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市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

生活と本3冊

2008-01-27 | Weblog
  昨日どうよう今朝もどんよりと底冷えする朝だった。夕べ読み残した本を読むため、朝食後すぐに家を出た。霧島町のイーチャフェへ、ここにはボーズのスピーカーからのBGMが流れ、午前中は客はまれだ。10時半から12時半まで、客はぼくひとりだけ、集中できて読了した。おまけにじつにおいしい最中を一個サービスしてもらえた。ここから、神宮前の薩摩蒸気屋の喫茶店へと自転車を漕いだ。

 問題はここからちょっとおもしろくなった。途中でブックオフに立ち寄り、本を物色した。いつものように、もうお役ごめんと105円コーナーにさらされた本の中をさがすのだ。ここには常識外れの役立たず本というのがいつも発見できる。それは、ぼくにとっては、大書店の本棚でもかんたんにみつけにくい、トンでも本、非教養本、俗悪本、露悪本、軽蔑本などなどがあり、ここに拾いものがある。

 今日拾ったのは、「仕事をしなければ、自分は見つからない。フリーター世代の生きる道」三浦 展(あつし)をまずみつけ、文庫本棚から
「おいしいバイト マニュアル」双葉文庫、著者は「自給UP実現委員会」とあり、<会社にしがみつくばかりが能ではない>と宣言がつく。この2刷とも就職氷河期の2003年の発行である。

 蒸気屋で2冊をちらっとみて、朝青龍と白鵬の取り組みのようにとりくませるとおもしろくなると、すぐに感じ、行事を探してみるかと、カリーノの蔦屋書店に向かった。ここで隣接するスタバのコーヒーをすすりながら、闘わせるつもりだった。

 平積みの新刊の文庫に筑紫哲也の「スローライフ」を見つけて取り上げ、立ち読みに入った。しかし、之は面白さがなかった。いっている事は、何度もいわれている常識だし、なにより文体にひきつけるものがない。マンガでいえば、ストリーはまあまあとしても絵に魅力が無いということだ。新聞の社説や記者の書く特集記事のような無個性な、そのうえいやに啓蒙的な上からの視線が鼻についてくる。買う気はしなくなった止める。暖房のがんがん効いた部屋で、環境問題を論じているようなものか。生きぬく切実さ、実感なしの本は魅力が無い。

 こうして、一日はほぼ終わり、時間が足りずにスタバに立ち寄ることなく午後5時に帰宅、チップの散歩に出かけようとしたら、妻が私が運動したいとチップと散歩にでていった。3冊の本に出合えた、生活こそ文化であると、ふたたび確信がもてたいい一日であった。



 
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T-ステージ

2008-01-26 | Weblog
 どんよりとした底冷えのする土曜日だった。午後、高千穂通りを通って繁華街へむかった。宮崎駅正面から600メートル、カリーノというデパートの正面に、「T-ステージ」という気取った命名のイベント用の施設がある。ここ十日ほど見なかったが、残された両脇に自転車が駐輪されだした。ここ数ヶ月3,4名の監視員が居なくなったためだろう。

 ほんとに曇天でも晴天でも、T-ステージは存在感がなく、通行人から忘れられている。そのくせ、妙に金をかけた不必要な金属の飾りや、すべすべした床財のきらびやかさが神経に刺さる。それは、まったく不要なじゃまものが大きな顔して、出入りの障害となっている不調和、不快感からくるのだろう。こんなもの、それはステージをいう名称に値するものではないのだ。

 どうしてもこんなステージを設けるのだったら、せめてデパートの前でなく、宮崎駅前700メートルの大通りの両サイドからどこかを選択して、T-ステージをもうけられるはずだったろう。

 ではどこがいいかと検討しながら歩いていくと、そこはまさに都市文化の墓場であった。累々として、都市をアート化するはずの機器や設備の屍が続いているのを見て、慄然たる思いがしたのである。青海苔の張った噴水が両サイドに並ぶ。その脇のセメントのベンチは、曇天に冷えあがって近づくのもためらわれる。無意味におおげさに楠を囲む柵。一個が50万円したという球の車止め。そして一億円かかったという階段状の大型噴水、これもガラスのすべりだいが青く汚れて、死んでいる。

 これらすべて、市民の日常生活とはまったくなんの関係もなかったからである。

 これらの歴史的事実をすこしでも検討すれば、T-ステージはいかに
空ろなる企画であったか、事前に予測できたはずである。芸術も文化も
生活から独立して浮かんでいるものではない。あほなやつの頭のなかに浮かぶ妄想であると、まずはかんがえることが肝心であろう。

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houちゃんの歌からふたたび

2008-01-25 | Weblog
 先日,houちゃんのライブのことは、当ブログで報告した。今から
話したいことは、彼女が歌ってくれたレゲーの一節にあった歌詞のことである。この歌詞から連想し、広がっているぼくのイメージについてしゃべってみよう。

 ラブ ラバーズデイ
 これで いっちゃねぇ
 ラブ ラバースデイ
 てげな飲んだし

 ラブ ラバースデイ

 とリフレインされていく、観客も拍子をとって乗っていた。

 この歌のタイトルは「千草町1丁目4番地」というのだ。実はこの住所は、バンドのメンバーの正剛の経営する雑炊屋の住居表示である。いやこの雑炊屋の宣伝ではなく、この千草町界隈のえもいわれぬ飲み屋街の人間くさい、どこかいかがわしい、雑然とした夜の場所のにぎわい、その匂いが、宮崎市に暮らすまともな人間ならただちに思い出されるというタイトルなのである。作詞は、バンドの主宰のマーボである。13年前
かれらの生活から生まれたレゲーである。

 当時30歳にとどくようになった彼等に、宮崎市はどうしようもなく逼塞した街でしかなかった。街は沈滞し、働く場所も少なく、冒険も野生も感じられぬ街でしかなかった。かれらは、この街で果敢に楽しもうとバンドを組み、「さるまま」という実験的なタウン誌を発行していた。

 どうにもならない、この宮崎市をそれでも肯定して生き抜こうという
気持ちが込められいるのだ。この一見愉快げな歌詞の背後にある苦さを感じるのはぼくだけであろうか。

 この千草町の歌が、かれらの日常そのものから生まれてきたのは素晴らしい。芸術というのは、苦悩といえばおおげさだが、すくなくとも現状を「どげんかせんと」というまともな人間の感性から、生まれてこそ
力があると思える。

 アートセンタが、今年橘通りに建設されるというが、だからといって文化も芸術も歌も生まれるわけはない。そのセンターは、生活とは関係がないからである。ただの箱だからだ。
 
 
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どん底社会

2008-01-24 | Weblog
 これから景気も悪化し、生活はますます苦しくなり、生活はどん底になるのだろうかと、話題をふりむけられることが多くなった。公務員なら安泰だろけどねと、
自営業や派遣の若い人たちは、これからが不安げである。

 そんなとき、公務員ならという発想にかちんとくるのだ。景気がどんなに悪くなろうと、職がなくなろうと、死にはせんとぼくは思う。10年くらい景気が悪くても
なんとかほそぼそと食いつなげるほどのたくわえは、あるのではないか。すでに衣服などは、捨てるほど眠っているはずだ。親兄弟もいくばくかの貯蓄はあろう。これでローンの終わった持ち家にくらせるなら、心配はなんにもない。

 先ずは、金をつかわずに楽しめる方法を身につける。自動車を可能な限り、生活から排除する。自動車のかわりに自転車をである。基本的には市内と郊外、およそ
25キロ平方は、自転車で十分に対応できる。これはぼくの体験からはっきりしている。金を使わない、つまり消費のうえでの楽しみを一切捨てる。うまいものを食べる,呑む、旅行する、入場料がいるものを拒否する。テレビ、新聞の宣伝を一切見ない。できれば、その購読、視聴を止める。そのかわりインターネットを使う。

 自炊か、外食するならファストフードやチェーン店,大きなレストラン、有名店などより、ご近所の小さな食堂の中で、安くて、うまくて、安全な店を探し出し、その店のオーナーと仲良しになる。朝はかならずしっかり食べる。ぼくは、先日もぼくの朝食をこのブログで紹介したが、45分で料理はできる。その他、いろいろ金をつかわずに生きる方法は、いくらでもある。こうして、まず、消費から自由になる。消費から自由になるとは、仕事から自由になるということでもある。

 つまり、可能な限り仕事しないで生きられる体勢をまずととのえる。不景気になれば仕事もなくなるから、自然とそうなるかもしれない。ここで焦って、信じられないような非人間的な労働で、自分を崩壊させてはならない。

 こうして、不景気の間は、手にした自由時間で、まず学ぶこと、あるいは考えることといってもいい。それから行動を起こす。ます仲間を7人集める。7人気の合った仲間が集まれば、どんなことでもやれるといっていい。生活の最低費用を稼ぐことなど、簡単に見つかるといっていい。これもぼくの体験から言えることだ。

 こういう人々、そのネットワークが増えることで、下層社会は、自然と売り手市場になり不景気で弱りまくった企業への変革を及ぼすことになり、社会を変えることになる。    

 どん底に落ちる社会は、人々に社会変革という目標を与え、学ぶ、考えるという
自由時間をもたらし、人間的なネットワークの楽しさをもたらす。これが一番やれるのは、いわゆる下層社会の人々であろう。公務員生活など憧れる必然など、どこにないわけである。ぼくはこう答えている。
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お役人と革命

2008-01-23 | Weblog
お役人と革命
 東国原知事は、「どんげかせないかん」の流行語大賞の言葉に自分の政治生命を賭していられると信じている。これは、県民に意識革命を、お役人に意識革命をということを説いていると、ぼくはおもっているのだが、革命なんて大げさ、思い込み過ぎかと、この青臭さに自嘲してもしまうぼくでもあるのだが。

 お役人とは、はたして意識革命が可能なのであろうか。ぼくの知る限り、お役人とは、建前と本音の使い分けのプロである。この使い分けによって、どんな無理難題を消化すること出来る。ある業務命令を、拝命してかれらは、まずその業務をだれがみても納得できるものに換えることになる。その計画書を練り上げる。上層部にも賞賛され、そして県民にも、文句を言われないものにする。

 建前のこの計画書を、つぎに現実化しなければならない。現実とのぶっつかりで
建前はさまざま矛盾を露呈する。そのほとんどは、無意味な内容となり、しなくてもいいことである。それは税金の無駄使いである。しかし、その分析など、遂行するになっては、どうでもよく、ただにちに業者に受注される。

 受注者は、設計書がおかしいものに沿って、誰もが納得できる建築物や機器をつくらねばならないということになる。しかも予算執行という厳重な期限付きのもとである。かれらは、生き抜くために、そしてさらなる受注を期待してやりぬく。

 こうして、お役人は自己の保身を全うするために、業者や下部に難題を平然と、強圧的に強制する。つまり相手を人間として考えずに道具とみなすのである。この意識も特殊技能といえる。

 これらの行為の特性は、まずは、知性の不在もしく排除である。理路整然とかんがえたり、状況を合理的に分析したり、結論を推断したり、結果を洞察したり、
自己の考えをつむぎだしたりする知的行動は、ここでは見られない。またそんなものがあれば、たてまえの計画書などは策定不可能である。

 つまり、理想や純粋性、人間への尊厳、知性の排除が、お役人の業務遂行の生業となる。こうしなければ、出世もできず生きられもしない、変わらぬ官庁勤めという日々であろう。

 お役人とうのは、県庁、市役所、文化施設なども含め、すべての官僚機構が、長年月にわたって、生み出してきた非人間的、知性欠落の性(さが)である。かれらを「どんげかせないかん」と・・・、それにしても、東国原知事のご健闘を、こころから支援したいと、ここに新年を向かえ遅まきながらが、申し上げたい。
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もう一つのレトロ

2008-01-17 | Weblog
  昨年10月に真空管アンプによるコンサートが、宮崎市立図書館の会議室
で開かれたことを、このブログで投稿した。

 今回は県立図書館の視聴覚室で昨年12月にコンサートが開かれた。ぼくはさっそく出かけていった。

 前回のように畳一枚ほどのスピーカが左右に鎮座し、赤い灯のみえる真空管アンプが、階段状になった座席からはっきりと見える。

 ふたたび、ぼくはデジタルで聴くのと、真空管アンプで聴くのと、どのように
違うのかと興味をそそられ、針がレコードの上を滑り出し、音が室内に響きだすのを息を殺すようにして聴きだした。数分もしたとき、これはこれでいい、比較して
も仕方がない、このままこの快適な音楽に身を任せておけばいいと、気持ちを整えたのだ。それほど、魅力的な「音」を感じることが出来たのだ。

 前回は、3.5ワットの出力のアンプだったというが、今回は、メンバーの作成した
左右出力35ワットのアンプだという。それと防音の視聴覚室という環境で、音は浸透していった。前は白黒フィルムでコンサートを、再現しているようなアンプの懸命さみたような人間くささを感じたが、今回は、レコードから、軽々と極限まで音を引き出し、コンサートを再現していくように思えた。

 聴き終わって感じたのは、こうなると、レコードの録音の質がかなり大きな比重を、占めているのではないかと思えるのだった。さらにアンプの性能だけでなく、レコードの録音レベルの問題、ひいては、演奏者の芸術性の問題と、条件はつぎつぎに重なってくるようだ。

 真空管アンプ同好会代表の田中さんとあとで、話してみたが、レコード選択にも
音楽をとるか、音の問題をとるかの立場は、平行してしまうというのだ。いくら音がよくても、音楽がよくなくては意味はないというのと、真空管アンプにこだわる
ことは、このアンプでの音がなにより大事だとうのとあるというのだ。いやあ、この二つは交わらないだろうと思う。

 しかし、やっぱり思うのは、この時代、半世紀も前に日常から姿を消してしまった真空管アンプで、針をレコードにいちいち落として、レコードが終わるとスプレーで掃除してという手間,これほどしてレコードの音楽をなぜ聴くのかということは、その理由は局外者には、伝えようが無いのではないかと思うのだ。メーターで計測するように真空管アンプとデジタルアンプが、音、それと演奏、そこから受ける音楽の感動をプラス:マイナス測定できるわけでもない。

 ただここにあるのは、捨て去った真空管アンプが、生き生きとわれわれを楽しませているという事実だけである。このレトロ感覚だ。このアンプが、種の絶滅を逃れて、今も生息しているという事実が、人生をたしかに豊かにさせてくれるという
事実だけは納得できるのである。

 
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ニューレトロクラブのレトロ

2008-01-15 | Weblog
  Houちゃんのライブがあったライブハウスは、もちろんぼくはその名も知らなかった。これまでさまざまのバンド演奏、イベントが頻繁に開催され、クリスマスにちなんだスティールバンドとゴスペルとか、スピナビルというバンドでは300人の超満員だったとのレポートがある。門外漢にはちんぷんかんぷんのライブが連日のように開催され、なかには日本でもレベルの高いライブも開催されている。

 この内容の分析などは手に負えないのだが、ニューレトロという命名に惹かれてしまって、この界隈のことをちょっとはなしてみたい。ここは宮崎県庁の東の十字路(橘通1丁目)の太陽銀行と料理店「杉の子」の間の路地を入ったところにある。
 この路地には、昭和40年半ばころまで戦後宮崎市で最初の本格的喫茶「パンセ」があり、小料理店「釣雨亭」などの料理屋が並んでいた。銀行の隣の割烹「高千穂」は昭和の初期からつづいている。このニューレトロクラブは、下が駐車場になり2階に演奏ステージがある。客席は通常は100から150名。立つたままなら300人は収容できる。照明も音響機材も十分に揃っている。外から見るとなんでもないビルだが、中は素人が見ても、ライブの専門小ホールの雰囲気に圧倒された。

 今は古びた変わり映えのないビルだが、内と外は大違いということになる。昭和40年代は、まだ1階も利用されており、2階は「レリア」というダンスホールだったと住宅地図で確認できた。一度だけ友人に案内されてホールに入ったことがあったが、専属らしいサキソホン奏者が、「ダニーボーイ」を演奏して、その音色が今も耳に残っている。彼は後に「よいや」という20センチ厚の屋久杉か、なにかの見事な自然木のカウンターを設けた喫茶店の設計をし、オーナーになった。ここへ48年ごろ、暗黒舞踏の麿赤児さんを案内したことがあった。彼はいい喫茶店ですなと気に入ってくれた。

 この近所には、洋館やガラス障子を廊下にめぐらした戦前の割烹、あとで旅館宮崎荘、小牧クリニック、そしてスグ裏はふもと家具店の家具製造工場でもあった。
しかし2年ほどまえまであった洋館も壊され、宮崎荘も、ふもと家具店もことごとく平地となって、貸し駐車場になってしまっている。40年ごろまでは宮崎市でいちばんの盛り場であったのだが、今や、場末という言葉もあてはまらぬがらんとした空地になり、見捨てられたようになっているわけである。

 こういう空間でなぜ「レトロ」を感じたのか不思議だ。昔を知っているともおもえないのだが、目を閉じて回想すれば、あたりはレトロの空間ではある。

 ここが毎夜のように若者から今や熟年、老年バンドまでを演奏するライブハウスとなり人を集めているとは、想像もしてなかった。時代は変わった。この忘れられた空間で、ジャズやロックやエスニックな音楽など、時代を彩るライブが連夜のように開催されているとは、心温まる思いがするのだった。


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幸せを感じるとき2

2008-01-10 | Weblog
  このタイトルは三浦展(みうらあつし)著「下流社会」の小見出しから借用したものだ。上と下で幸せを感じるときを比較した表がある。幸せ感のトップは「おいしいものをたべたとき」2位が「感動したとき」3位「ゆとりがあるとき」と13項目並び、おしゃれをしたとき、自己実現したとき、一人でいるときと、ラスト3項目となる。上流の女性は、感動したとき、新しい知識を身につけたとき、自己実現したときが多いが、下流では、おいしいものをたべたときや、一人でいるときが多いなどとある。これで、根性が無く、ひきこもりの下流心理があるとを実証したつもりだろうか。

 こんな統計はまったくナンセンスだ。幸せ感がこんな抽象的な文句に分類もできないし、幸せ感は、生きている状況、その環境、時間などと関係し、生活からそこだけ分離し、空に浮かんでいるわけではない。

 そこで「しぇこぱん」のママの幸せ感を例にだしたつもりであった。しかし、これじゃ私はたんに呑む兵衛みたいねえとなりかねない。そこで、書き忘れたことを加えたい。ぼくが感動したのは、三日も四日も徹夜同然の仕事して、生き生きとした表情、そのタフネス、健康さた。彼女は、数秒で前後不覚の睡眠に入れるという。だから朝はすっきりと目覚めるのだそうだ。こんな睡眠状態は、ぼくには、年に一回、いや数年に1回あるかないかである。なんと幸せなかのじょであろうか。高所得でも低所得でも買えない幸せである。

 しぇこぱんの年末年始の完全な休日は、元旦だけ、30,31日は大掃除で労働日である。それでも二人は生き生きと日常を送っている、喜びさへ感じながら。これは4年間のつきあいで確信できる。見方を変えれば過酷な労働条件といえるが、その質が問題なのである。統計で捉えられぬ内容である。

 下流や上流の意識や精神状態を統計であらわしても、なんの役にもたたない。とくに下流の根性を分析してみても、何も解決できない。そんな分析など関係ない。要するに下流社会を実現していく悪を是正すること、これしか意味はないのではないか。そして、また人を考えるとき「人はパンのみに生きるにあらず」と意味のある基準を柔軟に使える洞察力、想像力が無くてはならないだろうと思う。
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幸せを感じるとき

2008-01-09 | Weblog
 やっと、昨日で年賀状の投函をすべて果たした。去年は年賀状を書く意欲がまったく無かったが、今年はそれはあった。これはダイレクトメールではないなと・・。

 そこで思い出したシャンソンの響くお好み焼き店「しぇこぱん」のママの年賀状である。彼女は20日ころから、年賀状にかかりだした。もう二日、寝たのは午前3時だというのだ。それも自分で可笑しそうにだ。それから一日置いてその昼も昨夜は、午前4時だったと、連続3日の過酷なる労働を、また笑いながら報告するのだった。「でも明日はイブ、飲めるーぅ・・」とばんざいをせんばかりだった。「誰と飲むとね?ニシタチ(宮崎市歓楽街)で?」「いや、ここで、家族で、ひまはないもんね」と、さらにうれしさいっぱいでこたえたのだった。

 ぼくの大学の後輩である青木さんは、ほとんど飲めないので、とほほ・・という顔でこの歓喜ぶりを眺めていたが、かれも満足げではあった。

 25日の昼、彼女はまた午前3じだったが、飲みました、飲みました、満足でしたと
せいせいしまくったような輝くような微笑で、ぐっとせまるようにささやいて「お好み焼き」を、テーブルの置いてくれた。あ、そうか夕べ彼女の飲み方だったのかと、思い出したのだ。夕べは、いとこが参加してくれてさらに盛り上がったとも話しがつづいたのであった。

 慎重165センチ、体重48キロ、筋肉質で小顔、42歳にしてこれだけの体躯を保持できたのは、かなり女性の羨望を受けるかもしれい。重さが2キロに近い鉄の皿のお好み焼きを10年近く取り扱ううちに、体がふっくらとした姿から変わり、顔も小顔になった。それが知的で上品な感性を生み出す。「てげ飲んだ」という言葉はなんか似つかわしくないのだ。しかし、そのなぞは高校時代の小太りで、どこか番町風の押しの
強さを感じさせる姿を見て納得ができる。もともと強烈な自己を持っていたのだ。

 今も仕事がおわり、午前零時過ぎ、焼酎やビール、ワイン、ウイスキーなんでもちびりちびりとやりながら、ぶろぐ「ママのほとりごと」を書いて一日を終わる。「しぇこぱん」のキーワードで検索、一読をお勧めする。ぼくにはとても書けないない洒脱な日常感覚の文章である。

 たしかに彼女は自分らしく生きているのだ。しかし、自分らしく生きてるというような会話などここ4年の間、一度も交わしたことはない。そんなことお互い恥ずかしくていえたもんじゃない。「犬が犬らしく生きる」という自覚などないように。そんなことは社会科学者がかってにきめつけているだけである。
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小皇帝

2008-01-07 | Weblog
  中国の一人っ子を家族が下流社会に落とさぬように学校に進学させる実情が、夕べテレビNHKで放映された。10億の国民をかかえ、下流・上流に区分された中国社会を実感させられて、ぼくは、下流がギャグなどと余裕で皮肉ってるような場合かと、言葉をうしない、肌に粟が生じるような現実の恐怖感に襲われつづけて視聴した。

 一流校に合格し、就職試験に合格しなければ、下流という地獄に転落する。小学校から試験に高得点をとる。そのための過酷な勉強が教師、両親、小皇帝(一人っ子)が巻き込まれている日々が描かれる。学力テスト成績一級と公認看板のある公立学校の取材だから、全体のなかの特別な例なのか、この一例だけで断じることはできないかもしれないが、どうもこの現状が一般的であるように思えた。

 こどもは学力試験で高得点をあげ、クラスで他者に勝つ以外に、生きる道はないということ24時間中、示唆しつづける。親は、膨大な宿題をやらせ、塾に送る。時には
職安に子供を連れて行き、若者でごった返す現実を見せ、試験で得点しなければ、地獄が待っていると脅すのである。

 これは日本でも似たようなことでもあるが、わが国と大きく違う点は、中国では、個人の価値は、地球より重しという個人中心の価値観がなくて、つねに集団あっての個人という戦後社会の伝統的思考方しかないことだろう。試験に失敗すれば、個人の責任よりも親への責任、学校への責任、クラスへの、そして学習班、隣の友達への責任へと問われていくわけだ。

 なにかの失敗の反省というと、クラス全員の前に立たされて集団詰問に答えたりあやまったりしなければならない。また、必要に応じて、両親を告発する会が、クラスで開催されたりする。これなどかっての恐怖の文化革命の集団討議とほとんどかわらない。個人の人生を個人に即して考えたり、予測したり、想像したりする思考習慣も訓練も、教師も両親もだれも知らないのだ。つまり、ここに個人は存在しない。

 個人でないものは、試験で高得点をとらないかぎり、許されない。しかし、すべてが同じ成績ということは、ありえない。いやそうなったら、さらに高度の試験でふりわけられて、上流と下流に区分される。
 
 そして下流になったものは、自己の責任どころか、社会への犯罪者として、その境遇を甘受ささせられる。つまり、合理的カースト制度の生産である。

 過去の貧困に比べると上流になった中国庶民は、いやおうなくまたふたたび下流に
流される。しかし、ここでは「自分らしさを求めて下流になる」のではない、集団への犯罪者として流刑になるのだ。物質の充足、不足だけで上流、下流と区分するのは、なんどもいうようにギャグでしかないのだが、その地獄を出現させる。

 日本の子供は、ほんとにまだ幸せだと、つくづく思えた。個の意識は、戦後日本に確かに育ってきたのだから。高度成長も成し遂げたが、個人主義も育てた老人世代に感謝と尊敬を!!
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上流は女性らしさ、下流は自分らしさ

2008-01-05 | Weblog
 今朝、事務所の郵便受けにぼくあての年賀状が届いていた。一つは、銀行本店に栄転になった銀行マンから。もう一つは、カナダの大学で一年の留学生活を経て、帰国した前大新聞社の記者だった30代の女性であった。
 
 支店長していたKさんは、よくぼくのギャラリーに来て、いつもパソコンによる情報源になるサイトの話、自転車とサイクリング、食の店の話、人のしらぬアート関係イベントとか、100円コーナーの本の話などで、話は埋まってしまって、いつも気の毒なことをしたという思うのであった。ところが、賀状で、その話題を
喜んでもらったことが、丁寧につたえられていた。

 前女性記者のAさんは、もともと音楽、舞踏が好き、知的好奇心旺盛の女性でついに、新聞社を飛び出して、自分の世界を求めてカナダへ留学したわけだ。

 この二人、どちらも心の奥に自分らしさを求める心がたぎって止まないのであろうと思う。その内面の情熱がそくそくと伝わってきて、ぼくを暖めてくれる。つまり三浦展のいう、下流の女性は歌って踊るということになる。しかし、もはや大新聞社はないということで下流となる。支店長もビジネスの効率が下がれば、下流に近づくというkとで、ようするに「自分らしさ」を求めるやつは下流となるということですか。ぼくが、このギャグにたまらなくおかしいのは、こういう知人たちの姿をいつも見ているからである。

 下流になりたくなかったら、自分らしさを捨てろということなのか。そしてその結果「買い物好きな『下』と買い物をする暇がない『上』』(下流社会194p)となる。その中間はなんだいと思ったりして笑った。
 
 ついでに「下流社会の三種の神器」とあるが、それは、パソコン、携帯電話、プレステーションだという。イやあ、これなしには上流でも過ごせません。そしてこ
の神器にペットボトルとポテトチップをくわえて5種が真性下流らしい。ぼくなんか絵に描いたような下流族なんだなと思う。あとの二種は、可否ーとジャガイモに変わってきたけど。

 こんなぼくを見捨てずに今年も付き合ってくださいませ。
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2008年始まる 三浦展のギャグ

2008-01-03 | Weblog
 年末年始を、終わろうとしている。不義理を抱えたまま毎日温泉に行った。30,31日は午後4時頃、元旦から2日、3日は午前7時頃に。家から車で、有料道路で25分、使わなければ35分から40分で行ける「青井岳温泉」である。

 温泉に入ると、世間の日常は湯気の彼方に消滅する。まったく自由になれる。だから、くだらんことでも気になる事でも、集中して考え続けられる。日常が、遠ざかる感覚とはじつに良いものだ。昔は、元旦そのものが、そんな一日になったものだが、今はまったくそんな感じはしなくなった。去年の元旦は、まだあちこちに大きな門松などが、ホテルや銀行、デパートなどのまえに飾られていたが、それも今年は目に付かなかった。正月らしい気配は街中どこにもなかった。正月はテレビのなかだけにあるようだ。


 ただ、元旦の午前7時の温泉には、正月がかんじられた。天井までとどくガラスの窓から、明るくなる空を湯煙につつまれて見ていると、幸せのようなものを感じられた。30日も31日午後も浴室は人であふれていて落ち着かなかったが、元旦と、今日3日はのんびりして楽しめた。外国に行かなくてもこれで十分、負け惜しみではない。これでいい、三浦展によると、これぞ下流社会の楽しみということのようだが、人間の楽しみに上流も下流もないとしか、ぼくに思えないのだ。

 温泉で読んだほんは、フレデリック・ショット著の「ニッポンマンガ論」(樋口あやこ訳)スティーブン・ジェイク・グールド著「パンダの親指ー進化論再考」(櫻町翠軒訳)唐沢俊一+ソルボンヌK子共著「世界の猟奇ショー』(幻冬舎文庫マンガ本)三浦展「下流社会」の4冊。この4冊、一見ばらばらだが、共通点は、この世の常識からはなれていること、まじめすぎてギャグになる「下流社会」ふざけすぎて、実は薀蓄を極めたギャグ「世界猟奇ショー」常識がいかにつまらぬものかを心底からわからせてくれる「パンダの親指」「ニッポンマンガ論」ということになろうか。

なんで三浦展の「下流社会」がギャグかとわかりにくいかもしれない。その目次を見ていただきたい。「自分らしさを求めるのは、『下流』である?」と、「あとは悪くなるだけとう不安ー普通の人に展望がない」
とか「下流の女性は歌ったり踊ったりしている」
 
 まだまだある。ほんと噴出して笑いがとまらないのだ。之はギャグでなくて、統計まであげてまじめに社会学として「論じられて」いるのである。このギャップがまたおかしい。2005年の初版である。ぼくがブログを書き始めた年である。その年はこんな世間であったのかと思う。 
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今年も終わって

2007-12-30 | Weblog
 年末は、思いもかけなかったことに出会い、その3分の1位に対応できて他は年が明けてからということになった。すべてに親しい知人が関係しており、まことに申し訳ない。乳がんの手術を終わったばかりのお二人、どうしても書きたい「大和なでしこ」(木内里美作・演出・出演)の批評、昨年制作したドキュメントムービー「宮崎は劇場」の公開、年賀状の発送などが残った。

 今年はあっという間に終わった。一年の短さ、もう終わりかという感じは、まわりでだれでも言っている。この異様なまでの瞬間的な一年というのは、加齢のせいばかりではなさそうだ。
 
 いわゆる文化的イベントや会合にもなんどか出かけたが、その知性と感情の低下は、想像を超えていた。考える力も感受する感覚も、個人の意識の発露というよりは、テレビ受像機のブラウン管をみるようなものにすぎなかった。経済原則にとらわれた価値観、常識で拘束された全体主義国家の民衆を見るかのようなものだった。

 考える能力も新しい価値観に出会う事も無く鈍化してしまった人々の集う文化的イベントは、滓として、ぼくの意識のなかに溜っている。

 ただ、どこかで可笑しいとだれもが感じていたことが、はっきり可笑しいという常識になり、世論となりメディアの方向を変えるということもしばしば現れるようになった。時代の変わりの早さからであろう。
そこに希望がる。これが一年の速さなら大いに歓迎できよう。

 それにしても、これまでの一般常識を、非常識へ。今の非常識を常識へと、知性と感情が人間のものなら、当然の動きかも。
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青空市場

2007-12-22 | Weblog
  宮崎市で終戦直後から開かれた露天市場からつづく青空市場は、昭和30年初期には生鮮食材に特化、天蓋をつけて利便化を図り、もっとも成功したマーケットになって市民に親しまれてきたが、ここ数年で、80パーセントは崩壊してしまった。残った路地100メートルも空き店舗が連なり、寂れて風前の灯火となっていた。

 そこに突然、レトロを売りに屋台的な店が開店したとメディアが報じだした。写真にもレトロとむんむんとした路地的な、バザールのわいざつさを感じられた。

 今週、月曜の昼休みに行ってみた。昼間のせいだったのか、人通りはなく、空き店舗がひとつだけ新装開店しただけのことであった。写真は大げさだった。しかし、なんといっても市場的な商店活動に注目したことで画期的であろう。

 その前後だったか、NHKテレビで「ワーキングプア」問題の特集番組が放映された。2年ほど前の、ワーキングプアは負け犬、自己責任という意見も交差する格差社会を論じた2時間討論番組と比べると、まさに時代の変わりを感じさせられた。その解決について識者、研究者、文化人などがコメントをしていたが、ワーキングプアを生むのが、社会全体の不幸であると、この程度の常識を深刻そうな表情で語る。が、どうすれば解決できるのかという発想は、じつに貧弱極まるものに過ぎなかった。

 人が働くということは、働いてなお自己変革のための時間が残り、働いて自己の
価値が認識できなければならない。そんな仕事は、ほんとに一握り、正規社員でも
低賃金、長時間労働で奴隷状態にすぎないのが普通ではないか。解決方としては、労働基準法の徹底厳守だけでもかなりの効果があるはずなのに、どうやって働き口を確保するかしか思いは及んでいなかった。その論は結局は正規雇用をどれだけ確保するかということでしかなかった。そうなっても奴隷の増大にすぎないであろう。

 バンコクでみた一万テンポの露天が凝縮する市場、その活気を思い出すのだ。人を凝集させ、しかも人はそれぞれ独立しているという構造を市街地の街路にもビル前にも、中心市街地のデパートのまわりにも、さびれた公衆トイレなみの公園にも、ありとあらゆる街角に、街中に出現させる。これはワーキングプアを孤立と無意味から解放する手段たりうるのではないか。

 市場的混沌は、その一つの解決策であろう。

 宮崎市は、橘通り800メートルのメイン商店街の600メートルを癌になったとして切捨て、公園にしてしまうというプロジェクトに躍起となっている。現にある公園にどれだけ人が歩いているのか。それでは3丁目の商店に人を集めさせるだけで終わる。

 「公園作るより市場を作ろう」 だれかこれをコピーにして、ポスターや歌にしてもらいたい、これを青空市場に癌になった街路に特効薬として投与しよう。
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バンコク 官庁街

2007-12-18 | Weblog
 旅の最終日に、バンコクの官庁街が観光コースとなっていた。そこになんとか5世の王の旧別荘もあるとかで、ここは厳重に管理されているという。数年前にここの調度品である陶器を盗んだものがいたためにという。

 さて、官庁街に入ると、バンコク市にもこんなつまらん街区があるのかと、驚き、かつどこも同じ景観美化かと面白く感じた。つまり,塵一つ無く、看板もなく、人通りもなく、統一と調和という基準で、景観は死んでいるということだ。今、宮崎市が目指している方向でもある。

 王の別荘は、木造の王宮としては世界最大とガイドは説明していた。たしかに大きい。部屋が果てしなく連なり、どの部屋にも軍服姿の役人が何名も見張り番についており、全体では100名を超えるのではないかと思われた。部屋に飾ってあるのは椅子、テーブル、書棚、礼服、勲章、飾り棚、食器や絵画などなどである。とくに各国が送ったという陶器が各部屋に飾られていた。どれみても欲しい物は無かった、つまらないステレオタイプの沈うつな芸術もどきの、人を馬鹿にしたような装飾・家具品であった。

 木造といいながら和風建築とは大違いで、どちらかといえば、板張りの巨大な空間を、四角形や六角形に裁断して分けていった感じである。それと細工は大まかで、廊下も室内も同じような板張り、でぼこぼこしている。そこが書斎だったり応接間だったり、寝室だったりする。その各部屋から見える風景は、公園風な単調、均質な庭であり、室内の飾り物の多くは、儀礼的贈り物である。

 王はこの別荘にはほんの数日しか滞在しなかったらしい。こんな別荘にいて、外のバンコク市街の魅惑的風景を楽しむ自由というのも無いという生活は、大変な苦痛であったかと同情を感じたのである。タイを独立国家とし、近代化を憎みながらも西欧列強と妥協し、国家を繁栄に導いた偉大なる君主だったというが、その生活はこんなまがいの西洋風な別荘ですごさねばならぬ苦労があったのかと思えたのである。

 くだらぬ近代化を王が一人で背負ったところにタイの偉大さがあったのだ。これが現在のタイの魅力を作っている。
 

 
 
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