市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

バンコク 官庁街

2007-12-18 | Weblog
 旅の最終日に、バンコクの官庁街が観光コースとなっていた。そこになんとか5世の王の旧別荘もあるとかで、ここは厳重に管理されているという。数年前にここの調度品である陶器を盗んだものがいたためにという。

 さて、官庁街に入ると、バンコク市にもこんなつまらん街区があるのかと、驚き、かつどこも同じ景観美化かと面白く感じた。つまり,塵一つ無く、看板もなく、人通りもなく、統一と調和という基準で、景観は死んでいるということだ。今、宮崎市が目指している方向でもある。

 王の別荘は、木造の王宮としては世界最大とガイドは説明していた。たしかに大きい。部屋が果てしなく連なり、どの部屋にも軍服姿の役人が何名も見張り番についており、全体では100名を超えるのではないかと思われた。部屋に飾ってあるのは椅子、テーブル、書棚、礼服、勲章、飾り棚、食器や絵画などなどである。とくに各国が送ったという陶器が各部屋に飾られていた。どれみても欲しい物は無かった、つまらないステレオタイプの沈うつな芸術もどきの、人を馬鹿にしたような装飾・家具品であった。

 木造といいながら和風建築とは大違いで、どちらかといえば、板張りの巨大な空間を、四角形や六角形に裁断して分けていった感じである。それと細工は大まかで、廊下も室内も同じような板張り、でぼこぼこしている。そこが書斎だったり応接間だったり、寝室だったりする。その各部屋から見える風景は、公園風な単調、均質な庭であり、室内の飾り物の多くは、儀礼的贈り物である。

 王はこの別荘にはほんの数日しか滞在しなかったらしい。こんな別荘にいて、外のバンコク市街の魅惑的風景を楽しむ自由というのも無いという生活は、大変な苦痛であったかと同情を感じたのである。タイを独立国家とし、近代化を憎みながらも西欧列強と妥協し、国家を繁栄に導いた偉大なる君主だったというが、その生活はこんなまがいの西洋風な別荘ですごさねばならぬ苦労があったのかと思えたのである。

 くだらぬ近代化を王が一人で背負ったところにタイの偉大さがあったのだ。これが現在のタイの魅力を作っている。
 

 
 
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