上野原縄文の森には隣接してテクノパークらしき残存建築がまたある。そのひとつがふもとから見える展望台である。3階までのエレベーターがあって、そこから屋上となり展望が楽しめる。その基底の部屋で男性がひとり事務をとっていた。まさ
にガラーンとしたエントランスと廊下があるばかり。それに展望台までひろびろとした階段があり、エレベーターに乗るより快適に楽に屋上に行けるのである。あとで、家内がトイレに行ったらきれいだったけど、あちこち錆びだらけで、使用する気が失せたといっていた。
そして隣のブロック、つまり縄文の森展示館にも同じ3階展望台があるのだ。こちらは、適当な訪問者があった。レストランも生きており、13時だったので、立ち寄ると、もうライスものはないというのだ。なぜと聞くと、売り切れましたという。
うりきれるほど人が押し寄せたとは、ありえない。日ごろの感じで、これくらいと準備したら、本日は売れてしまったということであるらしい。いかに訪問者が日ごろないのかを想像できるのであった。
途中、末吉町で10号線沿いの「道の駅」に立ち寄って昼食しようとしたのだが、人でごったがえし、ここのバイキング食堂は100人をゆうに超える順番待ちが、待つの楽しみという様子で椅子に群がっていた。この木造のレストランは、おそらくあの吊橋の何分の一くらいの費用で建てることができたろうが、その繁盛ぶりは脅威的であった。
ただ、ぼくとしては、こちらの人も少ない、大公園のほうがはるかに性にはあっていた。それに、この台地に入ると、たしかに縄文の遺跡の存在を感じ取ることはできるのだった。想像を刺激される。おそらく1万年前、この台地で朝夕、巨大な日の出を仰ぎ見た縄文人の生活ぶりがよみがえってくる。しかし、まわりは、すでに人のおとずれぬ廃墟と化している。テクノパークは30年たらずで廃墟、一方は一万年を眠ってまだ生きている。
パークも縄文の森もどうやらスタートから廃墟であったのだ。この施設を税金を消費して建設した瞬間から役目はすべて終了したのだろう。そして建設者たちの所有となった金は、やがてデリバティーブの投資となり、マネーゲームに繰り込まれ、昨年、霧となって空中に四散してしまったにちがいない。そして廃墟がのこった。廃墟といえば崩壊し、錆びくれた鉄鋼やコンクリートの残骸などをイメージしてきたが、新品のまま廃墟化する都市施設があるのを、興味をもって再確認できる思いがした。公園という大儀名目だけで、人とはなにかをかんがえぬけない机上の公園化、まずこれがまちがいなく廃墟と化していく。そして、ぼくは廃墟が好きでもある。
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