに楽しんでいただけたみたいで、本当によかった!私も知らない本を沢山教えていただけたんで、これまた大成功です。

先日の日記でアバウトと評されてしまいましたね。そうなんです。実は、すごく適当な人間なんです。
文章は取り繕えるのですが、本人は隠しようなく、混乱したままであります。

なので、でしょうか。下北方町に住んで3年、かなり住み心地がいいです。最初は戸惑い迷ったんですけども(00ゞ
ぜひぜひ、迷路を楽しんでくださいませ。
返信する
アバウト (shaigiya)
2009-04-08 10:52:35
 mkさん、アバウトといって、あなたが不快は感じられなかったようで、ほっとします。ぼくは、今の時代こそアバウトは自分も相手も楽しませてくれる要素だと思います。
 几帳面で計画的で、勤勉努力を一分もまちがいおかざす仕事したファンドが、世界を破壊寸前の追い込んでますよね。勝間和代のエッセイも几帳面で合理的、寸分のすきもないものだが、あれで世界の多様性とおくの深さ、人生の浮き沈みに適応できるとは思えません。時代は
激変します。すぐにも。そのとき、それまでの価値観は無価値になりますよ。アボウトはそうじゃないですよね。アボウト万歳!!です。
返信する

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事