昨日どうよう今朝もどんよりと底冷えする朝だった。夕べ読み残した本を読むため、朝食後すぐに家を出た。霧島町のイーチャフェへ、ここにはボーズのスピーカーからのBGMが流れ、午前中は客はまれだ。10時半から12時半まで、客はぼくひとりだけ、集中できて読了した。おまけにじつにおいしい最中を一個サービスしてもらえた。ここから、神宮前の薩摩蒸気屋の喫茶店へと自転車を漕いだ。
問題はここからちょっとおもしろくなった。途中でブックオフに立ち寄り、本を物色した。いつものように、もうお役ごめんと105円コーナーにさらされた本の中をさがすのだ。ここには常識外れの役立たず本というのがいつも発見できる。それは、ぼくにとっては、大書店の本棚でもかんたんにみつけにくい、トンでも本、非教養本、俗悪本、露悪本、軽蔑本などなどがあり、ここに拾いものがある。
今日拾ったのは、「仕事をしなければ、自分は見つからない。フリーター世代の生きる道」三浦 展(あつし)をまずみつけ、文庫本棚から
「おいしいバイト マニュアル」双葉文庫、著者は「自給UP実現委員会」とあり、<会社にしがみつくばかりが能ではない>と宣言がつく。この2刷とも就職氷河期の2003年の発行である。
蒸気屋で2冊をちらっとみて、朝青龍と白鵬の取り組みのようにとりくませるとおもしろくなると、すぐに感じ、行事を探してみるかと、カリーノの蔦屋書店に向かった。ここで隣接するスタバのコーヒーをすすりながら、闘わせるつもりだった。
平積みの新刊の文庫に筑紫哲也の「スローライフ」を見つけて取り上げ、立ち読みに入った。しかし、之は面白さがなかった。いっている事は、何度もいわれている常識だし、なにより文体にひきつけるものがない。マンガでいえば、ストリーはまあまあとしても絵に魅力が無いということだ。新聞の社説や記者の書く特集記事のような無個性な、そのうえいやに啓蒙的な上からの視線が鼻についてくる。買う気はしなくなった止める。暖房のがんがん効いた部屋で、環境問題を論じているようなものか。生きぬく切実さ、実感なしの本は魅力が無い。
こうして、一日はほぼ終わり、時間が足りずにスタバに立ち寄ることなく午後5時に帰宅、チップの散歩に出かけようとしたら、妻が私が運動したいとチップと散歩にでていった。3冊の本に出合えた、生活こそ文化であると、ふたたび確信がもてたいい一日であった。
問題はここからちょっとおもしろくなった。途中でブックオフに立ち寄り、本を物色した。いつものように、もうお役ごめんと105円コーナーにさらされた本の中をさがすのだ。ここには常識外れの役立たず本というのがいつも発見できる。それは、ぼくにとっては、大書店の本棚でもかんたんにみつけにくい、トンでも本、非教養本、俗悪本、露悪本、軽蔑本などなどがあり、ここに拾いものがある。
今日拾ったのは、「仕事をしなければ、自分は見つからない。フリーター世代の生きる道」三浦 展(あつし)をまずみつけ、文庫本棚から
「おいしいバイト マニュアル」双葉文庫、著者は「自給UP実現委員会」とあり、<会社にしがみつくばかりが能ではない>と宣言がつく。この2刷とも就職氷河期の2003年の発行である。
蒸気屋で2冊をちらっとみて、朝青龍と白鵬の取り組みのようにとりくませるとおもしろくなると、すぐに感じ、行事を探してみるかと、カリーノの蔦屋書店に向かった。ここで隣接するスタバのコーヒーをすすりながら、闘わせるつもりだった。
平積みの新刊の文庫に筑紫哲也の「スローライフ」を見つけて取り上げ、立ち読みに入った。しかし、之は面白さがなかった。いっている事は、何度もいわれている常識だし、なにより文体にひきつけるものがない。マンガでいえば、ストリーはまあまあとしても絵に魅力が無いということだ。新聞の社説や記者の書く特集記事のような無個性な、そのうえいやに啓蒙的な上からの視線が鼻についてくる。買う気はしなくなった止める。暖房のがんがん効いた部屋で、環境問題を論じているようなものか。生きぬく切実さ、実感なしの本は魅力が無い。
こうして、一日はほぼ終わり、時間が足りずにスタバに立ち寄ることなく午後5時に帰宅、チップの散歩に出かけようとしたら、妻が私が運動したいとチップと散歩にでていった。3冊の本に出合えた、生活こそ文化であると、ふたたび確信がもてたいい一日であった。