これが東の部分である。同じく「青空ショッピングセンター」と看板がある。なぜ同じ名称が両脇の建物にあるのか。実は、この3カ所は、内部では同じ屋根の下となりつながっている。この東のショッピングセンター部分は、終戦直後に「青空市場」として最初に露天市場を形成した。そして、隣の中央市場、隣に市民市場(通称ライオン市場)と広がっていった。この3市場が昭和30年に合併、真新しい建物を中央に建てたわけだ。しかし、その3市場は、それぞれ地権者意識が高く
共通の名前をつけたがらなかった。ただ市民は青空市場とよんで馴染んだ。
ようやく共通の名称が定まったのは昭和50年頃ということだ。親しまれた「青空」を取り、「青空ショッピングセンター」としたわけである。そこで、両脇のたてものに同じ看板があったのが理解できるであろう。
では真ん中の建物中央市場はどうだったのか、これも次の写真で一目瞭然となる。つづけて謎3をクリックしてください。
共通の名前をつけたがらなかった。ただ市民は青空市場とよんで馴染んだ。
ようやく共通の名称が定まったのは昭和50年頃ということだ。親しまれた「青空」を取り、「青空ショッピングセンター」としたわけである。そこで、両脇のたてものに同じ看板があったのが理解できるであろう。
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