市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ゴールデンウィークの日々 文明

2009-05-07 | 楽しみ
 次男一家と初日5月3日、メディアに煽らずに、人々とは反対に行こうと、宮崎市から千円高速に入らずに、鹿児島市の水族館に入館することにした。何回見ても、水族館で生きる生物は驚異的な存在であるからであった。とくに径一センチに満たないクラゲ、生物はなぜ、動くのかと見れば見るほど気の遠くなるほど思考を捻じ曲げられる。糸がなぜ意志をもって動きつづけるのか・・・。

 国道10号線を通って鹿児島市へ走るのは何年ぶりだろうか、いつもは山麓線という霧島山脈よりを通り国分にでて、隼人、加治木と向かっていたからだ。しかし今回はふと思いだして、国分市にある「上野原縄文の森」の遺跡を訪ねてみることにした。前も何回もこの遺跡を示す表示を見ながら、そのまま走り過ぎていた。なぜか、わざわざ狭い坂道に逸れて、遺跡まで行く気にならなかったのだ。墓標のような墨書の標識が淋しげに建てられていて、狭い道路の奥は藪の押し茂るうっとうしい場所だろうと、行く気にならなかったのだ。だた、最近は青い道路標識のような立派な案内が鉄柱の上で、入り口を示していた。

 9800年前という縄文の遺跡がこの山地にどんな文明を、もたらしたのか、ふと想像を掻き立てられ今回は行ってみる気になった。これもゴールデン・ウィークという気分であったからであろう。こうなるとやはり縄文という言葉が呪縛する。森といい住居跡といい、そしてなにより一万年前に、ここに古代人が暮らしていたという想像を絶した出来事は、思いを馳せるとわくわくしてきだすのであった。

 すると、運転中の次男は、縄文時代、そんなものはどこにも感じられないよ、ばーっと広がった近代的公園があるばかりだ、ほら下から見えていた、あのホテルだろうか、なんだろうかと、山の上で輝いていたガラスのドームがあるでしょう、あれがあるところさと言うのだった。
 
 瞬間、そうだ、それはそうだろうなと、かれの言葉に納得してしまうのだった。というのもヒムカ・チリや下北方、青島三丁目の開発を見てきた体験から、同じ開発にさらされたはずと、そう断定できる思いがぼくには沸いたのだった。だが、縄文遺跡へのロマンもあったのだ。

 峠道から横にそれて10分も上らぬうちに、たちまち、山頂が広大は高原となってひろがった。藪どころか、桜島火山灰大地である。垂直な断崖となって縁取られ西のほうには、同じ断崖をもった姶良町台地が連なっている。それは、ミニチュアのヨセミテ渓谷に感じられるほどであった。また、東側の縁から桜島を見ると、湾の海原と島が見えるだけで、あの篤姫が幕末末期に見た桜島はこうだったかと思えるほどの自然風景であった。

 縄文遺跡は完膚なきまでに観光資源化されて公園化されていた。そして、閑古鳥のなく空間として、ここ何十年かが経過していた痕跡があちこちにかんじれる場所になっていた。これは縄文の遺跡よりも、強烈な文明となって、ぼくを魅了したのである。縄文の森展示館から埋蔵文化センターまで長さ100メートルほどもある吊橋がかかっていた。おそらく億の金がかかったであろう橋であった。〔写真参照)

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