市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

チケット奮戦記 どくんご & 小春 2

2009-11-02 | 芸術文化
11月1日、朝食を終ってすぐにサンマリーナ宮崎の多目的広場へ向かった。

劇団は思っていたより早めについていて、現場に実行委員は見つからず、携帯で連絡がはいった。雨雲が低く垂れ込めたままで、霧のように小雨が残っている。おどろいたことには、広場いっぱい周りを囲んでテントが並び、まるで運動会のような催しが開催中になっていた。大掛かりな舞台ステージも設置されて、その隣接したところにテントを設置する予定だった。これはどうしたことかと、思って劇団の伊能をみると、かれはいやテントの位置は、東南の隅がいいと判断して変えたのでということだった。なるほど、この位置のほうが、景観もよく駐車にもトイレにも便利であった。

 このドッグショーの本部はすぐ近くにあり、挨拶に行ってテント劇場をやるためにテント設営をしたいと言うと、すぐに了解された。こちらは、みやざき動物フェスタという催しだった。あとで、11月1日はイチがならぶので犬の日だとラジオがいったいた。さすが、ここにきている犬はどれもこれもカッコ良く、気取って歩き回っているのであった。その犬より欲しかったのは3匹の子猫、飼い主探しで養い親を待っていた。もって帰りたがったが、やっと踏みとどまった。

 団員は半年のテント劇巡演をこなしてきたにもかかわらず、今、風呂から上がったようにつやつやとして生気にあふれていた。実行委員も集められず、チケットも十分売れず申し訳ないといいながら、小春の上演プロデュースをしていると白状した。そのチラシをいのさん、五月さん、時折旬などに見せて説明していくと、いのさんと五月さんが、これわたしたちも見にくると声を発した。さすが直感で、見るに値すると判断したのだ。かれらが義理でいうのではい。それがわかるのだ。このへんの感性がかれらとつながっているのだ。これには元気を与えられた。

 雨がまた本降りになってきだした。高鍋町の三木ちゃんに電話したら、あと40分でここにつくというので後の世話を頼んで山崎とぼくは現場を去った。

 看板製作に現代っ子センターの協力申し出を受けて、襖のようなボール紙で小春販促立て看板をつくる目的だったが、ボール紙が大きすぎて乗用車では運搬できないと分かった。現代っ子ミュージアムのカフェキンヤでコーヒーを飲む。カオリさんが、コーヒーに自家製の蒸しパンと沖縄黒糖を使った小豆ジャムをそえてくれて飲む。飲み終わってしばらくすると、お茶とキュウリのぬかづけと昆布の佃煮の小皿をお盆にのせて差し出された。これで400円、つりはいらないからと1000円だしても受け取ってくれなかった。ここも開いて満10年、客はほとんどいつ来ても、この数年ほどご無沙汰していたが、やはり客はいない。それでも水を打ったように清潔で張り詰めたような気配が置物ひとつ、展示物それぞれにあり、それらがいつも新鮮であった。彼女は藤野さんの次女で長女のア子さんのように絵は描かないが、やはりこのカフェ全体が、カオリさんの表現になっている。この持続力にはいつも、感動させられる。スタイルも抜群にいい。意識の反映かも。

 看板については、別のアイデアを山崎が提案、ハンズマンで材料をととのえ、100円ショップで、今夜の受付用に懐中電灯、ノート・ペン、両面テープなども購入、ストラン大江戸屋でランチをした。山崎が知らぬまに大盛りにしていたので、やっ食べ終わったが、この新米ライスがうまかった。ふたたび、サンマリーナに様子を見に行く。幸い雨がかんぜんにあがり、青空が覗き始めていた。三木ちゃんはすでに到着、彼女は、たまらずに3日間の休暇をとって川崎市の公園を見に行ってきたのだと恥ずかしそうに語るのであった。今回、また3日の休みをすべてどくんごに費やすというのだった。このパッションはなんなのか。
 
 午後6時35分、東宮花の森東集会所の玄関口で、ぼくの携帯が鳴り出した。かまわず、会議室に入ると、実行委員長の久島さん、福委員長の湯地さんと山崎など実行委員が席についていた。携帯は、ぼくへの呼び出しであったのだ。現在、15名の実行委員会が生まれ、今夜の初会合になるという。あいさつで小春・マイノリティの話をするが、こんな話、たいして興味を起こさない感じである。それはそうだろうと思う。音盤でも聞いてもらったほうがよっぽどいい、すぐに話を切り上げた。と、奥さんの一人が、こども料金が高いと発言、と久島さんが前回はたしか300円でしたというと、2,3百円ではやすすぎるかもねとみながいう。300円!!げーっとなる。と、椅子もパイプ椅子でしょ、文化ホールなどの立派な座席とくらべると、安いのが当然だとおもわれるのですよねともいう。この発言は意外であった。ストリートに近い演奏をかんがえて、わざわざこの集会所をえらんだのに、こういうかんがえ方もあるのかと、おどろいたのだった。

 話は、なまなましく、生活臭に溢れていた。ゲイジュツも音楽もその生活感のまえには、まだことばで太刀打ちはできない。しかし、この感触こそ大事なのかもしれないな。生活が一番、ゲイジュツがその下、このほうが、ゲイジュツという幻惑にだませれずに音楽に遭遇できるかもしれない。話は盛り上がりだして、これから毎週日曜日に開催、成功しようという話になっていった。今夜の大きな収穫の一つは、奥さんたちにマイノリティオーケストラ6名のために、ランチを料理してもらう提案を了承してもらえたことだった。煮付けとか、みそ汁とか宮崎の味を満20歳の彼女たちは、食することになる。食えるのだろうか、楽しみでもある。この15名のまわりに、委員をたすける人たちをさらに組織したいと、久島さんはいい、いよいよ実行委員会活動がスタートしだした。あとはもやいの会であるが、そのご連絡なしの状態でやや不安がつのっている。

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