昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

まず国内反日分子を追い出せ!

2006年03月30日 | Weblog
「釣魚島は固有の領土」…中国が教科書検定を批判 (読売新聞) - goo ニュース

 「ワック」という日本をこよなく愛する出版社があって、月刊誌「WILL」を出版しているのであるが。その5月号の中に、「これが日本の外交官か?」と目を疑う人物について詳しく書かれている。
 そのお方とは、戦後に決して頭を上げることさえならぬと自縛し、額ずき外交の「祖」というにふさわしい栗山尚一氏であります。
 この方の日本人離れした「思考回路」はキンヌキされた和製宦官とお呼びするに相応しいのだろうが、そこまでコケにしたら失礼なので、私としては、「オウム貝殿」と表現してきたのである。

 この方のキンヌキされたかのような体たらく振りは、「WILL」誌上に、つまびらかに、ジャーナリスト・山際澄夫氏により明らかにされているので、興味ある向きには、そちらを読んでもらえれば良いのであるが、この方の精神の奥底に宿る価値観は、「対外土下座志向」であり、無国籍無責任左翼の立場である。簡単に言えば、半島出身の李高順氏や村山富市氏と同じ価値観で「土下座こそ至上」をモットーとして贖罪外交に精を出された方である。
 この国賊的行為が日本人に与えた損失は金銭的にも精神的にも計り知れないものがある。
 そして、日本国民として、一番知りたいことは、この方にとって、「天皇の存在は是か非か?」である。日本のメディアに、この方にインタビューして、聞いてみてもらいたいものである。是非お願いしたい。

 日本民族の誇りを否定するともいうべき発言をなさるこのお方が事務方のトップであった外務省外務次官時代の部下だった人物とは、今を時めく小和田恒氏であったという。小和田氏の思想とか価値観がこの方の影響をどれ程受けて居られるか否か知る由もないのであるが、皇太子殿下妃のご実家とあっては、日本国民として気にならない訳がないのである。

 話は変わるのであるが、この「WILL」という雑誌も実に愛嬌がある。39ページのこの栗山氏の肖像(写真)が載っていて、その下に「寝言は寝てから言え」とコメントされているのである。
 また、日本国警察庁は三月三日地村保志さん夫婦と蓮池薫さん夫婦の拉致事件の犯人として、北朝鮮工作員辛光洙を指名手配したのであるが、その辛光洙の顔写真199ページと瓜二つではないかと思うのは私だけであろうか。「WILL」流ブラック・ユーモアであろうか。

songzhaoのボケ封じ数学講座第11講

2006年03月30日 | Weblog
 このところ仕事が忙しくて、まともな数学的思考が阻害されてしまって、次の講議に移れないのはまことにもって、遺憾な事態である。今日は数学に纏(まつ)わる雑談とする。

 本来なら「Cuando Caliente SHIZUOKA」に書き記すべきであるが、とても感動的な静岡に纏(まつ)わる記事が「中日新聞静岡版」に載っていたので、書き留めておこう。

 静岡私立高校校長が市教育長に「数検団体一位」を報告:

 数学の実力を試す第十一回実用数学技能検定(数検)で一位の「文部科学大臣奨励賞」を受賞した「静岡市立高校」の天野忍校長が28日、市役所清水庁舎を訪れ、西条光洋教育長に報告した。数検を主催する日本数学検定協会によると、県内の高校が同賞を受賞するのは初めて。

 天野校長は、「受賞は生徒たちが数学に興味を持ち、学ぶいいきっかけになる。これからも続けて行きたい」と話し、西条教育長も「生徒たちの誇りと励みになります。今後も続けて欲しい」と激励した。

 数検は大学卒業程度の知識を問う1級から、小学4年終了程度の8級までの10階級。静岡市立高は2002年から学校を挙げて受験に取り組み、昨年は延べ612人が受験して、「準一級」に2人、「2級」に102人、「準2級」に119人が合格した。

 協会は、受賞理由として、受験者数の多さや高い合格率などを挙げている。授賞式は三月五日に開かれた。

 協会によると、子供たちの理数離れが問題視される中で、「数検」の受験者は200年に12万人だったのが、2004年は26万3千人、2005年は29万人と年々増加している。(全文)

 静岡にこのような「高校」が存在するとは実に、「感動的」である。全校を挙げて数検に挑戦とは、素晴らしいアイデアであるし、この時期に鍛えられた数学脳は生涯に亘って、数学的思考に耐えることであろう。
 
中日新聞の「価値ある報道」を大いに評価したい。この記事に感化されて、これと同じように全校を挙げて、何らかの「学術的な目標」を掲げて挑戦する「高校」や「中学」が出現すれば、素晴らしいことだと思う。何も「数学」だけに限ったことではない。「英語検定」であっても、「漢字検定」であっても良い。

 学生に対して、目標に挑戦するという「涵養の心根」を根付かせてやれば、それは、「生涯の羅針盤」をプレゼントしたも同然である。

 そういう意味で、「静岡市立高校の試み」は日本全国に知らしめるべき「偉業」である。