市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

NHKと毛沢東と村上隆

2008-11-21 | 芸術文化
 先週のクローズアップ現代「村上隆」で、毛沢東の「芸術家とは・・」ととびたしたときは、どうして今頃、毛沢東かと。ただ、国谷キャスターは、宮崎駿さんが毛沢東を引用されていらっしゃるのですがとの言葉で、皮一つ首がつながったように、NHKと毛沢東はつながった感じであった。

 毛沢東は、芸術家とは金などに目をくれず、有名になろうとせず、ひたすら自分の創造に集中する存在であるというのだが、あなた〔村上隆)は、もう金もあり有名となり、これから芸術家としてどうされるのかという問いかけであった。かれはこれから老いをどうむかえうつかです、エイジングこそがこれからの主題と、答えていたが、わかったようでわからない回答であった。この質問とかれの到達した芸術家の位置のあまりの隔たりを埋める回答ではなかったからである。

 この距離の違いはどうしても埋めてもらわなくてはと、今も思っている。というのは、地方、つまり宮崎市で美術活動をする芸術家たちのことを思うからである。ここで、かれらの活動展開の主たる場は、公募展である。二科や光風会、新制作など全国的な公募から、県展、宮崎日日新聞社展などである。ここで、芸術家たちはますは、入選、奨励賞、特選と精進していく。そしてグランプリと到達する。

 この上がりのあと、プロの画家として名がブレイクし、名誉も金もどんどんはいってくるという事例は聞いたこともない。ところが、村上に言わせれば、絵は値段がついてこそ絵であるという。しかも、その絵はこれからも値上がりしていかねばならない。このような最高の完成品をつくるには、最高の技術を結集しなければならない、そのために専門家での共同作業が必要、さらに商品として美術作品を売るには、企業戦略も必須と芸術企業の方法が避けられぬというのである。

 この方法を、宮崎市の芸術家の活動に当てはめることは、ほとんど現状では不可能に近い。なにしろ活動の母体となるギャラリーもほとんどないからである。


 こういう文化状況では、この毛沢東の言葉が生きてくる。貧乏であれ、無名であれ、よけいなことに頭をわずらわされず、芸術の道の精進せよで、すべてかたがつくではないかということになる。そして、双六の道中をつづけて、一丁あがりという終点にたどりつくということになる。

 問題は最後のグランプリという到達点、それは双六の上がりにも似て、ここで終わり、そこから先の道はないのである。ここで、無鑑査などという処遇があったが、今はどうなっているのか。それなりの尊敬やあとは県文化賞とかの名誉もあたえられる。そう金がなくとも、そこそこに人に知られて、尊敬もえられだす。これは、一つの幸福への目標であり、それはそれで否定できない。
 
 しかし、問題は作品である。どうしてもはっと衝撃を受ける作品におめにかかれぬのである。世界が新たな世界になったような、前に立つと知的なゲーム性を感じさせられるような、超絶的な完成度という美の輝く作品に出会えないのだ。双六の限界はここにある。

 毛沢東の芸術家論は、宮崎市の環境では、美術家を消費生活、情報過剰、メディアの洪水、インターネット、携帯、デジタル文化の侵蝕などの日常から、バリアを
張って豊かな胎内のような静かさに導いてくれるのではないだろうか。これも人生ではあろうが、若者なら、ここを突き破るしかないのではないか。胎内よさらばだろうといえないか。だとしたら、毛沢東から、村上隆へと足を進めざるを得ない。その方法をどうやって、宮崎市での環境に移し変えるかを学ばねばならぬはずだ。




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