市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ご町内、足元とは?

2005-03-08 | Weblog
 回覧板は、町内の班長さんが責任をもって、家庭に回すように手配する。月に2回くらいまわってくる。あるときの班長さんが、自分の時事エッセイを回覧板につけてきた。なるほど、回覧板で自分の思いをまわせるのかと、そのアイデアにびっくりしたことがあった。では、お前もやってみるかといわれたら、どうもやれそうなものがない。

 なにを書けるか。いろいろ考えてみたら、一つだけ思いつけた。戦前、この住宅地は、競馬場だったのだということなどから、どんなにここらが変わったかなら書けそうだ。大淀川河口から1キロ半ほど上流の北岸にそったこの辺りの住宅街は、競馬場の上にできたのだ。やがて、戦争が激しくなって水田にされ、ほりあげられた土は、堤防になった云々と、変化を戦前から、戦後へと書いていけそうだ。

1964年以前は、ここらの宅地は坪5千円以下であった。1975年には
それが坪30万円まで高騰した。こうして消費社会の成員となって消費が娯楽として楽しめるようになった。幹線バイパスが3路線開通し、近くイオン宮崎ショッピングセンターが開店する。風景も環境も意識も変わってきた。この変化を宮崎市街地図、地方新聞、統計、郷土出版物、県庁古文書などをデーターに使いながら、班長任期の半年間、回覧板の配布回数15回くらいの間に読みきりで書くことは可能かなと思った。

 ただ、これも書けないだろうと気づいた。つまり興味が続かないのである。ということは、自分の町内には、ほんとうのところ関心がないのであろうか。では現実の足元とはいったいなんなのだろう。今また思い始めている。
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